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馴染みのある匂いがする。ほんのり甘い蜂蜜のような匂い。大好きな匂いだったはずなのに思い出せない。
もやもやとする気持ちを入れ替えるように空を見上げる。空は雲一つない快晴で綺麗な青が澄み渡っていた。
晴だ。晴の匂いだ。桜だ。
馴染みのある匂いの正体をはっと思い出す。
無事もやもやも晴れ、匂いに釣られるように歩き出す。
足を止めた先には自身より何倍も大きい木がどっしりと佇んでいた。
威圧感すら感じるそれには満開とまではいかないが、飾り付けるようにまだらに桜が咲いている。
もうそんな季節になったのか、とぼんやり考えていると一際強い風が通り抜けた。少し冷たい、冬の名残を感じる風。
先程よりも強く匂いを感じ、この場にはいない彼のことを思い出す。
桜の匂いで彼を思い出すなんてどうかしてる。だってそんなの彼のことが好きすぎると言ってるようなものだ。
好きじゃない、と否定したかった。しかし肺いっぱいに取り込んだ桜の匂いのせいでそうはいかない。
辺り一面に漂うほんのり甘い匂いのせいで、まるで彼に抱きしめられているかのような錯覚に陥ってしまう。
ずるい。
まだ春は始まったばかりなのに。
桜なんてどこにでも咲いているのに。
これからもっと多くの桜が咲き誇るのに。
これから桜を見る度に彼のことを、今日のことを思い出してしまう。
彼にとっては桜なんて一年中故郷に咲いている花でしかないのに。
俺はこれからずっと桜を見る度に彼のことを思い出してしまうんだ。
少し恥ずかしいような、嬉しいような気持ちがぐちゃぐちゃに混ざり合い、頭の中が彼でいっぱいになる。
早く帰ろう。帰って、桜が咲いていたことを報告しよう。匂いもしたって。
どんな反応するかな。
嬉しいかな、それともすっかり慣れてしまった匂いにうんざりするかな。
もう少ししたらお花見もしたっていい。
そんなことを考えながら、少し急ぎ足で家に向かった。
少し高揚した気分を落ち着かせるように、再び、冬の残る冷たい風が通り抜けた。
彼らの幸せを祈るように、ひらりひらりと一つの花びらが舞い降りた。