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月詠 涼
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「依頼があって二十代の女性向け作品を書こうってなった時にな、さすがに立神信武のままじゃ障りがあんだろってことになって……。急遽考えたペンネームが萌風もふだ」
――愛犬ルティシアが、モフモフしていて可愛かったから。
まさかその名で長いこと二足の草鞋を履き続けることになるだなんて思わなかったから、ペンネームの由来はそんな単純で、どうでもいいものだった。
日和美が記憶喪失だった自分に、フワフワな印象を理由に不破譜和という名を与えてくれた時、何だかしっくりきた気がしたのは恐らくそう言うことだったのだ。
日が経つにつれて、失っていたはずの不破だった頃の記憶も部分的に蘇りつつある信武は、バツが悪そうな顔をしてそんなことをゴニョゴニョと付け加えて。
それを聞かされた日和美も、信武の煮え切らない物言いから、語られていることが真実なのだと少しずつ理解が追い付いてきた。
「『犬姫』だけ別の出版社から本が出た絡みで実写の著者近影が欲しいって言われてな。さすがに俺の顔はメディアに出過ぎちまってたから苦肉の策で茉莉奈……、えっと……今日いた担当編集の女な? ――まぁ従姉なんだけど……あいつに代理を頼んだんだ」
「いとこ……」
どこか安心したように日和美がつぶやくのを見て、信武もホッとして。再び過去の出来事に思いを飛ばす。
〝立神信武〟は玄武書院の専属作家だが、彼の裏ペンネームが〝萌風もふ〟であることは業界にもオフレコだったから。
よその出版社からオファーがあったとき、断り切れなかった。
結果玄武でなら何とかなるアレコレがうまく回らなくて。
版元の要望通り、『何でも良いから萌風もふの顔になりそうなお前の写真をくれ』と頼んだ信武に、茉莉奈も、普段通りの格好では恥ずかしかったのか、わざわざ和装をして髪を下ろし、まるで日本人形のような大和撫子然としたコスプレ姿のポートレートを渡してきた。
『変装よ、変装!』
吐き捨てるみたいにそう言っていたが、日和美に見破られてしまったのだから果たしてうまくいっていたのかどうか。
「茉莉奈があんなのはもう二度とごめんだって断固拒否してきたからな。萌風もふも玄武書院の専属で他からのオファーは断るってことになって……ついでに玄武書院から出す本は萌風でデビューした時に『ゆらたう』で使った、モフモフイメージで俺が描いた超絶テキトーな落書きが共通の自画像ってことになったんだわ」
一冊だけ別レーベルから出版された『犬姫』以外の本に写真が載らなかったのはそう言うことだったのだと知った日和美は、何だか色々繋がって、ただただ驚くばかり。
ついでにあのほのぼのとした綿玉みたいなゆるキャラ風自画像が、信武の手によるものだと言うのにも二度びっくりだ。
「あ、あの……萌風先生の自画像ってホントに信武さんが……?」
何の気なしにつぶやいた日和美へ、信武が緑茶飲み比べセットの箱を手に取ると、その内側にサラサラッと見慣れたゆるゆる毛玉キャラを描き上げてしまう。
それを見て、萌風もふ先生はやはり目の前にいる信武なんだと妙に納得させられてしまった日和美だ。
「『犬姫』も版元がつぶれちまって長いこと宙ぶらりんだったのを玄武が権利を買い取ってな。電子書籍版でのみ出し直したんだが……そん時に著者近影もこのイラストへ差し替えた。日和美が倒産した出版社から出てた文庫版を持ってんのはいつももらってるファンレターで知ってたから……お前と接点を持った時点で茉莉奈が萌風の顔だってことはバレちまうだろうな?とは思っちゃいたんだよ」
喫茶店で、茉莉奈から社に届いたファンレターや、社屋内に保管していた『ゆらたう』の初版本を受け取っている所を目撃されたのは想定外だったが、信武と一緒にいれば、いずれ日和美が茉莉奈と鉢合わせすることは十分予想できることだった。
そうなったとき日和美に萌風もふのこと、茉莉奈との関係性などをどこまで話すかずっと迷っていた信武だ。
結果、揺れている間はどうとでも言い訳が立つよう、茉莉奈が萌風もふ本人で、自分とは別人であるかのように日和美に話していたのだけれど――。
喫茶店で茉莉奈と打ち合わせをしていたところを見られ、否応なく日和美に拒絶された傷が癒え切らないままに今日のサイン会。
日和美に茉莉奈といる所を再び目撃されてしまった信武は、彼女の傷ついた表情を見て、全てを話さずにいることのリスクを思い知らされた気がして。
日和美が手にしていた本を引っ手繰るようにしてサインとメッセージを認めた時には、信武の心は日和美に何もかも包み隠さず打ち明ける方へ定まっていた。
***
「あ、あの……ごめんなさい、信武さん。もしかして……貴方にとって萌風先生であることはその、トップシークレットだったんじゃないんですか?」
期せずしてそれを暴くみたいになってしまったと気に病んでいる様子の日和美を、信武は「バーカ」とねぎらった。
「俺が本気で秘密にしてぇと思ったら、お前を丸め込む嘘なんざいくらでも思い付けるんだよ」
「えっ?」
「なぁ、忘れちまったの? 俺はプロの作家なんだけど。虚構の世界を作り出すのなんて朝飯前だと思わねぇ?」
実際嘘を嘘で塗り固めて自分が萌風もふであることを隠すことは、小説のプロットを練る作業に似て、やろうと思えば造作もないことだったはずだ。
だが、信武がそうしたくなかったのだから仕方がないではないか。
***
「――そう言えば信武さん。記憶が戻られた日に持ってらしたオフィスラブものがあったじゃないですか。あれって……」
「ああ、これのことだろ?」
日和美の視線がカウンターの端に置いたままにしていた文庫本に移ったのを確認して、信武は日和美から離れるとそれを手に取った。
「お前の部屋で『犬姫』を見た時に何か思い出せそうな気がしてな。本屋で同じジャンルの本を見たら記憶が戻るんじゃねぇかと思って……」
いつも自分が萌風もふとして書いてきたはずのバリバリのファンタジーものには反応しなかったばかりか、拒絶反応さえ覚えたのはある種の現実逃避だったのだろう。実際、当時の信武はファンタジーものを書くことに少々辟易していたのだ。
そんな中、あのときの不破が、『犬姫』にだけやたら刺激を受けた理由は、亡くしたばかりのルティシアが絡んでいたからだと今ならハッキリ分かる。
でもあの時の自分には分からなかったから。
ざわつきの手がかりを求めるべくアパートを後にしたのだ。
とりあえず本屋……と思ってみたものの、日和美の勤め先に行くのは何となくばかられて逆方向――結果として自宅マンションがある側へ向かって。
道すがら目についた本屋へ立ち寄ったら、失踪した信武のことを探し回っていた茉莉奈にたまたま行き会った。
まぁ、その書店は信武が執筆に行き詰まった時、ちょくちょく息抜きに出向いていた場所のひとつだったので、そこで彼女と出会っても何ら不思議ではなかったのだと今なら分かる。
『信武! 今まで一体どこをほっつき歩いてたの!』
萌風の方で出す予定にしていた新作のプロットを提出しないままに姿を消していた(らしい)信武に、彼が記憶喪失だと知らなかった茉莉奈が押し付けてきたのが、玄武書院の人気レーベルのひとつ〝ムーンライトときめき濡恋文庫〟で萌風もふと双対をなしていた別の売れっ子作家が手掛けていたオフィスラブもので。
散々いなくなったことを責め立てられた後、『とりあえず!』と切羽詰まっていた仕事の話題へ切り替えられたのだ。
『信武、次にあっちで書くの、ファンタジーはやめてオフィスラブものにしてみたいって言ってたでしょう? 森野リス子先生の本、絶対参考になるから読んでみて?』
急に畳み掛けるように言われても、当時まだ六割がた不破譜和だった信武には、何のことだかさっぱり分からなくて。
『失礼ですが、貴女は僕のことをご存知なんですか? ……その、シノブというのが僕の本当の名前ですか?』
困惑顔でそう問いかけて、茉莉奈を驚かせたのを覚えている。
結局記憶喪失のまま茉莉奈に連れられてマンションへ戻ってきた信武は、ルティの遺骨が入った箱を見て、一気に立神信武としての記憶を思い出した。
同時に不破譜和だったころの記憶が曖昧になったのだけれど、茉莉奈が『今までどこにいたの?』と問いかけてきたことで荷物を色々探るに至って、写真とその裏のメモを見つけたと言うわけだ。
その日はそのままマンションで遅れていた文筆業に精を出して、茉莉奈に新作プロットを手渡してから日和美のアパートへ戻った。
***
「あの日、朝と晩で信武さんが別人になっててめっちゃ驚きましたけど……そんな理由があったんですね」
得心したようにホゥッと吐息を落とした日和美に、信武は心底安堵する。
「なぁ。茉莉奈とのことは誤解が解けたって思って構わねぇよな?」
森野リス子の本をカウンターに置いて、日和美のすぐそば。
吐息もかからんばかりの距離で念押しするように彼女の顔を見下ろしたら、途端ムムッと唇をとがらされた。
「ずっと思ってたんですけど……信武さんと従姉さん、何だかすっごく親密な雰囲気ですよね」
「は?」
次いで当たり前のように漏らされた不満に、信武は思わず間の抜けた声を返さずにはいられない。
「どこが」
問えば、「お互いに呼び捨てで呼び合っているところとか」と、日和美がゴニョゴニョと語尾を濁らせるから。
「いや、待て。だってそりゃあ――」
「わ、私だって! 従姉弟同士のお二人が長い年月の中で何となくそうなっちゃってるってこと、頭では分かってるつもりです! でも……胸の辺りが何だかモヤモヤしちゃうんだから仕方ないじゃないですかっ」
我慢出来ないみたいに吐き出して、指先が白くなるぐらい強く信武の服を掴んできた日和美が、いやいやをするように信武の胸元へ額を擦りつけてくる。
「私……一応信武さんの彼女なのに――」
そうしながら、ポツンと自信なさげに日和美が付け加えてくるから、信武は我慢出来なくなってそんな彼女を腕の中にギュッと抱き締めた。
「なぁ、一応って何だよ。お前が! 正真正銘俺の彼女だろーが」
そのまま当然の流れみたいに日和美のひざ裏をすくい上げれば、急に横抱きに抱え上げられた日和美が驚いたように手足をジタバタさせる。
「あ、あのっ、信武さんっ!? いきなり何っ!?」
信武はそんな日和美を落とさないようギュッと強く抱き直すと、彼女の抗議なんてお構いなしに歩き出す。
「そんなに気になるなら日和美も俺のこと、呼び捨てにすればいい」
茶を入れるとか言いながら、コンロにやかんすら掛けていなかったことを、我ながらでかしたと思いながら。
信武は日和美を見下ろしてニヤリとした。
コメント
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わあああ〜!!😭💕 萌風もふもふの正体が信武さんだったって衝撃だけど、愛犬ルティシアから来てたってエピソードがもう可愛すぎるでしょ…!!「嘘なんていくらでも思い付ける」って言いながら全部打ち明けた信武さん、かっこよすぎて鼻血出るかと思った🥺 最後の呼び捨て作戦も最高にキュンだよ…!! もう二人が幸せになってほしい、それだけ!!🌸💕