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吸共とかいう物語では息をするように暴力が行われている。直接的・物理的な暴行を与えることが多いのがしずくで、次に多いのが花園だ。
しずくは特段暴力を良いものだと思っているわけではない。武器集めが趣味だが、それは暴力というより武器自体が好きなだけだ。武器の性能を試したいという武器に対する欲求の為に暴力を振るおうとすることはあるが、一応ちゃんと許可を取る。勝手に攻撃することは無い。暴力を振るうのは自分を守る時だけ、自分が許せない攻撃を受けたと感じた時だけだ。やられたからやり返した、ただそれだけ。だから自分の暴力は悪ではないし、自分のような『やり返す暴力』であれば容認する。逆に一方的な暴力は断じて許さない。自分のポリシーに沿った暴力だけを正当化しているので、ある程度の常識は持ち合わせていると言える。暴力という選択肢がある時点で常識もクソも無いのだが。例外として告白された際に「一旦殺してみていい?殺すのに躊躇いを感じたらそこに恋愛感情があるってことでしょ」と口にしたことがあるが、それは混乱のせいで正気を失っていただけであり、口先だけのただの冗談である。いくら正気を失っているからといって、ポリシーに反して一方的に殺すことはしないはずだ。多分。
花園も同様で、何なら暴力を嫌っている。楽観的な平和主義で、なるべく話し合いで解決したいと思っている。その反動で、平和を乱す話の通じない人間には躊躇なく暴力を振るう。振るうべき人間があまりにも多いと感じている為、結局のところ力が解決するのだと思い込み、日夜筋トレに励んでいる。平和を守る為、強く生きていく為と豪語し、力を蓄え振りかざす自分に酔っている面がある。だが己の暴力は正当化しているにもかかわらず、他人の暴力はいかなる理由があろうと許さない。己の力で全てを凌駕して丸め込もうとする。そういう意味ではしずくよりサイコパス度が高い。
他の人達は間接的な暴力を振るっている。暴言や、故意もしくは無意識な言動で精神的に傷つけるタイプである。ちなみにしずくはこちらにも当てはまるので、暴力全般をマスターしていると言えよう。しずくの暴力のポリシーとは暴行のみにおけるもので、残念ながらこちらには通用しない。暴行より言葉の方が安易な為、言葉では何もされていなくても一方的に傷付けることが多い。それは無意識でも故意でもあり、そして正義感や親しみで成り立っている。というのも、自分だけは正しい、これでも自分は優しい方だと思い込み、嫌いな人や親しい人になら何をしてもいいと勘違いしているからだ。言葉の暴力性を理解しており、許せない言葉に対して暴行でやり返したり、悪口や陰口などのいじめを嫌悪したりするが、自分が発する言葉には無責任で、自分も同じ暴力性を持っている。そんな自分の大きな矛盾に気付いていないわけではない。その為、周囲に対して『お互い様、謝る必要はない、そっちもやり返していい』という考えを抱いているが、9割相手の方が悪いと思っているし実際やり返されると怒る。更に『親しい人には何をしてもいい』という考えに基づき「シュウさんになら何されてもいいよ」などと口にしたりするが、実際何かしようものなら殺す。矛盾が消えない限り、暴力も消えないに違いないのだ。
しずく「暴力は良くない(正義)だから暴力を振るう人を殺す(矛盾)」
狂った暴力マシーンのことはさておき、まず、無意識に傷つけるタイプが赤城と夜月だ。
赤城は伝説の1話でしずくを故意に襲ったが、それは生存本能で気が狂っていたという例外である。赤城は基本的に人に無関心だ。自分から傷つけにいくことはしないし、傷つけられてもやり返さないか、同じような言葉を返すだけに留める。だが無関心故に想像力が欠けており、何気ない言葉や良かれと思ってした行動で傷つける。そこには自分がされてきた差別や古い価値観もかなり混じっている。自分では何が悪いのか分からない為、一向に改善されることはない。
夜月は自分で自称しているようにKYだ。空気を読もうとしすぎて間違ったり、本当に読めていなかったりする。夜月も人にとても関心があるようで実はあまり無い。人を気にするのは自分が良く思われたいという自己欲求の為が大きく、嫌いな人は故意に傷つけ出したりする。そんな自己中心さが根本にある為、KYな自分を悲観することはあるが、悲観という名の諦めだったり、KYを免罪符にして開き直ったりもする。だが同じくらい優しさも持ち合わせている為、傷つけるよりは思いやることの方が圧倒的に多い。思いやりでKYを補完することに成功している。話が進むにつれ、親しみ慣れてきた周囲を故意に傷つけることが多くなっていくが、その攻撃的な方が本性なのか、はたまた『強く生きようとすると優しさが失われる』という説が有力なのかどうかは誰にも分からないところである。
次に、故意に傷つけるタイプが天音と塩子とみくるだ。
天音はこの3人の中では一番悪意がマシな方だ。花園のように平和主義であり、持ち前のコミュニケーション能力で誰にでも優しく接し、簡単に好意を抱かせることができる。だが基本的に態度が適当で人を見下している。自分に敵わない相手を小馬鹿にし、格下だと感じた相手にはあからさまに冷たい。それは純粋な悪意というより自信の無さや暗さからくるもので、人より優位に立っていないと置いていかれるという不安や、人と真剣に向き合って傷付くのが怖いという気持ちがそうさせている。その為、恋愛では上辺だけの言葉を連ねて一時期は上手くいくものの長続きせず、友情では『見下し』が発生して言葉に棘やマウントが現れるので友達も少ない。そのことを自分で悲観していたが、花園のように心から好きになった相手には尊敬の念を抱き、純粋な優しさだけで接することができるので、悪意は無くそうと思えば無くせるのである。また、最近は花園の影響で気持ちが安定している為、周囲への悪意や適当具合が和らぎ、自分の言動を誠実にしたり、せいぜい親しい人にだけ幸せ自慢をするくらいに留まることができている。
二番目に悪意がマシなのは塩子だ。暴言厨だったりいじめを行ったりするが、どれも天音同様の自信の無さや、思春期特有の尖っている自分への酔いからくるものであり、本気で相手を傷つけたいわけではない。相手が本気で怒ると萎縮し、すぐに謝る。逆に相手が無反応だったり半笑いだったりすると許されていると勘違いして継続する。揶揄いと称して遊び感覚でやるので質が悪い。性格が悪いという自覚はあるので、好きな人の前では完全に猫を被る。だがちらほら本性が現れて結局駄目になるので、攻撃的な我を貫き通した上でなんだかいつも楽しそうなしずくのことを少々羨んでいる。
一番悪意があるのはみくるだ。まさに純粋な悪意を持っており、人の惨めで愚かな姿を好み、わざと傷つけては反応を楽しむ。流石に暴行は加えないが、正論っぽい言葉なら何を言ってもいい、万が一訴えられても金を積めば問題無いと思っている。そのくせ中途半端な善意を持っており、世話好きのご奉仕好きである。飴と鞭を交互に振り回すが自分でもよく使いこなせておらず、飴のつもりが鞭になって結局傷つけていることがしょっちゅうある。また、ドSでありながらドMでもあり、一方的にいじめ抜きたいという願望と、理不尽な暴力を与えられたいという真逆の願望を併せ持つ。善意と悪意を始めとした様々な感情が両極端、どちらかの常識的な範囲に安定させたいと思ってはいるが、自分では制御できた試しがない。悲しき怪物のようである。
以上が暴力には様々な種類があるという説明であったが、一概に暴力と括って何ら問題は無いし、むしろ括って問題視してほしい。暴力は暴力。暴力と共存してもデメリットしかないので、軽蔑し、排除するに限る。皆さん、今後も暴力の排除を目指して頑張っていきましょう。えいえいオーブントースター!
みくる「はいはいこんな戯言はさておき近頃の可愛い私でも見ていきなさい♡」
みくる「え?最後の何?」
何だろね