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中央の作業台を囲むように西奥に大きな釜が二つあり、南側には大きな窓、北側の棚にはガラス棒や大小さまざまなバーナーが置いてある。
東側の棚には制作途中と思われる半端な作品が並んでいる。
ここに櫻井秀人はいたんだな。琴子は短く息をついた。
「咲楽さんがいなくなって、ここはどうなってしまうんですか」
青山が大きく息を吐き、手にしていたトングを放った。
「今、永井さんがここのオーナーになってくれる人を探しています。
ガラス教室は俺と隼人、あとは咲楽先生の知人の先生が交代で講師になってくれる予定です。
方々に散ってた咲楽先生の作品もプロムナードに戻して、そっちの収益とガラス教室で、当面は凌ごうと。
まあその後は俺と隼人でなんとか建て直して見せますよ」
頷きながら琴子は頼もしい若者を見つめた。
「そのためにも、来月に開かれるガラスコンクールが大事なんすよ!集中したいんですけどねぇ!!」
声を荒げた青山に両手を合わせながら、琴子は思った。
きっと櫻井も、この無限のエネルギーを放つ若者たちの成長が、彼らが生み出すガラスの可能性が、楽しみで仕方がなかっただろう。
「どんなに腸煮え返る思いであったろうと、胸糞が悪くなっただけだ」
壱道の言葉を思い出す。
そうだ。私たちには櫻井秀人が生きていくはずだった未来に対しての責任がある。
凹んでなどいられない。
琴子は窓から見える噴水に、決意を新たにした。
あれ?
窓ガラスに寄る。噴水に面した側は、ガラスプロムナードの正面正面のはずだ。
真ん中に入り口があって、向かって右側は展示ボールで、左側が工房だが、そこの窓ガラスには咲楽の作品の写真が貼ってあって中は見えなかったはずだ。
「はいはい、今度は何ですかー!」
首をかしげる琴子に、苛ついたように青山が並ぶ。
「そんな頭の上にクエスチョンマークいっぱい出された状態でウロつかれると気が散るんで。
製作は後回しにして、あなたの気がすんで帰ることに全力で協力します」
「あはは。ありがとうございます。ここって窓に写真なかったかなって思って」
「ああ、フィルムすか?たまにレストランとかでもみかけるでしょう。外側からは見えるけど内側からは、ほんの少し暗く見えるってだけのマジックフィルム。あれですよ」
「へえ」
窓に鼻がつくほど近づく。なるほど、本当にこちら側からは見えない。
「制作中にじろじろ覗きこまれたり写真撮られたりするの嫌でしょう。だから咲楽先生がつけたんすよ」
言いながら青山は顎で何かを指した。
「あれもここから見て作ったんじゃないすか」
東側のテーブルに置かれた数々のガラスのなかに、異様な存在感を放つ作品がある。
青く輝く水しぶきを左右に上げた噴水のようだ。
「綺麗」
「天才ですよ、マジで」
青山がため息をつく。
「なんで死んだんだか、ほんとに。これから追い付き追い越そうとしてたのに」
「ーーーあれ、青山君て、お父さんの会社をついで、趣味でガラスをやっていくんじゃないの?」
「それ、隼人が言ったの?」
青山の目がいたずらっぽく見開かれる。
「俺ね、天才タイプのライバルには、必死で頑張ってるとこ見せないようにしてるんだ。会社の相続権なんて、とっくの昔に放棄した。
先生のオーブを見たその日にね」
どうやら目の前の何もかもに恵まれて生まれたような青年にも、闘志や邪心が生まれたらしい。
それだけ咲楽の作品には、人を惹き付け人生を根こそぎ変えてしまうような魅力があるのだろう。
琴子はもう一度ガラスの噴水を見た。
勢いよく飛び出したり、そこから漏れて力なく落ちたり、滴同士がぶつかって弾けたり、ぐるぐると渦を巻いたり、水の表現が多種多様で、本当にいつまでも見ていられる。
美しいという形容詞では語れない。そこには躍動、衝突、静粛、すべてが揃っていた。
「あれ?」
作品の中央に小さな窪みが空いている。
「これも来月のガラスコンクールに出す予定だったんですよ。入賞間違いなかったのにな」
振り向くといつのまにか青山が後ろにいた。
「出してあげればいいじゃないですか。死んでしまったら出せないんですか?」
「出せないことはないですけど」
青山が作品の棚に回り込み、何やらごそごそしている。
「この作品、未完成なんですよ。裏に電池が入ってて、何かしらの仕掛けをつけるみたいだったんですけど、スイッチも見当たらないし。
作品名さえわからないんです。
一応プレートはあったんですけど、イメージと重ならなくて」
彼が取り出したトレイには、銀色のプレートと小さなガラス細工が入っていた。
プレートに文字が刻まれている。
心友
それを読んだ琴子が首を傾げる。
「ね。ピンとこないでしょ。
だからこの作品は永遠に未完成のままなんです」
琴子は小さなガラス細工を手にした。
「何これ、かわいい。」
握ってしまえば手のひらにすっぽり隠れてしまうほどの小さな女の子だった。
足を開いて立ち、両手を広げてニコニコ笑っている。
くるくる回してみてみる。赤い靴とは対照的に靴底が黒い。磁石のようだ。
「あ、もしかして」
琴子は言いながら、噴水の真ん中の黒い窪みに入れる。二つの足がぴったり中央の穴にはまった。
「おおー!これは!」
青山も素直に感動している。
「モーセ!」
二人同時に叫んだ。
中央に両手を広げた人物を置くだけで、その噴水は、逃亡するユダヤ人のために左右に分けられた大海原に変わった。
ただかわいかった女の子が、水の中でキラキラと輝いている。
両手を広げ背伸びをして、強い信念と神に与えられし不思議な力で民を導いたモーセに姿を変えた。
「あれ?」
水しぶきの中に赤色が見えた気がした。
がすぐにまた青色に戻る。
いや、また赤に光る。
「ちょっと、カーテン閉めてもらっていいですか?」
「遮光だから真っ暗になりますよ?」
「お願いします!」
青山がカーテンを引くと、噴水は、赤や黄色、青に光だした。
「綺麗」
琴子はガラス細工の女の子同様、噴水を包むように手をかざした。
「あ、これ」青山が呟く。
「目の前の公園の噴水、クリスマスシーズンだけ、夜、イルミネーションで光るんですよ。その光にそっくりだ」
「へえ」
琴子は、電気を消した暗闇の中、噴水のイルミネーションを一人見つめる櫻井を想像した。
これが公園の噴水で、季節は冬で、時刻は夜で、それならこの女の子は誰なのだろう。
正面からよく見てみると、女の子は背伸びをしているのではなく、高いハイヒールを履いているのに気がつく。
あれ、このハイヒールどこかで見たことあるような。
琴子は真っ赤なハイヒールを見つめた。
コツーン、コツーンーーー。
松が岬署の廊下。ヒールを鳴らして去っていったあの人。
夜、イルミネーション、ハイヒール、絶望の海を分け、希望を出現させた人物。
琴子は銀のプレートをもう一度見つめた。
ーーー飲みに誘われたけど、ドタキャンされて。
ーーー夜は用事がありますが。昔の友人と。
そうか。櫻井はあのボロボロの夜、ここから見たんだ。
自分を心配して駆けつけて来てくれた、彼女の姿を。
琴子は走り出した。
あの人だ。
最初からあの人に、話を聞くべきだったんだ。
櫻井秀人の“心友”に。