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「……別れよう、桃くん」
その言葉を聞いた瞬間、 耳鳴りがした。
ただの冗談かと思った。
最近、冗談が過ぎる青だったから。
「は?」
思わず、 間の抜けた声が出た。
青はいつものように笑ってはいなかった。
その瞳は真っ直ぐで、
けれど、
深く曇っていて。
「今までありがとう。楽しかったよ」
「なにそれ。嘘だろ?」
俺は笑った。
だって青は今朝だって、
いつもと同じように
笑ってくれていたのに。
「……もう好きじゃなくなったの。」
青はそう言って、目をそらした。
俺は、息が詰まったような
感覚に襲われた。
胸の奥で、
なにかが崩れていく音がした。
「嘘だよな。なぁ、青。俺、なんかしたか? 怒らせるようなこと……」
「別に何もしてないよ。」
「ただ……」
青は言いかけて口を閉じた。
「ただ、何?」
青を手放しなくない。
せめて理由だけでも教えて欲しい。
「僕じゃ桃くんを幸せにできないから。」
「……は、?」
沈黙。
冷たく乾いた風が、
心に吹き抜けていく。
「……ごめん」
青はそれだけを残して、
背を向けた。
それが、
俺たちの「別れ」の始まりだった。
あの日から、
青は少しずつ遠くなっていった。
電話もLINEも未読無視。
俺からのメッセージだけが積み重なっていく。
いつものカフェも、
公園も、
もう一緒に行けなかった。
会いに行っても、
目を合わせてくれない。
笑わない。
手を握ろうとしても、
するりと抜けてしまう。
それでも、
俺は諦めきれなかった。
「なぁ、青。本当に俺のこと、 もう好きじゃないのか?」
ある夜、
思い切って訊ねた。
駅のホームで、
夜風が強く吹いていた。
青はしばらく黙って、
ホームの向こうを見つめた。
「……そうだよ」
その一言に、
心が鈍く痛んだ。
信じたくなかった。
信じられるわけがなかった。
「嘘つけよ……お前、そういう顔してねぇじゃん……」
「じゃあ、どんな顔してるって言うの?」
「泣きそうな顔だよ」
青はふっと笑って、
それでも目を合わせなかった。
「そんな訳ないよ…」
冷たい風が吹いた。
それでも、
俺は変わらず青に会いに行った。
青は冷たいままだった。
まるで俺を空気としか思っていないかのように。
青は毎晩、
枕を濡らしている。
誰にも見せられない、
聞かれたくない、
苦しい秘密を抱えて。
桃くんには、
もう会わないようにしている。
無視して、
冷たくして、
わざと距離を作っているのは全部、
桃くんを守るためなんだ。
こんな僕がそばにいると、
桃くんは辛い目を見る。
もう一緒には居られない。
桃くんにだけは、
絶対に知らせたくなかった。
だから、
別れを告げた。
でも、
やっぱり辛かった。
別れた後も、
胸が痛くて、
何度も何度も泣いた。
自分の意志で冷たくしているのに、
罪悪感が押し寄せてきて、
押し潰されそうだった。
毎晩、
布団の中で声を殺して泣く。
声にならない嗚咽が、
夜の静けさに響く。
桃くんのことが好きすぎて、
離れたくない。
でも、
この秘密を隠して、
別れなきゃいけない。
こんなに苦しいのは初めてだ。
泣き疲れて眠るけど、
朝になるとまた現実に戻る。
これが、
僕の現実なんだ。
今は、
強くなるしかない。
桃くんに迷惑をかけないために、
絶対に弱音は吐かない。
だけど、
本当は怖くて仕方がない。
「ごめん、桃くん……」
あの日から三ヶ月ほど経った頃、
急に連絡が来たのは、
仕事中だった。
知らない番号からの着信。
なんとなく嫌な予感がした。
「はい……桃です」
「蒼木 青さんのご関係者様でしょうか? 病院からご連絡です」
一瞬、頭が真っ白になった。
指定された病院まで、
タクシーで向かう間ずっと、
胸がざわざわしていた。
指先が冷たくなって、
スマホを握る手にも
力が入らなかった。
病室に着くと、
青はベッドで静かに眠っていた。
痩せて、
色白だった顔はさらに青白くなり、
胸の上下がかすかに
動いているだけだった。
「青……」
すぐに医師に呼ばれ、
別室に案内された。
「末期の癌です。本人の希望で、 近しい方にも伏せていたようです。 進行はかなり早く、治療も限界です」
「……いつから……?」
「検査で判明したのは、”**三ヶ月ほど前”**だと聞いています」
俺は、手で顔を覆った。
呼吸がうまくできなかった。
三ヶ月前…
青が「別れよう」と言い出したのも三ヶ月前だった。
「どうして……どうして俺に言ってくれなかったんだよ……」
病室に戻ったとき、
青はまだ目を覚ましていなかった。
その手を握る。
冷たい。
こんなに細かったか、
と思うくらいに、
骨ばっていた。
「なんでだよ、青……なんで一人で……」
涙が止まらなかった。
目を覚ました青は、
俺を見て、
しばらく黙っていた。
「……なんで、……」
「来るに決まってんだろ。馬鹿かお前……」
「来ないでほしかった……」
「は?」
「もう別れたのに……」
「…俺は別れたつもりはない。」
「見られたくなかった。こんな……情けない姿……」
「お前な……!」
俺は怒鳴りそうになるのをこらえて、
深呼吸した。
「……だったら尚更言えよ。俺はお前の恋人だろ……ずっと支えてやりたかったのに」
青は、枕に顔をうずめた。
青は声を殺して泣いていた。
初めて見るほどに崩れて、
涙が枕を濡らした。
「……桃くんのこと、本当はずっと大好きだったよ…」
「でも、僕が死んだら、桃くんが苦しむって思ったら……怖くて、 言えなかったッ……!」
「だからって突き放すとか……お前、どれだけ俺のこと傷つけたか分かってんのか……!」
「わかってる……! だから、……!」
「……黙れ」
青がびくりと震えた。
「……もう何も言うな。お前は今まで頑張った。これからは、俺がそばにいるから。勝手に、そばにいる」
青の肩が震えた。
「…ごめん…ッ桃くん、ごめんなさい…ッ…」
その夜、青は俺の手を握ったまま眠った。
青は終末期医療のため、
家に帰ってきた。
それからの日々は、
穏やかで優しい時間だった。
青の体調は徐々に悪化していたが、
俺は毎日、
青の好きな料理を作った。
「またハンバーグかぁ」
「好きだろ」
「うん……ほんとに美味しい」
食事の量は少しずつ減っていったが、
青の笑顔は確かにそこにあった。
テレビを一緒に観たり、
本を読み聞かせたり、
時には手を繋いで一緒に昼寝をした。
青は、時折寂しげな顔をした。
「……死ぬって、不思議だよね。 明日があるのが当然だと思ってたのに、 それが終わるって知ると…… 全部が愛おしくなる」
最初はもう少しで死ぬなんて
信じられなかった。
でも体調は日に日に悪くなる。
疲れやすくて、
息が苦しくて、
何もかもが重い。
「それでも、僕は……桃くんと会えて、幸せだった」
「俺もだよ、青……」
その言葉に、
青は微笑んだ。
ある夜、
青は弱々しく俺の手を握った。
「桃くん……ありがとう。最期までそばにいてくれて……嬉しい……」
「やめろ、フラグ立てんな…」
「ふふ……僕ね、生まれ変わったら、また桃くんに出会いたい……」
「何回だって会ってやるよ。次は俺の方が先に見つけてやる」
青の目尻に涙が浮かぶ。
ほんとに……ありがとう……
桃くん、
大好き……
その言葉を最後に、
青は静かに目を閉じた。
俺の手の中で、
動かなくなった体。
「……青……?」
返事はなかった。
どれだけ呼んでも、
涙を落としても、
青はもう目を開けてはくれなかった。
葬儀が終わって数日後、
俺は青の部屋を訪れた。
遺品整理を頼まれていたが、
俺にはまだ覚悟ができていなかった。
部屋の引き出しを開けたとき、
白い封筒が一通、
目に入った。
『桃くんへ』と書かれていた。
震える指で封を開ける。
桃くんへ
これを読んでいる頃、
僕はもうこの世にいないんだと思うと、
すごく不思議な気持ち。
桃くんは、怒ってるかもしれないね。
ごめんね。
どうしても、言えなかった。
僕は、桃くんのことが大好きだった。
本当に、本当に愛してた。
だけど、それを言えば言うほど、
桃くんが悲しむって思ってた。
だから、酷いことをした。
最低だったと思う。
でも、桃くんは見捨てなかった。
僕を最後までそばで支えてくれた。
僕は、世界で一番幸せな恋人だった。
桃くん、どうか泣かないで。
……いや、泣いてくれてもいいけど、
いつか笑ってくれるといいな。
桃くんの未来が、
あたたかく、
優しいものでありますように。
生まれ変わっても、
また桃くんに会いたい。
いつか、逢いに行くから。
待っててね。
青より
俺は手紙を胸に抱きしめて泣いた。
「……お前、ほんと最低だよ……でも、大好きだ……」
涙は止まらなかった。
けれど、
その手紙の中に、
確かに青は生きていた。
俺の心の中で、
ずっと生き続けていく。
そしていつか、またきっと――
【完】
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