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先が見えないほど広大で、何もない大地。魂の底まで冷えきり、吐く息は白く砕け、細かな氷の結晶となって宙に舞った。どこまでも独り。血に塗れた姿のまま、ただ彷徨う。


                       ⋯⋯ゼト⋯⋯


    何かが俺を呼んでいる。

逆らえないと本能に刻み込まれるような、恐ろしいく、力強い低音で。

でも、なぜか…俺を柔らかく包み込むような、凍った心に染み渡る静かで甘美な響きがあった。


                   ⋯⋯ゼトリオス⋯⋯


    個を示す名など、俺には存在しないはずだ。

人と魔族の戦場を渡り歩き、殺戮の限りを尽くしてきたこの俺に―名を呼び、想う者などいるわけがない。

それなのに、駆け出したい。

その名を呼ぶ者のもとへ、今すぐにでも飛び込んでしまいたい。


                  ⋯⋯死ぬな、ゼト⋯⋯


    分からない。

俺の胸を締め付けるほどに悲しい声で、懇願するように――死なないでくれ、と。

俺にとって、世界はどうでもよかった。

死すら、その例外ではなかった。

“死んでくれ”と望む者は、数えきれないほどいた。

だが、“死なないでくれ”と願う者は、一人として存在しなかったはずなのに。


          【⋯俺を呼ぶお前は一体、誰だ⋯】









「起きろ!いつまで寝てやがんだ?兵器の分際で!!」


    鈍い衝撃が体を貫き、失っていた意識が無理やり戻される。

泥にまみれ、地面に転がる俺を見下ろしているのは、帝国の兵士だ。


「な、なんだよ…?兵器の分際で文句あんのかよ!」


    俺の目を覗き込んだ瞬間、兵士の顔が怯えに歪む。

強がりの悪態を吐きながらも、背を向けると落ち着きなく足早に立ち去っていった。

―⋯いつものことだ。


    帝国の人間は俺たちを“兵器”と呼び、逆らえないと分かっているから好き勝手に扱う。

だが、それは強がりだ。

心の底では、誰よりも俺たちに怯えている。


    いつ牙を剥くか分からない。

自分たちの喉元を、いつ絶たれるかわからない。

俺たちの脅威を一番理解しているのは、他でもない帝国の人間たちだ。



    何百年も続く人間と魔族の大戦争に疲弊したレジギアード帝国は、魔族を屠るためだけに特化した“新たな人間”を作り上げた。

幼い子供を集め、人体改造を施したのだ。


    魔族と対等に戦えるように。

魔族を上回る力を振るえるように。

だが人知を逸脱した力に、子供の身体が耐えられるはずがない。

二、三年も生きられない。

十歳で戦場に投入され、十五歳を迎えずに死ぬ。


    それが帝国の開発した―

【自立型殺戮戦闘兵器《オルーサ》】

に定められた宿命。

⋯そのはずだった。


    だというのに、俺は異例の十五歳を迎えている。


    人間も魔族も区別なく殺してしまう“欠陥”と、常に、手の届かないほど遥か遠い彼方から、誰かに呼ばれている――

そんな奇妙な感覚を持つことを除けば。


    俺はどんな殺戮兵器よりも優れている、帝国の“最高傑作”だった。








    いつもと変わらず、今日もまた戦場に立つ。

張り詰めた空気は、もはや安心感すら覚えるほど馴染んだものだ。

だが―今日は違った。

いつもなら嘲るような薄笑いを浮かべている帝国兵の顔付きも、戦場を支配する空気も、どこかざわつき、胸の奥を不気味に騒がせる。


    開戦を告げるかのように、帝国兵が魔族の攻撃魔法で吹き飛んだ。

静まり返っていた戦場は一転し、堰を切ったように咆哮と断末魔で満ちていく。


    考えるよりも先に、身体が駆け出した。

目の前の敵を排除するためだけに生まれてきたかのように。

いつもなら近くにいる人間も魔族も、区別なくすべて殲滅してから敵陣へ向かうはずだった。


――なのに、今日は違う


    何かに引き寄せられるように、人間も魔族も飛び越え、一直線に走る。


    初めて知る“息が切れる”という感覚。

今まで感じたことのない、自分の心臓の鼓動。

俺の向かうその先に――敵の本陣に、俺の全てがあると確信していた。






    視線が奪われた。呼吸が止まった。


    敵陣の最奥。

死そのものを統べるように佇む、ただ一人の魔族。


    風に揺れる闇を抱いたような黒髪。

雪原に咲いた血の華のように赫く燃える双碑。

その魔族だけが、俺の世界の中心に残った。


    世界の音が、また消える。

胸の奥――いや、もっと深い場所が、懐かしさに似た名もない叫びを上げる。


   【⋯あれだ。あの男が⋯俺を呼んでいた⋯】


    理由は分からない。

生まれてから一度たりとも見たことのない顔だ。

だが――俺は知っていた。


        【⋯俺は、あの瞳を知っている⋯】

           【⋯あの声を、知っている⋯】


    強く足を踏み締め、一歩、あの魔族――魔王へと駆け出そうとした、その瞬間。


「―⋯ゼト」


    聞こえた。

たしかに、あの声で。


    全身が震えた。

永く凍りついていた心に、ひどく温かなものが触れた。








    刹那、魔王の斜め後ろに控えていた魔族が目に映った。

魔王を守るように一歩前へ出たその男を目にした瞬間、全身の血が煮え立つように熱く駆け巡る。


    それは明確な個への殺意であり、怒りだった。

無意識に開いた口が、自分でも理解できない言葉を吐き出す。


「その御方の隣に立っていいのは――その御方を御守りできるのは、この俺だけだ⋯!!!」


    魂が唸り、魂が吼える。

気づけば、距離は瞬きよりも早く詰まっていた。

俺はその魔族の首めがけて、迷いなく刃を振り下ろす。


    理性はとうに手放していた。

ただ“排除する”という本能だけが俺を突き動かす。

誰の声も、何の音も届くはずがなかった。


――はずなのに。


「その男を殺すな。ゼト」


    聞こえた。

どうしてか、俺にははっきりと。


    理解など及ばない。

渾身の力で振り下ろした刃を止めれるはずがない。

だが次の瞬間、まるで反射よりも先に魂が動いたかのように、俺はその魔族の首に防護結界を張っていた。


    甲高い音を立てて、剣の刃が折れる。

砕けた金属片が宙を舞い、魔王の方へと飛ぶ。

それでも魔王は微動だにしない。


    魔族の男よりも先に、俺が魔王へ防護結界を展開していたからだ。


    本来なら帝国が悲願として作り上げた“魔王を殺す兵器”である俺が――その魔王を護った。


    思考も、感情も、理屈も追いつかない。

すべてが俺の理解を超えていた。



    “伝えろ”と、誰かが訴える。

この胸の奥ではない、もっと深い場所から。

開いた口は何を告げようとしているのか。

俺自身がいちばんわからない。


    足元が揺らぎ、視界がぼやける。


「ゼトリオス!」


    名を呼ぶ声。

ほんのわずかに焦りを含んだ、低く温かな声。

その響きと、確かな温もりを最後に――俺の意識は闇ヘと沈んだ。








    今も、昔も―何ひとつ変わらない。

戦場で生まれ、戦場で育ったとさえ言えるほど、常に血の匂いの中に身を置き、ただ独りで生きてきた。


    欠けたまま、満たされず、飢え続けた心。

冷たい。心も、身体も、この世界のすべてが。

何を求めているのか。

誰を求めているのか。

なぜ生き続けているのかすら、分からない。


――そう。今も昔も、変わらない。



                    ⋯⋯ゼトリオス⋯⋯


    ぼやけた景色の中に、ひとつの影が立っていた。

黒より深い、漆黒の影。


    雨と血が混ざり合って地面を赤黒く染める戦場の只中で、ただ一人、揺らぎもしない存在。


    その影は、確かに俺の名を呼んだ。

忘却の中に沈んでいた魂の奥底から、呼び覚まされる、あの声。

もう、その影の正体を、俺は知っている。


――貴方が俺を呼ぶためだけの、俺に与えた名前。

貴方だけが、呼ぶことを許される名前。


    命令されることを嫌い、誰の下にもつかず、仲間という概念すら拒んでいた俺を、唯一従わせた男。

己の声だけを聞かせ、己の傍にしか立たせず、己だけに跪くように――俺のすべてを捧げさせた男。


    貴方の隣に立つのは俺だけでいい。

俺だけでなければならない。

そう思わせたのは、他ならぬ魔王本人だ。


    執着も、依存も、狂気すらも。

この胸に根づいたすべての異常は、貴方が植えつけたもの。

そう仕向けられていることは、わかっていた。


――それでもよかった。

その異常さえ、俺を満たしてくれたから。


    俺は、自ら望んで魔王の手に堕ちた。

初めから、貴方のために産まれてきたのだと――そう錯覚するほどに。




    黒を基調に、暗赤と金が違めく寝室。

帝国に生まれてから、一度も見たことのない豪華さで満ちているのに――なのに、魂の奥底に刻まれた懐かしさを伴う、異様な居心地の良さ。


    閉ざされた天幕の下、二人の男は身体も心も完全に絡み合う。

魔王の手が、指先が、腰が――俺のすべてを支配するたび、理性は紛々に砕かれ、存在の輪郭は溶け落ちる。

愛おしく、狂おしい男が、何度も俺の名を呼ぶ。

呼ばれるたび、血が煮えたぎり、冷え切った感覚の隅々まで温度が染み渡る。


    身体をねじ伏せられ、知らぬ快楽が全身を貫き、 戦場では決して味わえなかった感覚に溺れる。

くみしだかれ、見下ろされ、男としての尊厳は踏みにじられるのに――この男にされるのは嫌ではない。

むしろ、魂が歓喜し、渇望の炎が体中で燃え上がる。

この男だけが、俺のすべてを掲望させ、俺またこの男だけを求める。


――すべてを掌握する男が、唯一渇望するのは俺の存在。


    唇が重なるたび、世界が濃密に歪む。

名前を呼ぶ声が耳を焼き、体の奥で熱と渇きが絡み合い、溺れるように身体が震える。

魂の奥底に眠る記憶が、戦場の血の匂いや死の記憶

と溶け合い、輪廻のように蘇る。


    どんな戦場でも、汗ひとつかかず、息も乱さない。

すべてを滅ぼす力を持つ俺と貴方。

しかし――この寝室で、貴方の前に立つとき、そして俺が貴方を前にするとき、すべてが熱と狂気に塗り替えられ、理性は粉々に崩れる。


    冷えきった体が、熱を帯び、煮えたぎるマグマのように身体の奥で膨れ上がる。

吐き出す術も、逃れる術もない。

ただ――その熱を与える男に、全てを委ね、縫りつくしかない。


    貴方の指先も、唇も、視線も、全てが俺だけを食る。

俺の名前を呼ぶその声に、全ての記憶が溶け、魂まで蕩け落ちる。








    胸の奥に広がる幸せの温もりに触れようとした次の瞬間、それは跡形もなく消え去った。


    触れる前に砕け散った幻のように、完全に消えた。

指先に残っていた熱も、唇に残った残響も、胸に宿った鼓動の余韻も――すべてが霧散して掴めない。


    戦場で兵器として生きていたあの頃の冷たさ――いや、あれ以上だ。

“知らなかった”頃は、まだマシだった。

氷の心は、どれだけ折れても痛みを知らなかった


    だが今は違う。

一度、温かさを知ってしまった。

名を呼ばれ、抱かれ、満たされるという感覚を知ってしまった。


“温かさを失った虚無は、かつての冷たさを凌駕する凶器”になるということを。



    視界に映る戦場は、より鮮明で残酷だった。

血の匂い。粉々に砕ける骨。絶叫。飛び散る肉片と血飛沫。

それら全てが、まるで俺の心の有様を映したかのように荒れ果てている。


    最前線を駆ける速度は、ずっと変わらない。

ただ敵を排除し、生き残り、前へ進むだけ。


    己以外は信用せず、邪魔と判断した者は味方ですら斬り伏せる。

行動は以前と変わらないはずなのに、今の俺は、戦場の荒野そのものの化身のようだった。


    かつての俺は空っぽだった。

あの温もりを知ってしまったからこそ、心の冷たさが逆に研ぎ澄まされる。

感情も痛みも、渇望もなく、ただ命令を果たす存在。

しかし今、一度味わった幸福を失った痛みが、冷酷さを狂気に変えた。


    だが心の奥底では、かつて抱いた幸福の記憶が毒となり、熱く蠢く。

それは理性を蝕み、快楽と渇望と殺意を混濁させる。


    温もりを知った者がそれを失うと、ここまで壊れるのか――と、どこか他人事のように思えるほどに、思考は戦術的で、無慈悲に合理的だ。


    俺は、温もりを与えてくれたあの男を渇望しながらも、その温もりを失った絶望で、自らを戦場の狂気に投げ込む。

奪われた熱の代わりに、血と死を手にし、冷徹に、過剰に、戦う。


    痛みと渇望が交差する胸の奥で、狂気が目を覚ます。

失われた幸福の残響が、俺をより強く、より冷たく、より破壊的にする。


    目を覚ますたび、温もりは幻。

触れた瞬間の幸福は消え去り、

代わりに心の奥深くで、戦場の凍てつく冷たさが笑っている。


    そして、願う。

何度も、何度でも。


――…もう一度、あの温もりを…――

――…もう一度、あの名を呼んでほしい…――

――…もう一度、あの腕の中へ…――


    だが願いが叶うことはなく、戦場の血の臭いの中で、

俺は一人、目を覚ます。


    壊れた心が、自分の胸を内側から掻きむしるような痛みと共に。


    温もりは夢か、記憶か。

それすら分からないほどに冷たい世界で――ただひとつだけ確かに残っているのは。


【⋯あの温もりなしでは、もう生きられない⋯】


という痛切な実感だけだった。








    いつも目覚めた直後は、凍りつくような寒気に全身を支配されるのに――今日は違った。

胸の奥まで、失ったはずの夢のような温もりが、ゆっくり染み渡る。


「どうした。ゼト。どこか痛むのか」


    聞き覚えのある低く甘い声が、頭上から降ってく る。

頼に触れた指先の熱は、柔らかく、優しく、まるで世界のすべてを包み込むかのようだった。

目尻を撫でられるその感触に、胸の奥の凍てついた部分が、少しずつ溶けていく。

夢か、幻か、現実か、境界が酷く曖昧だ。


    目を開け、少しだけ上を向く――予想通り、そこには魔王がいた。

裸の肌を晒し、無防備に横たわる男。

―今なら簡単に殺せる―そんな思考が頭をよぎる。

だが、同時に俺自身も裸だった。

なのに、危機感は一切湧かず、むしろ胸が張り裂けそうなほどの安心感が支配していた。

知らないはずの感触、知らないはずの光景なのに、俺はすべてを知っているような錯覚に陥った。


「――⋯ディアン⋯ディアンザラムハール」


    人間も魔族も、魔王の名はザラムハールと呼ぶ。

だが“ディアン”――その名は、魔王が唯一愛した者にしか呼ぶことが許されていない真の名。

どうして、帝国の【自立型殺戮戦闘兵器《オルーサ》】として作り出された俺が知っているのか――そんなことはどうでもよかった。

ずっと探していた答えが、今、目の前に現れたのだから。


    魔王は目を細め、俺をじっと見つめる。

その瞳には、恐ろしく深い愛情と、独占欲が混ざり合っていた。


「泣くな、ゼト。」

「お前が涙を流していいのは、私に抱かれている時だけだ」


    ゆっくり近づく顔。視界が熱を帯びる。

思わず目を閉じた。知らぬ間に、俺の頼には涙が流れていた。

指先で触れた唇は一瞬で離れ、胸の奥にぽっかりと空虚ができる。

寂しさ。熱と冷たさが入り混じり、心を渦巻く。


    目を開ければ、魔王の顔はすぐそばにある。

赫い瞳が、何を求めているのかを問いかける。

それを理解した瞬間、理性は不要だった。

慣れたように、無意識に――俺は己の唇を魔王の唇に重ねた。


    触れ合った唇は、ただ触れただけなのに胸の奥が焼けるように熱い。

その熱が身体の隅々まで染み込んでいき、夢でしか知らないはずの温もりが、今は確かな現実として俺を満たしていく。


    なのに――同時に、胸の奥底で別の感情が意く。

温もりを得たはずなのに、そこに影のように張り付く冷たさ。

幸福の直後に必ず訪れる”喪失の予感”。

それは毒のように、じわりと心の奥を侵食する。


    ディアンの唇が俺の唇から僅かに離れた。

距離にして指一本ほど。

なのに、触れていないその一点が焼け付くほど寂しい。


    俺は、こんな感情を抱くはずがない。

魔族を屠るための兵器として作られた俺に、“寂しさ”などという脆弱な感情は本来存在しない。

けれど、目の前の男――ディアンに関してだけは、理屈も構造も意味も全部壊れていく。


「―⋯ゼト」


    低く、深く、甘い声で名を呼ばれるたび、胸の奥に染みついた冷たさが少しだけ融ける。

それが心地よくて、同時に耐え難いほど恐ろしくなる。


――⋯また、消えてしまうのではないか⋯――

――⋯また、奪われてしまうのではないか⋯――


    夢のように温もりが消えたあの瞬間が、焼き付いた傷のように疼く。


    俺の頬を包むディアンの手は驚くほど優しい。

その優しを知ってしまったせいで、俺の中の狂気は逆に強まっていく。


――⋯この温もりが消えるくらいなら⋯――

――⋯この手を失うくらいなら⋯――


【⋯世界を焼き払ってでも守る。奪い返す⋯】


    そんな危うい決意が、静かに、しかし確実に胸に宿る。

ディアンは微かに笑って、俺の類に指を滑らせた。

深い血のような瞳が、俺の全てを見透かしている。


「その顔⋯やっと戻ったな」

「⋯⋯戻った?」

「私のゼトだという顔だ」


    心臓がひどく跳ねた。

その瞬間、俺のすべてがこの男の言葉に繋ぎ止められる。


    ディアンはさらに距離を詰め、額が触れ合うほど近づく。


「お前は私だけを見ていればいい。私だけに、泣き、笑い、震えればいい」


    囁く声が耳元で熱く溶ける。


「他の誰も要らぬ。私だけを求めていれば、それでいい」


    言葉の一つひとつが甘い鎖になり、俺の心を締め付ける。

けれど、その束縛は苦痛ではなく、ただただ快楽だった。


    そうだ。

俺はこの男に仕えるために存在する。

夢の中で何度も聞いた声。

何度も呼ばれた名。

何度も重なった唇。


    その記憶が、“狂気”と呼ばれるほどの愛情となって、俺の全身に染み込んでいる。

だから、俺は迷わず再びディアンの唇を求めた。

心が命じたのではない。

理性が判断したのでもない。


【身体そのものが、この男を欲していた】


    触れた瞬間、ふたりの呼吸が絡まり、熱が溶け合い、世界がそこだけで完結する。

心臓は跳ね、血流は沸騰する。

それでも、この熱は恐怖ではなく、幸福でもなく

――これは、狂気のような渇望だ。


――⋯もう離離さない。

――⋯二度と失わない。


    失えば、自分もまた戦場の虚無に飲み込まれる―そんな強烈な依存が、体と心を縛り付ける。

触れ、奪い、溶け合う熱の中で、俺は確かに知った。

この男を手放すくらいなら、世界そのものを焼き尽くす方がましだ――そんな黒い決意が静かに、確固として、俺の中で形になっていった。

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