第6話
「この温室では我が国原産の植物はもちろん、貿易関係にある国から輸入した植物も育てられています。一年を通して温度管理がきちんと行われているので、この辺りでは自生しにくい南国の植物も花を咲かせてくれます。暖かい所の植物はビビッドな色をした花を咲かせる種類が多く、サナトリウムで療養されている方々にとっても目に鮮やかな癒しとなってくれているんですね」
療養施設に併設された温室の中で、聖サリエール学園の新入生たちがうんうんと頷きながら庭師の説明を聞いている。私は後ろの方で目立たないように欠伸を噛み殺した。
新入生歓迎パーティーの次に来るイベント、校外学習。学園の新入生たちが何人かの教師や引率役の先輩と一緒にサナトリウムへと赴き、病で苦しんでいる人々の治療にあたっている医療関係者から話を聞くという、小さな社会見学イベントだ。
本当なら私は今頃学園の女子寮でのんびりしているはずなのだが、今こうして温室の中にいるのには理由がある。というのも、本来この社会見学に引率役として同行する予定だった友人のブリジットが、急病で来られなくなってしまったのだ。
ブリジットと買い物へ行き、チンピラに絡まれているリタを助けた日の翌日、彼女は熱を出して寝込んでしまった。校医によれば肉体疲労と急激にかかった精神的ストレスが原因だろうとのことで、しばらく安静に過ごすよう言われたそうだ。
歓迎パーティーでの暴漢騒ぎといい、先日のチンピラといい、確かに彼女が神経をすり減らす要因には心当たりがありすぎる。そういえば結局歓迎会に現れた反乱分子たちは牢に入れられ、現在は騎士団から取り調べを受けているという話だった。
そんなこんなで急遽代わりの引率役が必要となり、私に白羽の矢が立ったのだ。私個人としては別に行きたくないわけではないのだが、確かここにはリタの攻略対象にあたる人物、庭師のエマ・アンジェリーニがいたはずだ。私はもう既にゲームのシナリオをかなり引っかき回しており、悪役令嬢らしいことも何一つやっていない。ここでさらに別の攻略対象に接近するのはいかがなものだろう。最終的に断罪されて学園に封じられた魔獣に食い殺されるのも嫌だが、変にゲームのシナリオをいじってまったく予想もしていなかった方向から撃たれて死ぬのも御免だ。
要は下手に波風を立てず、ゲームを内容通りに進めつつ生き延びる方法を探る、というのが最適解だと思う。
思うだけだ。
「とても綺麗で心安らぐ場所ですね、お姉様」
「え、うん。そうね。きっと患者さんの気分転換にも役立っているんでしょうね」
「そうですね!」
私の隣ではリタが嬉しそうに微笑んでいる。ここまで来てはもう、悪役令嬢だの何だのを私が名乗るのはおこがましいのではないか?
「街の方たちからは、ここで咲くアネモネが特に美しいと評判をいただいています。皆さんはアネモネの花言葉を知っていますか?」
室内の中心部に立つエマが説明を続ける。亜麻色のさらさらとした髪を後ろで一つに結い、華奢な体つきも相まってまるで花の妖精のようだ。
「赤いアネモネは『あなたを愛する』、青いアネモネは『固い誓い』、紫のアネモネは『あなたを信じて待つ』……」
さすがに良家の子女が通う学園だけあって、新入生は男子も女子も皆静かにエマの話へと耳を傾けている。
何となく美貌の彼に向かって熱い視線を送っている生徒が何人かいるように感じるが、思春期だしある程度は仕方ないのかもしれない。
「そしてアネモネ全体の花言葉は『儚い恋』と、もう一つ」
エマの顔に微笑が浮かぶ。生徒たちの間からほう、と熱っぽいため息がこぼれた瞬間、彼はこう続けた。
「『見捨てられた』」
ほんの短い間だが、あたたかな温室の空気が凍りつく。生徒たちも皆、一様にぽかんとした顔でエマを見つめた。
「花言葉のもとになった神話の内容が切ないものですので、少々悲しい印象を受けるかもしれませんね。しかしそれだけ、アネモネは昔から人々に親しまれてきた花だとも言えるでしょう」
彼は話の内容とは打って変わった明るい声で、生徒たちに向かって説明を続ける。少しだけ空気がざわついたが、それもすぐに元に戻った。
温室の見学時間が終わると、学園の者たちはぞろぞろとその場を後にする。私もそれに続こうとしたところでふと顔を上げると、エマと目が合った。彼はにこりと微笑んでくれたが、私は軽く会釈をした後、すぐに視線を逸らす。
「お姉様、どうかしましたか?」
リタが不思議そうに私の顔を見上げる。私は彼女に何でもないと笑いかけると、さっさと温室を後にしたのだった。
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