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俺は屋上に出ると金網の手前の手すりにもたれて風で頬を冷やした。屋上からはビルに遮られてほんのちょっとだが東京湾の海が見える。これが俺がこの高校を選んだ理由の一つだった。ここからならいつでも海が見られる。美紅の亡骸を葬った、あの沖縄の海とつながっている海が見られる。
後ろから上履きの足音がパタパタと聞こえたと思ったら、いきなり俺の頬に冷たい濡れタオルが押し当てられた。
「いてて……それやるなら、もっとそうっと優しくできねえのかよ? だからいつまで経っても彼氏できないんだよ、おまえは」
「はん! 彼女いない歴イコール人生の長さのあんたにだけは言われたくないわよ」
それは絹子だった。こいつも同じ高校に進学したんだ。まあ滑り込みセーフの俺と違って、こいつは楽々合格したんだけど。
「ま、あんたのバカはいいかげん慣れてるから、別に驚かないけど。またやったんだって?」
「うっせーな」
「で、正義の味方君はここで何をたそがれてるわけ?」
「たそがれてるわけじゃねえよ。ただ……今ここから見てる街のどこかにいるのかな、と思ってさ。俺の新しい『をなり神』が、さ」
「ああ、あんたのお婆ちゃんが言ってたやつ?」
そう言うと絹子は急に俺から顔をそむけて妙にモジモジした口調になった。
「あの……姉でも、親戚でも、それに……恋人でもいいって話だったよね」
「ああ、お婆ちゃんはそう言ってた」
「だったらさ……意外とすごく近い所にいたりしてさ……たとえば同じ学校にいた、なんて事もさ……」
「ううん。確かにな……だとしたら、どんな子かなあ? 俺としては、可愛くておしとやかでついでにナイスバディな子だったらいいな。おい絹子、そういう子知ってたら紹介してくれないか?……って、ギャー! イテテテテ……」
最後の俺の悲鳴はさっき殴られた傷のせいじゃなかった。絹子が俺のほっぺたを思い切りつねりあげやがったからだ。そのまま絹子はくるっときびすを返して屋上から校舎へ入るドアにすたすた歩いて行く。
「て、てめえ! なに、けが人に追い打ちかけてやがんだ!」
絹子はプンスカした表情で「何でもない! フン!」と言って乱暴にドアを閉めて行ってしまった。な、何なんだ? 俺今、何かあいつを怒らせるような事言ったっけ? 全く女って生き物は訳が分からん。
海の方へ視線を戻すと、それが見えた。はるか海の彼方に七色の光に包まれた島が小さく見える。あれ以来見えるようになったんだが、どうやら俺にしか見えない物らしい。周りの連中は絹子も含めて誰もあれが見えないようだ。あれはニライカナイ。でもそれはまだはるかに遠く、俺の手の届かない所にかすかに見えるだけだ。
殴られたところの痛みがぶり返して来て、俺はそのニライカナイの遠い島影を見つめながら思った。
やれやれ、あのアマミキヨとかいう女神の言った通りだな。心正しく生きようとすれば、この人の世こそが地獄か。全くその通りだ。確かに伝説の剣を取って魔王と戦い華々しく若くして散る……そんな方がはるかに楽かもな。
この損な生き方をあと何年貫けばいいんだ? 日本人の平均寿命まで俺が生きるとして、あと六十年? いや七十年? はあ、気が遠くなりそうだ。
しかし俺は、たとえどれほど損な人生を送り、人に笑われ馬鹿にされようとこの生き方を変える気はない。いや変えるわけにはいかない。
なぜなら、それが美紅と再会するただ一つの方法なのだから。
それがニライカナイへと続く、ただ一つの道なのだから。
(終)