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「――はぁ……」
あの日から約1週間。瀬名とは何となく気まずくてまともに話をしない日々が続いている。
理人はデスクに肘をつき掌に顎を乗せてため息をついた。このところずっとこんな調子だ。
(何やってんだよ俺は……)
いくら何でも酷い態度を取りすぎたと反省しているのだが、いざ声を掛けようと思ってもなんと話しかけていいのかがわからない。
仕事上必要な事は普通に会話できるがそれ以外のプライベートなこととなると途端に言葉に詰まって上手く話せなくなってしまうのだ。
瀬名は怒っているのだろうか? いつも自分の周りを尻尾を振ってウロウロしている奴が、近づいてくる気配さえなくて理人は不安で堪らなかった。
だが、謝ろうにもどう切り出していいかわからず、理人はまた大きな溜息を吐いた。
「鬼塚部長、最近機嫌悪くね?」
「頭を抱えて溜息ばっかりついて、何か難しい案件でも抱えてるんだろうか?」
「ただでさえ怖いのに、近づくなオーラがやばいんだよな」
そんなうわさ話ばかりが耳に届いて余計に苛々が募る。
「部長、ちょっといいかな」
そこへ、片桐がひょいっと顔を覗かせてきた。
「……えぇ、構いませんが」
「これ、この間の報告書だけど……確認してもらえるかい?」
片桐が書類を差し出してきて、理人は渋々とそれを受け取って目を通す。
課長が戻って来てからというもの、自分の負担はグッと減った。
つい、きつい口調になってしまう自分と他の社員との間で緩衝材の役目も担ってくれているために、以前より随分とコミュニケーションは取りやすくなったと思う。
つい、凄んでしまってビビらせることも偶にはあるが、その度にフォローを入れてくれるので助かっているし感謝していた。
加えて朝倉が担当していた部分まで担ってくれているため、作業効率の面から言ってもヤツがいた時よりも格段に生産性が上がっている、
「どうだい? おかしな所とか無いかな?」
「大丈夫です。よくまとまっていますし分かりやすいと思います」
率直な意見を述べると、片桐は一瞬驚いたように目を見開いた後、柔和な笑顔を理人に向ける。
「片桐課長。……課長は、奥様と喧嘩などされますか?」
「ん? なんだい、突然」
「あ、いえ。何でもないんです」
無意識のうちに口走っていた。一体何を聞いているんだと自分で自分が恥ずかしくなる。
理人は誤魔化すように苦笑いを浮かべたが、片桐は何かを察したように目を細めて笑みを深めた。
そして、徐に理人の肩に手を置くとポンッと叩く。
「そうだね、私の場合は喧嘩というより一方的に叱られる事が多いかな」
「……は?」
予想外の答えに理人は思わず間の抜けた返事をしてしまった。
「私の妻は厳しい人でね。家では頭があがらないんだ。それに、最近は娘にもよく怒られてしまってね。謝ってばかりだよ」
「そう、なんですか。すみません、おかしなことを聞いてしまって」
「いや、大丈夫。それより……瀬名君と喧嘩でもしたのかい?」
「っ!」
不意に図星を突かれ、理人は動揺して手に持っていたファイルを落としてしまった。バサバサと資料が床に落ちていく。
「やっぱりそうなんだね」
落ちた紙束を集めてくれながら、片桐が可笑しそうに笑う。
「あ、いや……」
何と答えていいかわからずにいると、それを察したのか片桐がふっと笑みを零した。
「ここじゃなんだし、少し休憩がてら話をしようか」
会社近くのカフェに入り、コーヒーを注文する。
店内は適度なざわめきに包まれていて心地よいBGMも流れているので、話をするには丁度良かった。
「それで、何かあったのかい?」
「大したことでは無いんですが……。少し、突き放したような言い方をしてしまって」
理人がぽつりぽつりと話し始めると、片桐は真剣な表情で耳を傾けていた。
「その、上手く言葉で説明できなくて。このままではいけないとわかってはいるんですが……」
普段から言いたいことはハッキリと言う方なので余計に戸惑ってしまう。どうして良いか分からずにいると、暫く黙って聞いていた片桐は、口元に手を当て何かを考える素振りを見せた。
やがて考えをまとめたらしく、「うん」と言って顔を上げる。
「つまり君は、瀬名君に余計な心配をかけたくない。だから何も言えなかったけど、瀬名君に誤解されてしまったかもしれない……って事だよね?」
「まぁ、そういう事になりますね……」
改めて言葉にされるとかなり情けない気がするが、今はそんな事を言っている場合ではない。
「うーん、上手く言えないけど案外、後ろから抱き着いてみたら解決するかもよ」
「抱きつ…て、は?」
一体何を言ってるのかと理人は唖然としてしまう。けれど、片桐は至って真面目な様子で続けた。
「言葉にするのが難しいなら行動に移すしかないよ。瀬名君ってキミの事大好きだろう? きっと喜んでくれるんじゃないかなぁ」
ニコニコと楽しげに語る片桐を見て、理人は脱力して椅子の背もたれに深く体を預けた。この人は、自分たちの関係を何処まで知っているのだろう?
自分から敢えて話をしたことは無いし、職場内では上司と部下の関係を保つように努力している。
男同士のトラブルのアドバイスに、抱き着けとは……。
「大丈夫。きっと上手くいくさ。入院中、散々鬼塚君への惚気を聞かされてきた僕が言うから間違いないよ」
「……アイツ……」
入院中に一体どんな話を片桐に吹き込んだんだ! 理人は思わず眉間にシワを寄せて額を押さえた。
だが、行動に移すかどうかは別として、言葉で難しいのなら行動で示すしかないと言うのは確かに一理あるような気がした。
「わかりました。考えてみます」
理人が決意を固めると、片桐は満足げに笑って「頑張れ」とエールを送ってくれた。
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