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帰りのタクシーの車内、二人は終始無言だった。 互いに思うところが多すぎたのだろう。理人は何を言えばいいのか分からず、ただひたすら窓の外を流れる夜景を眺めて、重い沈黙をやり過ごした。
やがてマンションに辿り着くと、瀬名は何も言わず先に部屋へと入っていった。理人も黙ってその背を追う。 リビングに入ると、瀬名はすぐにソファに深く腰を下ろし、溜まった澱を吐き出すように大きく息をついた。
「あー……なんか、疲れましたね。いろいろあって」
「あぁ、そうだな……」
瀬名に促されるまま隣に座ったものの、ギクシャクとした空気は拭えない。気まずい沈黙が二人の間に横たわる。 何か言わなければ。そう思って、理人が意を決して顔を上げた、その時だった。
「――すみません!」
「……すまないっ」
重なった言葉に、再び静寂が訪れる。 瀬名が同じように自分を見つめていることに気づき、理人はたまらず自嘲気味な笑みを漏らした。
「なんでお前が謝るんだ。謝るのは、俺の方だろ」
「いえ。元はと言えば、僕が悪いんです。誤解を招くような時間帯に、他の女性と一緒にいたりしたから……」
「違う。あれは、俺がお前を信じきれなかったからだ。……お前は、悪くない」
瀬名の言葉を遮って告げると、彼は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに困ったように眉を下げて視線を落とした。
「……お前のことを、心の底から信じていないわけじゃないんだ。……けど、いつか俺より好きな奴ができた時、あっさりと捨てられそうな気がして……怖いんだ」
「……そんなこと……」
瀬名はそれ以上、言葉を継がなかった。それが肯定されているようで、理人の胸をチクリと刺す。
「俺はお前と一緒にいると楽しいし、安心する。でも、俺にはお前に与えられるものなんて、何もない。だから……不安になるんだ。いつか愛想を尽かされるんじゃないかって。怖くて仕方がないんだよ。お前のことが、す……す、好き……だから……」
最後の方は、羽虫の羽音ほどにか細い声だった。情けなさ、恥ずかしさ、そして切実な想いが綯交ぜになり、理人は耳まで真っ赤にして俯いた。
「理人さん……っ!」
名前を呼ばれ、反射的に顔を上げた瞬間。視界が瀬名の体躯で覆われ、理人は力強く抱きしめられていた。ドクンドクンと、互いの心臓の音が混ざり合って耳元で鳴り響く。
「あぁ、もう……。なんでそんなに、馬鹿なんですか……っ」
「なっ、ば……っ!?」
「馬鹿ですよ、本当に……。僕は、理人さんさえいれば何も要りません。何かを与えてほしくて一緒にいるわけじゃない。理人さんが好きで、好きで……堪らないんです。理人さんじゃなきゃ、駄目なんです」
瀬名の声は、かすかに震えていた。 抱きしめられた腕から伝わる、瀬名の鼓動。いつもより早くて熱い体温が、理人の強張った心をゆっくりと解かしていく。なんだか、くすぐったいような心地よさだった。
「馬鹿は、てめぇだろ……。俺の方が先にジジイになっちまうんだぞ? その時にも同じことが言えるのかよ」
「言えますよ。例え貴方がボケて僕を忘れることがあっても、絶対に手放しませんから」
「例えが怖すぎるだろ!」
思わずツッコミを入れたが、瀬名は腕の力を緩めようとしない。それどころか、ますます力を込めて理人を自分の身体に縫い付けた。
「おい……」
「嫌です。しばらく、こうさせてください」
「……勝手にしろ」
瀬名は嬉しそうに「はい」と答えると、理人の髪に顔を埋めて深く深呼吸を繰り返した。
「理人さんの匂いだ……。すごく落ち着きます」
「……俺は、全然落ち着かねぇよ……」
「エッチなこと考えるから?」
クスリと笑いながら問われ、理人はギョッと目を見開いた。みるみるうちに首筋から額までが林檎のように赤く染まっていく。
「なっ、はぁ!? ば、バッカじゃねーの!? 違うし!」
慌てて否定し、ぷいとそっぽを向く。そんな理人の反応が楽しくて仕方がないのか、瀬名は肩を揺らして笑った。
「あはは、理人さん。可愛いなぁ、もう……。そういうところも、大好きですけどね」
言うが早いか、理人の無防備な首筋に瀬名が甘く吸い付いた。ビクリと、理人の肩が大きく跳ねる。
「おいっ、いきなり……っ! まだ、聞きたいことが……っ」
「そんなの、後でいいじゃないですか。ね? 理人さん……キス、したい」
熱を帯びた囁きとともに耳元に吐息を吹き込まれ、理人の腰にゾクゾクとした震えが走った。
「どうせ、嫌だって言ったって……する気だろうが」
「あはは。バレちゃいましたか」
悪びれもせず笑う瀬名を睨みつけながら、理人の唇からも、幸せを噛み締めるような小さな笑みが漏れた。
「しょうがない奴だな……。ほら、来いよ。……その代わり、キスだけだからな」
「えぇ……そんな……」
瀬名は不満げに口を尖らせたが、やがて諦めたように理人へと覆いかぶさってきた。 理人はその背に腕を回し、ソファに押し倒される形で唇を受け入れた。柔らかく濡れた舌が割り込み、歯列を割って強引に侵入してくる。舌を絡めとられるたび、身体の芯が震え、得体の知れない熱い塊が込み上げてきた。
「ん…………っ……」
吸い取られるかのように身体から力が抜けていく。口内を蹂躙する感触があまりに心地よく、理人は無意識にその舌を追いかけていた。 しかし、驚くほどあっさりと口づけは解かれた。
「あ……ふ……っ」
物足りなさに潤んだ瞳で瀬名を見上げると、彼は何事もなかったかのような涼しい顔で理人を見下ろしていた。
「どうしたんです? 聞きたいことがあったんでしょう?」
「……っ、クソが……っ」
「『キスだけ』って言ったのは、理人さんじゃないですか。それとも……もっと先のことまで、期待しちゃいました?」
耳元で囁かれた意地の悪い問いかけに、理人の頬がカッと熱くなる。視線を逸らした理人を満足そうに眺めると、瀬名は理人の肩を掴んで半ば強引に起き上がらせ、自分の股の間に座らせ直した。
瀬名の腕の中にすっぽりと収まる体勢。後ろから包み込むように抱き寄せられ、理人は落ち着かない気分で文句を言おうと顔を上げたが、真剣な眼差しで見つめられ、言葉を飲み込んだ。
「理人さんが聞きたいことって……今日の事件のこと、ですよね」
理人は静かに頷いた。
「理人さんは、僕が前の職場を辞めた原因を知っていましたよね。……ストーカー気質の女性がいたんです。その人が突然、僕のホテルに押し掛けてきて」
瀬名は言葉を詰め、一度咳払いをしてから続けた。
「酔っていたのか、無理やり飲みに行こうと誘われて。断りきれず、ナオミさんのお店なら何かあっても大丈夫だろうと思って連れて行ったんですが……」
タクシーの中から見た光景。あの時、真紀が瀬名の腕に縋り付いていたのは、親愛ではなく執着の檻だったのだ。
「彼女、僕が恋人と喧嘩してフリーになったことをどこかで聞きつけていたみたいで。ずっと好きだった、付き合ってくれって……。もちろん断りました。でも、次第に彼女がヒートアップして、揉み合っているうちに刃物を持ち出してきたんです」
「アイツ……相当ヤバイ女じゃねーか」
思わず漏れた理人の呟きに、瀬名は苦笑して頷いた。いくら酔っていたとはいえ、正気の沙汰ではない。
「ナオミさんが鮮やかに撃退してくれたおかげで事なきを得ましたが、他の店だったらどうなっていたか……」
理人は眉間に皺を寄せ、難しい表情を浮かべた。真紀は昔から思い込みが激しく、一度火がつくと周りが見えなくなる質だった。だが、まさかこれほどの狂気を孕んでいたとは。一歩間違えば、瀬名の命は奪われていたかもしれない。
「はぁ……ナオミには一生頭が上がらねぇな」
「本当ですよ」
二人は同時に深いため息をつき、顔を見合わせて小さく笑った。
「けど、お前に何もなくて良かった。……刺されたって聞いた時、本当に生きた心地がしなかったんだ」
「理人さんが駆け込んできた声、二階まで聞こえてましたよ。直接見たかったなぁ。どうせなら一階で倒れたフリでもしておけば良かった」
「馬鹿言え。あんな思いは二度とごめんだ」
本気で悔しがる瀬名に呆れつつ、理人は背後から回された瀬名の手に、自分の手をそっと重ねた。
「もう……心配させないでくれ。頼むから」
至近距離にある瀬名の唇。理人は身体を捻って彼の首に腕を絡め、自ら引き寄せるように唇を重ねた。瀬名は驚きに目を見開いたが、すぐに愛おしげに目を細め、何度も角度を変えて深い口づけを返してきた。
「……そうですね。気をつけます」
優しく押し当てられる熱を、理人は素直に受け入れた。侵入してくる舌を招き入れ、互いの唾液が混ざり合うまで貪り合う。
ようやく唇が離れたとき、銀の糸が名残惜しげに引き、瀬名がそれを舌先で舐め取った。その艶めかしい仕草に、理人の鼓動が跳ね、顔が赤く染まる。 それを見た瀬名は、すべてを呑み込むような、妖艶で深い笑みを浮かべた。