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悪魔執事と黒い猫短編集第2話
【熱に浮かされる夜(🍷)】
朝から、どこか嫌な予感はしていた。
「主様、おはようございます。」
いつもなら「おはよう」と柔らかく返ってくる声が、その日は少しかすれていた。
ルカスは一瞬だけ眉を寄せる。
「……お加減が優れませんか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと寝不足かも。」
そう笑う顔は、どこか力がない。
医師としての勘が、小さく警鐘を鳴らした。
◈┈◇┈◈┈◇┈◈┈◇┈◈
昼食の頃には、異変ははっきりしていた。
主様はほとんど食事に手を付けず、ぼんやりと椅子に座っている。
「失礼します。」
ルカスはそっと額へ手を当てた。
熱い。
「……主様。」
「ん……?」
「熱があります。」
「え、そんなに?」
体温計を渡し、数十秒。
電子音が静かな部屋に響く。
38.7℃。
「……ああ。」
「“ああ”ではありません。」
珍しく少しだけ強い口調になる。
「今日は予定をすべて取りやめます。」
「でも——」
「反論は受け付けません。」
穏やかな笑みを浮かべたまま言われるその一言は、不思議と逆らえない。
「ベッドへ。」
「……はい。」
◈┈◇┈◈┈◇┈◈┈◇┈◈
着替えを済ませ、水枕を用意し、解熱剤を飲ませる。
濡れたタオルを額へ乗せる。
「寒くありませんか。」
「少し……。」
毛布をもう一枚掛ける。
ルカスの動きには一切無駄がない。
診察も、処置も、看病も。
まるで何百回と繰り返してきたような手際だった。
「眠ってください。」
「……ルカス。」
「はい。」
「いて。」
その一言だけで十分だった。
「もちろんです。」
ベッド脇の椅子へ腰掛ける。
主様は安心したように目を閉じた。
熱のせいか、呼吸は少し浅い。
ルカスは一定の間隔で額の熱を確かめ、水を飲ませ、汗を拭う。
時計の針だけが静かに進んでいく。
◈┈◇┈◈┈◇┈◈┈◇┈◈
夕方。
薬が効き始めたのか、呼吸は少し落ち着いてきた。
「……ルカス。」
「起きましたか。」
「ここ、いてくれた?」
「ええ。」
「よかった。」
それだけ言うと、また眠ってしまう。
熱で赤くなった頬。
少しだけ握られた自分の袖。
その小さな力が、離れない。
ルカスは静かにその手を包んだ。
「安心してください。」
返事はない。
眠っている。
それでも手は、少しだけ力を込め返してきた。
◈┈◇┈◈┈◇┈◈┈◇┈◈
夜。
熱は少しずつ下がり始めていた。
薬も効いている。
呼吸も穏やかだ。
もう心配はいらない。
「……。」
ルカスは静かに椅子から立ち上がる。
カーテンを少しだけ閉め、部屋の明かりを落とす。
その時だった。
「……ルカス。」
寝言だった。
「……行かないで。」
その言葉に、足が止まる。
「……。」
執事なら。
主様が眠れば、自室へ戻る。
必要なら交代を頼む。
それが正しい。
それが”執事”だ。
だが。
「……まったく。」
誰にも聞こえないほど小さな声で苦笑する。
「困った主様ですね。」
ベッドの横へ戻る。
眠る主様の髪を、そっと整える。
その指先は、診察の時よりずっと優しかった。
「私はおります。」
「……。」
「どこへも行きません。」
眠っているはずなのに、主様の表情が少しだけ穏やかになる。
それを見届けて。
ルカスは小さく息を吐いた。
「……ふぅ。」
その吐息は、今日初めて漏れたものだった。
朝から冷静でい続けた。
医師として。
執事として。
決して感情を表に出さず、最善だけを選び続けた。
けれど。
「本当に……心配をかけてくださる。」
困ったように笑う。
その声には、医師としての冷静さも、執事としての完璧さも、ほんの少しだけなかった。
そこにいたのは。
ただ、大切な存在が苦しむ姿を見たくないと願う、一人の悪魔だった。
窓の外では、静かな月明かりが部屋を照らしている。
ルカスは再び椅子へ腰掛けた。
眠る主様の手が、無意識に彼の指先へ触れる。
その温もりを、振り払うことはしない。
朝になれば、また完璧な執事に戻る。
だから今夜だけは。
ほんの少しだけ。
“執事”ではなく、“ルカス・トンプシー”として。
主様の傍にいることを、自分に許した。
#短編集?
凛 🍏☃️❤️🌹♡
874
#ご本人には関係ありません
らりな。
5,696
洒落
5
コメント
1件
リオンです。第2話、読ませていただきました。 執事であり医師でもあるルカスが、完璧な処置で主様を看病する一方で、寝言の「行かないで」に足を止めてしまう——あの一瞬の迷いがすごく良かったです。普段は「反論は受け付けません」と強い口調で主様を導くのに、最後は「困った主様ですね」と苦笑いして寄り添い続ける。そのギャップにやられました。 「診察の時よりずっと優しかった指先」とか「朝になればまた完璧な執事に戻るから今夜だけは」という締めの一文、めちゃくちゃ沁みます。静かな月明かりと、誰もいない夜の部屋の空気感が、執事の内面の揺れを引き立てていて素敵でした。看病ものの秀作です。