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「ろろ!ろろ!!」
セイリュウの呼び声と
躯を揺さ振られる感覚に
私は目覚めた。
冷たい空気が
乾いた喉を通り肺を満たすと
深く吐き切る。
「ろろ!
魘されておりましたが⋯
大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込むセイリュウを見て
漸く微睡みから覚醒する。
早鐘の様な動悸が煩い。
「セイリュウ⋯
無事で良かった」
小さな頭をぽんぽんと軽く撫ぜると
躯を起き上がらせた。
「無事⋯とは?」
キョトンと小首を傾げるセイリュウに
説明しようと口を開きかけて
徐々に自分でも解らなくなってくる。
「いや⋯
悪夢を見ていたのだが
内容を忘れてしまった」
不穏な夢を見ていた事は
この胸のざわつきで解る。
「私が悪夢を見るのは
お前達と逢うより以前から変わらん。
気にするな。
さて、身支度を整えたら
鐘楼に行こう」
着替えを携えてシャワールームに向かう。
「ろろ!
湯船に浸かりとうございます!」
猫脚のバスタブに
セイリュウが歓喜の声を上げるが
私は湯船に浸かる事には
やや抵抗があった。
「湯船は⋯⋯雑菌だらけであろう?
シャワーだけに⋯」
「ろろは偶に
おなごの様な事を申されますな?
湯船に浸かる事は極楽ですぞ!」
セイリュウの一言に
カチンと来た私は
バスタブの蛇口をめいいっぱいに開いて
お湯を注ぎ始めた。
ーやれやれ
セイリュウには甘いなー
バスタブに湯が張るまでの間
私は胸飾りの鐘を磨いて待つ事にする。
「これで満足かね? 」
たっぷりのお湯に目を輝かせ
セイリュウは大雑把に服を脱ぐと
飛び込んで行った。
そして満足気な
幼子の容姿には似合わない
長い長い溜息がエプロンの奥から聴こえる。
「ぷはぁーっ!
湯船に浸かるなど何百年振りでしょうか!」
セイリュウの服を畳み籠に入れると
私も習って服を脱ぎエプロンを潜った。
誰かと湯に浸かる等
18年程の人生だが
私とてどれ位振りの事だろうか?
それこそ
まだあの子が生きていた時以来か⋯
水面の揺蕩う音
掬い上げた水が⋯紅い
喉元から鮮血を迸らせる
セイリュウ
歪んだ嘲笑を向ける
燃え猛る炎に包まれたあの子
不意にフラッシュバックした光景に
黒い茨に巻き付かれたかの如く
背筋が凍った。
「ろろ?
如何なさいました?」
湯に温められた小さな両手が
私の頬を包み温度を伝える。
「おん かかか びさんまえい そわか⋯」
私の顔を優しく引き寄せ
額を合わせると
優しい声色でセイリュウが何かを唱えた。
「⋯それは?」
手が離れると私の視界いっぱいに
セイリュウの柔らかな笑顔が映る。
「子供を護る真言にございます。
それに戦勝祈願の意もあります!
かかかとは、地蔵の笑い声
笑っていれば、何とかなるもの 」
私の顔を両の掌で包んだまま
まじまじと見つめてくる。
「ろろは、誠におなごの様に
美しい顔をしておりますな!
無表情な所など
主の奥方様そっくりです」
女性の様だと言われる事に
複雑な気持ちになるが
確かに彼等の記憶の中の彼女は
無表情か悲壮なものかしか無かった。
感情の起伏で
弟の二の舞にならないかと
心配する両親の為に
私は感情を顔に出す事を抑える癖が
付いてしまっている。
それ以前に
苦しむあの子に
何も出来なかった私が
幸せに笑う等⋯赦されない。
否、私が赦せない。
「さあ、もう出よう。
やる事がまだまだあるのでね」
顔を包む小さな掌を離すと
エプロンを潜り抜け
躯を拭き上げていく。
セイリュウもそれに習って上がってくると
私は小さなその体躯を
もう一枚のタオルで巻いてやった。
だが
タオルが湿る事も
マットが濡れる事も無く
その様子が
あの子とは違うのだと
魔力で動く夢の存在なのだと
私に言い聞かせているように想えた。
制服に袖を通し身形を整えると
私達は鐘楼へと向かう。
「ろろーーーー!!
この者達はなんですか!?」
「ロロ!
この可愛い子はどうしたんだい!?」
予想は多少していたものの
騒がしさに辟易としてしまう。
ーやはり彼奴等には視えてしまうのかー
「ええい!煩い!!
掃除の邪魔だ!
騒ぐなら向こうで遊んでいたまえ!!!!」
石が床を打つ無機質な音と共に
笑い声が遠ざかっていく。
煩瑣極まる状態に溜息を漏らすと
私は再び大鐘を磨く手を動かした。
「救いの鐘よ⋯
どうか今宵、私に勝利をお導きください。
そしてそれが
世界を正す序幕と成りますように⋯」
掃除を終え
ガーゴイルとの別れに名残り惜しそうな
セイリュウの手を引き鐘楼を後にすると
授業に赴く支度を整える。
「⋯何と奇っ怪な?
これが文字ですか?
まるでのたまう蚓のようですな⋯」
「見た事も無い植物!
主が見たらきっと大層喜びなさる!」
誰にも視えないとはいえ
自室で待機する事を嫌がる
セイリュウを連れての授業は
その好奇心から気を削がれてならない。
昼を告げる救いの鐘の音がなる頃
昼餉の為に購買へ向かうと
一人の電子端末を囲いながら
幾人かが列に並んでいた。
「昨夜のマジフトの試合
良かったよなー!
このリプレイ観てみろよ!」
「俺もマジフト選手になったら
テレビ中継で活躍したいわぁ!」
「いやいや、俺らの代は厳しいだろうな。
何たって同年代に
あのマレウス・ドラコニアが居るんだ。
前の全校マジフト大会の中継観たろ?
あのえげつないプレイときたら⋯」
列に整然と並ばず騒ぎ立てているとは
ノーブルベルカレッジ生として
何と品の無い事であろうか。
「⋯ごほん」
ハンカチで口を覆い軽く咳払いをする。
「せ、生徒会長!
こ⋯こんにちは!」
私の言わんとする事を察してか
こそこそと列を正す。
その後ろに私も並ぶと瞳を伏せた。
ーマレウス・ドラコニア⋯かー
魔法士養成学校として最高名門校
ナイトレイブンカレッジの3年生であり
茨の谷の次期国王とされ
世界屈指の魔法士の一人として
有名な男だ。
私は私の魔法の顕現で悩む両親の為
制御を学ぶ為に
魔法士養成学校の一つである
このノーブルベルカレッジへと入った。
でなければ
魔法士という悪党の蔓延る場所に
誰が好んで⋯
ギリッと歯噛みすると
不意に脳裏に
あの夢が過ぎる。
悪魔の様に山羊の首で顔を隠した
黒曜石の如き黒い角を持つ男の姿が
想起された。
ーこの世界の〝リュウ〟とは
もしや⋯!?ー
「ロロ会長?
どうしたんです?
前に進めますよ!」
急に掛けられた声に
伏せていた瞳を開ける。
隙間が空いた列と
私の顔を覗き込む補佐の姿が映った。
「すまない。
考え事をしていてね 」
列を詰めると
付いてきた補佐の目線が気になった。
「⋯どうしたのかね?」
私の足許
まさかセイリュウを視ている⋯?
「あ、いえ!
先程、会長の傍に子供らしき姿が
視えた様な気がして⋯
学校に居る訳ないですよね。あはは」
「⋯何を馬鹿な事を。
夢でも視ているのかね?」
元より感の鋭い男だ。
一瞬視えているのかと思ったが
視えていないのだと確信すると
補佐の言葉を一蹴する。
それが気に食わないのか
セイリュウが私のローブを引くが
私は平然を装った。
「夢と言えば
昨夜は不思議な夢を視まして。
自分が真っ黒な馬になって
まるで正しき判事の様に
ロロ会長をお乗せしてるんですよー!
なんと!
ロロ会長の見事な乗馬技術で
風になったかの如く駆け
ご婦人を共にお救いするんです!
でも自分真っ黒な馬なのに
会長は〝スノーボール〟って呼ぶんですよ。
思わず起きてから笑ってしまいました」
良く廻る口だ⋯
「なら私は夢を現実に
正しき判事の様になれるよう
これからも研鑽を続けよう。
君はその馬の如く私の進む道を
これからも駆けてくれるかね?」
ふん。
私の口も良く廻る物だ。
これから私が育む物で
この学校の⋯いや
この世界中の魔法士という魔法士の希望を
根こそぎ摘み取ろうとしているというのに。
希望に満ち満ちて
はい!と高らかに応える補佐の笑顔に
虫唾が走るのを覚え
私はハンカチで口許を隠す。
「よろしい⋯
ではまた後ほど生徒会で」
購買から踵を返して進む私は
ハンカチを指が掌に食い込む程に握った。
虫唾が走るのは
補佐の希望に満ちた笑顔だけでは無い。
ーこの世界の〝リュウ〟
マレウス・ドラコニア⋯ー
チラリと足許を付いてくる
セイリュウを見遣る。
こんな幼子の姿になってまで
主の為、世界の為と
不死鳥と闘い続けるセイリュウ⋯
そんな事を露とも知らず
蔓延る闇の餌となる
魔法をひけらかすだけで
世界屈指の魔法士だと持て囃される
マレウス・ドラコニア⋯
セイリュウの言う通り
リュウとは云えこの世界には災いだ。
「ろろ
此処は⋯?」
学園の地下水路に私は向かっていた。
「ここからこの世界は
〝正しき姿〟になっていくのだよ」
地下水路の一角で
私は鱗の匣を取り出すと
縮小魔法を掛けて
種子と共に持ち運んで来た道具を
元に戻していく。
「水耕栽培の研究をしていたが
それが役に立つとは思わなかったな」
匣に種を一つ残すと閉じ
転移魔法で部屋へと送る。
「ろろ
魔力の遮断に鱗が要るなら
言ってくださいませ」
真っ直ぐな瞳で申し出るセイリュウに
私は首を振った。
「心配せずとも
ここは石の壁のおかげで
魔力の過剰供給は避けられる筈だ」
水耕栽培に必要な設置を終えると
私は掌に種を取り魔力を篭めた。
種の玻璃の様な殻から小さく火花が爆ぜ
その火花は炎の子葉を芽吹かせる。
自身の躯に根を降ろされる前に
培地の上に乗せると
水を張ったフラスコに掌を添え
水に私の魔力を注いだ。
すると直ぐ様に種は
魔力に反応を示し培地を穿き抜け
根を水中に伸ばしていく。
水中に炎の一閃が通る様で
実に美しい。
「ほお?
紅蓮の花は単子葉類の特性を持つのか 」
実生の地上発芽は根気が要る代わりに
球根にさえ成れば後は殖やすのは容易い。
だがこれは魔法植物だ。
魔力とコツさえあれば爆発的に殖える。
「株分け、自然分球、切断分球、鱗片挿し
どれが良いかは
球根になってみない事には解らんな」
魔法植物の多くが自生し易い
花の街では殊更
成長も繁殖も早いだろう。
「待たせたな。
さあ、食事にしよう」
一連の流れを見守っていたセイリュウと
水耕栽培の道具と共に持ってきた椅子に座り
連日一貫とした昼食を取る。
ここでなら
魂を食われた残骸も
水路に棄てやすいだろう。
「ろろが勉学に励む不在の間
私が見守っていましょう!」
どんと胸を張るセイリュウの厚意を
無下にする訳にもいかないか⋯
認識阻害魔法を掛けても良いのだが
もう少し成長が安定するまで
余計な魔力には触れさせたくはない。
この世界で使える種子は
〝一粒〟なのだ。
慎重にやらねば⋯
「では、任せるとしよう。
頼んだぞ、セイリュウ」
午後の授業も滞りなく済ませた私は
職員室に居た。
「⋯では、失礼いたします 」
教師に深く一礼をして職員室を後にすると
真っ直ぐに生徒会室へ向かう。
「今回の発案は必ず通るだろう。
いや、通してみせる!
副会長は予算の計算を
補佐は各店舗へ協力要請を頼む。
さあ、良き〝交流会〟にしてみせよう」
私は各校への提案書に取り掛かった。
何も知らずに各校の魔法士達よ
集うが良い!
ーまずは貴様等から
私が正しく導いてやろうー
速歩で地下水路へ向かう。
救いの鐘が
夜の報せを撞く前に急がねば。
魔力供給量が多そうであれば
遮断もせねばならない。
「ろろ!
お帰りなさいませ」
私の姿を視認すると
セイリュウが両手を広げて笑顔を向けた。
笑顔であるという事は
問題は無いという事か。
「待たせたな。
もうすぐ鐘が鳴る⋯
丁度良い供給量がわからんからな。
構えておきたまえ」
紅蓮の花はこの半日で
針形の葉を拡げている。
ここで枯らす訳にはいかない。
判断は一瞬。
防御障壁を出すタイミングが遅れたら
供給量過多で枯れる。
早過ぎたのなら私の魔力に反応して
私自身が養分となる可能性もある。
魔法石に魔力を
予め篭めておく事もできない。
フラスコの紅蓮の花に向き合い
深く息を吸い込んだ。
ゴーン⋯!
ー来たっ!ー
ピシッと音を発てながら
紅蓮の花は向日葵の様に
救いの鐘の方角へと葉を向け延ばす。
ゴーン⋯!
葉の枚数も増え蕾が膨らむ。
ゴーン⋯!
膨らんだ蕾が
それはまるで
火を司る妖精が舞う事で
翻る裾の如く
美しい炎の花弁が開いていく。
鐘が余韻に変わる頃には
紅蓮の花は火花の様にキラキラと
花粉を舞わせ始めていた。
絶滅種が再びこの地に花開いた瞬間だ。
私は安堵に力が抜け
膝から崩れ落ちる。
成長に程良い魔力量も
躯を穿き抜ける鐘の音で解った。
「これで⋯
私は世界を在るべき姿に導ける!!」
お前は喜んでくれるか?
もうすぐ⋯もうすぐだ!
お前を苦しめた魔法を
消し去ってやれる!
視ている事しかできなかった
この兄が⋯
やっと⋯!
地下水路の床は
ポツリと小さく丸く
一つまた一つと
水分を含んで色を濃くする。
「ろろ⋯
悲願への一歩を
濡らしてはなりませんよ?」
肩に触れる大きく無骨な温もり
低く、だが穏やかな声に
私は振り返る。
「セイリュウ⋯か?」
そこには愛らしい幼子の姿は無く
端麗な青年が私に微笑んでいた。
琥珀の様な真っ直ぐに伸び
先で二股に別れた角。
切れ長な双眸から覗く瞳の
救いの鐘を想わせる神秘的な山吹色が
その青年がセイリュウであると伝える。
「さあ、お立ちなさい。
我々の闘いはこれからなのですから」
セイリュウに差し出された手を取り
私は立ち上がると
赤いドレスを纏った貴婦人の如く
咲き誇る紅蓮の花に向き直った。
「んっふふ⋯
貴方と踊る日が今から楽しみだ」
葉を貴婦人の手に見立て
唇を落とすと
私達は地下水路から
寮の自室へと歩を進めた。
世界を救う為に
正しき姿に戻すべく
ーさあ、夢で踊り明かそうかー