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【過去の記憶に蓋をして】ノベル版
わたしは、幼い頃から古びたうさぎの人形と共に奴隷市場に売られていた。
氷のように冷たい床に耳を塞ぎたくなるような騒がしさと少しのご飯。
これがわたしにとっての「普通」
けれど、その日、一筋の光がわたしを照らした――
「君、俺のところに来ない?」
頭上から、温かくてどこか寂しそうな声が聞こえてくる。
「え…?」
見上げてみると、目に映るのはわたしを見下ろす、男の人か女の人か分からない中性的な顔立ちの人だった。
多分だけど、声からしてお兄さんだと思う。
お兄さんはしゃがんでわたしと目線を合わせると手を差し伸べ口を開く
「君の安全は保証するし、今より上質な生活をさせてあげられるけど…どうかな?」
そんな言葉を聞いて、わたしはお兄さんをじぃっと見つめる。
(嘘をついているようには見えない…)
わたしはなぜかそう感じた。
『安心』や『上質』とか如何にも怪しそうな言葉を述べているのに――
だけど、わたしは躊躇いながらもお兄さんの手を取る。
「…君は賢い子だね。」
お兄さんはわたしが手を取ると思っていなかったのか少し驚いた表情でわたしの手を握り返して、もう片方の手でわたしを抱き上げてくれた。
「しっかり掴まってて」
わたしは言われた通りにお兄さんの服をぎゅっと握る。
久しぶりに感じた誰かの温もりは心の奥深くにあった懐かしい記憶が思い出せそうで少しだけ不思議な感覚。
わたしがそんな感覚に浸っている間にお兄さんは近くの偉そうな態度の人に話しかけていた。
「こんばんは。この子を買いたいんだけど、これで足りるかい?」
そう言いながら、お兄さんはスーツケースを差し出し、蓋を開く。
そこには大量の札束が入っていた。
「ほぉ、随分太っ腹な兄ちゃんじゃねぇか」
偉そうな態度の人はスーツケースの札束を舐め回すようにじぃっと見つめる。
「ひひっ、こんだけあれば十分だ…」
「このガキは兄ちゃんのもんだ。持ってきな」
お兄さんはわたしを抱き直し、偉そうな男に背を向けて、奴隷市場の出口に向かって歩き出す。
わたしはお兄さんの背中越しに奴隷市場を見回した。
少し前までの冷たい床と騒がしさが嘘のように遠ざかっていく――
「君は…名前、あるの?」
不意にお兄さんはそんな質問をする。
そして、付け足すように続けた
「…分からないなら答えなくてもいいんだけど」
わたしはお兄さんの顔を見つめて答える
「わ、わたし、日垣時亜…です」
お兄さんはわたしを見て、覚えたてのようなぎこちない笑みを浮かべた。
「時亜ちゃん…。いい名前だね。」
「俺は月詠凪。これからよろしく。」
――こうして、わたしたちの少し変わった幸せな生活が幕を開ける。
コメント
2件
うひょーーーすてき!!!!!!!!! 表現力すっごく美しゅうてすき……😌❣️❣️❣️