テラーノベル
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銀賞の賞状が飾られてから、数週間が経った。秋の気配が濃くなった放課後の美術室は、あの夏の西日とは違い、どこか寂しげで、けれど優しい光に満ちていた。千尋は、窓際の席で小さなスケッチブックを広げ、鉛筆を走らせている。最近の彼女は、コンクール前のような気負いが消え、ただ「描きたいものを描く」という純粋な楽しさを取り戻していた。「よっ。今日も熱心だな、銀賞画家」ガラガラと引き戸を開けて入ってきたのは、やはり航だった。今日は部活が休みなのか、ジャージではなく制服の詰襟のボタンをいくつか外している。「もう、そのいじり方やめてよ。ただの『銀賞』だし」「何言ってんだよ。職員室の前を通りかかるたび、先生たちが『あの群青色はすごかった』って噂してるぜ」航はいつものように椅子を逆向きにして座り、背もたれに顎を乗せた。「それで? 今度は何を描いてるんだ?」「ん? これ?」千尋は少し照れくさそうに、スケッチブックを航に向けた。そこに描かれていたのは、グラウンドではない。美術室の窓から見える、少し古びた校舎の渡り廊下。そして、その影に置かれた、空気の抜けたサッカーボールだった。「……これ、俺たちの部室の前に転がってたやつか?」「うん。なんかね、夕方の光が当たって、すごく綺麗だったの。航が毎日追いかけてる世界の、ほんの一部。私にはそう見えたから」航は目を丸くして、それからふっと小さく笑った。「本当に変なやつ。誰も気に留めないようなボロいボールなのにさ」「いいの。それが『私の世界』の続きだから」千尋は鉛筆を置き、窓の外に目をやった。グラウンドでは、後輩たちが声を掛け合いながら走り回っている。「ねえ、航。コンクールの絵を描いてからね、少し世界が変わって見えるようになったんだ」「変わって見える?」「うん。今までは、みんなが『綺麗だね』って言うものしか見えてなかった気がする。でも今は……航が泥だらけで走ってるところも、この古い美術室の埃の粒も、全部が私だけの特別な色を持ってそこにあるんだなって思えるの」航はしばらく黙って千尋の横顔を見ていたが、やがて頭の後ろで両手を組んだ。「ふーん。よく分かんねえけど、千尋が楽しそうならそれでいいんじゃねえの」「相変わらず雑な返事だなぁ」「雑で悪かったな。でもさ」航は立ち上がり、美術室の窓を大きく開けた。冷たい秋の風が入り込み、千尋の髪を揺らす。「千尋がそうやって、俺の気づかない世界を見つけて教えてくれるなら、俺は安心して目の前のボールを追いかけられるわ」「え?」「お前が俺の背中を描いてくれたからさ、なんか、もっと走れる気がしたんだよ。だから、これからも変な絵、たくさん描けよ。俺が一番最初に見に来てやるから」ぶっきらぼうだけど、真っ直ぐな航の言葉。千尋の胸の奥に、また新しい色の灯がともる。「……うん。約束ね」茜色から、ゆっくりと深い群青色へと移り変わっていく空の下。千尋は再び鉛筆を握り、目の前にある、愛おしい自分たちの世界を描き進めた。
コメント
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わあ〜〜第3話、すごく温かい気持ちになったよ😭💕 千尋が「自分の世界の続き」としてサッカーボールを描くシーン、もう胸がいっぱいになった!!航が「俺が一番最初に見に来てやるから」って言うところ、青春の約束って感じで尊すぎる……。2人の距離感が前よりずっと優しくなってて、読んでてこっちまでほっこりしたよ🌸 次も絶対読みたい!!