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橙×水
色とりどりのペンライトが揺れる、満員の会場。いつもなら心躍るはずの光景が、今のほとけには、自分を閉じ込める檻の隙間から見える光のように感じられていた。
鏡の中の「誰か」
開演直前の楽屋、ほとけは鏡に映る自分を直視できずにいた。
用意されたのは、フリルこそ付いているものの、カチッとしたラインの「王子様風」の衣装。ヘアメイクも、少年らしさを強調したワイルドなアレンジだ。
💎「……もうちょっと、柔らかい感じがいいって言ったんだけどな」
呟きは、スタッフの
「ほとけくん、バッチリ似合ってるよ!」
という声にかき消される。
打ち合わせの時、ほとけは勇気を振り絞って、
「もっと女の子みたいな、可愛いラインの服がいい」
と伝えていた。けれど、返ってきたのは、悪気のない、けれど残酷な言葉の数々だった。
スタッフ: 「ほとけくんはグループの『弟キャラ』だから。ファンもかっこいい王子様が見たいはずだよ」
メンバー: 「そうだよ、ほとけ! めっちゃ似合ってるし、自信持てよ!」
メンバーは大好きだ。けれど、彼らが「ほとけ」として愛してくれているのは、心の性と乖離した、虚像の自分なのかもしれない。
性同一性障害――その言葉を飲み込み、期待に応えようと笑顔を張り付かせるたびに、心に少しずつヒビが入っていくことに、誰も気づいていなかった。
ライブ中盤。激しいダンスナンバーの最中だった。
激しく動くたびに、望んでいない「男の子らしい」シルエットが強調される。
ファンの歓声が、まるで自分を否定する叫びのように聞こえ始め、視界が急激に歪んだ。
(僕は、誰を演じているんだろう。僕は、本当は……)
激しく点滅するレーザーライトが、 神経を鋭く刺す。
心臓の鼓動はBPMを無視して速まり、喉の奥からせり上がってくる不快な熱が、ほとけの思考を真っ白に染め上げた。
💎「……っ、はぁ、はぁ……」
センターで踊るはずのサビ。だが、ほとけの体は鉛のように重く、一歩も動けない。
異変に気づいたメンバーと目が合った瞬間、ほとけの顔からは完全に血の気が引いていた。陶器のように真っ白な顔に、冷や汗が大きな粒となって流れる。
🤪「……ほと、け?」
隣で踊っていたいふが声をかけようとしたが、それよりも早く、ほとけは口元を抑えて舞台袖へと走り出した。
背後で鳴り響く大音量のメロディが、遠くの出来事のように霧散していく。
スタッフの制止を振り切り、楽屋のトイレへ駆け込むと、同時に胃の底から込み上げるものをぶちまけた。
💎「……っ、おぇっ……げほっ、はぁ、はぁ……!」
嘔吐感の正体は、体調不良ではない。
「自分ではない何か」
を演じ続け、鏡を見るたびに心を削り、それを
「似合っている」
と称賛されることへの、魂の拒絶反応だった。
吐き気が収まっても、震えが止まらない。
床に這いつくばったまま、ほとけは自分の手を見た。男の子らしく見えるように短く切り揃えられた爪。ワイルドに固められた髪。
そのすべてを、今すぐ剥ぎ取りたかった。
崩壊と、静寂
🤪「ほとけ! 開けろ、ほとけ!」
ドアを激しく叩く音で、ようやく意識が現実に戻る。
駆けつけてきたメンバーたちの足音が響く。鍵を開けてなだれ込んできた彼らが見たのは、豪華な王子様の衣装を涙と吐しゃ物で汚し、床にうずくまって過呼吸を起こしているほとけの姿だった。
💎「ごめん、なさい……もう、無理……。こんなの、僕じゃない……っ」
這いずるような声で、ほとけは初めて、心の奥底に隠していた毒をすべて吐き出した。
💎「女の子になりたかった……っ。可愛い服を着て、笑いたかった……。みんなが言う『ほとけ』になろうとするたびに、死にたくなるの……!」
沈黙が楽屋を支配する。
外では、主役を失ったステージを繋ごうと、必死にアナウンスが流れている。
「……バカだな、俺たち」
絞り出すような声で言ったのは、誰だったか。
一番近くにいたメンバーが、汚れも気にせず、ほとけの体を強く抱きしめた。
🍣「お前がそんなにボロボロになるまで、何が『自信持て』だよ……。ごめん、本当にごめん」
🤪「……ほとけ。ステージ、まだ終わってない。でも、もう『王子様』で出る必要はないで」
一人が、衣装の重苦しいボレロを乱暴に脱ぎ捨てた。
メイク道具を掴み、ほとけの顔に残った「男の子らしさ」を拭い去ろうとする。
🤪「今から、お前が一番『自分や』って思える魔法をかける。やから、もう1回だけ、俺らと一緒に立ってくれるか?」
ほとけの瞳に、絶望ではない光が灯る。
それは、偽りの偶像が壊れ、本当の自分が産声を上げた瞬間だった。
「……続いての曲ですが、機材トラブルのため……」
スタッフの苦しい釈明が続く中、ステージの照明が唐突に落ちた。
静まり返る会場。
再びライトが点いた時、そこに立っていたのは、先ほどまでとは別人――いや、
ようやく「本当の姿」になったほとけだった 。
ジャケットを脱ぎ捨て、タイトだったシャツの襟元を緩め、メンバーが急ごしらえでアレンジした、どこか中性的で柔らかなシルエット。固められていた髪はふんわりと下ろされ、瞳には、隠し持っていた「女の子になりたい」という願いを肯定された者の、震えるような輝きがある。
イントロが鳴り響く。
ほとけは、マイクを握りしめた。
💎「……ごめんね、みんな。待たせちゃって」
震える声。けれど、その後に続いた歌声は、今までのどの公演よりも伸びやかで、透明だった。
嘘をつくのをやめた体は、驚くほど軽かった。指先の一つ一つの動きが、自分自身の魂と連動していく。
サビに差し掛かったその時。
込み上げる感情に、ほとけの視界が再び涙で滲んだ。
💎「あ……」
あふれ出した涙で、一瞬、歌詞が途切れる。
ステップを踏む足が止まり、ほとけはその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまった。
今度は苦しさからではない。あまりの解放感と、受け入れられた喜び、そして、自分を待っていてくれたファンへの愛しさに、胸がいっぱいになったのだ。
瞬時に、演奏が止まる。
静寂の中、ほとけの小さな啜り泣きだけがスピーカー越しに響いた。
すると、四方から足音が近づいてきた。
メンバーたちが、吸い寄せられるようにほとけの周りに集まってくる。
一人が背中に手を添え、一人が頭を優しく撫で、また一人がほとけの手を引いて、全員で彼を包み込むように円陣を組んだ。
🤪「……一人じゃないで、ほとけ」
その言葉を合図に、客席から地鳴りのような歓声が上がった。
青、水、赤……色とりどりのペンライトが、今までで一番激しく、温かく揺れる。
ほとけはメンバーの腕の中で、涙に濡れた顔を上げた。
そこにあるのは、無理やり作った「弟キャラの笑顔」ではない。
本当の自分を認め、愛することを決めた、一人の人間としての、凛とした美しさだった。