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周囲から漂ってくる夏の匂いに目を細め、手元にある資料に目を移すも、暑さで滲み出てきた汗が作業を邪魔する。
尚、更に嫌悪感を強めるのは胸に掛けられたIDケース。
下に視線を向けるたび、毎度毎度ぶらぶらと揺れ視界の端に映り込んでくる。
IDケースの制度を入れたのは「新しい総統」が入って来てからだった。
自称全知全能だと言い張る男は、ら民(この国の民達のことを指す)の前で力を振るって見せた。
なんでも、「転生者」らしい。
100年前に起きたあの事件のことも、当然かのように彼は知っていた。
この国に生きる奴らは人間じゃない。
一般に言う「人間」の定義は、短い命に脆く、儚く、尊く、そして心を持っている。
しかし彼らは心を持たない。
心とは「心臓」を指す。
心を持たない彼らは、急所を持たない。
つまりは「死ぬことはない」。
しかし、そんな彼らでも、100年前の事件では当然、皆が思ったであろう。
「自分は死んだのだ」…と。
確かに死んだ。
けれど死んでなどはいなかった。
[総統]は死んでしまったのに__
「おい、そんな所で何をしてる」
現総統が何かを喚いている。
本当の総統は、お前じゃないのに…__
「すいません。ちょっと考え事してて…」
「ふん。僕の席で考え事とはおかしい奴もいたもんだな?…怪しい。本当は何をしていた?」
疑い深い所も、全く違う。
早く…一刻も早く、帰って来てくれないかな。
「本当に何もしてませんよ…」
嘘をつくのも、苦しくなってきた。
「ソウトウ様が1番デスから」
自分の作る笑顔も、猫撫で声も、何もかも…
全てが嫌になる。
「…あっそ。んじゃ出てって」
なんの苦労もせず、ただただ毎日を彩らせようとしている目の前のコイツが嫌いで仕方ない。
何故従わなければならないのか。
けれど、反抗すれば返り討ちになる程、彼の体から強者の波動を感じてしまう。
それに怯える俺の心は…本当に、
「はい。失礼…しました」
大嫌いだ。
気持ちの良かった景観も、風も、多少薄暗かった本拠地内部の廊下も、何もかも…
全部、失ってしまった…。
大理石で作り替えられた廊下に、数滴の水が音もなく落ちていく。
手の平の肉に食い込んだ爪に血が伝う。
いつ来たのか、横にはスーツがあった。
背中を撫でられ、慰められる。
失敗して、陰で1人、悔しくて涙が溢れ出ていた時、アイツはいつも背中にもたれかかって何も言わなかった。
けど、それが1番落ち着いた。
アイツだからこそ、いてくれるだけで良かった。
悔しい。
ジジッ__
無線機が音を立てる。
『きょーさん‼︎羅針盤が…__』
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