テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
255
猫まんま
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
【午前零時、悪魔は微笑む―悪魔執事と黒い猫 短編集―】
※当方🫖最推しの新規の為、今後他キャラに焦点を当てる際、口調などの解釈違いが生まれる可能性があります。
眠れない夜だった。
窓の外では、静かな雨が降っている。
時計の針は午前零時を回っていた。
館の中はしんと静まり返っていて、自分の足音だけがやけに大きく響く。
眠ろうとはした。
けれど、目を閉じるほど頭の中が騒がしくなる。
考えなくていいことばかり浮かんで、息が詰まった。
結局、諦めるようにベッドを抜け出した。
廊下へ出ると、薄暗いランプの灯りが床を淡く照らしていた。
遠くで雨音が響いている。
そのまま宛てもなく歩いていると、不意に香りがした。
紅茶の匂いだ。
「……主様?」
低く穏やかな声。
顔を上げると、廊下の先にベリアン・クライアンが立っていた。
黒い手袋。整った燕尾服。
片手にはティーカップの乗った銀盆。
まるで最初から、ここにいることを知っていたみたいだった。
「こんな時間にどうされたのですか」
「……眠れなくて」
そう答えると、ベリアンは小さく目を細めた。
「左様でございましたか」
責めるでもなく、驚くでもなく。
ただ静かに受け止める声だった。
「少し、温かいものでもいかがです?」
断る理由もなく頷くと、ベリアンは「こちらへ」と微笑む。
案内されたのは、小さな談話室だった。
蝋燭の火が揺れている。
窓を叩く雨音が、やけに近い。
椅子へ腰掛けると、ベリアンは丁寧な手付きで紅茶を置いた。
「カモミールです。眠れない夜によく効きますよ」
「……ベリアンも起きてたんだ」
「ええ。執事ですので」
ふ、と柔らかく笑う。
その笑顔は完璧だった。
けれど、完璧すぎて時々怖くなる。
カップへ口をつける。
優しい温度が喉を落ちていった。
「……ベリアンって、ちゃんと寝てるの?」
ぽつりと聞くと、彼は一瞬だけ瞬きをした。
「どうしてそのようなことを?」
「いや……いつ見ても起きてるから」
朝も、昼も、夜も。
いつだって彼はそこにいる。
疲れた顔なんて、一度も見たことがなかった。
ベリアンは少し考えるように視線を伏せ、それから穏やかに笑った。
「ご安心ください。必要な休息は取っております」
綺麗な答えだった。
綺麗すぎるほどに。
窓の外で雨が強くなる。
沈黙が落ちた。
けれど不思議と居心地は悪くない。
静かな空間だった。
「……主様」
名前を呼ばれる。
「最近、少し無理をなさっているでしょう」
どきりとした。
「そんなこと」
「ございますよ」
優しい声だった。
だから余計に逃げられない。
「食事の量も減っておりましたし、睡眠時間も短い。ここ数日は笑う回数まで少なくなっておりました」
見過ぎだ。
そう思うくらい、彼はよく見ている。
カップを持つ指に力が入る。
「……別に、大したことじゃないから」
「主様にとって“大したことではない”ものでも」
ベリアンは静かに言った。
「積み重なれば、人は壊れてしまいます」
蝋燭の火が揺れる。
赤い瞳がこちらを見つめていた。
逃げ場のない色だった。
「……壊れたりしないよ」
「では、どうして泣きそうなお顔をなさるのです?」
息が止まる。
そんな顔をしていた自覚なんてなかった。
慌てて俯く。
視界が少し滲んでいた。
「申し訳ありません」
ベリアンの声が落ちる。
「責めたいわけではないのです。ただ、私は……」
そこで言葉が途切れた。
珍しいと思った。
彼が言葉を迷うなんて。
そっと顔を上げる。
ベリアンは微笑んでいた。
いつものように。
けれど、その奥に何か酷く暗いものが見えた気がした。
「主様が苦しんでいるのを、見過ごしたくないのです」
静かな声だった。
雨音だけが部屋を満たしている。
「……ベリアンはさ」
「はい」
「なんでそんなに優しいの」
聞いた瞬間、彼は少しだけ目を見開いた。
それから困ったように笑う。
「優しくなどありませんよ」
「優しいよ」
「いいえ」
きっぱり否定される。
けれど、その声音はどこか寂しかった。
「私は執事ですから。主様をお支えするのは当然のことです」
「でも」
「……もし」
ベリアンが遮る。
赤い瞳が揺れていた。
「もし、主様が壊れてしまったら」
低い声。
「私はきっと、正気ではいられません」
一瞬、空気が凍った気がした。
ぞくり、と背筋が震える。
なのに不思議と怖くなかった。
彼はすぐに微笑み直す。
「おや、失礼しました。少々重たい話でしたね」
何事もなかったように紅茶を注ぎ足す姿は、いつもの完璧な執事そのものだった。
けれど。
さっきの言葉だけが、静かに胸へ残っている。
雨はまだ降っていた。
窓の外は真っ暗だ。
この館には、きっと秘密がたくさんある。
誰にも言えない感情も。
壊れそうなほど重たい想いも。
全部、静かに隠されたまま。
「主様」
ベリアンが穏やかに微笑む。
「今夜は、眠れそうですか?」
その問いにすぐ答えられなくて。
ただ、少しだけ。
ここへ来た時より呼吸が楽になっていることに気付いた。
「……うん」
そう返すと、ベリアンは満足そうに目を細めた。
蝋燭の火が揺れる。
午前零時。
悪魔は静かに微笑んでいた。