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屋敷を抜けて辿り着いた中庭は、既に混乱の真っ只中だった。
外部から侵入した敵兵が、次々と屋敷の警備兵とぶつかり合い、金属音が響き渡る。
「カイル、俺の後ろにいろ!」
レイが剣を抜いて前に立ち、次々と敵を斬り伏せていく。圧倒的な強さ――推しが全力を出すとここまでカッコいいのかと、俺は戦場のど真ん中で妙な感動すら覚える。オタク魂100まで。
――だが、その時。
中庭に鳴り響く剣戟音と、緊張感を漂わせる静寂。
だが、次の瞬間。
「待っていたぞ、カイル」
低く不吉な声が、中庭全体に響き渡った。
中央の噴水の前に、黒いローブをまとった男が佇んでいる。
彼を囲う空気だけが異様に冷たく、まるで時間の流れさえ歪めてしまうかのようだった。
――ただ者ではない。
「カイル……」
レイの声が低く沈む。彼の剣がきしむように鳴る。
俺は、レイがこんな表情をするのを初めて見た。
「アルベルト……!」
そうか、あれがレイの叔父であり、この混乱の元凶か。
「お前の命、その力――今ここで終わらせる!」
アルベルトが叫ぶと、空気が一瞬にして張り詰めた。
黒い霧が彼の足元から広がり、まるで中庭全体を飲み込もうとしているようだ。
足が震える。体が動かない。
「くそっ……!」
レイが剣を抜き放ち、即座に俺の前に立つ。
次々と襲い来る敵兵を斬り伏せるその姿は、眩しいほどに強い――推しが本気を出した姿。
――そう思っていた矢先。
「レイ、危ない!」
黒い霧が急速に膨れ上がり、壁のようにレイとの間を遮る。
「ちっ……!」
レイが剣を振るうが、黒い壁は傷一つつかない。
その間にアルベルトが俺に向かって歩を進める。
「お前さえ消えれば……」
アルベルトの手が俺に伸びた瞬間――。
「奥様――危ない!」
エミリーが飛び込み、俺の前に立ちはだかった。
「エミリー!?」
エミリーの短剣が黒い光を弾く。
その動きは迅速かつ正確で、彼女の背中が一瞬だけ眩しく見えた。
「奥様――立ってください!今こそ、あなたの力を――!」
「俺の……力?」
胸が熱くなる。心臓が早鐘を打つ。
俺の胸元でペンダントがじんわりと光を帯び始める。
「何をしている!来い、カイル!」
レイが壁の向こうで叫ぶ。だが――俺はもうレイの声が届かないくらいに意識が内へと沈み込んでいた。
ペンダントが強烈に輝き始め、俺の体を包む光が徐々に膨れ上がる。
「なっ……なんだ、この光は……!?」
アルベルトが後ずさる。
黒い霧が光に触れると弾かれるように消えていく。
――鍵としての力。
心の中で、何かが開かれる音がした。
「カイル……!」
レイの声が再び響く。
その瞬間――俺の視界が真っ白に染まった。
「奥様……!」
「カイル!」
エミリーとレイの声が聞こえるが、俺は光の中で立ち尽くしていた。
――これは、俺の力、か……?
だが――。
「っ、う……!」
突然、胸元に鋭い痛みが走る。
光が不安定に揺らぎ、アルベルトがそれを見て不敵に笑った。
「なるほど……まだ完全ではないようだな」
アルベルトの声が耳に届き、俺ははっと顔を上げる。
「お前が飛ばされた“異世界”……それこそが、私がかけた呪いの行き先だ」
「呪い……?」
俺の声が震える。俺が俺として過ごした時間……。
「忘却の呪いによって、お前は『鍵』としての役割も、誓いも全てを忘れ、別の世界で無為な時を過ごすこととなった」
アルベルトの言葉が胸に突き刺さる。
満員電車、書類の山、無機質なオフィスの蛍光灯。
疲れ果てた体で、自宅のベッドに倒れ込み、天井を見つめる日々。
──……なんで……こんなに働いてるんだっけ……。
ふと呟いたことを思い出す。
そこにあったのは虚無感――毎日を生きるためだけに消費していた時間。
「そんなこと、あり得るわけ……!」
「お前はレイと共に、この地を守る存在――だが、お前さえいなくなれば、その力は崩れ去る。そうすれば、このフランベルクは私のものだ」
悪役ってのはご丁寧にぺらぺらと説明してくれるものだ……。
黒い光がアルベルトの手元に渦を巻く。
レイが剣を振りかざし、壁を切り裂こうとするが――。
「カイル!お前は絶対に諦めるな!」
レイの叫びが俺に届く。
――その瞬間、俺の頭の中で何かが弾けた。
そして──ほろり、ほろり、と少しずつ記憶が俺の中に蘇ってくる。
一つの記憶が俺の中に降った。
風の強い日、邸の庭園で書物を片手に真剣な表情を浮かべていた少年――レイがいた。
「なんだ、こんなところで難しい顔して」
「……カイルか。お前には関係ない」
ふいっと顔を背けるレイに、俺――いや、昔の俺は笑いながら隣に座り込む。
「関係ないなんて言うなよ。俺は、レイの味方だよ?」
「……お前はいつもそうだな」
レイが小さく呟き、ふっと笑う――初めて見た彼の柔らかな笑顔だった。
俺はこのころにはもう……レイを……。
また記憶が降る。
夜、静まり返った部屋。窓の外には満月が輝いていた。
「……カイル、お前は本当にいいのか?」
不安げに問いかけるレイの手を、俺は強く握りしめる。
「レイが俺を必要としているなら、俺は迷わないよ」
レイの目に迷いが浮かぶ。
「だが……この誓いは呪いにもなり得る。お前は『鍵』となる代わりに、この命を代償にするかもしれないんだぞ?」
「レイってけっこう……心配性すぎる」
俺はレイの手を離さず、彼の目をまっすぐに見つめる。
「俺は、レイと共に生きたい。それだけだよ」
――その瞬間、レイの目に浮かんでいた迷いは消え、代わりに強い決意が宿った。
「ありがとう、カイル……」
そして――誓いの儀式の記憶。
満開の花が咲き乱れる神殿の前。俺とレイは向かい合い、手を重ねる。
「――誓う。この命に代えても、お前を守る」
レイの声が厳かに響く。その言葉に、俺の胸が熱くなる。
「俺も誓う。レイと共に、この地を守る――」
光が溢れ、俺の胸元にペンダントが生まれる。
それは、俺が「鍵」としての力を得た瞬間だった。
──どうして忘れてたんだろう……。
ああ、でも。記憶はこれだけじゃ、ない……。
俺が俺として生きた世界と時間。
まあ……サラリーマン時代はきつかったが、それだけではない。
楽しかったこと、悲しかったこと、大事な家族──。
それは『嘘』ではないのだ。
人間二人分の記憶……どちらもそんなに長い年月ではない。
けれど膨大な情報が一気に入ってきて、俺の身体がよろける。
「カイル、しっかりしろ!」
「レイ……」
レイがこちらへ手を伸ばし、俺の肩を掴む。
その手は温かく、力強い。彼の存在が、俺の心を支えてくれている。
俺の推し──そして、伴侶。
あの世界でのあのゲームは俺を救う『鍵』だったのか……。
リリウムもきっとそうだったのだろうと、今になればわかる。
そして、俺が好きになるのは……結局……。
「レイなんだよなぁ……好きすぎるだろ、俺……」
思わず呟いた俺の言葉に、レイが小さく眉をひそめる。
「カイル?」
「いや……なんでもない」
自嘲しつつも、胸の奥に広がる熱が止まらない。
レイが隣にいるだけで、心が満たされる。
そして俺は、ペンダントをそっと握りしめた。
その瞬間――
光が爆発するように溢れ出した。
「っ……!」
ペンダントから放たれた光が、俺の身体を包み込み、中庭全体に広がっていく。
「カイル……?」
レイが驚いた声を上げるが、俺はしっかりと彼の手を握り返した。
ペンダントの光が俺とレイを繋ぎ、まるで誓いを再び結び直すかのように輝く。
「レイ……」
その光の中で、俺は彼をまっすぐ見つめる。
「レイと共に、この地を守る。俺が“鍵”なら――その役割を果たしてみせる」
光はやがて柱のように天へと昇り、空に大きな紋様を描いた。
それは――フランベルクの象徴。
この地を守る「鍵の覚醒」を告げる光だった。
「……お前は本当に……」
レイが微かに笑う。
その目には安堵と誇らしさが宿っていた。
「お前が思い出してくれて、良かった」
「俺も……レイがいてくれて良かったよ」
光の中、レイの手の温もりがしっかりと伝わってくる。
俺たちは互いの存在を確かめ合い、強く繋がっていた。
「俺はカイル・エヴァンス……!そして――レイの誓いの伴侶だ!!」
俺の叫びと共に、辺り一面がまばゆい輝きに包まれる。
「なっ――!?」
アルベルトが怯んだその隙に、レイが剣を振り上げて黒い光の壁を一閃する。
「カイル、今だ!」
俺は光に包まれながら、自然と「鍵」としての力を理解していた。光が俺の体から広がり、周囲を包み込むように結界を張り巡らせていく。
――結界を守る者、それが俺だ。
「馬鹿な……!こんな力、ありえない……!!」
アルベルトが抵抗しようとするが、彼の闇の力は光の結界に弾かれていく。彼の姿が徐々に光に飲まれていくのが分かる。
「アルベルト……!」
レイが彼を睨みつけ、声を低く落とす。
「――お前の野望はここで終わりだ。この地を狙い、カイルを傷つけようとした罪、その身で償え」
「ぐ……っ、うわああああああ!!!」
アルベルトの叫びが響き渡り、光が最後の一滴まで彼を包み込み、やがて中庭の闇は完全に晴れた。
――静寂。
中庭に残るのは、俺とレイ、そして力を使い切って膝をつく俺だけだった。
「……終わったのか……?」
「カイル!」
レイがその腕でしっかりと支えてくれる。
つか、疲れたああああああ……!
72時間耐久書類作成in会社より遥かに疲れ……いや、あれも死ぬかと思ったけど。
とにかく、疲労困憊だ……。
「大丈夫か……?」
「うん……なんとか」
俺は息を整えながらレイを見上げる。その顔には、安心と――どこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「お前はすごいな。本当に、俺の誓いの伴侶だ……」
「……レイがいたから、だよ」
レイの温かな腕に支えられながら、俺はゆっくりと息を整える。
胸の中で、まだ光の余韻が揺れているような気がした。
「……俺、あっちの世界で別の世界で――本当に何のために生きてるのか分からなくなってた」
ふと呟いた俺の言葉に、レイの瞳が僅かに揺れる。
「別の……世界?」
「うん……アルベルトの呪いのせいなんだろうけど……俺は、レイやここでのことを全部忘れて、長い間ただ毎日働いて、何も考えずに過ごしてたんだ。……そればっかりじゃないけどね」
レイはしばらく黙っていたが、やがて真剣な眼差しで俺を見つめる。
「俺の記憶が……鍵でもあったんだね」
「……その世界の話、いつか聞かせてくれないか」
「え?」
「お前がどんな場所で、どんな日々を過ごしていたのか――知りたい。俺の知らないお前を、もっと知りたいんだ」
レイの言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
この人はいつだって、俺そのものを見てくれる――ただ「鍵」だからじゃなくて、俺自身を。
ああ、だから俺はレイを選んだんだった。
「……分かった。いつか、ちゃんと話すよ」
俺がそう返すと、レイはふっと微笑んで、そっと俺の頬に手を添えた。
「――今は、それでいい」
彼の顔がゆっくりと近づいて、優しく唇が触れる。
額、頬、そして唇――一つ一つを確かめるように触れてくるその温もりに、心が溶けていくようだ。
力を出し切って疲れ果てた俺は、胸の中で意識を手放していく。
もう……限界……。魔力切れ……。
意識が遠のく中で、レイの胸の鼓動だけが静かに響いていた。
――ああ、この音。
レイがそばにいる、それだけで、どんな世界にいたとしても俺は帰ってこられるんだな。
「……ただいま、レイ」
そう小さく呟いた瞬間、俺は完全に眠りに落ちた。