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「もぉ〜〜!お屋敷広すぎィ‼︎」
「文句垂れずに手ェ動かせ。そこ、塵が残ってるぞ」
「細かッ‼︎こんなん葉流ちゃん気づかねェって!」
「気づくか気づかないかの問題じゃない。屋敷を綺麗に保つのも俺らの役目だ、塵一つ残すな」
「へいへい、やりますよ。やればいいんでしょ〜」
広大な土地に構えられた清峰邸に、今日も今日とて主人の不満がこだまする。屋敷が広すぎるという件については同意だが、ここはこの領地一帯を管理する領主である清峰家の屋敷だ。妥当な広さだろう。そんな清峰家に雇われている以上、屋敷を綺麗に保つのは自分たちの仕事だ。箒を持つ手よりも口を動かしている時間の方が長い兄、主人にそう説くのも智将にとっては最早ルーティーンになっていた。
言われている側の主人とて、きっと耳にタコだとでも思っているのだろう。いつもと変わらない智将の正論にムッと口を尖らせると、投げやりに言葉を返してくるりと背を向けてしまった。拍子にヒラリと揺れるスカートに思わず目が留まり、智将は誤魔化すように目を逸らして咳払いをする。デザインは同じなのだが、智将が纏うクラシカルなロング丈のものに対して主人のそれはミニスカートにカスタムされたものだ。機動性を重視して智将が清峰の父である旦那様へと依頼したものだが、もう少し長くても良かったか?と今更になって後悔している。
「……主人、ペチコートはちゃんと履いてるんだろうな」
「え〜……履かなきゃダメ?ワサワサすんのよね、アレ。動きにくいし」
「今すぐ履いてこい」
「そんなん言うならメイド服じゃなくて燕尾服でいいじゃん!何で俺らだけメイド服⁉︎」
「葉流火に一番近い従者だからこそ、だ。その意味が分からないわけじゃないだろ」
「それは、まぁ……」
清峰葉流火の従者として仕える『要圭』。主人と呼ばれる兄と要圭と、智将と呼ばれる弟の要圭は生き写しのようにそっくりな双子の“兄弟”だ。同姓同名である理由については割愛させてもらうが、なぜ男の兄弟である二人が愛らしいメイド服に身を包んでいるのかについては弁解させてもらいたい。
清峰葉流火は二人の幼馴染であり、友人であり、そして雇い主である旦那様の次男という立場にある。領主……言わば貴族の息子だ。高貴な立場ともなれば命を狙われる機会も少なくはない。そんな葉流火を従者として守るのが、智将と主人の最たる役目だった。しかしそこで問題だったのが二人の体格だ。男性平均は辛うじて超えているとは言え、体格のいい葉流火を狙う刺客は本人以上のフィジカルを兼ね備えた強者ばかりだった。
だったらいっそ、と考えついたのがメイド服だった。幸いにも二人は中世的な顔立ちをしている。女だと思って舐めてかかってくれるのならば万々歳。ほんの数パーセントでも守れる確率が上がるなら、と。そんな理由から、二人は今日もメイド服をその身に纏って仕事に従事しているのだった。
パチン、と音を立てて開いた懐中時計は午後の五時を示している。そろそろ旦那様に連れられて領民の視察に出かけている葉流火が帰ってくる頃だ。いずれ清峰の名を継ぐ兄君も同行しているとのことだから、疲労困憊を体現した様子で帰宅することは容易に想像できる。夕食と風呂の準備。それが済んだらベッドを整えて葉流火を寝かせ、それも済んだら屋敷内の戸締り。
そしてもう一つ──大きな仕事が残っている。
「主人」
「んぇ?」
「今夜、覚悟しとけよ──」
徐に主人の肩に触れてそう耳打ちすれば、主人の肩が小さく揺れた。
*****
「なーんてセリフ言われたらいかがわしいこと想像するよね。だって男の子だもの」
「はぁ?何の話だ」
「んや、こっちの話」
「ッたく、意味わかんねェこと言ってないで真面目にやれ」
「はいはい、圭ちゃんにまっかせといてよ〜」
まだ肌寒さの残る夜の風を読みながら、微塵も緊張感のないゆるい口調で返す主人はひとつ息を吐くとスコープを覗き込む。屋上庭園の石柵の影に身を潜め、捉えた鼠に照準を合わせて躊躇いなく引き金を引くと、サプレッサーによって音もなく放たれた弾丸が数百メートル先で紅い飛沫を散らした。スポッターなど必要とせず、正確無比に敵を仕留める主人の手腕にはいっそ惚れ惚れしてしまう。スナイパーライフルだけではない。アサルトライフルにマシンガン、サブマシンガンにハンドガン。果てはショットガンまで、使う武器は多岐に渡る。恐らく銃火器を扱わせたら右に出る者はいないだろう。
そんな主人の、命が散ったことにすら気づかせないヘッドショット。それは長年この屋敷の従者、兼掃除屋を務める片割れのせめてもの慈悲だと智将は知っている。絶命したことを確認した主人の眉間に皺が寄るが、それは智将でなければ気づかない一瞬のことだ。すぐにパッと表情を戻すと、安心させるようにヘラリと笑って見せた。
「今仕留めたのは見張り役だろうな。だとしたらあと三人……いや、もう少し多く見積もってもいいかもしれない。主人、一旦千早と藤堂にも──」
当然ながら単独なわけがない。見張りが撃たれたことで異変に気付いた仲間らしき人影が暗闇の中で蠢くのを確認して、応援を要請するべきだと判断した智将は息絶えた刺客から主人の方へと視線を移す。が、既にそこに主人の姿はなかった。またか、と痛み始めた頭を抑える。タン、タタンと。別棟の屋根を軽やかに伝い飛ぶ、ローヒールが鳴らす足音を追うようにして石柵の下を覗き込めば思った通りだ。迷いのない足取りで残りの敵を仕留めに向かう主人の姿が、そこにあった。
「だぁいじょうぶだって!俺がぜーんぶ倒しちゃうからそこで見ててよ、智将!」
「ッたく、あのアホ……‼︎」
智将との距離が開くのに比例して「ちょっとオモテナシしてくんね〜」なんて言葉が、徐々に遠くなっていく。そんな主人に呑気な様子に智将は小さく舌打ちをした。主人が前に出てしまった今、もはや身を隠す意味はない。結局このパターンかよ、という文句と説教は一先ず敵を殲滅した後だ。そう思考を切り替えて、智将も石柵を飛び越えると主人の後を追いかけた。
一発、また一発と弾丸が風の軌道を描いて、鉛の弾が敵の頭に吸い込まれていく。柔らかな肉を裂き真紅の飛沫を散らしながら、声を上げる間もなく土の上に崩れ落ちていく光景は悲しきかな、既に見慣れた光景になっていた。築いた屍を数えながら「こんなもんかな」と強張っていた表情を緩める。チラリ、と確認した背後に智将はいない。まだここまでは辿り着いていないようだと安堵する。
「ぐ、ぅう……ッ」
「よかった、まだ息ある?ごめんねぇ。早く楽にしてやりてェんだけど、雇い主は吐いてから逝ってもらわないと智将に怒られちゃうのよね」
「でも、アンタらは葉流ちゃんの命狙ったから」
明日の命があるかも分からない。そんな地獄にいる幼い智将と自分を拾ってくれた、二人の宝物である葉流火の命を狙ったから。二人にとってその事実は、命を奪うのに十分な理由たり得るのだ。言外にそう告げる主人の温度を感じさせない瞳は、芋虫のごとく土の上に転がる無様な男をどこまでも冷たく見下ろしていた。
「さ、いいからさっさと吐いて逝ってくんない?若い子をオッサンのお喋りにいつまでも付き合わすなよ」
「あぁ、オッサンのお喋りに付き合ってくれてありがとよ。殺すならさっさと殺せ。雇い主は──他のオッサンにでも聞けよ」
──テメェが生きてたらな。
「はぁ?」
今際の際だというのに口の減らない敵の男は、ニヒルな笑みを浮かべてみせる。一度歯を噛み締めたかと思えば意味深な言葉を吐き、程なくしてぐるりと目が上を向く。まさか、と思い口の端から溢れる泡を見て、慌てて頸動脈に触れて確かめれば男は既に絶命していた。どうやら口内に仕込んでいた毒薬のカプセルを煽ったらしい。貴重な情報源を失い、主人はらしくなく舌打ちをした。
(でも他のオッサンって、まさか──⁉︎)
勘づいたのと、耳が多人数の足音を拾ったのはほとんど同時だった。葉流火を狙う割には手応えが薄いとは思っていたが、そういうことかと苦虫を噛み潰したように眉を顰める。今しがた殲滅した敵は最初から使い捨て。その目的は数で主人を消耗させて削ること。本命はこちらに向かってくる部隊だったというわけだ。
「ちょっっっとそれは聞いてなかった〜……」
一人で飛び出してきただけに脳裏に青筋を浮かべてキレる智将の姿が鮮明に思い浮かび、主人の頬を冷や汗が伝った。
*****
足音と人の気配が増えたことには早々に気がついていた。主人を追って入ったのは屋敷を取り囲む森の中だ。夜目が利くとは言え、足跡や折れた枝などの痕跡を辿って走れば主人の元に辿り着くには相当の時間がかかる。「置いて行くな」という智将の言い付けはいつまで経っても守られることがなく、襲撃がある度に智将は寿命が縮むような思いを味わっていた。
置いていかれる身にもなってほしいものだ。大切だから、傷ついてほしくないから。そんな真綿で包むような真意は、口にしなければ伝わらない。分かってはいるものの、素直に口にするのは柄じゃない。だから不器用な自分はいつだって、二人で行動するメリットと単独で行動するデメリットなんていう、尤もらしい理由を説くのだ。
── 傷つくな、置いていかないでくれ。
そんな弱い本心を、理由に乗せて。
「……しょ、ぅ〜……!」
「ん……?」
主人の躾については目下再考案中だ。いっそ言い付けを破るごとに痛みと快楽で身体に教え込んだ方が効果があるか?だなんて物騒なことを考えていれば、夜風に乗って微かに人の声が聞こえた。方角的に主人が走って行った方だ。近づいてくる気配と足音に、智将は一度木の影に身を隠すと刀の柄に手をかける。まだ遠すぎて声の主がハッキリしない今、油断は大敵だ。
近づいてくる人物が主人でなければ首を落とす。走ってくる人影を視認して刀の柄を握れば、愛刀が智将の士気に応えるようにチャキ、と鋭く鳴いた。気配が近づき、グッと足に力を込めて木の影から踊り出る。
「あっ、智将〜〜〜‼︎」
「主人⁉︎」
「頼むぅ〜〜‼︎チェンジ!チェンジ〜〜ッ‼︎」
「はぁ⁉︎」
そこにはこちらに向かってくる主人がいた。ただし少し後ろに大量の敵を引き連れた、だ。
「〜〜〜ッ、何人だ!」
「ザッと数えて十五!」
「弾は⁉︎」
「もうない‼︎」
「アホ!弾は多めに携帯しろっていつも言ってんだろ‼︎」
「ごめんってェー‼︎でも正確な人数教えてくんないゲスト側も悪くない⁉︎そんなんじゃ紅茶もお出しできねぇっつーの!圭ちゃんのせいだけじゃありま千円!」
扱い方を説きながらリーダー格の男の懐からナイフを掏った。そのままダーツのように投げたナイフは後方の雑魚の眉間に目掛けて突き刺さる。解説は続けつつ、悲鳴に気を取られたリーダー格の男の隙も見逃さない。分からないのならば実演指導だ。
「バッターがボールを打つ時、ボールを点で捕らえるんじゃなく球筋をバットの軌道に入れてやるだろ?そうすれば──」
水のように澱みなく流れる動き。演舞のような美しさすら感じるその流れの間にあった男の首が、ゴトリと地に落ちた。
「ほら、この通りだ」
かるな?」
「はい……」
「いつも言ってるよな?今回で何回目だ?」
「……四捨五入して十回目です」
「五以下を切り捨てるな、十四回目だ。はぁー……ッたく、あと何回言わせる気だ?」
「ッ、だって……」
「だって何だ、言ってみろ」
クゥン、と許しを乞うように上目遣いに智将の様子を窺う主人にグッと頬の内側を噛む。「しっかりしろ、同じ顔だぞ」と揺らぐ心に言い聞かせるが、同じ顔でも可愛く見えてしまうのが惚れた欲目というやつだ。こればかりは仕方がない。可愛いんだからしょうがねェだろ。
スルリと意味深に腰を撫であげてやれば、主人の頬が真っ赤に染まる。見上げた東の空は太陽が連れてきた朝によって、少しずつ明るみ始めていた。夜の間に入れ替えられた空気は心なしか澄んでいる。仕事を始めるにはいい朝だ。
今日もまた塵一つ落ちていない綺麗な屋敷を保つために、二人のメイドの仕事が始まる。
fin.