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庭に小さな花が咲いていた。
「確かそうなんだよ。」
「いや分かるわけ。白の外壁に黒の屋根、庭には青い芝生と小さな花?どこにでもある一般的な家過ぎて、それで特定しろは頭がおかしい。」
「長尾落ち着いて。甲斐田だって被害者なんだから。」
僕が宥めるも長尾は一向に深呼吸する気配もない。寧ろ苛立ったように大声で喋った。
「甲斐田が被害者だ?出会い系アプリで数回会った女の連帯保証人になって数百万の借金背負った奴のどこが被害者なんだよ。ただのバカだろ。そんなバカには協力してやらん。これで痛い目見ればいい。黙って警察行け。」
「だって、恋は盲目って言うじゃん。長尾だってそんな経験ないの?」
隣に座る甲斐田晴は、そう言って机に突っ伏した。
最近ずっと心ここに在らずといった様子の甲斐田だったが、パフォーマンスに支障が出始め話を聞こうとした長尾と僕に打ち明けてくれる事はなかった。しかし、昨日相談があると言って家へ呼び出され、聞いてみればそれはまぁ馬鹿げた内容だった。
しかし僕にも心ってものがあるので、長尾のように話だけ聞いて無視はできない。さらにこれを解決せずにパフォーマンスのクオリティが低下しても困る。
「お前は盲目過ぎんの。俺だって大抵の事は良い経験だって思うけど、流石にそれは馬鹿過ぎる。聞いて呆れた。そんなんで俺らにも迷惑かけてたのかよ。自業自得なんだから切り替えろ。」
長尾は一気に言い終わると席を立った。
「待って、長尾。」
そんな彼を引き止める。
「何だよ。」
「警察に行った方がいいのはそうだけど、僕らもちょっとは協力してあげようよ。困ってる仲間をここで見捨てるなんて僕にはできない。」
「弦月。」
甲斐田が感動の声を漏らすが長尾を見つめたまま言う。
「甲斐田を元に戻すためだよ。」
しかし長尾は一言だけ残して甲斐田の家を出て行ってしまった。
「知らない。」
「名前は?」
甲斐田は残されたコーヒーをシンクに流した。その後ろ姿が悲しい。仲間に見捨てられた男の背中はこんなに小さく見えるのかと、僕は目を逸らした。
「三井静香さん。でも確証もない。偽名使われてたかもしれないから。」
「そっか。」
何て哀れなんだろうか。恋は盲目とは彼のために作られた言葉ではないのかと疑いたくなる。僕もいつしか遥か昔の恋故の失敗なんぞ一度や二度ではないものの、人生で背負うほどの傷ではなかった。恋にトラウマを持った男が、また深く傷をつけられた事が、僕は許せなかった。
「弦月、」
「どうした?」
「ありがとうね。長尾にあんなに怒られると思ってなくて。協力してもらおうとしか考えてなくて、何でか二人とも二つ返事で探してくれると思ってた。だから、弦月いなかったら俺心折れてたよ。」
甲斐田がいきなりそんな事を言うものだから、僕の胸からふっと空気が出て行った。
「何感傷的になってんだよ。三井捕まえるんだろ?もっと特徴教えてよ。」
「うん。」
甲斐田はタオルで手を拭ってから、僕の右斜め前、さっきまで長尾が座っていた席に座り直す。その際に僕の隣からピンク色のマグカップを持って行った。
「三井は何してる人なの?」
「接客業。そのために生まれてきたみたいな美貌の持ち主で、トークが上手いの。」
「それは、確かに魅力的だね。」
「そうなの!ギターが趣味でね、色んなの弾けるらしい。俺も音楽好きだからめっちゃ盛り上がって。基本ジェーポップ何でも弾けるよって言ってたんだけど、俺は相手の声が好きだったから、俺のギターで歌ってねって約束してたの。好きだよって言い合って、た。」
急にテンションが上がったかと思えば、そんな相手に騙されていた事を思い出して彼は俯いた。相手に逃げられる前までは本当に楽しかったんだろう。また彼が切なくなる。
「庭付きって事は一戸建ての実家住みかな。」
それか既婚者か。
「そうだと思う。」
「一緒に写真とか撮らなかったの?」
僕が尋ねると甲斐田はスマホに触れるだけで、光る画面を解除しなかった。
「写真はない。ごめん。家もアイコンに写ってただけだし、まさか逃げられるとも思ってなかったからスクショもしてなくて。」
「なるほどねぇ。」
「ほんとに手がかりなさすぎて、ほんとごめん。」
彼は浅くなる呼吸を落ち着かせようと必死になった。そんな様子に僕の心もキュッとなって、僕は前のめりに彼に言う。
「大丈夫。きっと見つかる。最後に会ったのはいつなの?」
「一ヶ月前。港区で会ったのが最後。」
「何したの?」
「デート。」
「じゃなくて、具体的に。」
彼は俯いて声を震わせた。
「話したんだよ。その前に会った時はご飯も行ったけど、その日は話しただけかな。」
「話しただけ?カフェとかでって事?」
「いや、外。ほら、公園デートみたいな。」
公園デート?
一応頷いてはみたものの、気持ちの悪さが残る。三十一の男が港区で公園デート?ダサいというか、気持ち悪い。まあ純粋という事にして片付けよう。
「じゃあ、騙されてからまた会ってるって事だ。」
僕は甲斐田が出してくれたコーヒーに口をつけた。既にぬるく、味がしない。
「あ、そうだね。俺は相手が居なくなるまで騙されてるって分かってなかったから。」
「契約しちゃった所から連絡が来てやっと気づいたって感じか。」
「うん。」
「それはいつなの?」
人探しには関係ないかもしれないが、情報は取っておいて損はない。甲斐田の心が抉られ過ぎないようだけ配慮した。甲斐田は左下を向いて首を傾げる。
「うーん。二週間前とか。」
結局話し合ってもそれらしい情報はなかなか出てこずその日は解散になった。
女性の住んでいる庭付き一戸建て。壁は白く、屋根は黒く塗られている都内の建物であるという情報だけが提示されている。
「あのあと色々調査してみたんだけど、」
カフェの一角でそう口火を切ったのは、あの日怒って帰ってしまった長尾だった。
「え?なんて?」
甲斐田が目を丸くする。
「いやだから、甲斐田の探してる家を、俺も探してみたんだけどって。」
「うそ?」
一度言い争いになったからといって僕らの仲が壊れる事はなかった。あの日以来も仕事で会う日は普通に言葉を交わし、笑い合った。甲斐田も僕達に相談できた事で少しは軽くなったのか症状は回復しつつある。プライベートで会うのは今日が初めてで、自然と三井の話になった。
「もう多過ぎて話にならん。知り合いに聞き回ってるし俺も探してみてるけど、それっぽいのがあり過ぎて、今日は確認してもらおうと思って来た。」
「長尾!」
大きな声を出す甲斐田に「しっ」と長尾が窘める。
僕もそれらしい家を見つける度に写真を撮って甲斐田に送っていた。しかしどれもこれも違うと断られて未だ見つけられていない。
長尾の見せた写真も同じようで、どれにも甲斐田はいい反応を見せなかった。その数おおよそ四十七件。わざわざそこに足を運んで撮って来たのだと思うと、こちらも報われない気持ちだ。
「全部空振りかよ。」
長尾は納得いかないようにギリギリと奥歯を鳴らす。
「なんか申し訳ないな。ありがとう。二人とも。」
僕の隣で甲斐田は背もたれに身体を預けた。
「くっそ。何なんだよな、その女。ガチでムカつくんだけど。うまく逃げられたと思うなよ、くっそ。」
努力が実らなかった悔しさが怒りとなって三井へ向く。その気持ちもわからなくもないが、加速しないといいけど。
「でも絞り込めてるんじゃない?こんだけ集めてたら逆に、まだ見つけられてない家の方が少ないかも。」
そう元気付けるが二人とも納得はしなかった。
僕はカプチーノを味わった。ミルク感がなく苦い口当たりだった。カップを置くと、受け皿とぶつかって甲高い音が鳴った。見た目だけがまろやかなそれが、僕たちを嘲笑しているように思えた。
甲斐田を騙していた三井静香とは、本当にそんな価値があったのだろうか。僕の方こそ顔すら知りもしない三井静香という女性に、危うい感情を抱いてしまっている。客観視できる冷静さを持ち合わせていながら、僕の心はどうにも苛立っている。甲斐田の好意をいいように使って自分の欲求を満たそうとは。
ふと、長尾がアイスコーヒーを見つめながら言った。
「甲斐田さ、今度絶対俺らの事温泉旅行連れてけよ。見つけてやるから、この身体癒してくれ。」
珍しく弱音を漏らす長尾は、確かに何だかやつれたように見えた。あんな事を言っておきながら、本当は甲斐田の事が心配で忙しくしていたのだろう。優しい奴め。僕は深呼吸をした。
「うん。ありがとう。絶対行こうね。絶対。」
甲斐田は小指を出した。久しぶりのその行動に僕は恥ずかしくて同調できなかった。
「おう。」
長尾と甲斐田が小指を絡ませる。
「ほら、弦月も。」
「いや、僕はいいよ。」
そう言って断るも、甲斐田に右手を掴まれて強引に小指を立てさせられる。
「何言ってんだよ。」
「もう、何々。」
僕はもう笑うしかできなくて、三人で変に指を折り合った。本当に、同期がこの二人で良かったと思った。
「弦月なんか照れてない?」
「気持ち悪い、変な事言うな。」
「えーっ、何で?」
「照れてる方が気持ち悪いだろ。」
「おい長尾、それは言い過ぎ。」
「二人とも死ね。」
「えーっ、弦月!訂正して!」
「しない。」
「弦月はそういうお年頃だから。」
「えーっ。」
甲斐田はストローを咥える。そのバナナジュースは控えめに吸い上げられ、無造作に織り込まれた斑点がうねうねと動き始めた。
「甲斐田!」
音の方を振り向くと、長尾が膝に手を付いて息を整えていた。楽屋に居座る僕と甲斐田は、そんな彼に目を瞬く。
「長尾、どうしたの?」
甲斐田の問いに長尾は上がる息を抑えて顔を歪める。何か今から大事な事を言う気がして、僕の心臓も高鳴った。
「み、」
興奮して遠くから走って来たのだろう。言葉が出てこない様子の長尾に無意味だと分かっていながらも急かしたくなる。もしかして、三井静香の事だろうか。
「何、早く。」
甲斐田も興奮気味に催促した。
「見つけた、三井静香じゃない、」
「見つけたの?あの家見つけたの?」
甲斐田が長尾の肩に触れた。僕も安心しながら、感情が昂っている。
「そう、」
「ねぇ長尾、ほんとに俺が探してた家かな?」
「これだろ。都内の、女が住んでて、白い壁、黒い屋根、の家、庭があって青い芝生、小さな花、」
長尾がスマホを甲斐田に押し付けた。甲斐田はそれを受け取って画面を見つめる。僕も彼の隣から覗き込み、納得した。
画面に映っているのは甲斐田が言っていた家の条件と全て当てはまっていた。横にスクロールすれば、いくつかの角度から撮られた家が、三井静香の家だと証明していた。三井静香ではなかったらしいが。
また、最後の写真はマップにピンが立っているスクショだった。そのピンが刺さる所が家の住所だった。
「長尾、これだよ。これ。ほんとにこれだ。ありがとう!」
「長尾、すごいね。すごい、ほんとすごい、」
僕はもう驚いて、そんな馬鹿みたいなことしか言えなかった。
「だろ、見に行って、絶対これだと思った、」
「良かったね甲斐田。」
長尾は陸上にいるのが嘘みたいに辛そうに呼吸をしている。きっと見つけて驚かせたいと思って。僕は彼を見る目を細めた。これから先、弁護士をつけて戦う事になるだろうが、今はそんな事は言うべきでないのは分かっていた。
「温泉、温泉行こう、」
そう言って長尾はソファに転がった。荒々しい日常が、元に戻った気がして何だか微笑ましかった。
甲斐田は慌てて長尾が撮ったであろう複数の写真を自分のスマホへ転送しているようだった。完了した事を確認すると、甲斐田はやっと落ち着いて、深呼吸をした。一安心だった。
「よし、ありがとう。やっと特定できた。」
「うん。」
甲斐田は長尾にスマートフォンを返した。
「甲斐田?」
僕は彼を呼んだ。何故かその姿に違和感がある。まるでこちら側が悪い事をしているように。
甲斐田は笑った。満面の笑みだった。数百万がどうにかなるからだろうか?
「貢いだ数百万分のお返しされてないのに逃げられたんだよね。急にホストやめたと思ったら、子育てアカウント作っちゃってんの。」
そっか。
そんな思いが頭の熱を冷やした。
分からない。彼が何を言っているのか分からない。けれど、走馬灯のように全てが逆再生していく。そして一つの記憶に辿り着いた。
出会い系アプリという自己アピールの場で、どうして庭に咲く小さな花に気が付いたのか。