コメント
0件
【肆と診療所】
八ノ巻〚男客〛
*
「それでねぇ、その女が言ったんだよ。『私はあんたみたいな酒浸りのくそと結婚したりなんかしない』ってね。もうそりゃあ絶望したよ。でも、こうやってここで君に愚痴っているからもうスッキリしたさ」
管はお猪口に酒を注いだ。
客の失恋話は興味のないものだった。
笑い続けるのは得意技だが、暇で暇で仕方がない。
(このおじさん、幾ら酒飲んでも全く潰れないな……)
眼の前に座る、髪も着物も清潔感のない男。
(体格や話し方からして三十路そこらかな。まだ結婚してないんだ……。その年齢で未婚は大変だろうなぁ……)
髷の形やそばに置かれる刀から、武士だということはわかる。
ただ、浪人に見えなくもない。
(この人、この様子だと常連さんだなあ……)
管太郎はじっと男を眺めた。
「……それより管。お前は色恋はしてねぇのかぃ」
急に話を振ってきた。
「えっ、あー……。まだ、わからないです」
「そうかいそうかい。女ってもんはすぐ逃げちまうから、早めに取っといたほうがいいぞー。俺みたいに嫁無しの三十路にならねぇようにな」
「え?」
その言い方だと、まるで男に対して話しているようだ。
まあ、管太郎は男なのだが。
今は管である。
目を丸めていると、その様子を見てまた男は笑った。
「バレるさ、そりゃあ。あんた、肩幅広いし、胸の詰め物もわざとらしいし、それに声も低い。何より、態度が男だ」
「わ、わかります?」
「男の遊女なんて初めてで、物凄くわくわくしたぜぃ」
「わくわくしないでくださいよ」
「というか、お前いいのかよ。意中の相手がいるのにこんなところで働いて」
「いいんです。あちらもここで働いているので。俺はそっちが心配でなりません」
男は豪快に笑った。
(何がそんなに面白い。俺は大真面目!伊崎がもし襲われでもしたら……)
「お前、そんなにその女のことが好きなのかよー」
「好きですよ。でも、それはお口にばってんなんです」
「なんでだい。言っちゃえばいいのに」
「彼女はきっと、それを望んでいないので。俺は、彼女が幸せなら何でもいいですから」
「いい男だねぇ」
男は懐から何かを取り出して管太郎の手に握らせた。
「これは?」
「短刀だ。うちの刀鍛冶が暇つぶしで打ったもんだ。意外といい出来なんだ」
手に握らされた、冷たい短刀。
鞘は恐ろしいほどに真っ黒で、なんだか奇妙だ。
しかしそれよりも。
「“うちの刀鍛冶”って、お家に専属の鍛冶がいるんですか」
「ああ。昔から刀にはこだわる家でなぁ。俺も正直こだわってるな」
ぽんぽん、と叩くのは、左隣においてある刀。
「それも、専属の方が打ったものですか?」
「ああ。名刀『炎楼』。作は時津伊右衛門だ」
「聞き覚えのある名ですね。時津……時津……」
ううん、と頭を捻る管太郎。
そしてふと顔を上げた。
「あっ、汐見家直属の、『衣秋』を売った人!!」
「おお、知ってんのか。なかなか通だな」
男はニヤけて言った。
「時津家の人間はいい刀を打ちやがるんでぃ。俺はその刀が大好きでな。そいつも、時津伊右衛門作の短刀なんだぜ」
「へぇ…!!」
管太郎は目を輝かせて短刀を見た。
しかしその後すぐ、我に返って白い目で男を見る。
「ちょっと待ってください。ということは、あなたはまさか……」
「ん?ああ。俺は汐見賈乃亮。汐見家の三男坊だぜ」
管太郎はうっ、と仰け反った。
汐見家。
武家としては長年続く意外と有名な家だ。
三男坊とはいえ、普通なら頭を下げている状態だろう。
「なんか、すみません」
「ははっ!俺はそういった主従関係は好きじゃないんだ。だから、あまり気にするんじゃない」
「ありがとうございます」
「ところで、お前の本当の名は何なんで?まさか、本当に管……?」
「んなわけないです。管太郎。睦月管太郎です」
「なぜお前はここで働いている」
「頼みです。まさに袋のねずみ。俺はこの街に足を踏み入れたときから、嫌な予感はしてました」
「なんでこの街に来たんだ」
「診療所の者でして。この喜多原の流行り病を治すために来ました」
「随分と入りきった寄り道だな」
「寄り道どころか迷子ですよ。なんでこんなことをしているのか」
「うまいこと言うなぁ。んあ?そういや、お前の名は聞いたことがあるぞ。確か、『当り所の診療所』……だったか?」
「はい。そうですそうです」
「ふむ、いつか遊びに行くんで、覚悟しとけよー」
「そんな暇ないですから」
「さすが四天王だな」
「あなたも暇なはずはないでしょう?」
「なんでそんなに嫌そうなんだ」
管太郎はすり寄ってくる賈乃亮を押しのけながら思った。
(臭いんだよ、このおじさん……。酒のにおいだか加齢臭だか知らないけど)
「ま、またいつか会おうな、管ちゃん」
襖の前で手を振る賈乃亮。
管太郎はふてくされながら頭を下げた。
「その呼び方はやめてください」
*
「大変だった」
部屋に戻り、四天王は項垂れた。
もう日は沈みかけ、何もできずに一日が終わろうとしている。
(姫のことバレたし)
(なんか変なおじさんと知り合いになっちゃったし)
二人は随分と疲れていた。
その様子を見た唯は楽しそうに言った。
「でもねでもね、見てっ。お客さんに金平糖もらったんだよ」
キラキラ輝く金平糖の包を見せる唯。
葉色はにこりと笑った。
「良かったね。美味しく食べてね」
「みんなにも分けてあげる」
唯は三粒ずつ一人ずつに渡していく。
ぴったり同じ数ずつ分けられた。
「金平糖とか、久しぶり食うなぁ」
「俺初めて食べるよ」
「どこの国のお菓子だっけ?」
「確か……阿蘭陀?」
四人は一粒をカリッと噛んだ。
口に刺さるガラスのような金平糖。
でも味だけは無駄に甘い。
(甘い気分じゃねぇな……)
伊崎はそのまま眠りに落ちた。
*
「起きて、伊崎。夕餉だよ」
唯は伊崎の肩を揺さぶる。
むくりと起きる伊崎は、まだ眠たそうだ。
「そろそろこれ着替えたいね」
管太郎は思い衣装を見ながらつぶやく。
それに頷く葉色はまだ金平糖を舐めている。
「寒」
伊崎は身震いをした。
「確かに、最近はもう秋だし、朝と夜は大分冷えるよね」
唯も自分を抱くように腕を組んだ。
「寝起きは冷えるでしょ?ほら、羽織り」
管太郎に羽織りをかけられるも、伊崎は管太郎にかけ直した。
「お前は風邪引きやすいんだから。ちゃんと着てろバカ」
その発言に頬を膨らます管太郎。
男としてのプライドが許さない。
「そんなことないよっ。もう」
管太郎は仕方なく羽織りを自身で羽織った。
伊崎は面倒臭そうにその様子を眺め、その視線に気づいた張本人は口を尖らせる。
「ほら、ご飯いこー」
腹ぺこ唯は襖の前に仁王立ちで三人を呼ぶ。
*
遊郭のご飯は、決して豪華ではなかった。
生臭い米と、細々とした焼魚、塩の味ばかりのする味噌汁。
普段診療所では健康管理のために、栄養バランスを整えた食膳が出される。
また、四天王や副長は階級が上なため、食事の質も他に比べてやや良かった。
そんな五人がこれを食べるなど、拷問に近い。
あんなにお腹をすかせていた腹ペコ唯ですらも、
「……美味しくない」
と顔を青くした。
「こら」
と霜月に言われるも、彼も彼でいつものにこにこは消えた。
五人だけの静かな間に、伊崎の声が響く。
「そもそも副長あんた、なんで遊女仕事に了承を得たんですか。私たちの仕事を妨害して、診療所へ帰らせないつもりか」
彼はニコニコで笑う。
「ううん。そんな裏はない」
「じゃあなぜ」
「面白そうだったから」
ニコニコ。
即答であった。
こいつはそうだ。たまにこういうところがあった。
四人は頭を抱えた。
「そ、そもそも……。私達の年齢じゃ、接客などは行わないんじゃ……?」
葉色は首をひねった。
たしかにそうである。
十ほどなら禿として教育されたりする年というのが妥当だろう。
それなのに、四人は接客を任された。
「それだけ人手不足なんじゃない?」
唯はいつも呑気だ。
そんなことを言ってのけるのは彼女だけだ。
管太郎はそれを跳ね除けるように言う。
「でもそういえば、店前の檻みたいなところ、俺達くらいの年齢の子も見かけたよ。あそこって、売り出されてる遊女がいるところだよね」
「そ、そういえば……。いたような」
「この『花がら』って店、まさかそんなに過激だとは……」
管太郎は苦笑いだ。
唯は「でも」と続ける。
「特殊趣味でさ、幼い子が好きな人もいるらしいよ?年齢差とかがあればあるほど好きー!みたいな」
現代風にいうならロリコンである。
うげ、と葉色と管太郎は眉を下げる。
想像したら負けである。
と、ふいに霜月が真顔になって箸を止めた。
じっと見つめる先は、伊崎。
「珍しく喋らないけど、どうかしたんですか?」
その声に我に返る伊崎。
「あ?いや、何もねぇけど」
「……そうですか」
唯、管太郎、葉色も疑問符を浮かべる。
いつにもまして静かな伊崎。
いつにもまして眠そうな伊崎。
いつにもまして食事スピードの遅い伊崎。
まさか、と三人は思った。
「ねぇ伊崎、体調でも悪い?」
管太郎が代表して聞いた。
しかし彼女は「はぁ?」と顔をしかめる。
「お前じゃねぇんだし、んな事ぁねぇよ」
その反応はいつも通りである。
前回の江戸城出張では葉色が体調を崩したが、今回は伊崎なのではないか、と三人は心配した。
唯がいつぞやに言っていたように、今回は内科医の伊崎の出番だ。
その伊崎がロックアウトでもしたら、任務が進まない。
だからと言って無理をさせるわけにもいかず、とりあえず伊崎が治るまで待つしかないのだ。
そんなことになったら、精神的にもキツい。
この遊郭に長期間滞在など、無理である。
そのため、伊崎のいつもどおりの反応を見て、胸をほっと撫で下ろす。
「じゃあなんでそんなに静かなの?」
唯は問うた。
伊崎は少し眉を寄せたあと、
「別に、静かにしようと思ってしてるわけじゃねぇけど。多分、食べるのに夢中で」
と、答えた。
豪華な食事ばかり食べてきた彼女にとって、このような貧相な食事は初物くらいの感覚である。
ちまちまと食べなければ味覚が受け付けないのだろうか。
「そうだよね。そんな味だもんね」
葉色は笑った。
彼女はいつも通りの遅めのスピードで食しているが、このような味に慣れていそうだ。
「もぉ、今日は早く寝て明日は遅く起きよー」
唯はいつまでもだらしなかった。
*
部屋にも取ると、着物を脱ぎ、寝間着に着替えた。
伊崎と管太郎は、お互いにそっぽを向いて着替えた。
伊崎はあまりそういうのを気にしないが、管太郎が極度に気にするため、一応外向きで着替えた。
江戸城出張のときは風呂を貸してもらえたが、この店にはそんな金はないらしい。
二日に一回しか風呂は入れないと言われた。
そういえば、江戸城の風呂は案外狭かった。
それはまあ、客人用なのだから仕方はない。
狭いとはいえ、二つ個室があったため、別々で入ることがでた。
最初に入ったのは伊崎だったが、それを知った伊崎は唯と葉色に言い、二人で入ってきても問題はないだろうと言ったのだった。
まあ、同じ風呂でもあの仲の良さであれば、二人なら大丈夫だろうとは思うものの。
「今日結局何もわかんなかったね」
管太郎は布団に座って笑った。
伊崎は着物を畳み、その一番上に例の赤い櫛を置いた。
「一日の半分は遊女仕事に時間が取られたしな」
「俺のお客さん、なんだか変な人だったよ。まあ、お偉い方だからあまり言えないけれど。伊崎の方はどうだった?」
(どうだったと言われても)
姫だということがバレた、と言うこともできないし、かと言って弓削千六良に会った、と言うのも説明が面倒くさい。
「普通に、面倒臭い人」
「何それ」
クスクス笑う管太郎。
「何も、されなかった?大丈夫だった?」
(大丈夫ではなかった)
「襲う気はない」と言われたが、もうほとんど襲っていた。
言い換えるなら「犯す気はない」のほうが正しいだろう。
彼には求婚されるわ、嫁入り道具の櫛を渡されるわ、押し倒されるわ、散々振り回されてきた。
(もうあまり関わりたくないな)
ただ単純に、そう思った。
「伊崎?まさか……」
「んなわけあるか。酒と話に付き合っただけだ」
「そっか。……明日は流石に、もうやらなくていいと思うけど……」
「そんときは三人でやっとけ。私は調査にでも行ってくる」
「じゃあ俺も行くし」
「精神科医は出る幕ねぇよ」
「わかんないよ?」
そんな話をしながら、二人は行灯の火を消した。
*
早朝。
肌寒く、袴を着るのも鳥肌が立つ。
伊崎はひっそりと布団から出て支度をしていた。
(朝っぱらからやらないと終わらない)
そう思ったからだった。
症状に関連性があまりないこと、そのような病気がないこと。
その二つが伊崎を追い詰めていた。
相手の男性も不調があったのなら、性病という可能性は高い。
だが、鼻水や目のかゆみなどは性病にはあまりない。
また、遊女の初期症状とは無関係である。
(とりあえず、食事を見てみるか)
伊崎はそっと襖を開け、台所へ向かった。
*
朝の台所は忙しかった。
侍女のような女たちがせっせと食事を作っている。
が、調理に特化した者ではないようで、中には包丁捌きが危うい人もいる。
(こりゃ可能性はある)
腐った食べ物を使ったり、調理器具に菌が繁殖している可能性だ。
だが、それを口に運んだとして、起こるのは前のような腹痛や下痢、嘔吐だ。
(今回の症状とは一致しないな……)
だが、一応見ていようと、台所に留まっていた。
「おい、この食材は誰が管理しているんだ」
そう聞くと、調理人は首をかしげる。
「さあ。あそこの壺に塩漬けにしたものを使っていますよ。気になるなら見てみてはどうでしょう」
伊崎はため息をついた。
(塩漬けにしているのなら、あまり心配はいらないだろうに)
冷蔵庫などの江戸時代は、食べ物は干して長期期間保存するか、醤油や塩に漬けて保存するしかなかった。
でなければ、すぐに腐ってしまったり、虫に食われたりする。
その中でも塩漬けは、殺菌効果がある。
あまり食中毒の心配はいらない。
(壺にも異常はなし、か)
まな板や包丁、皿なども念入りに調べたが、どれも外れ。
伊崎は台所を去った。
*
来たのは屋外。
朝とはいえ、流浪している男どもはいた。
が、気にせず裏庭へ入った。
(野良猫や野良犬から病をもらっている可能性もある)
と、考えたが。
猫や犬のいそうな場所を探しても、見つからなかった。
そのへんを彷徨いている、性欲で満たされていそうな男に「犬や猫、鳥などは見なかったか」と聞いても、男は首を横に振った。
また、店内の檻に監禁されているも同然な遊女たちには、外の動物と接触することはほとんどない。
男が遊女に伝染したということも考えられるが、もし野犬なんかに噛まれて病に感染したのなら、まずそれを疑って診療所へ男は行くだろう。
(もうさっぱりだなぁ)
伊崎は欠伸をひとつ。
と、頭の上から何やらそよそよ音がした。
見上げると、そこには大木が。
「……杉か。燃やすとよく燃えるやつな」
ろくでもないことを口に出して言う人だ。
彼女はそういうやつなのだが。
(もう部屋へ戻るか。管太郎も起きるころだし)
と、思いくるりと方向転換。
が、ふらりと脚が絡み、そのまま地面に急降下。
(あれ)
と思う間もなく、彼女のまぶたは閉じ、意識を失った。
*八ノ巻〚男客〛
(漢字表記)
炎楼(えんろう)
衣秋(ころもあき)
賈乃亮(かんのすけ)