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六月の空は気まぐれだ。
さっきまでねっとりとした生ぬるい風が吹いていたかと思えば、またたく間に鉛色の雲が空を覆い尽くし、バケツをひっくり返したような大雨が三門市を襲った。
「うわ、最悪や! カツラやったら完全に終わってるところやったわ!」
三門市立大学のキャンパスから少し離れた場所にあるファミレスの自動ドアが開き、濡れた髪をがしがしとタオルで拭きながら生駒達人が滑り込んできた。その後ろから、大きな体躯の弓場拓磨が、雨の雫を払うように肩をすくめて入ってくる。
「生駒、お前は自前の髪だろ。ほら、中に入るならもっと奥へ行け。後ろがつっかえる」
そう言って生駒の背中を軽く小突いたのは柿崎国治だった。柿崎のすぐ後ろには、濡れた服の始末をスマートにこなしながらも、どこか周囲への気配りを忘れない嵐山准が続いている。
同じ大学に通う十九歳の四人は、たまたま講義の終わりが重なり、このゲリラ豪雨に直撃したのだった。雨宿りのために駆け込んだファミレスの店内は、同じように雨を避けようとする学生やサラリーマンで混み合っている。
「席、空いてっかな……」
柿崎が少し困ったように店内を見回した、その時だった。
「おーい、こっちこっち! 席、ばっちりキープしといたよ」
ボックス席の奥から、見覚えのある男がひらひらと手を振っていた。大学には通わず、ボーダーの防衛任務を専任しているはずの男_迅悠一だった。テーブルの上には、すでに人数分のグラスと、彼のお気に入りであるぼんち揚げの袋が誇らしげに置かれている。
「迅? なんでお前がここにいんだよ」
弓場が怪訝そうに眉をひそめながらも、促されるままにソファー席へと腰を下ろした。
「いやあ、ちょっと近くを通りかかったらさ。おれの優秀なサイドエフェクトが『ここで待ってると、面白いメンバーがずぶ濡れでやってくるぞ』って教えてくれたわけ」
「それ、お前が仕組んだわけやないやろな? 迅、俺らの雨男パワーを予知しとったんか」
「はは、生駒っちのボケまでは予知してなかったよ。ほら、みんな早く座って。ザッキー、ドリンクバー頼んであるから行こうぜ」
「あ、ああ……ありがとな、迅」
柿崎は苦笑しながら、全員分のコップを持って席を立った。いつもこうして、誰に言われるでもなく自然と周囲の世話を焼いてしまうのが柿崎という男だった。
注文したメニューが届くまでの間、五人は他愛のない会話に花を咲かせた。大学の課題の多さについての愚痴、最近のボーダー内のランク戦の動向、そして生駒が最近仕入れたという、まったく中身のない芸能ニュースの噂話。
「っていうかさ、生駒っち。さっきからなんでドリンクバーのマシーンに向かってキリッとした顔してんの?」
メロンソーダをストローで混ぜながら、迅がニヤニヤと笑う。
「いや、迅分かってないわ。こういうのはな、常にカメラを意識しとかなあかんねん。いつどこで俺の男前な姿が抜かれるか分からんからな。なぁ、弓場ちゃんもそう思うやろ?」
「弓場を巻き込むな。あと、ファミレスの機械にカメラはついてない」
柿崎がすかさずツッコミを入れると、嵐山が声を立てて笑った。
「相変わらず生駒は面白いな。でも、そういう明るさがあるから、生駒隊はいつも雰囲気がいいんだろうね」
「お、さすが嵐山。分かっとるやん。俺らの強さはそこよ。技術とかトリオンやなくて、ハートよ、ハート」
生駒が胸を叩いて胸を張る。その姿は一見ただのお調子者に見えるが、彼が率いる生駒隊がB級上位を維持し続けているのは、そのブレない「いつも通り」の空気があるからだと、ここにいる全員が知っていた。
ふと、窓の外に目をやると、雨の勢いはさらに増していた。激しい水滴がガラス窓を叩きつけ、外の景色を白くぼやけさせていく。
「激しい雨だな。……うちの妹と弟、ちゃんと傘持って行っただろうか」
嵐山が少し心配そうにスマホの画面を見つめた。画面には、彼が大切にしている家族のグループチャットが表示されている。
「嵐山は本当に家族思いだな」
柿崎が温かい目を向けた。
「うん。俺にとって、あいつらが笑って過ごせる環境を守ることが、ボーダーにいる一番の理由だからね。自分の手が届く範囲の、大切な人たちを雨に濡れさせたくないんだ。だから、俺はいくらでも盾になるよ」
嵐山の言葉には、一切の迷いがなかった。広報部隊の顔として、街の安心の象徴として戦う彼の強さは、その「守りたい」という純粋な願いからきている。
「……手が届く範囲、か」
弓場がコーヒーカップを揺らしながら、ぽつりと呟いた。
「俺も似たようなもんだ。生意気な後輩が一人前になるまで、道に迷わねェように弾を張る。転びそうになったら、後ろからぶっ叩いてでも立たせる。それが俺のやり方だ。綺麗事じゃァねえが、守るってのはそういう泥臭いことの積み重ねだろ」
弓場の言葉に、柿崎は静かに胸を打たれていた。
柿崎自身、かつては嵐山隊に所属していながら、一度は身を引いた過去がある。自分には彼らのような圧倒的な才能も、人を惹きつけるカリスマ性もない。そう思い悩んだ時期もあった。けれど、いまの柿崎には、自分を信じてついてきてくれるチームの仲間がいる。
「俺は……」
柿崎が小さく口を開くと、全員の視線が彼に集まった。
「俺は二人みたいに強くないし、生駒みたいに器用でもない。だけど、あいつらが俺を隊長に選んでくれたからには、絶対に誰も置いていきたくないんだ。もし激しい雨が降ってきたら、自分の体がずぶ濡れになっても、あいつらの上に傘を広げられるような、そんな隊長でありたいと思ってる」
少し気恥ずかしそうに、けれど真っ直ぐな目で語った柿崎に、生駒が大きく頷いた。
「ええこと言うやん、柿崎ちゃん。泣かせるわ。男前やで」
「からかうなよ、生駒」
「からかってへんて。本気や。みんな、守るもんがあるから強なれるんやな」
生駒はそう言って、窓の外の雨を見つめた。いつもの軽薄な笑みは鳴りを潜め、その横顔にはB級随一の旋空弧月の使い手としての、確かな静けさが宿っていた。四人の会話を、迅は少し離れた場所から見つめるように聞いていた。彼の瞳の奥にあるサイドエフェクトは、常に無数の未来を映し出している。その中には、凄惨な戦いの未来も、誰かが涙を流す結末も含まれている。誰も死なせないために、誰の未来も壊さないために、迅はいつも最善の糸を手繰り寄せようと、一人で戦い続けてきた。
幸せとは、星が降るような特別な夜に、劇的な奇跡を起こすことではない。あるいは、眩しい朝が何事もなくただ繰り返されることでもない。大切な人に降り注ぐ雨に、そっと傘を差し出せること。自分が身代わりになってでも、その人の隣で笑っていられること。それが、本当の強さであり、幸せなのだと。かつてどこかで聞いたようなフレーズが、迅の脳裏をよぎる。
みんな、ちゃんと分かってるんだな
迅は手元のぼんち揚げを一口齧り、小さく笑った。十九歳。大人でもなければ、子どもでもない。けれど、それぞれが自分の足で立ち、誰かを守るための傘になろうとしている。その姿が、たまらなく愛おしく、そして頼もしかった。
「……よし、そろそろ雨、止むよ」
迅が不意にそう言った。
「え? まだ結構降ってるぞ?」
嵐山が窓の外を見る。しかし、迅の言葉から数分もしないうちに、叩きつけるような雨音が次第に小さくなっていった。雲の切れ間から、柔らかな夕暮れの光が差し込み、濡れたアスファルトを金色に染め始めていく。
「うわ、マジやん。迅のサイドエフェクト、ほんまに便利やな。今度、俺が次のランク戦でカメラに何回抜かれるかも予知してや」
「それは生駒っちの努力次第かなぁ」
迅が立ち上がり、背伸びをした。
「じゃあ、雨も上がったことだし、俺は本部に顔出してくるわ。みんな、大学の課題頑張ってね」
「ああ、迅も任務気をつけてな」
嵐山が笑顔で手を振る。 伝票を持ってレジへと向かう柿崎の後を、生駒と弓場が追いかけていく。
「ここは俺が」
「いや、割り勘やろ」
「国治ァ、俺が出す」
と、相変わらず賑やかな声を響かせながら。 ファミレスを出ると、雨上がりの独特の匂いが鼻をくすぐった。
空気は少しひんやりとしていたが、彼らの胸の奥には、確かな温かさが残っていた。それぞれが自分の守るべき場所へと歩き出す。振り返った先、夕日に照らされた彼らの背中が、まるで未来を祝福するように、きらきらと小さく瞬いていた。
コメント
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読み終えました。すごく、いい話でした。 雨宿りのファミレスで交わされる、普段着の会話の一つひとつが、みんなの「守りたいもの」の形をじんわり見せてくれて。 特に柿崎くんの「ずぶ濡れになっても傘を広げられる隊長でありたい」って言葉、すごく響きました。迅さんが最後に「雨、止むよ」って言うところも、ああ、この人たちはちゃんと未来を信じられるんだなって思えて。 あたたかくて、ちょっと切なくて、でもすごく好きな空間でした。続きも静かに読ませてください🌙🤍
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