俺の螺子巻いたのが 、 御前じゃなけりゃ 。
撥条式の玩具
天井の窓から光が降り注ぐ。吊るされたシャンデリアが陽光を吸収し乱反射させれば、室内は照明要らずの明るさとなった。プリズマはあちこちの壁に浮かび、目が眩むようである。そんな中で1人、一虎は硝子の瞳を動かしていた。白い角張った手を天窓にかざせば、その手すらも光に犯された様に見え、揺蕩うプリズマを掴もうと指を曲げればギリギリと音を立てる。半ばどうでもいいような、疲れきった溜息を吐けばその伽藍堂な体躯を起こした。
一虎は生き人形である。撥条式の、よくあるやつ。腰の丁度真ん中辺りに着いた穴に撥条を差し込んで回せば、まるで人のように動けるようになる。蜜色の瞳は硝子製であり、瞬きだってする。ふさふさな睫毛だって付いている。伸びることの無い髪は今どきなウルフカットに揃えられ、所々に金メッシュがチラつく。誰もが目を奪われるような容姿を持ち、美しく華奢な体躯は少年くらいの背格好を象られていた。綺麗、という言葉がピッタリだと、前に誰かに言われたような気がする。それも、一虎の幻想かもしれないが。動き、思考し、老いない、死なない。まぁ人形だから当然と言っては当然なのだが。死にはしないが壊れる、という言い方が正しいかもしれない。でも、ほんとうに、それだけ。撥条を回してもらわないと何も出来ないし、手入れをしてもらわないと錆び付いてしまい、動くことすら儘ならない。動けなくなってしまえば、ただ部屋の隅に横たわり、一人ぼっちで暗い思考を繰り返すだけ。硝子の瞳に映る景色は段々埃で褪せ古びていき、死ぬ事も許されない。大好きな天窓の景色さえ、動けなくては見えないのだ。一虎はわからなくなっていた。自分自身を形作るものというのがあやふやになり、存在意義を疑ってかかった。その時間が、彼には有り余るほどあった。俺だけ。そう俺だけ。たった一体の動ける人形。意志を持つ人形。存在することに、なんの意味があるというのだろう。誰にも愛でられず、誰にも存在を認めて貰えない。このまま動けなかったら、ほんとうに一人ぼっちだ。
永遠に、一人ぼっち。
でも、それでいいのだと漸く諦めが着いた頃、一虎は救われた。
「一虎ァ、どうした?」
あるドアの隙間から顔を覗かせては中を伺っていた一虎に、いきなり声が掛かる。まさか気付かれているとは思わずその場でしり込みをし、1つ深呼吸をすると、一虎は間を縫って中へ入った。手入れを怠った身体にはそれさえも苦しかった。つんと、癖のある匂いが鼻をつく。
「…バジ 、…めんてなんす、して、ください、」
一虎はこの時間が最も嫌いだ。存在価値なんてない自分を生かす為に、彼に頼み事をしなくてはならない。もしこれを怠った場合、後から拾われた際に物凄く面倒なことになる為、自己申告という形を取っている。騒がれるわ叱られるわ泣かれるわ謝られるわ___一虎にとっては散々な事だ。そんなことになるくらいなら、___もっと迷惑を掛け、自分に時間を裂かれるくらいなら___こっちの方がいいという、思案した結果の最善であった。気づけなくてごめん。そんな言葉は、一虎以外の別の人に使われるべきだ。自分なんかに使うものじゃ、ないのだ。一虎はそう信じて疑わなかったし、彼はそんな一虎を見るといつも困ったように眉を下げた。
「あァ、調子悪いか?ちょッと待ってろ、今してやるからナ」
彼は光の中を舞うように動き、仕事をこなしていった。急がなくて、いいから、いっそ忘れても___なんて呟きが届いたのか、一虎には検討も付かなかった。
バジ 。場地圭介。かくんと力無く横たえる一虎を抱き起こしたのはその男だった。冷たい硝子の瞳を持つ一虎とは対象的な、暖かで生きた煉瓦色の瞳を持つ男。黒い艶やかな髪が悠々と伸ばされ、肩下辺りで燻りあっている。そこそこ大きなこの町で唯一の硝子職人であり、その仕事は底を知らない程だという。毎日毎日依頼に追われては、自身の作りたいものなど手が出ないという状況である。だから尚更、一虎は彼に頼み事をするのを渋る節があった。
「ヨシ、これで一段落……かナ。一虎ァ、こっち来いよ」
「…はい」
重い歩みを進めれば、圭介は驚くほど近くに居る。一虎とは絶対に触れ合わないような、生の存在。眩しくて眩しくて、少しだけ羨ましい。自分が人形ではなく、ただの人間だったら。なんて。一虎はいつまでも自分の思考に囚われて続ける。
「ン、ここ座れ。タオル持ってくッから」
圭介愛用の丸椅子は、一虎には大きすぎた。まるでバーで座るあの足のつかない椅子のようになり(そういえばあの椅子はなんという名前なのだろうと一虎は一瞬考えた)、一虎はいつだって逃げ道を失うのだ。そう思ってしまうのは一虎の被害妄想でもある。逃げる必要などこれっぽっちも無いはずの工房で逃げ道を探してしまうのは、褒められたものでは無い癖だった。
圭介は、一虎が思うよりずっと一虎を愛していた。一目見た時から彼の精巧な作りに心を奪われ、敬愛した。圭介が何よりも心酔したのは、一虎の瞳。先程は硝子と1口に片付けたが、これがまたとてつもなく意趣の凝ったものなのだ。眼球となる丸いフォルムは磨きあげられており、本当の双眸となんら変わりない。蜜色に色付いた黒目は、中心部にタイガーアイが埋め込まれている。圭介は10月生まれではないが、タイガーアイ等々、天然石の類は大好きだ。初対面で穴が空くほど一虎の瞳を凝視した圭介が、最初に放った言葉は1つ。「御前の目、ほじくり出してもいいか?」悪気なんて一摘みもない、それでいて冗談も一切混じらない言葉に、一虎は怯えることしか出来なかった。だって、動けもしないんだからほじくり出されても抵抗のしようが無いでしょう。あのまま圭介が撥条の螺子を見つけなかったら、どうなっていたことか。考えたくもない。一虎が生き人形だと知るやいなや、圭介は暇されあれば___暇なんて滅多にないからわざわざ時間を作って___一虎を観察していた。そして、一日に数分、数時間、何時までも眺めていたいその瞳を殺さないため、一虎のメンテナンスを欠かさないようにもした。だが、新人駆け出し大人気の三拍子揃った硝子職人。全てをこなすことは出来ない。よって、一番の優先順位は一虎だったとしても、その優先順位が巡ってくるのには多大なる時間が掛かるのだ。
圭介はいつだってこの事を悔いていたし、歯痒く思っていた。一虎の自己肯定感が上がらないのは、自分が構ってやれないからだとすら思っていた。実際は、そうではないのだけど。精一杯の愛を注げば注ぐほど、一虎は心を閉ざしてしまう。それが何故なのか、彼には考える時間すら無かった。
「また酷く錆付いたなァ。今日からは毎日手入れしてやろうか?」
「いや、バジ忙しいし……それは、いい。たまにで大丈夫」
「…そうかァ」
寂しいの一言すら言えないのはお互い様で。もっと頼って欲しいのも、迷惑を掛けたくないのも、お互いを思ってのことだと言うのに。
これはそんな不器用な2人の物語である。
コメント
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文の書き方めっちゃ好き、設定とかもろもろ神ですね。…