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💙:諒羽(りょう)
💛:結月(ゆづき)
夜の帳が降りる少し前。
ダンスホールは目を覚ます。
建物の外壁は色褪せていて、
看板の電球は半分が切れたまま。
それでも日が沈む頃になると
古い建物は息を吹き返す。
諒羽は鍵を開けて重たい扉を押した。
軋む音がいつもより少し大きく響く。
中は暗かった。
長年磨かれてきた木の床は、
無数の傷と光沢を残している。
天井のシャンデリアは埃をかぶったまま。
照明のスイッチを入れると、
ぼうっとした橙色の光がフロアに落ちた。
諒羽はジャケットを脱いで
黙々と準備を始める。
床の軋みを確認。
スピーカーの接触を確認。
ステージ照明の角度を微調整する。
それはもう身体に染み付いた動きだった。
💛「よっ」
背後から軽い声が聞こえた。
振り返らなくても分かる。
その声の主はいつも同じだから。
💙「こんばんわ」
結月はステージ横の影から現れた。
踊り慣れている人特有の無駄のない立ち姿。
結月はこちらを見て笑っていた。
いつも通り、
客に向けるのと同じ笑顔で。
💛「今日も早いね」
「相変わらず働き者だ」
💙「やることが多いだけです」
そう返すと、
結月は笑いながら楽屋へ向かっていった。
開店前のホールにはまだ音楽がない。
あるのは二人分の足音と古い建物の呼吸だけ。
結月はフロアの中央に立つと
靴先で軽く床を鳴らした。
💛「床いい感じだね」
💙「昨日補修したんです」
💛「さすが〜!」
そう言って結月は
一人でステップを踏み始める。
音楽はない。
それでも身体は覚えているらしい。
三拍子のリズムを空気の中に描くように
ゆっくりと回る。
諒羽は舞台袖からそれを見ていた。
結月がふいに口を開く。
💛「ワルツってね」
踊りは止めずに、
言葉だけが投げかけられる。
💛「結構地味でしょ?」
「主役が誰かもよく分からないし」
諒羽は照明のつまみに手をかけたまま、
黙って聞いていた。
💛「でもね」
くるりと最後のステップを踏んで、
結月は立ち止まった。
💛「2人が寄り添わないと回れないんだ」
諒羽は少しだけ照明を落とした。
影が深くなって結月の輪郭が柔らかく滲む。
💙「……貴方に似合ってると思います」
ぽつりとそう言った。
結月は一瞬だけ目を見開いて、
それからいつもの笑顔より
少しだけ柔らかく笑った。
💛「ありがとう」
その夜も客は少なかった。
諒羽は舞台袖で見守る。
結月は客席の中央で微笑む。
光と影。
主役と裏方。
その境界線はあまりにもはっきりしていて、
だからこそ二人はその線を越えない。
最後の客が帰ったあと。
照明を落として音楽を止めた。
ホール内に静寂が戻る。
💛「ねえ 諒羽」
片付けの途中で結月が自分の名を呼んだ。
💛「一曲だけ流してくれない?」
諒羽は何も言わずにスイッチを入れた。
流れ出したのは古いワルツ。
このホールで何百回も流された曲。
結月は諒羽の前に立つ。
そしてまっすぐに言った。
💛「君と踊りたいな」
諒羽の胸がぎゅっと縮む。
💙「……俺は踊れませんよ」
💛「知ってる」
結月は手を差し出した。
諒羽はゆっくりとその手を取った。
ぎこちない一歩。
合わない呼吸。
それでも少しずつ回り始める。
光の届かない場所で。
拍手のないフロアで。
それは確かに “日陰者達のワルツ” だった。