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尚のお母さんは尚がまだ幼い頃、育児ノイローゼから家事や育児を放棄し、遊び歩くようになったそうだ。
そしてそのうち他に男を作り、尚を置いて家を出て行ったらしい。
それから尚のお父さんはお母さんと離婚をし、尚はお父さんの実家がある九州に移り住み、忙しいお父さんの代わりにおじいさんとおばあさんに育てられたそうだ。
けど、おじいさんもおばあさんも尚が高校に入る前に相次いで病気で他界し、尚は一人で過ごす事が多くなり、夜に外へ出歩く事が増えたという。
そこで、久遠のメンバーでもあるハイリさん、エイジさんと出逢い、興味を持っていたバンドを組む事になったとか。
練習を重ねて色々なライブハウスでライブをし、時には遠征までしているうちに各所にファンが増え、東京のライブハウスでライブをしていた時、たまたま見に来ていた芸能事務所の社長の目にとまり、高校卒業と共に事務所に入ったという事だそうだ。
「ま、そういう訳で、俺は高校卒業と同時に実家出てるし、親父とも全然会ってねぇんだ」
お父さんとは仲が悪いわけではないらしいのだけど、元から口数の少ない人で話をする事自体少なかったらしいから、それが普通の事だと言う。
「じいちゃんばあちゃんは結構厳しくて口うるさかったからあんまり好きじゃなかったし、母親の記憶はほぼないし、親父とはあまり話さなかったから、俺には家族との思い出ってのが殆どない」
そう話す尚は悲しそうに見えた。
普段偉そうな態度をとり、人をからかうような尚の姿は、どこにもいない。
「だから、今日夏子の母ちゃんが来て、夏子と話してるの見てたら、仲のいい家族ってこんなんなんだなって思った。楽しそうだなってさ」
「尚……」
「悪いな、何だか暗くなる話で」
そう言いながら笑う尚。
その笑顔が何だか切なくて、胸が締め付けられた。
尚と一緒に住み始めてもうすぐ二ヶ月が経とうとしていた今、尚の新たな一面を知った気がした。
身内以外知らない話を私にしてくれた尚。
私はきっと、信頼されているのだろう。
たった二ヶ月、されど二ヶ月。
私たちはお互い、まだまだ知らない事は沢山ある。
いつ終わるかも知れないこの同居生活だけど、私は尚という人物の事をもっと知りたいと思うようになっていた。
それは勿論、『久遠』としてのナオではなく、『遠野 尚』としての尚の事をだ。
「あのさ、尚」
「ん?」
「……こういう時、なんて言ったらいいか分からないんだけど……私なんかに話してくれてありがとう」
正直、どういうリアクションをとればいいのか分からない。
だけど、私に話をしてくれた事は嬉しかったから、その感謝の気持ちを伝えたのだけどその言葉が意外だったのか目を丸くした尚は、
「……何だよ、急に」
と呟くような声で言った。
「私の事、信頼してくれてるから話してくれたんでしょ?」
「……まぁな」
照れているのか、視線を外して答えてくる。
初めの頃は必要な事以外話したがらなかった尚。
でも、この前の彼女騒動の話といい今回の事といい、少しずつだけど尚は自分の事を話してくれるようになった。
その事が、何よりも嬉しかった。
「さてと、そろそろ夕飯にしようか。何食べたい?」
「カレーがいいな」
「了解」
尚のリクエストを聞いた私はエプロンをして、早速料理に取り掛かる。
尚は、子供が好きなメニューを好む傾向がある。
少し前に大学で、『久遠』の特集が組まれた雑誌を見せてもらったのだけど、そこにメンバーそれぞれの好きな食べ物と嫌いな食べ物という記事があった。
尚の事だ、好きな食べ物はハンバーグとか、オムライスとか、カレーといったメニューだろうと思いながら読んでいくと、
『子供っぽいメニューは嫌い』『好きなのは酒とつまみ』と書かれていたのだ。
それを本人に聞いてみたら、「だって、子供っぽいメニュー好きとか、ダセーだろ?」と言っていた。
別にそんな事はないと思うのだけど、尚は男の人の割には華奢で背もそこまで高くない事がコンプレックスのようで、その上お子様メニューが好きというと子供っぽいと思われそうで嫌なのだそうだ。
それはメンバーに対してもそうらしく、好きな食べ物は特にないと言っていたらしい。
「それで、尚の一番好きな食べ物は?」と流れで私が聞くと、「ハンバーグとカレーはどっちも好きだから、選べない」なんて答えが返ってきた。
「何で私には教えてくれるの?」
そう疑問に思い聞いてみると、
「夏子の作る飯は美味いから、俺の好きなモン作ってもらいたいんだよ」
迷う事なくハッキリと答えた尚。
「俺の好きな食べ物は夏子以外知らないんだ、絶対バラすなよ?」
そして、それを他人にはバラさないよう念を押してきた。
その時、少し恥ずかしそうな顔をしながら言った尚が可笑しくて笑ってしまった。
(きっと、あの時にはもう信頼されてたんだよね)
私しか知らない尚の秘密。
これからもっと増えたらいいなんて、思ってしまう。
「ねぇ尚~、お米研ぐのお願いしてもいい?」
「仕方ねぇな」
最近では、お願いすると手伝いをしてくれるようになった尚。
こうして台所で一緒に何かをしたりするのも良いなと思いながら、私は料理を進めていく。
私は自分でも気が付かない程に、この今の生活が気に入っているようだ。
だからかな、この生活が少しでも長く続けばいいなんて思ったりしてる自分がいる事に驚いたりする。
(尚は、どう思ってるんだろう)
隣で米を研ぐ尚を横目で見ながら思う。尚も同じ事考えてたりしないかな? なんて事を思いながら。
「何だよ?」
「へ?」
「研ぎ方雑とか思ってんだろ?」
視線を感じたらしい尚は、私が米の研ぎ方に不満があると思っているらしい。
「違うよ。何でもない」
「いーや、絶対思ってただろ?」
「思ってないってば」
尚らしいって言えばそれまでだけど、この人はこういう人だ。
だけど、こんなやりとりですらも今は嫌だとは思わない。
いつまで続くのかは分からないこの共同生活だけど、出来る事なら一日でも長く続く事を願わずにはいられなかった。