テラーノベル
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4723字
その日は朝からずっと雨が降っていた。窓の外を叩く雨粒は時間が経つにつれて勢いを増し、事務所のガラスを白く曇らせている。
「んぇ、雷鳴ってるやん」
打ち合わせを終えた不破は、廊下を歩きながらスマートフォンを確認した。
どうやら台風が近づいているらしい。
帰る頃にはもっと酷くなっているかもしれないな、とぼんやり考えていたそのとき。
「あれ、不破っち?」
「あ、ローレン」
廊下の角から顔を出したローレンと目が合った。
「お疲れ、今終わり?」
「うん。ロレは?」
「俺も今収録終わったとこ。ていうか、不破っち傘持ってきた?」
「あー…」
「ふはっ、俺も忘れた」
「んぇ!?朝から降っとったのに!?」
「いや不破っちも忘れてんだよね?笑」
「ははっ」
「え、俺と話すの飽きてますやん」
いつもの調子だった。
不破がよく分からないことを言って、ローレンがツッコむ。それだけのなんでもない時間。
―だったはずなのに。
突然、事務所の照明が落ちた。
「え?」
明るかった視界が途端に真っ暗になり、 一瞬何が起こったのか分からなかった。
「停電!?」
「ちょ、機材大丈夫!?」
「収録中のスタジオ、確認して!」
「誰か懐中電灯!」
暗闇の中でいくつもの声が重なった。
人が走る音、慌ただしい足音、誰かが何かにぶつかった音。スマートフォンのライトがあちこちで点灯して、視界の端を白い光が何度も横切る。
ざわざわ。
ざわざわ。
ざわざわ。
「……っ」
その慌ただしさとは反対に不破の呼吸は止まっていた。
暗い。うるさい。怖い。
誰かが怒鳴っている。何かが倒れる。
数え切れないほどの足音がするのにその一つも自分を見ていない。誰も、自分を見ていない。
誰も。
「……っ、は……」
胸が苦しい。呼吸の仕方を忘れたかのように酸素を上手く取り込めない。
「不破っち?」
声が聞こえる。そうだ、ローレンがいる。
なのに ――違う。 これは、違う。
ここじゃない。 今じゃない。
頭では分かっている。 分かっているのに。
身体だけが、ずっと昔のままだった。
幼い頃。 暗い部屋。 誰もいない家。
帰ってきても、誰も「おかえり」と言わない。
泣いても。 熱を出しても。 怪我をしても。
何をしても。 誰も見てくれなかった。
――いや、 見ていた。
見ていたけれど、 見ているだけだった。
『うるさい』
『汚い』
『面倒くさい』
『巻き込まれたくない』
関心のない目。同情の目。軽蔑の目。
俺を見るその目に温かいものは何もなくて。
まるで 自分なんて最初から存在していないみたいな、 そんな目。
家の様子がおかしいと気づいても 誰も何も言わなかった。 誰も踏み込んではくれなかった。
先生も、 友達も、 みんな見て見ぬふり。
だから俺は いつしか期待することをやめた。
助けてほしいと思うことも。
誰かに気づいてほしいと思うことも。
全部 諦めた。
――大丈夫。 そうやって笑っていればいい。
誰にでも優しくして。 誰にも迷惑をかけずに。
誰にも期待しなければ。 きっと傷つかない。
「……っ、は……っ」
苦しい。 息ができない。 足に力が入らない。
不破は壁に手をついた。
「不破っち?」
「……ごめん」
「え?」
「ちょっと…トイレ、行ってくるわ」
声が震える、 それでも笑おうと必死に努めた。
いつものように 何でもないふりをして。
「いや今は」
「大丈夫やから」
「いやいや」
ローレンの声が、すぐ後ろから聞こえた。
「大丈夫じゃねぇだろ」
「……」
「不破っち」
「大丈夫やって」
「嘘つけ」
口調のわりに優しい声で。けれど 今はその優しさすら怖かった。
見ないで。 こっちを見ないで。 お願いだから。
放っておいて。 そう思うのに身体は言うことを聞かなくて。
「……っ」
膝から力が抜ける。
「不破っち!」
ローレンが咄嗟に腕を掴んだ。
けれど、不破はそのまま床にしゃがみ込んでしまう。
「……っ、は……」
「おい!」
「……は、ぁ……っ」
「不破っち!俺の声聞こえる?」
目の前にいるのはローレンなのに、 見えているのは ずっと昔の 自分だけだった。
「……ごめんっ…!」
「え?」
「ごめん…っごめん…」
ローレンの表情が強張る。不破が一体何に謝っているのか分からない。ローレンに迷惑をかけて謝っているのかと思ったが、不破の目にローレンは映っていなくて、その考えは違うのだとすぐにわからされたから。
「いや、謝らなくていいから」
「ごめん、俺っ…」
「不破っち」
「っ…ごめんなさぃ…」
「っ!謝らなくていい!」
少し荒げたローレンの声に、一瞬だけ現実に引き戻された不破がビクッと怯えるように肩を震わした。 そんな幼子のような不破の姿に、ローレンは落ち着きを取り戻して寄り添うようにしゃがむ。 不破と目線を合わせて、自分は不破にとって脅威ではないと証明するみたいに優しく声をかける。
「俺、ここにいるから。何もしないでここにいる」
「っ…?」
「大丈夫だよ」
大丈夫、ローレンのその言葉に不破の震えが大きくなった。
「ぅ、ぁ…お、俺っ…大丈夫じゃ、ない…!」
「え?」
「大丈夫じゃ、ないよぉ…!」
初めて聞いた、 不破のそんな声。
いつも笑っていて、誰にでも平等に 優しくて。
嫌なことがあっても「そういうこともあるよな」と流して。内心はどうか分からなくてもどんな時も人に寄り添うことができる人。
だけど、 ローレンは知っていた。
不破が極力 自分のことは話したがらないこと。
どれだけ仲の良い相手にも、 どれだけ長く付き合っている相手にも、 一歩だけ。
絶対に踏み込ませない場所がある。
その境界線を、不破は決して越えさせない。
誰にでもフランクに接して仲が良いと思わせるのに、不破の方は 本当の意味では寄りかからない。
ローレンは薄々感じていた。
不破湊という人間は、 誰かを大切にすることはできても、 誰かに大切にされることを知らないんじゃないか。
――なんて。
そんなことを考えたことがあった。
「怖い…」
ぽつり。 不破が呟いた。
「うん?」
「暗いの、嫌」
「うん」
「うるさいのも…嫌」
「うん」
「っ…誰も、俺のことなんか見てくれない」
「誰も…!」
その言葉だけがや けに重く感じられた。
「俺が見てる」
ローレンが真っ直ぐ言う。
「んぇ…?」
「見てる。 俺、不破っちのことちゃんと見てるから」
「えっ…あ、面倒くさいんか、俺のこと。だからそうやって適当に俺が欲しそうな言葉言って、やっぱロレも俺のことなんか…」
ローレンに肯定も否定もさせないように早口で捲し立てる不破。
そんなに怖いのか。受け入れられないのか。この人、こんなに怖がりだったんだ。
「は?違ぇんだけど。その言い方俺に失礼すぎ、さすがに否定させていただきたいんだが?」
不破の瞳が、ようやくローレンを捉えた。
過去から引き戻された不破の目に次は、はてなが浮かんでいる。
「……なんで?」
「なんでって」
「なんで、見てるの」
ローレンは一瞬だけ黙った。
本当は 好きだから。
好きで 好きで仕方がないから。
不破が笑っていれば嬉しいし、 不破が楽しそうなら安心する。
だから その逆は、 どうしようもなく苦しい。
ただそれを今の不破に馬鹿正直に伝えていいのだろうか。言ったところで信じてもらえるだろうか。いやここでローレンが嘘をつけば、もうきっと不破がローレンに本音を打ち明けてくれることはないだろう。
「……好きだから」
「え?」
「不破っちのこと、好きだから」
不破が瞬きをした。ローレンの言ってる意味が心底分からないのだ。
「だから、見てる」
「だから、ここにいる」
不破の目から ぽろり、と涙が落ちる。
「……っ」
「えっ…!」
ローレンは目を見開いて驚いた。 不破が泣くところなんて 見たことがないし、聞いたこともないから。
「……泣いていいよ」
「俺しかいないから」
「っ…ローレン」
「うん?」
「俺、どうしたらいい?」
「何もしなくていいよ。俺は応えてほしくて言ったわけじゃないから」
「そうなん?」
「うん、何もしなくていい。不破っちがこれからも俺の言葉で笑ってくれたらそれで」
「……」
不破の身体がゆっくりと傾いた。
そして、 ローレンの肩に 額が触れた。
「……っ」
ローレンは動けなかった。
不破が自分から本当の意味で誰かに寄りかかるなんて 初めてだったから。
触れていいのかも、 抱きしめていいのかも、 分からなかった。 だから ただ隣にいることにした。
「ローレン」
「ん?」
「どこにも行かんといて」
その声は あまりにも小さかった。
「行かないよ」
「……ほんとに?」
「本当に」
軽々しく言ってしまった。 けれど、 その瞬間 不破の指が ローレンの服をきゅっ、と掴んだ。 離さないように。それが答えだろう。
「……」
ローレンは 初めて 不破が自分に向けている感情の重さを知った気がした。
きっと、 不破は今 ローレンを見ているわけじゃない。 目の前にいるローレンに、 過去の誰かを重ねているわけでもない。 ただ ずっと昔から欲しかったものを 初めて見つけたのだ。
――自分が苦しんでいるときに、 どこにも行かず 自分を見ていてくれる人を。
「不破っち」
「……ん」
「俺さ」
「うん」
「不破っちが何考えてんのか、まだ全然分かんねぇけど」
「……」
「それでも知りたいとは思ってるから。分かりたいって思ってる」
ローレンは そっと不破の頭に手を置いた。
「俺に、ちょっとずつ教えてよ」
「っ…」
「笑って流さないで。もう我慢しなくていいから、俺にはちゃんと言って?嫌なことは飲み込まなくていいし、自分を見てほしいって寂しくなったら俺を呼べばいい」
「触られたくなかったらはっきり言って、 一人になりたかったら一人にしてって言えばいい、逆にそばにいてほしいならそれも言って」
「不破っち、これからはもう俺には嘘つかなくていい」
不破の指が また服を掴んだ。
「……でも」
「なぁに」
「いつか離れることになるなら…」
「それはない」
「……今はっ!…そう言えるかもやけど 」
ローレンは少し寂しそうに笑った。
「信じられないのね?まぁいいよそれでも。んじゃ、言い方変える。今はここにいるわ」
「……うん」
「不破っちが落ち着くまで」
「うん」
「だから、もう一人で逃げようとすんな」
「?」
「停電中に真っ先にトイレ行く奴いねぇから」
少しだけ 意地悪な声。
「俺、結構しつこいからね?」
不破が ほんの少しだけ笑った。
「知ってる」
「お、やっと笑った」
「うるさい」
「はいはい」
暗闇はまだ続いていた。
外では雨が降り続いている。
周囲ではスタッフたちの慌ただしい声も聞こえる。 何も変わっていない。
不破の過去も、 傷も。
今すぐ消えるわけじゃない。
ローレンにだって 何ができるのかは分からない。
それでも 今日、不破 が初めて 自分から手を伸ばしたから。
だから、 ローレンはその手を離さない。
不破がいつか、ずっとを信じられるようになることを願って。
久しぶりに三人称視点で書いたのでなんだか違和感。
愛を知らないfwにlrが教えていく話、続きます。
コメント
1件
うわあ、これは…静かに刺さる話でしたね。不破の「大丈夫じゃない」って声が、今まで誰にも言えなかった言葉なんだろうなって思うと胸が詰まりました。ローレンの「好きだから見てる」って言葉、軽くなくて、ちゃんと不破の傷を認めた上での台詞だなと。二人の温度差が逆転する瞬間の描き方がすごく巧みで、暗闇の中で初めて手を伸ばした不破の一歩に、続きが気になります。
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