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一気に左手に力を入れる。
手錠が繋がれたままの鉄柵を一気に真上に抜き取る。
その金属が擦れる音に、アテナは瞼を開けた。
そのこめかみめがけて鉄柵を思い切りスイングする。
アテナの顔が歪むと同時に、その身体は俺の上から転がり落ちた。
彼女の身体も、
白いシーツも、
テーブルも、
壁も、何もかも、
自分の視界が、興奮で真っ赤に見えた。
今しかない。
今しかないんだ……!!
俺は立ち上がった。
何度も何度も繰り返したシミュレーション。
まず部屋を飛び出したら、二つ目のドアを開ける。
もし万一施錠されていたとしても蹴り破る。
そして窓を探す。
廊下でもいい。リビングでもいい。
一番初めに目についた窓から外へ飛び出す。
あとは振り返らずに走る。大声を上げながら。
民家でもいい。
会社でもいい。
だれか確実に人がいる家に駆けこみ、警察を呼んでもらう。
逃げ出すんだ。ここから!
生きるんだ。俺は!
もしヘラが言う通り、俺が犯罪を犯していたとして。
夢で罵られた通り、人を殺していたとして。
逮捕されても、死刑になっても、
それでもこの部屋で一生監禁されて生きるよりは1000倍マシだ。
俺は倒れたままのアテナを見下ろした。
ここで起き上がってくるならば、
立ち向かってくるならば、
今度こそ致命的になる衝撃を与えなければいけない。
俺は、鉄柵を両手に持ち替え、振りかぶった。
くるなら、こい……!
しかし―――
彼女の俺を信じ切った瞳が脳裏をよぎる。
抱きしめてきた腕の熱さを思い出される。
―――できれば、くるな。
アテナは――起き上がらなかった。
手の指が僅かに痙攣している。
絨毯に彼女の頭から溢れた血液がしみ込んでいく。
俺は、彼女の横を慎重に通り過ぎると、ドアに飛びついた。
ノブを回す。
開いた。
廊下に駆け出す。
真っ暗だ。
しかしもう1つあるドアは何とか見える。
ノブに手が触れた。
回しながら押してみる。
「―――開け……」
低い声で呟く。
駄目だ。開かない。
今度は回しながら引いてみる。
――頼む。
――頼む!!
ギイ。
「―――開いた!」
俺は叫ぶように言うと、思い切りドアを引いた。
「――――!!」
そして目の前に広がっている光景に唖然とした。
「――――階段……?」
それは十段以上もあるだろう直線の階段だった。
そう言えば、この部屋には窓がなかった。
朝も鳥の声が聞こえなかったし、夜も虫の声が聞こえなかった。
それどころか、自動車の音も、玄関ドアの開閉の音も、何の音もしなかった。
地下だったのか………!!
「くそ……!」
地下なんかに監禁したヘラやアテナに怒りが湧く。
外に出るどこか、まずは地上へ出なければいけない。
行けるのか?この足で。
行くしかないんだ。這ってでも!!
俺は階段を上りだした。
左足を軸に一段ずつ上がっていく。
邪魔になると思われた鉄柵は、意外にも杖の役割を果たし、それに寄りかかりながらなら、何とか右足を引き寄せることができた。
急げ。
急げ!
ヘラが返ってくる前に!
アテナが意識を取り戻す前に!
――早く!!
そのとき、杖代わりにしていた鉄柵が急に重くなった。
「――――!」
振り返る。
その鉄柵に、真っ赤に染まった手が巻き付いていた。
ただ夢中で気づかなかったが、フルスイングした鉄柵はアテナの右目を直撃したらしい。
潰れた眼とくぼんだ頬から血が吹き出している。
しかし左眼は淀みなくこちらを睨み上げている。
「………離せ!!」
せっかくここまで来たのに!
俺はぐいと鉄柵を引っ張った。
「行かせろ!俺を―――。ここから出せ!!」
しかし彼女の手の力が弱まることはない。
今度は両手のに持ちかえると思い切り引き落とそうとしてくる。
鉄柵を手放すことはできない。手錠が繋がれたままなのだ。
しかしこの右足では―――しかも不安定な階段の上では、下段にいた方が到底有利……。
どうする―――。
このままではまた地下へと引きずりこまれてしまう。
それどころか―――。
彼女の怒りに剥かれた目を見下ろす。
―――十中八九、殺される。
俺は引き上げていた鉄柵を、逆に彼女に押し付ける形で力を緩めた。
今まで込めていた力に逆に押され、彼女が一瞬怯む。
その隙をついて自分が一段下がり、そのまま鉄柵を彼女の鼻先掛けて突き刺すようにぶつけた。
「………ガぁあッ」
顔は――直視できなかった。
俺はただ鉄柵を掴んでいる手を見つめた。
彼女の鼻血だろうか。
それとも前歯が折れたのだろうか。
血液が宙を舞い、鉄柵に赤い斑点模様を付ける。
アテナの指が―――。
鉄柵から離れた。
ドタンバタンと大きな音を立てながらその身体が、階段を転げ落ちていく。
下までつくと、今度はピクリとも動かなかった。
―――殺した……?俺が?
俺に何も悪いことはしていない彼女を―――。
一瞬、良心の呵責と呼ぶにはあまりにも虫がよすぎる罪悪感が胸を襲う。
―――考えるな。
女主人の命令とはいえ、こんな異常な状態で俺を閉じ込めていたのもまた、彼女なのだ。
しかも彼女は、あの少女とは違い“監禁を続ける”という目的においては女主人に忠実だったし、あろうことか手錠を付けたままの俺とセックスしようとした。
アテナだっておかしかったのだ。
いつ殺されるともわからなかった。
暴行だってされたのだ。
――俺は、悪くない。
俺は――――。
「なんて格好なの?パリス」
その時、上段の方から高い声がした。
――――まさか。
俺は振り返った。
「まるでセックスでもしていたみたいじゃないの」
赤い髪の毛。
黒いドレススーツを着たヘラが、ネイルハンマーを持って立っていた。
頭を庇おうにも鉄柵が邪魔して身体を反転できない。
俺はなす術もなく、白く細い腕には不釣り合いのどす黒いハンマーが自分の顔に振り落とされるのを、ただ見つめていた。