その日、俺は大きな地響きで目を覚ました。
「な、何だ!?」
急いで家から出ると、そこには宝石を悪趣味に散りばめたシックだったであろうスーツを着た小柄な少年とその執事らしき老年の男性、それと巨大な人型の魔物という奇妙な組み合わせの三人……二人と一匹組が立っていた。
「ん〜、今回も楽勝かな。初めまして!僕はロフター、貴方の決勝戦の対戦相手です!」
(聞こえてんだよなぁ……)
「こらこら坊っちゃま。失礼、貴方がクボタ様ですね?」
「あ、はい。そうですけど」
「まずは突然の訪問と失言をロフター様に代わってお詫び申し上げます。私執事のトーバスと申します。今回どうしても坊っちゃんがクボタ様にお会いしたいと申しまして」
「クボタさんがコレを見て早めに棄権した方が闘技場まで行く手間が省けてお互いラクですからね!」
「坊っちゃま!」
トーバスは大変恐縮といった様子で俺に頭を下げ続け、ロフターはクソ生意気そうな表情で失言を連発している。
このガキの性格の悪さは恐らく天然ものだろう。俺は性善説を推しているだけに少し残念な気持ちだ。
それに引き替えこの執事はよくできた人物のようだ。この人は身の回りの世話なんてしなくてもいいからロフターに毎日爪の垢を煎じて飲ませる仕事に転職した方がいい。
「だって本当の事だろう?さあ!君も挨拶するんだ!」
ロフターがそう叫ぶと今まで不動を決め込んでいた太山が巨体を揺らして屈み込んだ。
「グルルルル!」
巨大なトロールは犬歯を剥き出し、挨拶している者とは思えないような唸り声を上げ……
目を見開いた。
「あっ」
コイツ俺が小便かけた奴じゃん。
「グォオオオ!!」
次の瞬間、空気を震わせるほどの爆音が周囲に響き渡り、俺の頭上から巨大な掌が降って来た。孫悟空から見た釈迦の掌はこのくらいだったかもしれない。
(終わった……)
「やめなさい」
俺の走馬灯とトロールの動きを同時に止めたのは、トーバスの鋭く突き刺さるような一声だった。
緑の巨人は即座に俺への攻撃を中断し、〝本物の〟主人へと首を垂れる。先ほどまで野蛮にしか見えなかったトロールだが意外にも躾はきちんとされていたようだ。
「坊っちゃま、もう気が済んだでしょう?さあ帰りますよ。」
「あわわわわわ……」
「クボタ様、本日の非礼重ね重ねお詫び申し上げます。それではまた」
そういうとトーバスは腰を抜かしたロフターを背負い、大地にこれまた巨大な足跡を残すトロールと共に文字通り嵐のように去って行った。
ロフターはともかくあのトーバスという男、執事としても一流だが魔物使いとしてもかなりの実力者であるのは間違いない。あんなクソガキの執事をしているのが不思議でならないくらいだ。
流石Gランクとはいえ決勝戦。以前ルーがあのトロールを倒すのを目撃してはいるが、ここで油断してしまえば俺は敗北への片道切符を掴む事となるだろう。
プチ男では体格差がありすぎる。よって試合に出すのはルーになるだろうが、彼女はまた勝てるだろうか?練習の他に何かできる事はあるだろうか?
「むぅ!」
噂をすれば影とやら、厩舎からルーが飛び出して来た。どうやら先ほどの地響きで眠りを邪魔され機嫌が悪いと見える。
髪はボサボサ、体には何かと戦った訳でもないのに生傷が多い。いつもそこら中を駆け回っているからなのだろうがこれではまるで野生児だ。
ん?戦い……そうだ!俺はこの子が他の魔物と戦っている姿をほとんど見た事がない。これではいくら実力があったとしてもそれがどの程度なのか把握するのは不可能であろう。
よし決めた!今日は実戦をやろう。まず何でもいいから魔物討伐の依頼を受けるんだ。そうすれば報酬も貰えて一石二鳥……
ルーが、声出したのって、初めてじゃないか!?
「クボタさんそんな事やってたんですね。それは、襲われて当然ですよ……」
道中コルリスに軽い雑談のつもりで俺と家に来た巨大なトロールの出会いを話したが、彼女はドン引きしていた。
何故かといわれればそれはもちろん、俺がとんでもない事をしでかしていたからだ。
小便をかけただけでも敵対する者としての明確な意思表示であるにも関わらず、森の中で〝二匹っきり〟でいたという点からコルリスが推察した所、俺はどうやら彼のプロポーズを邪魔したらしいのだ。
ただ、それのお陰でルーはドラマとかでよくある結婚式での『ちょっと待った!』みたいな事をした俺に惹かれ、人生を共にしようと決めた可能性が高いという。
……やりたくてやった訳じゃないが、ちょっと照れるな。
しかし、ルーは俺の心境などお構いなしといった様子でほぼ半裸のような状態のまま大地を駆け回っている。ロマンチシストかと思いきやそういうワケでもないらしい。
まーた切り傷や擦り傷の一つや二つ、いや三つか四つは増やして戻ってくる事だろう。まともな服を着用してくれたらいいのだが今日はまだ機嫌が悪いらしくむぅむぅいって着てくれなかった。
まあいいか。今日は初めての討伐依頼だし、彼女の動きを制限してしまうのもよくない。
さて、そろそろ目的地だ。今回討伐する魔物の特徴を確認しておこう。
No.6 アートード
魔獣類キョダイガマ科
カムラ地方に生息している脚を伸ばした時の全長がなんと3mにもなるデカいヒキガエルだ。しかし体重は40kg前後とミドルスライムよりも軽く、プチ男では苦戦は必至だがルーならば大した相手ではないかもしれない。
とはいえ侮ってはいけない。Gランクの魔物使いに回ってくる討伐依頼でアートードは最高クラスの難易度を誇る魔物なのだ。
こいつの戦闘能力はそこそこ高く、主な攻撃方法の噛み付き(歯がないので喰らい付き、といった方がいいかもしれない)が非常に厄介らしい。
アートードの口まわりの皮膚はだるんだるんという表現がピッタリなほどたるんでいる。このたるみで正面からの衝撃を緩和し、自身が攻撃する際にはそれを限界まで伸ばして獲物を捕らえるのだ。なるほど、攻守万能なバランスタイプか。
ちなみに、全身を覆い隠すほど大きく口を開けて襲いかかってくるアートードを見た者達が『まるで地獄の門のようだ』と比喩した事がきっかけでこいつは『地獄』と『蝦蟇』という意味のある二つの言葉をもじった名前になったらしい。
「結構手強い……かもな。」
俺がそう呟いた時、どこからかべちべちと肉を叩くような音が聞こえた。
音のする方に目をやると、鳴くたびに顎の肉がぶるぶると震え、例の音を周囲に響かせている大きなヒキガエル。
アートードがいた。
「あっ」
「あっ」
俺とコルリスの声が重なる。
もういた……もう少し探すのに時間がかかるかと思ってたのに。
あぁ、そういやこいつは街の近辺で目撃される事が多くなってきたから討伐対象になってたんだっけ。なら見つけやすいのは当たり前か。
「ルー、よく聞いて。あいつの正面に立っちゃダメだ……」
「もう遅いですよ。」
うん、遅かった。ルーが真正面からアートードに近付いてゆくのが見える。
「ル、ルー!正面はダメだ!」
そう叫んだがまたもや遅かった。肉襞の塊はルーを認識した途端に大きな口を広げる。
予想していたよりも大きい。これではルーが呑み込まれてしまう。
「ヤバい!」
助けに行った所で俺に何ができるのだろうと戸惑っていた思考を置き去りに、足は自然とルーの元へと向かっていた。
しかし、その必要はなかった。
ルーは攻撃をバックステップで軽やかに躱したかと思うと、アートードの肉襞を掴んで地面に叩き付けた。それも一本背負いのような投げ技でだ。
打撃よりもそうした方が相手にダメージがいくのは間違いなく、ルーのやっている事は理に適っているだろう。だがあんな技は教えていない。これは類稀なる格闘センスを持つルーが自力で編み出した我流の技だ。
トロール……味方にすれば心強く、敵になればかなりの脅威となる魔物だ。まさかアートードすら一捻りにしてしまうとは思わなかった。
アートードをボコボコにしたルーが戻ってきた。あれがストレス解消になったようで今はにこにことしている。
正直、今日の依頼は実力を見極める余裕も時間も全くなかったので決勝戦にはまだまだ不安が残る結果となった。
だが落胆する必要はないと思う。こんな事をいっては身も蓋もないが、どうせ相手は既に決まっているのだからルーを信じるしかないのだ。
大丈夫だ、この子ならやれる。むしろ俺が信じなくてどうするんだ。
「ルー、明日は頑張ろうな!」
そういうと彼女はいつも通り、ニコリと笑ってみせた。
その後、俺達は依頼の報酬と引き渡したアートードの食べられる部位の肉を少し貰って家に帰った。
……めちゃくちゃ美味かった。
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