ノーブルベルカレッジ寮の自室にて
睡眠薬で眠りに就いたロロの
細い艶やかな銀髪を撫でながら
青龍はその整った顔を見守っていた。
本来であれば
眠りとは癒しであって欲しい。
「たった齢18の子に
この様な業を背負わせるとは⋯」
ロロの手に匣を握らせると
胸元で組ませる。
「主よ⋯
今、御許に参ります」
ロロにゆっくりと顔を寄せると
青龍は額と額とを合わせた。
青龍の躯が桜の花弁となり散り
桜吹雪がカーテンを揺らすと
蒼白い月に照らされた救いの鐘が
見送る様に月明かりからの光を
揺れ開いた隙間に向けて反射させている。
「鐘の音が⋯聴こえる⋯」
寝言ちたロロに
額を合わせながら
青龍は微笑みを浮かべ
全てを花弁と散らせ消えた。
ー鐘の音が⋯聴こえる⋯?ー
温かだが硬い感触に
私は目を開いた。
視界に現れたのは
一面の深夜を想わせる
漆黒の中にキラキラと溶け込む濃紺。
『ろろ⋯』
穏やかな声が耳では無く
脳を過ぎる。
上体を起き上がらせると
視界一面の深夜の夜空の様な景色は
自然光に青光りする黒い鱗であり
温かく硬いその感触から
耳に響く鐘の様な音は
血脈を巡る心拍音なのだと気付いた。
私はドラゴンの姿のセイリュウの
丸めた躯に包まれていた様だ。
『ろろ⋯参りましょうか。
主の許へ!』
首を擡げた頭頂部には
立派な琥珀色の角を構え
私の身の丈はある山吹色の双眸で
見つめるセイリュウに応える様に
私はその背に登る。
幾度か視たセイリュウのその姿よりも
ひと回り程大きなこの体躯が
本来のセイリュウなのだろう。
「まさかとは思うが
この状態で飛ばれるのは
些か不安なのだが⋯?」
背に登ったものの
鱗の上は滑り易く不安定で
先の言葉の通り
このまま飛ばれたら間違いなく
私は滑落するだろう。
『主は蔓を
手綱にしておりましたな⋯』
ーふむ。ならば私はー
「セイリュウ
私のする事に〝畏れる〟なよ?」
指輪の魔法石に魔力を篭め手を組み
掌に炎を生むとその掌を離し
炎を長く引き延ばしていく。
『ほお。
炎の手綱でございますか』
私の炎は畏れを感じなければ
その者を焼き尽くす事は無い。
炎の手綱をセイリュウが咥え
私を乗せ高く高く飛翔すると
景色がサクラの花弁となり散り
夢散した箇所に勢い良く
その刃の様に滑らかな両翼を翔かせて
飛び込んだ。
《キィオオオオォォオッ!!》
空に色が無くなり
結晶の彼女の夢に入った瞬間
不死鳥の咆哮が体躯を穿き抜け
粘着質なタールの様な闇が
視界に拡がる。
「六根清浄⋯急急如律令!!」
炎の手綱を引き
セイリュウを旋回させると同時に
サクラの花弁により五芒星が描かれ
魔法障壁が闇を跳ね返した。
「ろろさん!⋯青龍!?」
炎の手綱を解除し
セイリュウの背から飛び降りると
私は男の横へと降り立った。
「やれやれ⋯
何とみっともない姿をしているのかね?」
男の濃紺の民族衣装は肌蹴け乱れ
戦闘の痕跡で彼方此方が煤けている。
「今そこですか⋯?
何とも手厳しい」
「当たり前だ。
卿は世界を滅する事になっても
妻を救うと意を決したのであろう?
セイリュウに傷を肩代わりさせてまでも
この有り様とは、何と嘆かわしい」
男は衣装の乱れを正すと
ニッと細い目元を吊り上げ
まだ決意は削がれていない事を示す。
「よろしい。
では、私達が粛清してやろう!」
男はサクラの花弁を舞わせ
私は錫杖を炎より召喚し
飛翔する不死鳥に構えた。
「まだまだ
若者に負ける訳にはいかないですね!
では、お先に!」
男は袖から紙の束を取り出すと
宙に放つ。
放たれた札は一枚ずつ
練り込まれた魔力で宙に留まり
それを足場に男は不死鳥に向かい
飛び込んで行った。
「ほお。
やはり彼奴は腹が立つ程
優秀な魔法士だな」
魔力を世界から消すという
同じ趣意で無ければ
真っ先に標的にしたい位だ。
「紅蓮よ。
この身を焦がし⋯私を導け!」
男に習い宙に炎を灯し、地を蹴り上げ
襲い来る闇を交わしながら
不死鳥に向かい二人で宙を駆ける。
「くすぶる欲望!!」
炎を身に纏い私が攻撃に転じれば
男は不死鳥の動きを封じようと植物を操り
私達が攻撃を躱す際にバランスを崩せば
セイリュウが足場となる。
即興とは云え
不利な空中戦にも関わらず
実に統制が取れていた。
癪に障ったのか
不死鳥が出鱈目に飛び回り
その羽撃きと風圧で
私達に足場を創る隙を奪う。
男がセイリュウの背に飛び乗るが
足場を失い宙に放られた私は
〝あれ〟の実行に移る決断をした。
身に纏うくすぶる欲望を背に集中させ
炎の翼に形成すると
紅蓮の花の種が入った匣を取り出した。
「トキヤぁぁぁぁぁ!!」
名を呼ばれ咄嗟に此方を振り向いた男は
刹那の瞬間、腑抜けた顔を見せたが
私の策を心と共に読み取ったのであろう。
表情を引き締めると
一枚の札に魔力を篭め始めた。
「元柱固具、八隅八気、五陽五神
陽動二衝厳神、害気を攘払し
四柱神を鎮護し、五神開衢
悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し
元柱固具、安鎮を得んことを
慎みて五陽霊神に願い奉る」
トキヤが詠唱を開始している間に
紅蓮の花は私の炎の翼を喰らい
根を張り始める。
「彼の者を護り給え!急急如律令っ!!」
躯に根が張る瞬間
私の背にサクラの花弁で五芒星が描かれ
ビタリと根や蔓は躯には触れず
成長を繰り返し増殖し
より紅く燃える紅蓮の花の翼と成った。
「青龍⋯聴きました?
ろろさんが初めて⋯
僕の名を呼んでくれましたよ!!」
『ええ、時也様。
それにしても血腥い闘いの合間とは云え
美しいと想わせるのは
まるで奥方様と同じですな⋯』
時也と青龍は
紅蓮の花という両翼を翔かせ
天使さながら煌めく火花を纏い
不死鳥に対峙するロロの姿に想いを馳せた。
『ろろは⋯
ろろの世界に居られる
奥方様の〝子孫〟なのやもしれませんね』
時也は以前に視たロロの記憶での
聖堂に飾られた聖女像の
慈愛に満ちた微笑みを思い返した。
彼もまた不死鳥の子孫であるならば
その光の強さ故に生じる闇は
濃い物と成りかねない。
彼の世界で真に危ういのは⋯
「僕が救いたいのは、僕の妻である
あの世界の彼女唯一人です。
しかし、願わせてください。
どうか⋯彼をお護りください。
彼の世界のアリアさん⋯」
時也はロロの為に祈祷を篭めた護符を
胸に強く抱き
紅蓮の花を操る為、魔力を更に練った。
ーこの技は、腹立たしいが
彼奴無しでは成し得ないな⋯ー
如何に魔力の制御が得意でも
紅蓮の花が躯内の魔力に
反応しない様にするのは至難の技だ。
サクラによる
植物を操るユニーク魔法を持った
トキヤの存在が必要不可欠となる。
トキヤの妻で
自らをその結晶に封じた彼女の
祈るままの姿が想起される。
不死鳥に心を蝕まれ
今も未だ
彼女は血の涙を流しているのだろうか⋯?
「⋯すまない」
この方法は
彼女には酷なものかもしれない。
然しこれが
一番早い策なのだと解って欲しい⋯
ー私が、救ってやろう!ー
私は一際大きく
紅蓮の花の両翼を拡げる。
《キィオォオオオォォオッ!!》
察するかの如く
咆哮を上げた不死鳥が
私目掛けて突進して来た。
「んっふふ!
散々、貴様は絶望を振り撒いたのだ。
今になって、 何も畏れる事は無かろう?
この⋯悪党めっ!!」
拡げた両翼を一気に羽撃かせると
紅蓮の花の種を乗せ
幾枚もの炎の刃と成った羽根は
不死鳥の躯を穿ち続けた。
《ギィィイイイィイイィィイッッッ!!》
耳障りな断末魔を放つと
躯をのたうち回らせながら
不死鳥が墜落していく。
「トキヤっ!
雪辱を晴らしたまえ!!」
私の叫びに
トキヤは心を読み取り
ハッとした顔を向けた。
それは彼女を想ってか
刹那、躊躇ったものを浮かべたが
直ぐに墜落していく不死鳥に向き直り
人差し指と中指とで刃の如く突き出す。
「臨!兵!闘!者!
皆!陣!烈!在!⋯⋯前っ!!」
トキヤにより
魔力供給過多で枯れない様に
紅蓮の花を制御させつつ
成長と増殖を促す。
「紅蓮よ!私を⋯導けっ!!!!」
私は更に紅蓮の花を
ありったけ奴に撃ち込み続けた。
ー今ある魔力を、全て注ぎ込もうとも!!ー
「「うおおおぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」」
私もトキヤも
魔力を篭める腕が軋みを上げ
血が吹き出そうとも
魔力の放出を止めなかった。
『ろろ!時也様っ!』
不死鳥が地に墜ちる瞬間
轟く雷鳴と共に閃光が穿つ。
セイリュウの魔力も加わり
紅蓮の花は不死鳥の躯でみるみる育ち
根と蔓を張り巡らせ
次々に貴婦人の如き花を咲き誇らせていく。
不死鳥の躯がどろりと
粘着質なタールの様な闇に変わり
地面に吸い込まれていくと
咲き乱れる紅蓮の花の根と蔓の中に
彼女の結晶が現れた。
ー撃退できた⋯のか?ー
トキヤも私も
既の所で魔力が尽きる直前であった為
くすぶる欲望の両翼と
それを喰らっていた紅蓮の花が
同時に掻き消えて行く。
翼を失った私の躯が墜ち始めると
セイリュウがすかさず咥え掴み
共に薄紅色の花弁が舞う
大樹の傍へと降り立った。
瞬間
根に入り込まれた結晶に亀裂が入り
ついには砕け散る。
「あ⋯あ、わあぁぁっ!」
トキヤがセイリュウの背から滑り落ち
力を振り絞り地を這う様に
彼女の許へと躯を引き摺り寄って行った。
「⋯アリアさん!アリア⋯っ!」
金色の睫毛に伏せられた双眸から
燃ゆる様に紅い瞳が花開く。
そして祈る手を解き
地を這うトキヤの頬をその掌で包むと
優しく手繰り寄せ唇を重ねた。
「⋯待っている」
そう言うと彼女は
トキヤから離れる。
いや、離されていく。
「あぁ!嫌です⋯嫌だっ!」
彼女の躯は無数の蔓に
それはまるで磔にされた神の子さながら
しかし聖女の如く慈愛に満ちた微笑で
紅蓮の花に包まれていく。
膨大な不死鳥の魔力を吸い上げ
さらにトキヤの能力により
強靭となった紅蓮の花が
彼女の躯だけではなく
彼女の夢一面に咲き誇り始めた。
もうトキヤには
紅蓮の花を操る程の魔力は
今は無い⋯
「この⋯腑抜けが!
セイリュウっ!!」
私は悲鳴を上げる躯に鞭を入れ
泣き喚くトキヤを抱き抱えると
セイリュウの上顎から長く伸びる髭に
二人分の躯を巻き付ける。
「私の夢に渡れ!!」
『⋯承知致しました!』
地を蹴り上げ飛翔するセイリュウの目前で
彼女の夢がサクラの花弁に巻き上げられ
夢散していく。
色の無い彼女の夢で
紅蓮の裾を靡かせて
貴婦人達が踊り舞う。
貴婦人達の舞踏会を
セイリュウに掴まりながら
今は⋯
二人で観覧している事しかできない。
「彼女は⋯
卿に〝待っている〟と
言ったのであろう?」
トキヤは大粒の涙を隠すこと無く零し
サクラと貴婦人の花弁に掻き消えていく
愛する妻とその世界を見つめ続けている。
フワリと歴史ある薫香が漂い始め
私達の躯は私の夢の鐘楼の床に伏した。
「彼女は以前、 待つ事を諦めて
自らを封印するに至った。
だが、今度は〝待つ〟と言ったのだ!
貴様は、いつまで腑抜けている気だ!」
強く言葉を発したものの
トキヤの気持ちは解る。
それと同時に
羨ましかったのかもしれない。
私があの子と
〝生きる〟世界で相見える事は
絶対に叶わないのだから⋯
怒りと羨望を落ち着ける様に息を吐くと
私はトキヤの背を撫ぜた。
「主⋯
ろろの仰る通りでございますよ?」
青年の姿に戻ったセイリュウも共に
泣き愚図る様に身を縮め
鐘楼の床に伏したその背を撫ぜた。
「一刻も早く⋯
無数の世界の不死鳥の魔力を削ぎ
彼女を迎えに行かないと⋯です」
床に顔を埋めたまま
トキヤがぽつりぽつりと呟く。
「ああ⋯
それが賢明だ⋯」
何も語らぬ結晶の姿であろうと
魔力を送り続け
更に絶望を感じさせぬ様にと
努め上げてきたのに
今はどんな姿の彼女にも逢えない⋯
ーだが、きっと
今の彼女の方が穏やかなのであろうー
紅蓮の花に磔られていく彼女の顔に
悲壮さは皆目無く
魔力を吸い上げられる苦痛もあるだろうに
どこまでも慈愛に満ちて微笑んでいた。
「⋯ひぐっ!ぐぅ、ううううぅぅっ!」
ーまたか⋯ー
背を撫ぜられていたトキヤが
私の膝に縋り付き嗚咽を漏らし始めた。
またかとは思うが嫌悪感は無く
セイリュウと二人
今は赤子の様に噎び泣くその背を
唯々、あやし続ける。
「大変⋯お見苦しい所を
お見せしてしまいました⋯」
一頻り泣き喚いた後
目を腫らし、鼻を赤くさせたトキヤが
正座し深々と私に頭を下げた。
「まったくだ⋯
卿のその様な腑抜けた顔を
もう視る事は無いと願いたいところだ」
私は悲鳴を上げる躯を
鐘楼の救いの鐘へと進める。
「私の夢の中では
魔力を放ちはしないだろうが⋯
手向けに聴くと良い」
救いの鐘の横に設置された綱を
力一杯に引き、そして弛め
揺れる大鐘の内で舌が撞くと
夢の中とは云え
腹の奥にまで見事な鐘の音が響き渡った。
「現実はさらに
荘厳な音色なのでしょうね⋯」
トキヤとセイリュウの足許から
サクラの花弁に変わり散り始める。
「ああ。実に荘厳だ。
偶になら⋯鐘を聴きに⋯
私の夢に来ても⋯構わん⋯。
偶にだからな!」
「ろろは素直ではありませんなぁ!」
セイリュウに揶揄られ
私は口許をハンカチで隠す。
「早く行きたまえ!
まだ我々は成さねばならぬ事の
一歩目を踏み出したばかりであろう?」
私はトキヤに向け
とある物を投げ付けた。
「これは⋯?」
「私の服に付いていた
紅蓮の花の実生だ。
今はまだ魔力が枯渇した卿には
生み出せぬだろうからな。
彼女の為にも、持って行きたまえ」
鱗の匣には玻璃に炎を閉じ篭めた様な
紅蓮の花の種が紅く輝いて詰められている。
セイリュウが居なければ
私はそれらを現実には持ち運べない。
ならば使える者が持っていた方が良い。
「ありがとうございます。
ろろさんに、 逢えて良かった⋯!
お互いに頑張りましょうね!」
「ろろ。
どうか、お達者で!
また⋯お逢い致しましょうぞ」
二人の躯がフワリと花弁と共に舞う。
ふと、夢を渡り始めた事で
魔力を消費しているセイリュウと
視線が絡む。
その姿は、私と同じ歳の功だろうか?
花弁となり散って行く二人の顔は
とても穏やかで
だが決意に満ちたものであった。
私は再び、綱を引く。
ー鐘の音が聴こえるかね?
雷の様に大きく
囁く様に小さい
救いの鐘の音が⋯ー
『おん かかか びさんまえい そわか』
一枚のサクラの花弁が
セイリュウが戦勝祈願だと教えてくれた
詠唱の言葉を柔らかなトキヤの声で伝える。
お互いの世界の為にと
私は目を伏せ
救いの鐘に祈りを捧げた。
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