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「ということなんですが…」
先ほどから出久の語る声だけが響いていた宿坊は、それが止んだ途端、重い沈黙に支配された。それを仕切り直すように袴田が一つ咳をする。
「なるほど…大まかな概要は理解した。考えていたものより壮大だったな」
「ハッ!!俺の言い伝えが壮大じゃねぇわけねぇンだわ」
なんせ神だからなぁ!と叫ぶバクゴーは神とは思えないゲス顔だった。
「それから、手記には封印についても少しだけ書かれていたんですが…」
「それが経年劣化で破れたページだったというわけか」
バクゴーはそれを聞いた瞬間青筋を立てながら勢いよく立ち上がった。
「そこそこデケェ神社なんだから紙に金を惜しむなや守銭奴がァ!!! 」
叫ぶバクゴーに袴田は眉毛を寄せた。
「先程からずっと怒鳴り続けて…一体何だというんだ?紙の素材にまでキレることはないだろう」
「素材にキレてんじゃねェわ!杜撰な保存状態とショボい紙に封印方法書いとくようなアホな思考にキレてンだわ!!その紙が破れてなけりゃ俺ァもっと早く出られたンだよクソが!!」
諌める袴田の声に耳も貸さずキレ散らかすバクゴーは、突然ぐるりと振り向きつり上がった目で出久を睨んだ。
「おいテメェ!!!その手記今どこにあんだ!?」
「えっええ!?え〜とぉ〜〜……」
唐突に問いかけられた出久が必死に記憶を探っていると
『♪〜♪♪〜♪〜』
「うん?」
「あ゙ぁ゙?」
「へぁ?」
カオスに紛れ込んだ日常の音は、思いのほか大きく宿坊に響いた。
「これは……」
「あぁ…すまない。私のアラームだ」
袴田が慌てて確認すると、午前中にセットしていたアラームがちょうど十二時を軽快なリズムで知らせている。
「もうこんな時間か、やらかしたな…」
大きくため息をつく袴田に出久が慌てた様子で聞いた。
「もしかして今日、何かご予定があったんですか!?そうだとしたら、たくさん話して引き留めちゃってごめんなさい!!」
「ケッ!テメェの用事も頭に入れず呑気に話し腐ってるほうがわりィわ!クソザコが!!」
バクゴーはムッとした顔で眉をしかめ、また叫んだ。
「全く君というやつは、いつもそうやってッ……?」
袴田は言葉を紡ぎかけ、首をかしげる。今日が初対面で、ほんの数時間の付き合い。それに加え神という次元の違う存在に自分は何を知ったような口を…?考えるたびに絡まっていく思考に蓋をし、一つため息をついた。頭がよく回らないのは疲れている証拠。午後からの顔合わせに断りの電話を入れたら、今日はもう休んでしまおう。脳内で予定を立て直しながら、袴田はゆっくりと立ち上がり宿坊を出た。
「今日のところは御暇させていただくよ。今日はありがとう。迷惑をかけてすまなかったね」
「いえいえ!とんでもない!!何かあったらいつでもいらっしゃってくださいね!お気をつけて!」
宿坊を出てから本殿まで送ってくれた出久に丁寧にお辞儀をして 、別れのあいさつを済ませる。 神社の外へと歩き出す袴田の背中に少年のような明るい笑顔で手を振る出久。その横で柱にもたれかかっていたバクゴーが唐突に口を開いた。
「仕事がうまく進むよう、見守っていてください。だったな」
罵倒ばかりが紡ぎ出されていた口から、嫌に透き通った声が流れ出る。袴田は、その語調と発された言葉に、振り返り目を見開いた。いつの間に近づいたのか、バクゴーは口の端を引き上げたあくどい顔で袴田の真後ろに悠然と浮かんでいた。
「大抵の愚かな人間共は、『どうか仕事を成功させてください』っつー願い方をするもんだが、お前は違ぇのな………それは何故か、訳を話せ。人間」
赤い目の中に浮かぶ真っ黒な瞳孔がきゅう、と開いた。その瞳は確かに、今しがた袴田が忘れかけていた”神”の威厳をたたえていた。
彼の人の御前で嘘偽りを並べ立てればどうなるか。もちろん命を奪うことはしないだろう。だが、それをすれば、今興味という光に満ちているこの瞳は一瞬にして光を無くし、自分への一切の興味を無くし、冷たい目で自分を見つめるのだろうと、わかる。
それだけは絶対に嫌だ。確かに袴田の中で大きく声が響いた。今日初めて出会った、横柄で横暴で口も態度も悪い、自分勝手な神様。そんな奴に冷たい視線を向けられることが、その眼中に自分の姿が映らないことが、こんなにも悔しく、虚しく、悲しくてたまらない。あぁ、何故だろう。この瞳に焼かれるこの時が、満たされてたまらない。袴田は、自らの体を揺蕩う感情達に困惑しながらも、素直に口を開いた。
「これは私の願いであり、私の為すこと、為さねばならぬことだ。それを何者かに頼り剰え代わりに為してもらおうなどと」
「言語道断」
「私の全ては私自らで掴むからこそ価値があるのだ。人に助けを求めること、頼ることは悪ではないさ。むしろ大切だ。だが、自分でできること、しなければならぬことを神に祈り代行させるのは、違う。だろう?」
袴田は、挑むような目つきで鋭く言い放った。それにバクゴーは笑みを崩さないどころかもっと深めると
「ハ、やっぱそうでなくちゃなァ」
と、小さくつぶやきグッと袴田に顔を近づけた。あわや鼻の先が触れるのでは、という距離でピタリと止まり袴田の目を見つめる。バクゴーの真っ赤に爛々と光る目が、袴田の翡翠の瞳とかち合った。途端、バクゴーはスッと表情を消すと、袴田を見下ろすように小さく浮かび上がり荘厳に言い放った。
「貴様の何事にも代え難き勤勉の精神と崇高な心意気、縁結びの社の主である俺、☓☓☓☓がしかと受け取った」
堂々。その言葉がこれ程似合う男も中々いないだろう言い切りに袴田は思わず息をついた。その反応が気に入ったのか何なのか、バクゴーは顔に勝ち気な笑みをたたえ、また口を開く。
「その上で貴様に、俺自ら授けよう。縁結びの神の名のもとに、貴様の勤めに良き縁がもたらされん事を」
バクゴーがはっきりと言葉を紡ぐたびに、細かい糸のような光が辺りに浮かび、バクゴーと袴田の周りを囲むように回り始める。そして、バクゴーが満足そうに笑いながら言葉を結ぶと光はガラスが砕けるように細かく散り、袴田の胸へと収まっていった。
「い、今何を…」
暖かさとともに自分の胸元へ消えた光に只々困惑の声を漏らす袴田。それを可笑しそうに見つめ、また笑いながらバクゴーは楽しそうに言う。
「それは後々のお楽しみってやつだわ。用は済んだ、とっとと帰れ!」
突然適当になった対応に多少の苛立ちを覚えつつ、帰ろうとしていたのも事実。袴田は大きくため息を付き、ジト目で言葉を漏らした。
「突然おかしなことをするな。驚くし困惑する。害はないと考えていいんだな?」
「ハッ!知らねぇな。まァ、精々頑張れよジーパン野郎」
去り際につけられた妙なあだ名に収まりかけていた苛立ちをまた刺激される。今度こそ最後だ、と振り返らずに袴田は声を張った。
「ジーパン野郎ではなく、袴田維だ!次来るときまでに是非覚えておいてくれバクゴー」
言ってから、そう言えば、と先ほどの祝詞のような文言が思い出された。その中でバクゴーは、己の名前を言っていたようだったが、ノイズのようになって聞こえなかった。あいつの名前は何というのか。今度来たときに改めて聞いてみよう。袴田は、そんなことを考えながら階段を降りていった。
遠ざかっていく背中を見つめながら、バクゴーは小さくつぶやく。
「お前が俺を呼んだらな」
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鳥居を出た途端に肌に降り注ぐ夏の日差しと蒸し暑さに、引いていた汗がぶわりと戻って来る。耳に響く都会の騒音に、やっと現実に帰ってきたような安堵を感じ、袴田は大きくため息をついた。今日一日。正確には午前中だけだが、本当に密度がありすぎた。空間が切り取られたような不思議な神社に、粗暴で苛烈な神様。思い出してもおかしなことだらけで目眩すら感じる。
鳥居を抜けた瞬間、肩にかかった膨大な疲労感に袴田は目頭を押さえた。とりあえずは取引先に電話を入れて、もう今日は寝てしまおう。どうせこの出張が終わる一ヶ月までの付き合いなのだから、それまでに色々と調べて、わかったことだけ持って帰ればいい。深く考える必要はない。そうやって無理やり自分を納得させながら、袴田は仮住まいのアパートへの帰路を大きなため息とともにたどっていった。
先ほど胸へ収まった光、縁結びの神の祝福によって、一ヶ月をゆうに超える期間、この地にとどまることになるとはつゆほども思わずに。