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「3年Ⅲ組」
その噂を聞いたのは、六月の終わりだった。
雨が三日連続で降り続いて、校舎全体がじめじめしていた日の放課後。
俺――りうらは、教室の窓際で頬杖をつきながら、外の灰色の空をぼんやり眺めていた。
窓ガラスを叩く雨粒の音。
誰かが机を引く音。
遠くから聞こえる吹奏楽部のチューニング。
どれもいつも通りの学校の音なのに、その日は妙に不気味に聞こえた。
「ねぇ、りうら」
急に背後から声をかけられて、肩が跳ねる。
振り返ると、クラスメイトの女子が数人、妙に楽しそうな顔をして立っていた。
「……なに?」
「3年Ⅲ組の噂、知らないの?」
「噂?」
女子たちは顔を見合わせて、くすくす笑う。
「二年前に死んだ男子生徒が、自殺を促してくるんだって」
「は?」
思わず眉をひそめた。
「え……? 最近すぎるし……しかも、そんなの初めて聞いたよ……?」
すると一人が、口元を押さえながら笑った。
「……え?w 気づかなかったの?w」
ぞわり、と背筋に寒気が走った。
意味が分からなかった。
でも、その笑い方が妙に気味悪くて、俺はそれ以上聞き返せなかった。
「その人、ないくんって呼ばれてたらしいよ」
「すっごい優等生だったんだって」
「でも、急に学校来なくなって……」
「それで――」
一人がわざと声を潜める。
「死んじゃったんだって」
窓の外で雷が鳴った。
びくり、と全員の肩が揺れる。
なのに女子たちはまた笑った。
「夜の学校で、“死にたい?”って聞かれるんだって」
「もし“うん”って答えたら――」
「やめろよ」
思ったより強い声が出た。
女子たちは少し驚いた顔をしてから、「冗談じゃん」と笑って離れていった。
でも。
その日から、妙にその噂が頭に残った。
「りうらー、帰んないの?」
部活帰りの友達が教室を覗き込む。
「あー、ちょっと課題やってく」
「真面目だなぁ。じゃ、お先!」
教室の扉が閉まる。
気づけば校内にはほとんど人が残っていなかった。
時計を見ると、午後六時半。
雨はまだ止んでいない。
静かだった。
静かすぎた。
カリカリとシャーペンを動かしていた時だった。
――コン。
窓が鳴った。
反射的に顔を上げる。
外には誰もいない。
「……風?」
そう呟いた瞬間。
――コン、コン。
今度ははっきり聞こえた。
しかも、窓の外側から。
ぞくり、と鳥肌が立つ。
ここ、三階だぞ。
ゆっくり窓へ近づく。
雨粒が流れるガラス越し。
そこに、一瞬だけ。
誰かの顔が映った。
「っ!?」
思わず後退る。
でも次の瞬間には何もいなかった。
「……見間違い、だろ」
自分に言い聞かせる。
疲れてるだけだ。
噂なんか聞いたから変に意識してるだけ。
そう思って鞄を掴み、急いで教室を出た。
廊下は薄暗い。
蛍光灯が一本だけ点滅している。
キ、キ、と不規則な音。
俺は早歩きで階段へ向かった。
その時。
「――りうら」
後ろから、声がした。
足が止まる。
聞いたことのない声だった。
低くて、静かで。
なのに耳元で囁かれたみたいにはっきり聞こえた。
「……誰?」
振り返る。
誰もいない。
けれど廊下の奥。
非常灯の緑色の光の下に、人影が立っていた。
男子生徒。
制服姿。
俯いていて顔は見えない。
なのに。
なぜか直感で分かった。
――あれは、生きてる人間じゃない。
心臓がうるさい。
逃げろ。
頭の中で警報みたいに声が響く。
でも体が動かなかった。
「……お前、誰だよ」
震える声で聞く。
すると、その影がゆっくり顔を上げた。
青白い顔。
黒い目。
不自然なくらい静かな表情。
「俺のこと、知らない?」
男は小さく笑った。
「ないくんだよ」
瞬間。
廊下の空気が一気に冷えた。
「っ……!」
息が詰まる。
逃げなきゃ。
そう思った瞬間、足が勝手に動いた。
俺は階段へ駆け出した。
後ろなんか振り返れない。
ただひたすら走る。
けれど。
足音が聞こえる。
一定の速さで。
コツ、コツ、コツ。
追いかけてくる。
「はっ……は、ぁ……!」
息が上がる。
一階へ降り、昇降口へ飛び込む。
だが。
出口のガラス扉は閉まっていた。
「え……?」
押しても開かない。
鍵が掛かっている。
そんなはずない。
さっきまで開いてたのに。
その時。
「なんで逃げるの?」
真後ろから声がした。
凍りつく。
振り返れない。
「俺、別に酷いことしないよ」
静かな声。
「ただ、聞きたいだけ」
コツ。
一歩近づいてくる。
「りうらはさ」
コツ。
「消えたいって思ったこと、ない?」
頭が真っ白になる。
ある。
そう思った。
一度もない人間なんて、多分いない。
テスト。
人間関係。
親との喧嘩。
将来。
全部嫌になって、全部投げ出したくなる日なんて、何回もあった。
でも。
それを口にした瞬間、何かが終わる気がした。
「……ない」
絞り出すように言う。
すると背後で、小さな笑い声がした。
「嘘」
ぞわり、と耳元が冷える。
「みんな嘘つくんだよ」
振り返った。
ないくんが、すぐ後ろに立っていた。
近い。
近すぎる。
なのに足音がしなかった。
「でもさ」
ないくんは無表情のまま言う。
「苦しいなら、終わらせてもいいんだよ」
「……っ」
「無理して生きなくてもいい」
その声は優しかった。
だからこそ怖かった。
優しい言葉なのに。
底が見えない。
「……お前、何なんだよ」
震えながら睨む。
「なんでそんなこと言うんだよ」
ないくんは少しだけ目を細めた。
「だって、俺もそう言われたかったから」
その瞬間。
彼の表情が、ほんの少しだけ苦しそうに歪んだ。
「……え?」
「頑張れって言葉、嫌いだった」
ぽつり、と呟く。
「ちゃんとしろ、とか。耐えろ、とか」
雨音が強くなる。
「誰も、“もう休んでいいよ”って言わなかった」
ないくんの声は静かだった。
怒ってるわけでもない。
泣いてるわけでもない。
ただ、空っぽみたいだった。
「だから俺は、みんなに言ってあげてるだけ」
ぞくり、とした。
その言葉の意味を理解してしまったから。
「お前……」
「苦しいなら、終わってもいいって」
ないくんが微笑む。
その笑顔は、人間みたいに自然だった。
なのに。
目だけが全然笑っていなかった。
「……違うだろ」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
ないくんが僅かに目を見開く。
「それ、優しさじゃない」
声が震える。
怖い。
でも、言わなきゃいけない気がした。
「お前、本当は止めてほしかったんじゃないのかよ」
沈黙。
雨音だけが響く。
ないくんの表情が消えた。
「……知らない」
小さく呟く。
「もう覚えてない」
その瞬間。
校内放送みたいなノイズが響いた。
ジジッ、と耳障りな音。
蛍光灯が激しく明滅する。
ないくんの姿がぶれる。
「っ……!」
思わず目を閉じた。
次に目を開けた時。
そこには誰もいなかった。
ガラス扉は普通に開いた。
雨の匂いが流れ込んでくる。
俺は呆然と立ち尽くした。
翌日。
俺は寝不足のまま登校した。
当然、昨夜のことなんて誰にも話せなかった。
話したところで信じられるわけがない。
でも。
「顔色悪くない?」
友達に言われるくらいには、俺は分かりやすく動揺していたらしい。
「別に」
適当に誤魔化しながら席につく。
その時だった。
机の中に、紙が入っているのに気づいた。
折り畳まれた白い紙。
「……?」
開く。
そこには。
『もう疲れた?』
たった一文だけ、書かれていた。
ぞわっ、と全身に鳥肌が立つ。
その字は。
昨日、昇降口で見た。
ないくんの名札に書かれていた字と、同じだった。
震える手で紙を握り潰す。
その時。
廊下の窓ガラスに、一瞬だけ人影が映った。
青白い顔。
静かな目。
そして。
口だけがゆっくり動く。
『見つけて』
その瞬間、チャイムが鳴り響いた。
教室が一気に騒がしくなる。
なのに俺だけ、氷水を浴びせられたみたいに冷え切っていた。
「ないくんは、何を伝えようとしてる…?」
そして。
“見つけて”って、何を。
俺はまだ知らなかった。
この学校に隠された、二年前の真実を。
コメント
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読んだよ…これ、めっちゃしんどかった🥀🩹 ないくんの「頑張れって言葉、嫌いだった」って台詞、私の心抉られた。「もう休んでいいよ」って言ってほしかったんだよね…でもそれを今、他の人に“終わらせていい”って伝えて回ってるの、優しさの見せ方が歪んでて苦しい。 最後の「見つけて」、続きが気になって仕方ない…二年前の真実、絶対知りたい🤍🖤