少しの肌寒さと、日の光の眩しさで目が覚める。
どうやら、あんまりの眠たさのせいで御者台の上で眠っちまってたみてぇだな。
5年前は徹夜しても何ともなかった筈なんだが…いよいよ年かねぇ、俺も。
にしても妙だな?
普段ならいくら眠くても、馬を馬房《ばぼう》に戻すぐらいはするんだが…。つーか、馬どこ行ったよ?馬車に繋がれてねぇんだが?
大体、俺がこんなとこで寝てたら誰かしら俺のことを起こすと思うんだが?誰も俺を起こそうとしなかったみたいだ。みんな寝てんのか?
いやいやいや、もう朝の6時になる頃だぜ?誰も俺を起こしに来ないっておかしいだろ!?人の気配が全然しないんだが!?
まだ少しぼやけた意識を両頬を叩くことで覚醒させ、施設の様子を確認する。
他の連中も何だかぼやけた表情をしながら、そんでもって若干ふらつきながら施設内を歩いている。
オイオイオイ、マジで他の連中も寝てたっていうのか?こんなことあのクソ侯爵に知られたら、俺達全員バラバラにされちまうぞ?
あー、そうだ!王都に持ってったガキ共を元の場所に戻さねえと!
んー…?でも戻す必要あんのかね?あのクソ侯爵からは処分するように通達があったわけだし…いっそのこと、ゴミ捨て場にでも捨ててこようか?
あーっ!そうだ!馬が何故かどっか行っちまったから、運べねぇじゃんかよ!?
ダリィー!こっから俺がゴミ捨て場まで持ってかなきゃなんねえのかよぉー!?面倒臭ぇー!
駄目元で馬舎に行ってみるかぁ。もしかしたら、馬が勝手に戻ってるだけかもしんねぇし、別に馬はあの2頭だけじゃねえからな。他の馬を連れてくりゃいいだろ。
………いねぇ。
馬舎に馬が1頭もいねぇ!?どういうことだよ!?鍵もちゃんと掛かってるし、荒らされた様子もねえってのに、何で馬が1頭もいねえんだよ!?
おかしいぞ!?何か良く分からんが、絶対におかしいぞ!?
他の連中はどうしてる!?クソ!異常事態に気付いてるのは俺だけか!?他に誰かいねえのか!今の状況がおかしいって思ってる奴は!?
「うぉーい、んなとこに馬車置きっぱにしてんの誰だよー?邪魔じゃねーか」
「んー?コレ棺が付いてるから昨日王都に持ってった奴か?」
「じゃあデイブか?アイツどこ行ったんだ?」
やっべ!馬車そのまんまにしてたから他の連中の邪魔になっちまってる!つーか、アイツ等は異常事態に気付いちゃいねえのか!?
「お、おいお前等っ!大変だっ!馬がいねえ!馬舎に馬が1頭もいねえんだ!」
「おいデイブー。馬車こんなとこに置きっぱに…って何だって?」
「馬がいない?」
「どういうこったぁ?ぅっ…ふぁあ~あ…」
「俺だってわっかんねえよ!いつの間にか御者席で眠っちまってたみたいで、目が覚めたら馬車に馬が繋がれてなかったんだよ!」
コイツ等、揃いも揃ってのんびりした口調で喋りやがって!少しは慌てろよ!おいポール!あくびしてんじゃねえ!
「えっ?何?お前、御者席で眠っちまってたの?」
「だぁからもう年なんだって。庸人《ヒュムス》ってのは30過ぎたらもう若くねえんだよ」
「これでお前も晴れてオッサンだな。こちら側にようこそ。歓迎するぜ?」
「冗談言ってる場合かよ!居眠りして馬が皆いなくなったなんて侯爵様に知られたら、俺達どうなるかわかったもんじゃねえんだぞ!?」
コイツ等状況を理解出来てんのか!?下手すりゃ俺達もあの馬鹿共みたくバラバラにされちまうんだぞ!?
「なぁに、侯爵様はアレで寛大な御方だぜ?確かにあの御方を煩わせたらただじゃあ済まないが、自分でミスを賄えりゃあ、文句は言われねえんだ。その辺にいる野生の馬でもとっ捕まえてくりゃあ、問題ねえさ」
「問題はそこじゃねえよ!馬が勝手に逃げ出したような感じじゃなかったんだ!侵入者の可能性があるんだよ!」
「つってもなぁ・・・俺達も今起きたばっかだし…」
今起きたばっか!?じゃあやっぱりおかしいじゃあねえか!
ここは職員が交代制で1日30時間、休む事なく機能してる筈なんだぞ!?
「なぁデイブ~、お前ガキ共どしたん~?もうすぐ死ぬからって、途中で捨てて来たのかぁ~?いくら侯爵様から処分しろって言われてるからって、それはちょっと雑過ぎじゃね?」
「は?何…言ってんだ?」
ガキ共を捨てて来た?んなわけあるか!つーか、俺ぁ今から処分しようとしてたとこだったっての!
「いや、棺にガキ共がいないから、途中で捨ててきたのかなぁって…」
「おい大変だっ!!ガキ共が…!ガキ共が1人もいねえぞっ!!つーか夜勤の連中は何してやがったっ!?」
「「「は?」」」
おいおいおいおいおい!?どういうことだよっ!?何が起きてるんだよ!?誰が、何をしてこんなことになってるんだよ!?
突然、体が動かなくなった。
いや、動けないわけじゃない。ただ、動くわけにはいかないと言うか、何かとてつもないものがすぐ傍にいる。そんな感じが、急にしたんだ。
今すぐここから居なくなりたいと思ってるのに、ちょっとでも動いたら、すぐにでも殺されちまうような、そんな恐怖が俺の体を支配して体を動けなくしている。
「お、おい…アレ…」
「アレは…なん、だ…?」
声に釣られて他のヤツ等を見れば、ソイツ等はみんなして空を見上げてやがる。
見ちゃ駄目だ。見たらきっと、全部終わる。終わっちまう。
だが、俺はそんな本能よりも好奇心の方が勝っていたようだ。他の連中同様、上を見上げちまった。
アレは、何だ?
人の形はしている。
だが、頭からは角が生えてるし、背中からは羽が生えてるし、20m以上ある尻尾まで生えてやがる。
顔は良く見えない。見えているのに、その顔がどういう形なのか認識できない。だが、両目に当たる場所が虹色に光っていることだけは理解した。
竜人《ドラグナム》…なのか?
いやいやいやいやいや、ありえねえって!!
ドラゴンの部位が3つもある竜人何て聞いたことないっての!変身したドラゴンだってそんな奴は確認されたことなんてなかった筈だ!
ホントに何なんだよアレは!?何でココを見下ろしてるんだよ!?まさかここに降りてくるっていうのかっ!?
止めてくれ!来ないでくれ!どっかに飛び去ってくれ!
そんな願いも通じずアレの翼の節の先端から、何かが勢いよく噴き出した。
次の瞬間
とんでもない衝撃がこの施設全体を襲い、その衝撃で俺達は全員上空へと打ち上げられた。
あっ、駄目だ。死んだわ、俺達。
打ち上げられた高さは30m以上はある。アレがいた高さよりもさらに上だ。だがそんなことは別にどうだっていい。
下を見てみたら、アレが地面にいたんだ。
施設の地面はアレを中心にして、これでもかってぐらいに崩壊しちまっている。
まるでここだけ超強烈な地震が発生したような感じだ。多分、とんでもない速度で落下してきたんだと思う。それだけでもない気がするが。
とにかく、今のでこの施設は全部終わりだ。実験器具も機材も薬品も、全部駄目になっちまったに違いない。
あんなバケモノが、何でこんな辺鄙な研究施設に現れたのかは分かんねえけど、まぁ、どうせこのまま地面に激突したら俺達は死んじまうんだ。難しく考える必要なんかないか。
今まで散々禄でもねえことしてきたし、やっぱ天罰ってヤツなのかねえ。
けど、一瞬で死ねるみてえだし、やっぱ、天空神様ってのは優しい神様なのかもしれないな。どっちかってえと、死んだ後に導魂神様にどれだけキツイ罰を与えられるかの方が怖いかな?
なんて気楽に考えてたんだが、どうやら神様はとんでもなくお冠だったらしい。
気付いたら、俺の顔に何か硬い物が当てられていた。アレが、いつの間にか俺の目の前にいたんだ。あれの拳が、俺の顔面に打ち込まれていた。
当然だが、メチャクチャ痛ぇ。しかも殴られたことでとんでもない速度で地面まで俺の体は落下していったんだ。
俺だけじゃねえ。他の連中も大体同じだ。
とんでもない速さで他の連中の所に移動して、俺と同じように顔面に一撃くらわして地面に叩き落としていやがる。
俺の落下する速さよりも速くそんなことができるってのも信じらんねえが、何で俺みたいな一介の研究員がそんなことを知覚できるかの方が、よっぽど恐ろしかった。
本来なら、そんなことが分からないまま地面に激突して俺は死んでる筈なんだ!顔面を殴られた痛みとかも、気にする必要なんてない筈なんだ!
体が、地面に激突する。
痛い痛い痛い痛い痛い!!痛いいいいい!!!
何だこれ!?何で痛いんだよ!?何で俺の体はくっついたままなんだよ!?30m以上の高さからヤバい速度で地面に激突したんだぞ!?何で体がバラバラにならないんだよ!?
そもそも何で俺は生きているんだよ!?!?
体は相変わらず動けねえ。痛みがどうこうって理由じゃねえ。今もアレが現れた時から感じた恐怖が体を支配して動くことができねえんだ!
他の連中が地面に激突していく。やっぱり他の奴等も俺と同じで体はくっついたまんまだ。あの様子だと多分死んでねえな。ショック死してもおかしくない痛みを俺と同じように味わっている筈だ。
と思っていたら、今度はいつの間にかアレの尾が俺の心臓部に突き刺さってた。尾の先端にはメチャクチャ鋭利な直剣のようなものが生えていて、それが俺の心臓を貫いている。
痛いぃっ!!痛いし、苦しい!!それなのに俺の意識は保たれている!
おかしいだろ!?心臓を刺されたんだぞ!?血だって大量に出てんだぞ!?何で俺は死なないんだよ!?
他の連中もやっぱり心臓をアレの尾に貫かれてる。尋常じゃない速度でだ。
さっきからおかしいことが続きすぎてる!俺が死なないのもおかしいし、本来なら知覚することのできない速さを知覚できてる!
知覚できたって体が動かないんじゃ意味がねえ!それどころか、次に何をされるのか、どんな目に遭わされるのか、それが明確に理解出来ちまううえに防ぐことも避けることもできねえから、只々怖えだけだ!
痛いし苦しいが、それでも俺は許されないらしい。アレの翼の先端から再び何かが噴き出し始めた。
その直後、俺の体が、いや、俺達全員の体が上空に吹き飛ばされる。
分かり辛かったが、本来なら人間じゃどうやっても知覚できないような速さで移動して俺達を1人1人、上空へ蹴り上げたんだ。
俺達は既にとんでもない高さまで打ち上げられている。さっき吹き飛ばされた高さなんて目じゃねえ。これ絶対100mは余裕で越えてる高さだ。
ちなみにだが、こうして冷静に自分の状況を考えることができてんのに、ちゃんと痛みも苦しみも感じてるんだ。
俺達のこの異常な感覚。どうやってんだかサッパリ分っかんねえけど、とにかくアレが原因だってことだけは何となく分かった。
アレは、どうにも俺達に肉体のダメージで死ぬことはおろか、痛みや苦しみによる精神的なダメージで死ぬことすら許しちゃくれないらしい。
あの虹色に輝く双眸が、[簡単には死なさん]って言ってるような気がしてならねえんだ。
いやいやいや、今度は魔術かよ。しかもなんだそれ?
研究施設の面積を軽く覆えるぐらい馬鹿デカイ火球と、もう1つは何だ?同じくらいデカイ水球?なんとなくだが、違う気がする。ただ、メチャクチャ冷たそうだってことだけは分かった。
今度は熱いのと寒いのを同時ですか、そうですか…。
止めてくれ。
頼むからさぁ!やめてくれよおおお!もう死なせてくれえええ!!
訳が分かんねえよ。しっかりと熱さと寒さを同時に感じてるのに、体は五体満足を保ってるんだよ。
何でだよ。今ので辺り一面、地面の半分は溶けてマグマみたくなってるし、もう半分は氷漬けになっちまってる。
崩壊した場所から水道管が破裂したみたいで、そこから水が噴き出たんだが、あの水球もどきが触れるどころか、ほんの少し近づいただけであっという間にカチンコチンに凍っちまったんだ。
どう考えても、熱さも寒さもただの人間に耐えられる温度変化じゃない。なのに何で俺達は全員体がちゃんと残ってるんだよ!?
アレが誰かに近づいてく。手には大量の魔力が溜まっていってる。
冗談キツイぜ。あの魔力量、下手なドラゴンを軽く超えてるんですけど?アレが手を開くと、そこには子供の拳ぐらいの大きさの魔石が出来上っていた。
常識外れにも程があんだろ。魔石って作れるもんなの?初めて知ったわ。
で?その魔石どうすんの?
ねぇ、待って。
なんでその魔石心臓に近づけてんの?
そんなもの心臓にくっつけられたら、全身に制御不能の魔力が暴れまわって、体がバラバラになっちまう!
あ、ああ、あああああ!!?!
やりやがった!!ホントに心臓に魔石を埋め込みやがった!!
魔石を埋め込み終わったら、ぞんざいに放り投げて他の奴にも同じように魔石を埋め込み始めやがった!
アレは一体何がしたいんだよ!?俺達が苦しむ様を見て楽しむつもりだってのか!?悪魔かよ!?
ああああ!?俺のところにも来やがった!?やめろ!来るな!もう十分俺達を痛めつけただろう!?いい加減死なせてくれよ!?
手にした魔石を同じように手慣れた動作で俺の心臓部に埋め込んでいきやがる。
何なんだよこの魔力は!?心臓に埋め込まれた瞬間、俺のものではない、それでいて強烈過ぎる魔力が一気に全身を駆け巡り、激痛を与え続けている。
こんなことされたら、本来なら1秒も満たない内に全身がバラバラになってはじけ飛ぶはずなのに、俺達の体は全員無事だ。壊れちゃいない。
だからこそ、全身に激痛が渡り続ける。無尽蔵とも思えるような魔力が心臓で大量に作られ続けて、それが全身に送られ続けてる。どんどん痛みは増幅していく。
必死になって、俺は目でコイツに訴えてみた。
いい加減死なせてくださいって。何で俺達がここまで苦しまなきゃならないんですかってさ。
俺の願いが通じたのか、コイツは俺を放り投げるようなことはせずにじっと虹色の瞳で見つめて来た。
ここまで近くにいる筈なのに、顔がしっかりと認識でない。目も、虹色だってわかる以外はどういう形をしているのか、理解ができない。
コイツは、『格納』と思われる空間から、1冊の本を取り出してきた。
待てよ。何でソレをお前が持ってるんだよ?おかしいだろ!?ソレはこの施設の最重要機密だぞ!?何でソレがお前の『格納』から出て来るんだよ!?
だが、納得がいった。コイツは、俺達がここでやってきたことを全部知ってるんだ。その内容を、俺達に再現してるってことなのか?
マジで勘弁してくれよ!?従わなかったら俺があのクソ侯爵に殺されてたんだぞ!?俺達はあのクソ侯爵に雇われた時点で、ああするしかなかったんだよ!
死にたくねえんだから当然だろうが!赤の他人よりも自分の命を優先して何が悪いんだよ!?どうすればよかったっていうんだよ!?
「……お前達も、辛かったようだな。どうしようも無かったんだな」
えっ?
コイツ、俺達の言葉が分かるのか!?いや、本を読めたってことは言葉が分かってもおかしくは無いのか。
いや、っていうか、今俺の考えを読み取ったのか!?
俺の考えてることが分かるんなら、助けてくれとは言わねえよ!せめてもう楽に死なせてくれ!
「良いだろう。最後ぐらい、苦しまずに終わらせてやる」
よ、良かった…。
コイツが何なのかはまるで分んねえが、とりあえず意思の疎通はできたみたいだし、願いも叶ったみたいだ。
ようやく、この苦しみから解放される。
どうか、来世はクソ侯爵みたいな奴と関わらない人生を送りたいものだ。
が、俺はまだまだ自分の都合の良いように物事を考えていたらしい。
「…とでも言うと思ったか?死を懇願してきた被験者達を、お前達は一思いに終わらせたか?死を懇願してもなお続く苦しみ、最後の最後まで味わい絶望の中で死ぬがいい。お前達が苦しめてきた被験者達と同じようにな」
はっ、ははは…。
あんまりだ。
あんまりだろおおおおお!?!?
なぁ、何してるんだ!?何で自分の手を切ってるんだよ!?おい!?その血をどうするつもりだよ!?
やめろ!止めてくれ!ただでさえ魔石の魔力が体中を痛めつけてるんだぞ!?そんなの体に流されたら……。
やめろおおおおおお!!!
アドモゼス歴1482年 羊の月20日
その日、ティゼム王国のとある侯爵が保有する土地が突如として崩壊した。
その破壊痕は筆舌に尽くしがたく、300年以上の時が経過した今もなお人間が立ち入ることのできる空間ではなくなってしまっている。
原因は未だに解明されていないが、この地の環境と酷似した場所がもう1ヶ所だけ存在している。
そう。かの”黒龍の姫君”の逆鱗に触れ、先日、一夜の内に滅び去ったあの国の跡地と同じ環境である。
だが、当時は”黒龍の姫君”が活動したという記録は残っていない。その当時の”彼女”は自身の力を抑え、人間に成りすまし、人間と言う存在を学んでいる真っ最中だったからだ。
それでもあの国の跡地と同じ環境を作ることのできる存在は、今もなお”黒龍の姫君”を除いて存在しないだろう。
それはつまり、件の侯爵が何らかの理由で”彼女”の逆鱗に触れてしまったからだと言われている。
現在、”黒龍の姫君”は”楽園最奥”にて生活を続けて殆ど私達の前に姿を現していない。だからこそ、”彼女”がいつ私達の元に現れても良いように、こうして記録を残す必要があるのだ。
“彼女”の恐ろしさを忘れ、逆鱗に触れないように、今後も人類が繁栄し続けて行くためにも。
アドモゼス歴 1836年 鳥の月 21日 エルニカ=モスダン著
~逆鱗に触れた者の末路~より抜擢
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