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薄紅色の小さな花弁が
見渡す限り一面に舞っていた。
ー此処は⋯何処だろうか?ー
最初は唯々
その光景を呆然と見ていたが
背後から視線のような感覚に気付き
私は振り向く。
しかし
そこには人影すらなく
あるのは一本の大樹であった。
樹冠には無数の小さな五花を
満開に咲き誇らせている。
樹高は20mはあるだろうか?
景色には大樹と花弁以外に色が無い所為か
その美しさは妖艶と言うより
異質に映る。
斯様な花を咲かせる樹木を
私は見た事も無かった。
近付いて
そっとその樹肌に触れる。
鼻腔を擽るのは
優しく何故か懐かしい香りだ。
「卿は一体、何者かね⋯?」
自分で自ら発した言葉に
驚きを隠せなかった。
ー何故、今私はこの樹を人の様に?ー
樹肌に触れながら
解せぬ違和感に戸惑いを覚えていると
急に何かに頬を撫でられ
私の肩は跳ね上がった。
男が⋯居た。
年の功は、二十代の半ば程。
華奢な体躯を濃紺の
何処ぞの民族衣装か? に包み
驚愕で身を硬くする私を見つめる瞳は
澄んだ鳶色で何処か鬱憂を含んでいる。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
男は何か言葉を発したが
異国の言葉なのだろうか?
意味を解せずにいると
男は侘しそうに微笑み
自分の頬を人差し指でトントンと差した。
そして、気付いた。
ー私は⋯何故、泣いている?ー
男の行動から、自分の頬に触れてみると
確かにそこに涙があった。
だからと言って
見知らぬ人間の頬に無断で触れるなど
不愉快極まりなく
私はすかさず距離を取り
ハンカチで口許を覆うと男を睨む。
「⋯卿は、何者だ!?」
声を荒らげてみせても
やはり言葉が通じないのか
男は怯む様子も見せず
ただそこで先の微笑みを崩さずにいる。
それどころか
「な⋯っ!?」
何を
と、言おうとして
私の言葉は遮られた。
億さず歩みを進めてきた男に
まさか抱き締められている。
振り解こうにも
何故か力が入らない⋯。
思考もぼんやりとしてくる。
為す術なく男に抱き留められながら
霞んでいく視界
その肩越しに見える
降り頻る薄紅色の花弁
先の大樹の様な酷く懐かしい香り
ーあの大樹は、何処へ⋯?ー
いかん⋯
意識が遠のいていく⋯
舞う花弁がさらに増えていき
さながら海にでも呑み込まれるように
私の意識は押し寄せる花弁に沈みこんだ。
優しく、何処までも深く⋯
ーこのまま天に召されて
私はあの子と相見えるのであろうか?ー
可哀想な私の、愛しい弟とー⋯
何もしてくれなかった魔法士共を殲滅する前に
私は終わるのか?
否、終われない。
終わってたまるものか!
憎い魔法士共を⋯
魔法を根絶するまでは!!
気怠い意識を振り絞り
腕を力の限り延ばした。
ー私には、やり残した使命がある!ー
まだ⋯まだ私には
合わせる顔が無い。
だから⋯
「あの子に
まだ逢う訳にはいかぬのだっ!!」
ベチン!
手に何か当たる感触と
先程の海中のような
身体が沈む感覚が急に途絶え
一気に重力を帯びた私の躯は行き場を失くし
その場に倒れ込んでしまった。
「な、何が起きたというのだ⋯?」
視界も徐々に鮮明さを取り戻してくる。
ーここは⋯生徒会室?ー
設置されている暖炉からは
いつも通り薪が爆ぜる音と
心地好い温もりが空気を通して伝わる。
気が付くと
生徒会長席の椅子の横に
私は崩れ落ちていた。
ー夢でも、見ていたのか⋯?ー
「何と、夢見の悪い⋯」
安堵の一息と共に
眉間に手をやり摘むと
そう独り言ちた。
度重なる生徒会執行業務で
私は疲労の末
不覚にも寝落ちていたのであろう。
きっと、それに相違無い。
「えぇ、えぇ!夢ですよ?
今も未だですがね」
急に聞こえたその声に
度肝を抜かれる心地だった。
夢だと思っていたあの民族衣装の男が
私の後方で無様に蹲ったまま顔を押さえ
こちらを見ている。
その顔は苦痛に歪み
目には涙まで浮かべていた。
「⋯なっ!?
き、貴様どうやって
この生徒会室に紛れ込んできた!!」
ー夢の中の男が、何故に目前に居るのか?ー
そんな事よりも
神聖な場所である我が学び舎に
部外者が乱入している事に
怒りが先立っていた。
「ですから
先程も申し上げたでしょう?
〝今も未だ〟夢です⋯と」
男は袖先を叩きながら、立ち上がり
頬を押さえ直しながら満面の笑みを向けた。
先程の夢での
鬱憂を帯びた
何処か侘し気なものでは無く
それはどちらかと言うと
胡散臭いという言葉の方が似合う笑顔だ。
此奴の細い目元が
尚それを強く想わせるのだろう。
兎にも角にも信用ならない。
「若者はやはり、元気が一番ですねぇ!
良い掌底を頂いて驚きましたよ」
頬を擦りながら、男は笑っていた。
掌底?
先程の何かが
手に当たる感触を思い出す。
男の口振りから察するに
私の延ばした腕が
この男を突き飛ばしたらしい。
軽々しく私の頬に触れ
あまつ不敬にも抱き着いてきたのだ。
掌底だけでなく
焼き尽くしておけば良かったものを⋯。
不愉快極まりない
先の場面を思い出す。
「ん⋯?」
怒りで忘れていた違和感が
徐々に焦点を合わせていく。
この男の言葉が⋯
ー理解できる?ー
先の大樹があった場所で男が発したのは
何処の国のものかも解らぬ
発音であり言語であった。
しかも今しがた
ー〝今も未だ〟夢だと言ったか?ー
総毛立つような感覚に
男の方に視線を再度向ける。
私の考えを察してか
男は細い目元を
更に弧に描いた様な笑顔で此方を見ていた。
「そう、此処は貴方の夢です。
素敵な部屋ですねぇ!
暖炉の細工が実にまた良い」
ーこの生徒会室が、私の夢?ー
俄には信じられなかった。
先程の手の感触
薪の爆ぜる音
暖炉の温もり
部屋の歴史が混ざる薫香
これら全てが
いつもの日常でいて
現実味を帯びているというのに
「これが夢だと言う証拠を
では、もう一つお見せ致しましょうか」
またもや私の困惑を察する様に
男はその独特の民族衣装の袖口に手を入れ
何かを取り出すと
掌を開いてフッと息を吹き掛ける。
先の夢で見た
あの五花の薄紅色の花弁が数枚
ふわりと舞い
私はそれを無意識に目で追っていた。
「は⋯?」
すると、どうだろう。
何時の間にか
私は鐘楼の最上階に立っていた。
目前には山吹色に輝く救いの鐘が
朝焼けに染められ
その姿は尚、神々しさを増している。
毎早朝、掃除をする度に見る風景だ。
この私が見間違う訳が無い。
ーだが、何故に此処に⋯?ー
「貴方も大変疑り深いお方ですねぇ?
だから、夢だと申しておりますのに」
大鐘を見上げ、感嘆の息を零しながら
私に向き直る男の口許には
よおく見慣れた物があった。
夜を思わせる深紫に
散りばめられた星と月の絵様
私のハンカチだ。
項にチリッと熱が走る。
「返せっ!それは私の大切なー⋯!!」
奪い返そうと腕を延ばした私に
まさか逆に男から距離を縮められ
言葉は阻まれた。
瞬時
拡げたハンカチを私の後頚部に廻し
首ごと身体が男に引き寄せられる。
細い目元から覗く
鳶色の瞳が視界に拡がっていく。
そして
また不快にも
この男に抱き留められた状態になる。
「若い子はやはり血気盛んですねぇ?
こうでもしないと貴方
僕の話を聞いて頂けない所か
近付いてもくれないでしょう?」
赤子でもあやす様に
背中に廻した手で私の背を優しく叩く。
「な!⋯は、離したまえっ!!」
一度とならず二度までも
何とも不快極まりない!
それにしても
なんて馬鹿力だ!
体躯の程は
私と大して相違ないというのに
振り解こうにも頑として動けない。
話を聞いて欲しいのなら
それ相応の対応と言うものがあるだろう。
「離しますので
僕のお話、聞いてくださいね?」
藻掻く私の力を苦ともしていないのか
浅薄な声色と共に
漸くハンカチと私を手離した。
振り切れた怒りは度を超えると
急激に熱量を奪われ
感情は恐ろしく冷淡さへと姿を変えていく。
「⋯はぁ」
相も変わらず
笑顔を崩さぬ男に諦めを感じた私は
踵を返すと歩を進める。
「ついてきたまえ。
鐘楼の中に、小さいが席がある。
神聖なる救いの鐘の前で
立ち話など不躾な事はできぬのでね」
この男の目に
一瞬でも鐘を映させていたくない
という気持ちもあった。
それに
拒んだとして
また触れられるのも不快だ。
そうなるくらいなら
話くらい聞いてやろう。
頭に入れておいてやるかは
また別だが。
そんな事を考えながら
私は歩を進めていく。
入り組んだ構造の鐘楼内の風景
歩く度に軋む床の音
隙間風が運ぶ薫香
ーこれが⋯夢だと言うのか?ー
「凄いですねぇ。
ここまで精密に具現化されている夢は
初めて見ましたよ!
毎日隅々まで大切にされてるのですね」
後方を付いてくる
この男の煩ささえ無ければ
確かにいつもの風情だ。
だが、先から脳裏を過ぎる
この違和感は何だ?
それに煩いと言えば
忌々しい彼奴等の姿も見えない。
いつもならこの辺りで
品性の欠片も無く
はしゃいで飛び跳ねていると言うのに。
それもこれも
夢だからとでも?
忌々しいとは言え
彼奴等が居ないと
鐘楼内とはこんなにも静かなのか。
ーこの男も居なければ⋯なのだがー
辿り着いたテーブルの一席に男を促し
対面に私も座る。
「して、話とは何かね?
くだらない内容であれば許さんからな」
ー夢ならば
燃やし尽くしても問題なかろうー
だが、こんな腹の立つ態度の男でも
人の形をしたものが燃える様を想像すると
流石に背筋に冷える物を感じる。
あの子を
無惨に燃え尽きていくあの子の姿を
連想してしまう⋯。
「お可哀想に⋯」
そう、ぼそりと呟いた男の
今まで貼り付けていたような
あの胡散臭い笑顔がすっと消えた。
「は⋯?」
思わず私の口から驚愕の声が零れた。
突如として
男は瞳からぼろぼろと涙を流しているのだ。
「何故に、急に泣き出すのかね?
男が見苦しい」
溜め息を隠し切れない私を余所に
男は溢れる涙を拭う事もせず
あまつさえ鼻まで⋯
品がある様でいて
まるで無い。
ーなんなのだ、この男は!ー
「すみません⋯
ふやむさんが余りにも不憫でならず⋯」
袖から紙を取り出し鼻をかむ男に
私は小首を傾げた。
「それは⋯
まさかとは思うが
今、私の名を呼んだのかね?」
ー私が⋯不憫だと?ー
ずびりと鼻を啜りながら
男は困った様な笑顔を向けた。
「すみません。
僕には少し、貴方のお名前の発音が
難しいようでして⋯」
言葉を理解できるようになって
忘れていたが
先の大樹があった夢の中では
全く言葉が通じなかったのを思い出した。
いや待て。
それよりも⋯
ー私はこの男に、一度も名乗っていないー
先程から脳裏にあった違和感が
悪寒の様に全体を巡る。
ーこの男、もしや⋯ー
「な⋯」
「申し遅れましたが、僕は⋯⋯と申します。
改めてよろしくお願いしますね。
ふや⋯んむさん」
何故にと問おうとした私の言葉を
遮る様に男が名乗った。
が、しかし
この男が私の名前の発音ができぬ様に
私にも、この男の名前が上手く聴き取れない。
「名乗るのがこんなにも後になったのは
大人しく貴方が
お話を聞いて下さらないから
ですからね?」
年甲斐にも無く
男は頬を態とらしく膨らませて
むくれっつらを装う。
「ロロ・フランムだ。
いや⋯ロロで良い。
そちらの方が
まだ卿にも発音しやすかろう」
いくら無礼な男が相手であろうと
名乗られたからには
こちらが礼節を欠いては
自分の品性まで貶めてしまうというもの。
ファーストネームを薦めたのは
歪過ぎる呼び方で
これ以上名を汚されぬ為
ただ、それだけだ。
「ろ⋯ろろさん!」
さっき迄、あんなにも大粒の涙を流して
泣いていたかと思えば
今度は満面の笑みで呼んでくる。
ー本当に、なんなのだ!この男はー
何度も掻き立てられる苛立ちに
不覚にも私は
あの違和感を忘れてしまっていたのだ。
「そろそろ
本題に入りたいのだがね?」
テーブルの一端を人差し指で数度小突いて
私は男に話の続きを促した。
男はハッとした
まるで今思い出したと言わんばかりの
目の見開き様で
見ている此方の神経を逆撫でてくる。
「僕は⋯いえ〝僕達〟は
貴方に殺して頂きたいのです」
「⋯は?」
今なんと言った?
ー殺して⋯?ー
初対面の人間の口から
突然と降り注いだその言葉に
はいそうですかと
頷く者など居るのだろうか?
理解しようとしても
思考が完全に拒否反応を示している。
「あはは⋯
そうなるのは無理の無い事ですよね。
僕でも驚いちゃいます」
しれっとした態度で飄々とした言葉を
苦笑混じりに吐いている。
此奴は私を馬鹿にしているのか?
「ろろさん!
お顔!お顔が
めちゃくちゃ怖いです⋯」
「そうさせているのは
卿ではないのかね?」
再びテーブルの一端を
指で数度小突く。
その時
横目に見えた景色が
まるで朝靄の様に揺らいだ気がした。
「いけない。
ろろさんの身体が
目覚めようとしてますね」
男がハッとした様に
辺りを見回し始めた為
私も顔を上げて現状を見た。
鐘楼内の景色が徐々に花弁に変わり
変わった傍から
吹き上げられて崩れていく。
まるでパズルを砕き解くと
その下から新たな絵が出て来るかの様に
鐘楼の景色から一変し
最初に見た大樹の景色の中に私は居た。
真っ白な世界で
五花を樹冠に豊満に咲き誇らせている。
大樹と花弁にしか色の無い
美しくも何故か哀しみを感じる世界。
「あの男は⋯?」
男の姿は無かった。
大樹の樹肌に触れると
その幹本に小さな石碑がある事に気付く。
服の裾を汚さぬ様に私は身を屈め
石碑の表面を手で撫ぜた。
墓石であろうか?
彫られた文字であろうそれを
やはり読む事は適わなかった。
ーあの男の故郷の文字か?ー
そう言えば先程
私が目覚めようとしていると
あの男が言っていたが⋯
やれやれ
何時になればこの悪夢から
醒めるのだろうか?
石碑から退き立ち上がった私の目の端に
後方からキラリと
陽光とはまた違う光が射す。
反射的に光の射す方へ顔を向けるが
手を翳しておかねば
目も開けていられない程の
眩さだった。
指の狭間から
その眩さの出処が垣間見える。
「⋯⋯マリア⋯様⋯?」
言葉が自ら意志を持ち
零れ出た様な感覚だった。
崩れ落ちる様にその場に膝を折り
私の手は無意識に祈りを組んでいた。
ーなんと美しいのか⋯ー
光を閉じ込めたかの様な
金色に靡く髪。
同様に金色に光る
伏せられた長い睫毛。
柘榴の果実の様に
艶やかな深紅の唇。
今までにこれ程
誰かを美しいと思えた事があったか?
異性に疎い私には
この美しさを名状し難い。
彼女のその身体は
祈りを捧げる姿勢のまま
まるで水晶の様な結晶で覆われていた。
彼女自身も含めて
一つの巨大な宝石になっている
と言っても過言では無い。
だが、なんて⋯
ー悲壮な表情なのだ⋯ー
全ての者の苦痛や絶望を身代わりに耐え
それでも神に祈り願う女神。
そんな連想をしてしまう。
結晶の中の彼女に
不覚にも心奪われ見蕩れていた私は
無意識に彼女の頬の方へと
手を伸ばしていた。
彼女の伏せた睫毛から
涙が零れ落ちるのが見えた。
震える私の指が
彼女の頬を覆う結晶に
触れるか触れないかの瀬戸際
「ろろさん!触れてはなりません!!」
何処からとも無く
あの男の叫び声が聴こえた。
⋯と、同時に
私の指の先が結晶に触れる。
彼女の零した涙がドロリと血涙に変わり
結晶の中で血に塗れていくのが見えた。
瞬間
私の周囲が暗闇に閉ざされる。
上か下かも解らぬ程の闇だが
何故か自分の躯と
彼女の結晶だけは、はっきりと視えた。
「な、何が起き⋯っ!?」
現状を把握できずにいると
頭上からの気配に
全身が総毛立った。
血涙を流す彼女の上で
何かの生き物の様に暗闇が形作られていく。
闇で象られた歪んだ双眸らしき部分と
目が遭ってしまった。
爪先から頭の毛の先まで
言い様の無い感情が駆け巡り
冷や汗が止まらない。
この私が⋯
ー畏怖、しているだと⋯!?ー
先程、結晶の彼女の美しさに
感動で震えていた手が
今度は恐怖で震えている。
認めたくは無いが
認めざるを得ない。
そう思わせる程の戦慄を感じていたのだ。
闇で象られた双眸が
まるでそんな私を嘲笑うかの様に
ゆっくりと歪んだ弧を描いた。
蛇に睨まれた蛙
とは言うが
蛙はその時どうしているのだろうか?
今の私の様に
戦慄を感じながらも
蛇の双眸から目を離せないのだろうか。
《キィオォオォオオオォオオォォオッッ!!!!》
音というよりも、衝撃であった。
闇は、嘴なのか?を開くと
周囲の暗闇でさえも震える咆哮を上げる。
心臓を鷲掴みにされて
無理矢理揺さぶられている気分だった。
戦慄で動かぬ躯は
耳を塞ぐ事も呼吸さえも許さず
衝撃が体躯を突き抜け過ぎるのを
唯々待つより術は無い。
咆哮が途切れ静寂を取り戻した暗闇は
しんと音が張り詰めるも
耳にはしっかりと余韻が
震えとして残っている。
闇で象らた私の身の丈もある双眸が
ぬらりと近付いてきた。
まるで私の命の
値踏みでもするかの様に⋯
《我ニ至高ノ絶望ヲ捧ゲヨ》
言葉と言うより
その意志を無理矢理に頭に捩じ込まれる
と言う方が相応しいだろうか。
音とも言えぬ不快な感覚が
脳内で頭骨を殴ってくる。
ゆらりと鉤爪の様な闇が
首許に向けられても
私の躯は木偶の様に動かない⋯
ー夢ならば、早く醒めてくれー
願いを乞う様に
否、恐怖から逃げる為に
目を伏せかけた瞬間だった。
私の背後から現れ
闇に飛び掛からんとする
幼子の姿が視えたのだ。
ー何故に斯様な場所に⋯!?ー
幼子は私を背で庇う様に
闇との間に割り込んで来た。
「いかん!」
思わぬ光景に
漸く私の躯は動くという事を
思い出したかの様だった。
闇に抗う決断をした躯は
考える前に錫杖を召喚し
右手の指輪の魔法石に魔力を篭め始める。
「紅蓮を焦がし、私を⋯」
魔法詠唱に取り掛かった私を
幼子が驚いた顔で振り返った。
落ちそうな程に大きく開いた瞳は
まるで救いの鐘を想わせる
神秘的な山吹色をしていた。
ドン!
気付けば
幼子に私は突き飛ばされていた。
詠唱を途絶された魔法は掻き消え
行き場を失くした私の躯は
更に深く暗闇に堕ちる。
堕ちて行く刹那
幼子の躯が闇と対峙できる程の
〝なにか〟に変貌して行く様が視えた。
瞬間
全ての景色に稲光の如く亀裂が走り
私が幼子に向け腕を突き上げると
暗闇は粉々に砕け散り
射し込んだ光に思わず硬く目を瞑る。