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〜第4話〜
薄暗い舞台袖。そこは、暗闇というよりは青い影みたいな色をしていた。
照明さんの調整用のライトが、ゆっくり呼吸するみたいに明滅していて、その光だけが俺たちを柔らかく照らしていた。
壁を一枚だけ挟んだすぐそこが、俺らのステージ。
客席はすでにざわついていて、熱気を帯びていた。跳ねるような歓声と、拍手と。その全部が波になって、薄い幕の向こうで波打っている。
俺はギターを抱えたまま、深く息を吐いた。
ギターのストラップが汗で少しだけ軋む。照明の赤と青が混ざった切れ目が足元に落ちて、それを見るだけで胸の奥が震えた。
涼ちゃんの方を見ると、マイクを両手で包むように持っていた。落ち着いているようにも見えるけど、その指先がかすかに揺れている。
若井は、身体をほぐすように肩を揺らしていたけど、いつもより少し動きが固い。足先だけがバンドマンらしくリズムを刻んでいて、そのアンバランスさが彼の緊張を物語っていた。
三人とも無言。
でも、この前までの気まずさとは違う。音を出す前の「緊張」が静かに満ちていって、身がすくむ。けど…美しい時間だった。
その時、会場の照明が一瞬だけ落ちた。客席の歓声が弾ける。
…いよいよだ。
そう思うと、喉がひゅっと狭くなって、呼吸も浅くなった。と同時に、
「…緊張、してる?」
涼ちゃんが呟いた。
声は落ち着いていたけれど、その指先の震えがさっきよりも大きくなっていた。
「…まぁな」
若井が無理に笑顔を作ったけど、すぐに息がふっと漏れた。ある意味、心からの笑顔よりも生々しい。
涼ちゃんは、息を大きく吸って、言った。
「だよね。…でもさ。俺たち、ここまで来れたじゃん。三人で」
その言葉に、胸の奥をぎゅっと掴まれた気がした。スタジオでぶつかったのも、言い合いも、空気が冷たくなった夜も。その全てが、この一言で綺麗に繋がる気がした。
俺が、返事の代わりにギターのネックを握り直すと、 若井がぽつりと言った。
「…ライブ、ちゃんと楽しもうな。どんな景色でも」
再度、場に沈黙が落ちる。舞台袖の空気が、息を潜めるみたいに静かになった。
客席から波のように歓声が押し寄せ、 ステージの照明が一段明るくなる。
…スタッフが、親指を立てた。
「行ける」の合図。
若井が手を差し出した。
「…最後、ハイタッチしない?」
「うん」
涼ちゃんがその上に手を重ねる。俺も迷わず、そっと触れた。三人の手が重なった場所だけが温度が確かで、それが、不思議と心臓の震えを落ち着かせた。…手の温もりと一緒に、三人の心も優しく寄り添えた気がしたから。
「行こう」
涼ちゃんの声は震えていたけど、もう迷ってはいなかった。
「おう」
若井が、今度はちゃんと笑った。そして俺も、息を整えて言った。
「…うん。行こう」
幕の端がほんの少しだけ揺れて、白い照明が流れ込んでくる。ステージの床の反射が眩しいほどに広がり、その光に飲み込まれそうになる。
…でも、もう逃げない。
俺たちは、三人並んで、同時に前へ踏み出した。
「盛り上がってますかー!!」
真夏の夜空の下。
今日も俺たちは音で遊んでいた。
ドラムも、ベースも、キーボードも、ギターも。それぞれが、自由に、全力で演奏している。そこに俺の声が重なる。…それはもう、震えていなかった。
左右を見れば二人がいる。二人が楽しそうに弾いている。それだけで十分だった。
今はただ、 音楽を楽しめているから。
「次の曲は…」
二人に、これまでの感謝を込めて。
「ニュー・マイ・ノーマルです!!」
―――『ニュー・マイ・ノーマル』 完