市役所の地下三階に、名前を決める部署がある。迷子の言葉や、呼び名の定まらない道具がここへ運ばれてくる。札にはいつも「仮称」。係の山科は、今日届いた透明袋を光にかざした。札には《バールのようなもの》とある。先端は薄く、柄は樹脂、途中に栓抜きの穴。販売名は《多目的アウトドアツール》、警察からの添え状には「侵入事件で使用の疑い」。
「救助用とも言えるし、破壊用とも言えるんだよな」隣の先輩が言う。
「名前ひとつで持ち運びの意味が変わります」山科は分度器で角度を測り、硬さを記録した。
午後、窓口に若い防災士が来た。「講習で配る予定だったんですけど、危険物扱いで止められて。正式な名前をください」
山科は袋の道具を出して机に置く。「名は責任に接続します。救助の意図を証明できますか」
男は胸ポケットから写真を見せた。倒れた戸棚、はさまれた指を浮かせるため、似た形の工具をかませている。救われた子どもの泣き顔がピースに変わる連写。
夕方、警察から別件の照会が入る。同型の道具が空き巣の現場でも見つかったという。山科はため息をのみ込んだ。ひとつの形が、全く別の行為に手を貸す。名付けは判決に似ている。だがここは裁判所ではない。社会の運用を少しだけ良くするための、仮決定の場所だ。
山科は白紙のラベルに太字で書いた。
〈用途宣言具(テコ型)〉——使用者が目的を明記し、携行の際は宣言票を貼付すること。
横に小さく追記する。〈俗称:バールのようなもの〉〈販売名の併記可〉〈救助活動での携行を推奨〉
先輩が眉を上げた。「間を置いたね」
「断定しない正確さって、たぶん市役所の仕事ですから」
窓口で防災士は宣言票に震える字で書いた。「家具転倒時の救助、戸のこじ開け(人命優先)」。押印する手が少しだけ軽くなるのが見えた。
一週間後、小さな地震があった夜、山科の机に泥のついた宣言票が届いた。裏に短いメモ。「集合住宅二〇一号、閉じた扉の向こうの老人を救出。扉は傷ついたが、命は傷つかなかった」。同封の写真には、削れた木口と、笑っていないが確かに生きている顔。
山科は記録簿の備考欄に、一行だけ書き足す。
〈名称は行為に従う。行為は宣言に従う。宣言は、書く手に従う〉
夜、定義室の蛍光灯を消すと、棚の奥で金属が微かに鳴った。呼び名を与えられた“もの”が、自分の重さを確かめる音だ。明日もまた、誰かが何かを持ってくるだろう。はっきりと言い切れない道具と、はっきり言い切れない気持ちを、少しだけ前へ進めるために。