30歳から始まる音楽生活。女神さま付き

「……はは、MIUさん相変わらずですね」
俺はがっしりと背中にまわされた2本の太い腕をほどきながらそう言った。

派手なピンク色のパーマにマッチョな長身。

一見ドラァグクイーンと見間違うこの人はMIU(みう)さん。

今日のライブの主催者でイベント会社”シルク”の社長でもある。

上京して初めてライブをした時に出会い、それから俺の事を色々と気にかけてくれる尊敬する人物だ。

主催者とはそのライブを取りまとめるいわゆる代表で、企画を決め、ライブハウスを決め、出演者を集め、時間やお金の管理も行う。

その日のライブが良いライブになるか、普通のライブで終わるかは、出演者はもちろんだが主催者の力量も大きく影響する。MIUさんが主催するイベントはどれも内容がしっかりしており毎回出演者のレベルも高い。

通常はアーティストに対してファンがつくものだが、MIUさんの場合は主催するイベントやMIUさん自身に対してファンが付いているくらいだ。

「てつやちゃん。今日は出演OKしてくれてありがとうね。もうチュウしちゃいたいぐらい感激よー！！」

「うおっと！……はは、いつもお世話になっているMIUさんの頼みですから。もちろんですよ」

俺は熱い口づけをかわしながら若干引きつった笑顔でそう答えた。

「んもう。てつやちゃんたらつれないわねー。でも良かったわ。今日はどうしてもてつやちゃんに出て欲しかったの」

「どうしてもって、今日何かあるんですか？」

「んふふ。実はねー」

MIUさんがそう言いかけた時だった。

「すごーい！楽器がめっちゃ沢山ある！なーなー！これ触っていいん！？」

「こ、こら！それはライブハウスのだから触っちゃだめだ！」

自分で聞いておきながら答えを待つ事なく触ろうとするあおいの腕を俺は慌てて掴んだ。

「あら？てつやちゃんその子は？」

「あ、ああ。この子は親戚の子であおいって言います。どうしてもライブが見たいって無理矢理ついて来てしまって。すみません。大人しくさせときますので」

そう言った時だった。

MIUさんの目がキラーンと音を立てて光った気がした。

「んまあー！！なぁんて素敵な子なの！！わたしのレーダーがビンビンに反応してるわ！！てつやちゃん！！この子ちょっとかしてくれない！？」

「なにこの人。めっちゃ面白い。うちも髪型まねするー」

あおいはそう言ってMIUさんのピンク色のパーマと同じように髪をくるくるしている。

「え、ええ。あおいがいいなら僕は全然大丈夫ですけど」

「んまあ。ありがとう。あおいちゅわーん。こっちへいらっしゃい」

「はーい」

MIUさんがクネクネと腰を振りながら楽屋の奥にある鏡の方へ行く後ろを、あおいもぎこちなく腰を動かしついていった。

ーーふぅ。やっと子守から解放された。

思えば昨日からずっとあおいと一緒だったので一人になるのは久しぶりな気がする。

何やらキャッキャしながら楽屋に置いてある衣装を当てている二人を遠目に見つつ、近くの椅子に座り首をポキポキと鳴らしながら今日歌う曲を聴いておこうとスマホを取り出した時だった。

「ねえ」

ん？

声の方を見ると、床に座ってギターを持った赤いロングヘアの少女が、イヤホンを片耳だけ外しながら鋭い目つきでこちらを見ていた。

「あの子、あんたの彼女？わたしの集中の邪魔なんだけど。言っておくけど、わたしは一つ一つのライブに真剣なの。MIUさんのお気に入りだか何だか知らないけど、遊び半分でここに来たなら今すぐ帰って」

ーーカチン

なんだこの女？

初対面の相手に普通ここまで言うか？

しかも絶対10代だろ？年下のくせになんだその口の利き方は？ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって。てめーみたいな女とは頼まれても絶対に付き合ってやらねー。あー絶対付き合ってやらねーからな。あっかんべーだ。

俺は心の中でこれでもかと言うぐらい目の前の少女を罵倒しながら答えた。

「ご、ごめんねー、うちのあおいが騒がしくて。ただもうちょっと言い方ってあるんじゃないかなー？きみまだ若いよね？そんなんじゃこの先苦労するよー。はははー」

俺は精一杯感情を抑えながら引きつった笑みを浮かべた。

すると彼女はこちらに向けていた顔をふせ、外したイヤホンを耳に戻しながらぼそっとこう言った。

「……いい歳した大人のくせに随分と器が小さいのね」

ーーブチッ

血管が切れる音がした。

ダメだ。イライラが止められない。俺がもしタバコを吸う人間なら3本ぐらいまとめていっぺんに吸いたい気分だ。

抑えきれない感情が貧乏ゆすりと言う形で出てしまっていた。

するとそんな様子に気づいたのかMIUさんがこっちの方へやってきた。

「あら。早速仲良くやってるのねー」

『どこがですか！！』

ハモってしまった。

「あらあら。やっぱり仲良しじゃない。てつやちゃん、紹介するわ。この子は枚方しらべちゃん。3ヶ月程前にたまたまストリートライブをしているのを見かけて思わず声をかけちゃったの。こーんなにキュートな見た目からは想像も出来ないくらいに力強い歌声とハードなギタープレイなのよ。てつやちゃん、仲良くしてあげてね」

ストリートライブとは街中や路上でゲリラ的に歌ったりする事だ。以前はコブ○ロや○ずのおかげで一種の文化的な勢いがあったが、最近はやる人数も増えたせいかマナーの悪い連中が現れ規制も厳しくなり、警察とのいたちごっこになる事も珍しくない。

MIUさんはこんなキャラクターだが、こと音楽の事となるとかなりハッキリ言うタイプで簡単には人を褒めない。だからMIUさんにここまで言わせるなんてよっぽどの実力なのだろうと思った。

ーーしかし、それとこれとは話しは別だ。

「まあ、MIUさんが言うなら仲良くはしますよ。ただ向こうにもその意思があれば、ですけどね」

「ふん。そのセリフ、そっくりそのままお返しするわ」

俺としらべの間に見えない稲妻が走る。

犬猿の仲とはこうゆう事を言うのだろうと、そう思った時だった。

「とうっ！」

「きゃっ！」

あおいが急にしらべに抱きついたのだ。

「しらべちゃんっ。うちあおいってゆうねん。仲良くしてな」

そう言ってニヘっとした笑顔でしらべの方を見た。

恐らくMIUさんに髪型を整えて貰ったんだろう。ほのかに香る柚子のヘアオイルで、元々綺麗だった髪がより一層輝いている。

「な、ななななにするのよ！？急に抱きつくなんて！それにあなたそいつの彼女なんでしょ！？そんな奴の彼女となんて絶対に仲良くしないわ！」

変な誤解が入っているが、会って早々ここまで嫌われるのも少し悲しい気がする。

「かのじょ？うちはてつやの……えーっと、しんせき？やで」

「しんせき？なんで親戚がこんな所にいるのよ？」

そう言って俺の方を睨んだ。

「社会見学だよ。今うちで預かっていてライブが見たいって言うから連れて来ただけだ。邪魔だって言うんなら外に出ているよ。あおい。行くぞ」

「うん。しらべちゃん。歌楽しみにしてるな」

「ふ、ふん。せいぜい驚くといいわ」

あおいなりの気づかいだったのだろう。外見や中身は幼く見えてもやはり女神様なだけはある。

まあ俺も大人気なかったな。リハーサルが終わったらジュースでも買ってやるか。そう思いながら楽屋のドアに手をかけ、俺とあおいはフロアの方へと向かった。

♢

「うそ！！」

リハーサルを終え、あおいと一緒に楽屋でジュースを飲んでいる時だった。

MIUさんがスマホの画面を見てそう叫んだ。

「何かあったんですか？」

「てつやちゃん！今日出演するはずだった子から体調が悪いからキャンセルしたいってラインが入ったの」

「今ですか！？」

そう言って時計を見たら時刻は16:00を指していた。

本番は18:00からだ。

「確か今日の出演者は俺としらべと……」

そう言いながらポケットからフライヤーを取り出そうとした時

「ええ。我孫子(あびこ)ゆずるって子なんだけど……」

我孫子ゆずる。聴いた事はある。と言うか今のインディーズではかなり有名な子だ。キーボード弾き語り系のアーティスト兼ユーチューバーで、ファンも多くビジュアルも有名ファッション誌のモデルをやっているとかでかなり良いらしい。メジャーデビューも間近だと言われているが、その実かなり我が儘で扱いにくい性格だと聞く。

MIUさん、そんな子まで呼んでいたのか。

「でも本当に困ったわ。あー、どうしましょう」

MIUさんにしては珍しく取り乱していた。

「でもこんな急だと代わりのアーティストも呼べないですし、今日は2人でいくしかないんじゃないですか？我孫子ゆずるのファンの人達からのクレームは、避けられないかも知れませんが……」

俺はそう言いながらも内心では多分大丈夫だろうと思っていた。何故なら我孫子ゆずるは過去何度もこういったケースを起こしているのである。

直接は知らないが、SNSでの投稿に我孫子の出演キャンセルによるお詫び文が載せられている所を過去何度も見た。ファンの人達も、またか。と言った具合に慣れきっているのである。人によってはこんな事で怒っていては我孫子ゆずるのファン失格とまで言う始末だ。

それに、残念だがこう言った事は何も我孫子だけに限った事ではない。もちろん本当に体調が悪くどうしても出演出来ない事は人間である以上起こりうるのだが、それにしたって前日や当日の朝にはわかりそうなものである。大した理由もなく、所詮小さなイベントの一つだからといった考えでギリギリのキャンセルや連絡もなく来ないなどといったシーンを俺は過去幾度となく見てきた。

ーー致し方ない。といったテンションで俺がそう言うと、MIUさんは腕を組みしばらく考え込んだ後こう口を開いた。

「……うん。ちょうどいいわね。実は皆んなに話しがあるの。店長のけいすけ君にはもう伝えてあるんだけどね。今日のライブ、日比谷おとねさんが見に来る事になっているのよ」

「日比谷おとね！？」

しらべが思わず声を上げた。

無理もない。日比谷おとねと言えば20年前、ロックバンド”ビーチーズ”のボーカルとしてデビューし、瞬く間に音楽界のトップに登りつめた。そして今や自身で芸能プロダクションの社長もこなす芸能界でもトップクラスの大物だ。

「一ヶ月前、うちの会社に日比谷おとね本人から連絡があってね。何処からかはわからないけどわたしの人脈の広さを聞いたみたいで、費用は全て出すからわたし自身が素晴らしいと思うアーティストを3人選んでライブをして欲しいと言う依頼があったの。出演者には当日まで内緒と言う形でね」

ーーそんな事があったのか。

確かに、今回のライブ少しおかしいとは思っていた。内容を聞こうとしても詳しくは答えられないの一点張り。正直MIUさんへの信頼がなければ怪しすぎてライブを受けていなかった可能性すらある。

「しかし本当にどうしようかしら。3人でのライブと言う依頼を受けたからには、イベント会社の社長としてそれを落とす訳にはいかないわ。それに、今回のライブは日比谷おとねたっての希望よ。何としても成功させないと」

「そう、ですね……」

普段お世話になっている分、なにか力になれる事はないかとあーでもないこーでもないと頭を悩ませていると、突然楽屋に野太い声が響いた。

「あーーー！！」

MIUさんが珍しく男らしい声を出しながらこちらを見た。

いや、正確には俺ではなく俺の後ろだ。

「てつやちゃん！あおいちゃんを今日だけステージに上げて貰えないかしら！？1曲だけでもいいの！お願い！」

あおいをステージに！？

……上げて、大丈夫なのか？いや、歌わせて大丈夫なのだろうか？

俺は思考が纏まらないまま言った。

「いや、でも、MIUさんあおいの歌って聴いた事ありませんよね？それにこいつは……」

続けようとした俺の言葉を、MIUさんのはっきりと確信を持った声が遮った。

「大丈夫。実はさっきてつやちゃんのリハーサルの時、この子あなたの歌を口ずさんでいたの。それを隣で聴いて思ったわ。この子は本物よ。今まで何百人とアーティストを見てきた私が言うんだもの。信じなさい」

「で、でも……」

俺は嫌な余感がしながらもゆっくりとあおいの方を見た。

「やったーー！！うた！うた！歌えるー！MIUさん、ありがとう！！」

やはり想像した通りの反応だ。

しかし、これだけは絶対に聞いておかなければならない事がある。

俺はあおいの耳元で囁いた。

「……おい。歌ってもいいが、女神の力とやらはどこまで使えるんだ？まさかお前の歌を聴くと魂が抜けるとか思考が停止するなんて事はないよな？」

若干悪魔かなにかと勘違いしてる気もするが、そんな事を気にしてる場合ではない。

「そんなん使えへんよ。うちてつやが思ってる様な凄い力とか何も使われへんよ」

あおいが同じく耳元でそう囁くと、それを聞いてホッと胸を撫で下ろした。

「そうなのか。……よし！ならいいか！せいぜい楽しんで歌ってこい！」

「うん！」

俺はあおいの背中をポンと叩くと真っ直ぐMIUさんの方を向いた。

「本人も喜んでますし、あおいで良かったら使ってやって下さい。」

「てつやちゃん、ありがとう！！チュー！！」

「うおっと！！」

若干のデジャヴを感じつつもMIUさんの熱い口づけをかわした。

「ちっ。じゃあ、あおいちゃん。歌は何を歌う？急だし、曲名を教えてくれたら歌詞とカラオケ音源は私が用意するわ。本番でも見て大丈夫だから安心してね」

MIUさんのその言葉を聞いて俺は一度撫で下ろした胸が再び熱くなるのを感じた。

そうだ。人間界に来たばかりのあおいに歌える歌なんてあるはずがないんだ。

どうする？残念がるだろうがそれとなく理由を作って断るしかないのか？

そう言おうとした時だった。

「うちてつやのPROMISEがいい」

ーー！？

「PROMISE！？あ、あおい！いったいどこで！？」

PROMISE(プロミス)は俺のオリジナル曲だ。

昔ある人と一緒に作った初めてのオリジナル曲で、今日歌う予定だった3曲のうちの一つ。俺の一番思い入れのある曲だ。

「ん？どこでって、さっきてつやが歌ってたやん。うちいい曲やなーって思って聴いててん。あ、名前は紙に書いてたのん見てんで。歌詞も見んくても大丈夫やで」

あおいはそう笑顔で答えた。

ーーうそだろ？

確かにリハーサルでフルで歌いはしたが、それをあんな一瞬で覚えたって言うのか？歌詞まで一緒に？これが音楽の女神様って訳なのか……？

通常リハーサルで1曲を丸々歌う人はあまり居ない。少しだけで確認は出来るし、フルで歌ってしまうと喉が疲れてしまうのとリハーサルの時間が限られている為だ。しかし俺はその日の喉の調子や細かい部分まで突き詰めたい性格の為、いつもライブの時は時間が許されれば最後まで歌ってチェックしている。今日もMIUさんに言ってフルで時間を貰った。

曲名はきっと俺が用紙に書いていたのを見ていたのだろう。ライブハウスごとに決められている規定の用紙に曲順やMCを挟むタイミング、照明のイメージや細かい要望などを書いてスタッフさんに渡してからがリハーサル開始となる。

俺は鳥肌が止まらなかった。

「……わかった。MIUさん、その曲なら俺が音源を持っています。歌詞もいらないみたいなので大丈夫です」

「さすがね。あおいちゃん、てつやちゃん、本当にありがとう」

「よし！今日のライブ何としても成功させるわよ！！」

「はいっ！」

「うん！」