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先日、ワイミーズハウスで不可解な噂が流れた。
『──Lが、イギリスに帰ってきた』
信じられなかった。
そんな噂が、流れたことが、信じられなかった。
Lは、世界最高峰の名探偵でありながら、正体不明の存在だ。
出身も、名前も、年齢も、性別すら公表されていない。彼に接触した者のほとんどは、仮の姿しか知らず、彼の肉声を聞いたことのある人間すら、ほんの一握りだ。
そのLが、“イギリスに帰った”という噂が、ワイミーズハウス──彼の出自に最も近い場所に、流れたという事実。
それが何より、“あり得なかった”。
──僕はこの事態に、危機を感じた。
Lの身柄に、ではない。
「僕らの身柄」に、だ。
“正体不明のLが、イギリスに帰ってきた”──
その噂が、もしも外部に漏れれば──どうなるか。そもそも、このワイミーズハウスの内部で広まっていること自体が既に危険だ。
例えここがLの“実の家”であったとしてもだ。
ワイミーズハウスにいる者すべてが、Lの味方というわけではないから。
尊敬している者もいれば、そうでない者もいる。
競争相手として意識している者、過去の評価に不満を持つ者、実力で追い抜いたと確信している者、あらゆる立場と感情が混在している。
敵対心を抱いている者もいる。Lを超えることだけを目標に生きている者もいる。なかには、Lに直接的な恨みを持つ者もいるだろう。
そいつらが、もし手のひらを返したら──?
尊敬が失望に変わったとき。競争が敵意に変わったとき。“あのLが帰ってきた”という事実が、彼らにとっての転機になる可能性は十分にある。
Lの不在を前提に築かれてきた序列や秩序が、一瞬で覆る。
いくら身内であろうと、Lが干渉してこないのは、案外そういう理由なのかもしれない。いや、むしろ“身内だからこそ”だ。血縁ではなく、才能によって繋がれたこの施設において、最も近くにいる者が最も危険であるという事実は、L自身が一番理解しているはずだ。
身内だから安全、という常識はこの場所では通用しない。
むしろ、ここにいる者の誰よりも、Lの思考パターンや癖、限界を理解しているのは、Lの“後継者”として育てられた子供たちなのだから。
──Lにとって分が悪いのは、まさにそこだ。
Lですら、彼らを完全には読み切れない。
なぜなら、彼らは“Lを超えるために作られたバックアップ”なのだから。
──さて、話を戻そう。
なぜ、『Lがイギリスに帰ってきた』という噂ひとつで、僕がこれほどの危機感を覚えているのか──という話だ。
Lを狙う集団は、世界中に複数存在する。
国家レベルの組織もあれば、テロリスト、密売人、復讐者、狂信者、金で動く暗殺者まで多岐に渡る。
Lが表に出るだけで、動き出す連中がいる。
そしてLが姿を現した“可能性がある”と判断されれば、直接狙えない代わりに、周囲を標的にするというのは自然な流れだ。
当然、ワイミーズハウスもその“周囲”に含まれる。
僕たちはLの出自に近すぎた。
過去を知りすぎている。可能性を背負わされすぎている。
だから狙われる。
誘拐、拷問、洗脳、抹殺──
どれも、突飛な妄想ではない。
むしろ、“予想可能な現実”。
Lがイギリスに帰ってきた──その一点だけで、話は足りる。
イギリス。ウィンチェスター。ワイミーズハウス。
順を追って推測すれば、たどり着くのは容易い。
情報が正確である必要すらない。ただ「可能性がある」というだけで、動機になる連中がいる。
だから、“まずい”んだ。
“帰ってきた”という噂が現実であるかどうかは、もはや重要じゃない。その情報が出回ってしまったこと、それ自体がリスクだ。
そして、そのリスクは常に──“僕たちの側”に降りかかる。
それが──今のLという存在が生んだ現実だ。
この噂を誰が流したのか。僕はすぐに動こうと思った。
けれど、ここはワイミーズハウスだ。
わざわざ僕が動かなくとも、“今、その推理は進行中”だった。
現在、噂の出どころを巡って、『ニアとメロ』が競争している。
二人とも、正式な調査命令が出たわけじゃない。
けれど、彼らはそういう子供たちだ。
誰よりも早く情報を手に入れ、先に答えを出した者こそが「優れている」と信じている。それが、あの子たちの“日常”。競争も、比較も、評価も、すべて含めての通常運転。
だから僕は、そこに割って入るつもりはなかった。僕の出る幕はない。──そう判断しかけていたけれど、それは甘かった。
というより、見誤っていた。
二人は、時間差もほとんどなく、僕の部屋に現れた。
ノックはない。挨拶もない。ためらいもない。
入室というより“侵入”に近かったが、彼らに悪意はない。ただ、遠慮がないだけだ。
彼らが真っ先に僕の部屋に来た理由は分かっている。
僕は、ワイミーズハウスが設立されてすぐにこの施設に入った──
──最初の子供。文字通りの“初期ロット”。
この場所が今の形になる前の原型を知っている。
創設者がどんな意図で子供を集め、どんな条件で選別を始めたか──全部、目の前で見てきた。
そして、Lに最も“物理的に”近かった子供でもある。
Lの詳細を、断片でも知っている可能性がある者は限られている。
僕──初代Aか。あるいは、初代Kまでのアルファベット程度だろう。
だからこそ、彼らは迷わず来た。
ニアとメロは、僕の顔を見るなり、ほぼ同時に、言葉をぶつけてきた。
「──Lは、“ここ”にいたのか?」
そう問われた瞬間、僕は反射的に言葉を失った。
それは、僕にとって最も返答に困る問いだった。否定も肯定もできない。どちらを選んでも、情報の境界線を越えることになる。僕は、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。曖昧な表情で、その場をやり過ごそうとした。
この施設に関するLの記録は、すべて秘匿対象だ。
紙にも、データにも、痕跡は残されていない。ウィンチェスターのワイミーズハウスにLが在籍していたという事実そのものが、最高度の機密事項とされている。
誰にも話してはならない。
話す理由もない。
けれど──僕自身は、確かに“ここにいたL”を知っている。
記録には残っていないが、記憶には残っている。
僕の目で見たL。僕の隣にいたL。
それは、疑いようのない事実だ。
しかし。
僕は“L”を知っているが──『世界的名探偵L』を知っているとは限らない。
この違い、分かるだろうか?
僕が知っているのは、ワイミーズハウスで育った“L”だ。同じ施設にいて、同じ食事をして、言葉を交わした“L”。
けれど、それが後に『L』として世界中に名を知らしめた人物と同一かどうかは、確証がない。なぜなら、『Lはひとりではないという噂』がある。少なくとも、100人以上の『L』が存在するという話だ。
事実──世界中の事件を同時にいくつも扱うには、一人の人間では不可能。
かつて、複数の国でほぼ同時期に『L』の名で捜査が進行していた事例もある。
その全てをひとりのLが担当していたとは考えにくい。
──だからこそ、僕の知っている“L”が、あの『世界のL』と同一人物かどうかは不明だ。Lというコードネームの中に別の誰かがいる可能性は、常に残る。
これは僕に限った話ではない。
Bも、Cも、その他多くの者たちも、皆そうだ。
子供の頃にLと関わった者たちは、あのLの“本当の正体”を誰ひとりとして知らない。
だから僕は、正直に答えた。
「分からない」
嘘ではなかった。けれど、真実のすべてでもなかった。
ニアは、僕の顔をじっと見た。
メロは、あからさまに不満を露わにし、舌打ちしてその場を離れた。
言葉を選ぶこともしないまま、踵を返す。
──その反応が、何よりも不穏だった。
二人とも、気づいていたはずだ。
僕が何かを隠していることに。
いや、隠しているというより、“語っていないことがある”と察していた。
それでも追及してこなかったのは、Lの情報を簡単に手に入れられるとは思っていないからだろう。Lに関する情報は、誰かに聞いて手に入るような種類のものではない。
Lの姿を見たいなら、Lに辿り着くしかない。
そのために僕を訪ねたが、僕が壁の役割を果たすなら、さっさと別のルートを探すだけだ。最短距離を見極め、必要がなければ切り捨てる。あの二人は、そういう判断を迷いなく下せる子供たちだ。
彼らなら、本当の真相にたどり着けるかもしれない。
もう、Lの情報が噂ではなく、“確定情報”として扱われる日も近い。
それが、何を意味するか。
──嫌でも、遅かれ早かれ、現実が教えてくれるだろう。
「……さて」
重い腰を上げて、部屋を出ると空気が少し湿っていた。
雨が降りそうだと判断した僕は、廊下を抜けて中庭の物干しへ向かった。子供たちの洗濯物が、誰に気に留められるでもなく風に揺れている。
それを見た瞬間、ふと──この場所の“無防備さ”を思い知らされる気がした。
……そのときだ。
廊下の角を曲がった先で、Cとすれ違った。
肩までの金髪がわずかに揺れる。
湿気のせいか、それとも元からか、ボブカットの毛先は少しうねっていた。
表情は硬い。眉間には力が入り、目は鋭く細められている。
僕の姿を見つけた途端、Cはあからさまに睨みつけてきた。
その眼差しの奥──瞳の端に、ごく薄く涙の膜が浮かんでいるのを、僕は見逃さなかった。
「どうした?」
泣いている子を放っておけなくて、つい、声をかけてしまった。
すると──
「──うるさいッ! 話しかけないでよ!!」
背を向けたまま、怒鳴り返された。
僕はその場に立ち止まり、少しだけ首を傾ける。
……なぜ、あんなに機嫌が悪いのだろう?
Cの不機嫌には、たいてい理由がない。いや、正確に言えば──こちらから見える理由がない。
思い返せば、昔からそうだった。
理不尽なことで責められたり、唐突に八つ当たりされたり。僕は、理由の分からない怒りを浴びることに、必要以上に慣れすぎていた。
だから今回も、きっと──いつものことだ。そう思って、前を向き直った。その瞬間だった。
廊下の奥。食堂の方角。
扉の向こうから、妙に長く響く笑い声が聞こえてきた。
「かっかっかっかっかっ……!」
振り返るまでもない。
その声の主が誰なのか、考える必要すらなかった
──『B』。
あの異常な笑い方は、間違いようがない。
空気も雰囲気も他人の目もお構いなし。
笑っているのか、壊れかけているのか、いやむしろ壊れてからが本番みたいなイカれたやつ。
「……」
……嫌な予感がした。
僕は足音を殺し、そっと食堂の扉に近づいた。
わずかに開いた隙間から、中の様子をうかがう。
──やはり、いた。
Bが、無造作に椅子へ腰かけていた。
姿勢はだらけているのに、妙に目立つ。肘を机に預け、紅茶のような液体が入ったカップを軽く揺らしながら、口元だけで笑っていた。
そして、そのBの正面に立っていたのは──ニアとメロ。
二人とも、鋭く目を光らせている。
この空気は尋問だ。
喧嘩でも議論でもない。明らかに、Bが詰められていた。
「──Lはここにいたんですか?」
「誰なんだよ、Lってのは。あんた、知ってるくせに黙ってるんだろ?」
メロが、怒気を押し殺すような低い声で訊いた。
Bは、しばらくのあいだニタニタと笑ったまま、何も言わなかった。
その沈黙が、逆に場の緊張を引き上げていく。
そして──ようやく口を開いた。
「くっくっくっ……。いやあ、さすがだ、ニア、メロ……質問の仕方が雑すぎる」
わざとらしく肩をすくめて、コキッと首をかしげる。その動作すらも、芝居がかっていて、気味が悪い。
「Lが、ここに“いた”かどうか、だって? はてさて、それはどういう意味で──? “L”って何人いるんだっけ?数えたことないなあ……。いち、に、さん、よにん? か? ……いや、Bを入れたら、5人か?」
「何訳わかんないこと言ってんだよ」
のらりくらり。
その避け方は上手いのか下手なのか分からない、けれど確信犯的な“煙に巻き方”だった。
「あの人を入れたら、6人、あの子を入れたら、7人、いやいやあ、あの子はLじゃあないだろう」
答えは一つも出さない。
でも、“答えを持っていることだけは全力で匂わせる”。その『無駄な知能』だけは、昔から群を抜いていた。
ニアの指先が、テーブルの端で小さく揺れている。メロの顎が、無意識に何度も左右に動いていた。
……二人とも、限界が近い。
それすらも、Bにとっては“見て楽しむ”材料のようだった。
焦る様子もなく、むしろ余裕の態度を崩さない。
僕は、扉の陰に身を潜めたまま、じっと様子を見ていた。
──Bがあそこまで余裕を見せていられるのは、何かを握っているからか。Lに関する情報、あるいはもっと別の切り札……。
確かに、僕とBは──“ここにいたL”と出会っている。
……まさか、そのことを話すつもりなのか?
たとえ、僕らの知っているLが、後に“世界的名探偵L”になった本人とは限らないとしても──それでも、“ここにいたL”の存在を簡単に口にしていい理由にはならない。
過去を語ることは、Lという存在のルーツを暴くことに繋がる。それは、L本人が何よりも危惧することだろう。
──いや、それ以上に、危険すぎる。
止めなくちゃ──
僕は小さくため息を吐いた。
壁に背を預け、少しだけ目を伏せる。
──その瞬間だった。
「──あっちの先輩の方が、知ってるんじゃないか?」
唐突に、食堂の中から声が飛んできた。
こちらに向けられたものだと、すぐに分かった。
飄々とした調子。無邪気を装いながら、明らかに悪意を含んだ響き。
「ほら、ニア、メロ。“そっち”だよ、“そっち”!」
そう言って、Bは悪びれる様子もなく、まっすぐ指を差した。
食堂の扉──その向こうに潜んでいた、僕の方へ。
──バレていた。
ニアがゆっくりとこちらを振り返る。
メロは「は?」とでも言いたげに僕を睨んだ。
「先輩て、Aのこと……?」
Bはくぎぎぎっと首を傾けると口を開いた。
「かっかっかっ! だって、“AはLに会ったこと、あるじゃないか”──ウィンチェスターの“アレ”、全部知ってるんだろう?」
──ば、馬鹿! 何言ってんだよ、おい!
心の中で叫びながら、思わず身体が硬直する。
それは完全に、極秘情報だ。口に出していい類の話じゃない。いや、出した時点でアウトだ。
なんでこう……Bは……!
口が軽いというか、命知らずというか……無鉄砲なんだ!
僕が何年も守ってきたものを、たった一言であっさり暴露しようとするその神経。
そういうところが本当に、Bなのだ。
よりによってこのタイミングで、それを言うか!?
その発言に、食堂の空気が一気に冷えた。
ニアの目が細くなる。
メロが息を飲み、机に手をつく。
Bの言葉には、いつも“遊び”の匂いがある。だが今のそれは、明確な──“火種”だった。
「言っちゃダメじゃないか! B!」
僕の声に、彼はまた笑う。
「かっ……くくくっ、くっくっく……くぁっはっはっはっはっはっ!!」
その瞬間、ニアとメロの視線が、まるでスイッチを押されたかのように、同時に僕へ向けられた。
空気が一変する。
Bの言葉をきっかけに、場の“中心”が完全に僕に移ったのが分かった。
「……っ!」
喉元まで込み上げる声を、必死で飲み込んで、それでも抑えきれずに言葉が出た──
「──知ってても、言えるわけないだろ!」
思わず声が少し上擦った。
その勢いに、自分でも驚く。
胸の奥から、怒りが込み上げていた。抑えるつもりはあったのに、もう止まらなかった。
「第一、僕の知ってるLが、“本当にLだった”なんて、誰が証明できる? まるで僕だけがLを知ってるみたいな言い方やめてよ」
その瞬間、Bがにやりと笑った。
「だって──Aは知ってるじゃないか」
「知らないよ!」
「知ってるくせに」
「知らないって言ってるだろ!」
「──知ろうとしてないだけだろ?」
「知りたくもないよ!!」
「でも、さっき知ってるって自分で言ってたじゃないか」
Bは、さらりと、しかし確実に突いてくる。
「……っ、それは……!」
言葉に詰まる。
言ってないとは言い切れない。けれど、言ったつもりもない。
いや、違う。そんな意味じゃなかった。
頭の中で必死に反論を探している間にも、Bは一歩先を行っている。
そして、思わず口からこぼれた。
「……もう、僕をいじめないでよ」
情けない声だった。自覚はあった。
でも、それ以上に、胸の奥に刺さるものがあった。
けれど──Bは肩をすくめて言った。
「いじめたつもりなんて、ないけど?」
まるで悪気ゼロの顔で、平然と。
けれどその無邪気さが、いちばん悪質だった。たぶん、Bは本気でそう思っている。
それが一番、たちが悪い。
無自覚の残酷さほど、対処に困るものはない。
言い返す気力も失いかけた、そのときだった。
「──A、B。ちょっと来なさい」
重たい声が、食堂の空気を切った。
振り向かなくても分かる。院長──ロジャーだった。
「な、何?」
恐る恐る訊ねると、冷めたような目で僕たちを交互に見て、ただ一言だけ、告げた。
「……話がある」
続く……。