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風呂に入った後は、文字通り「何事もなく」一日が終わった。
湯船でだらだらしていたらそのまま寝そうになり、上がってからはベッドに倒れ込んで意識を手放した……そんな、久しぶりに穏やかな夜だった。
そして翌日。
カレンの部屋用の家具と、当面必要な服や下着一式を揃えるため、私たちは大型ショッピングモールへと繰り出していた。
――とはいえ、私にとっては買い物よりも、別の意味で試練の日だ。
魔脈を解放したことで、身体の中を流れる魔力の「質」と「量」が、昨日までと別物になってしまっている。
今までの感覚で力を込めると、そのまま暴発してしまう状態で……。
実際、朝の段階でうっかり何も考えずに歩いたら、アスファルトに私の足跡が「削れて」残った。
あの時の、周囲の人の「何コレ……?」という目を思い出して、今でも胃がキリキリする。
だから今日は、一挙手一投足に意識を張り付けて、ひたすら「ゆっくり」「丁寧に」動いている。
自分で言うのもなんだけど、ロボットの初期不良みたいな動きになっている自覚はある。
前を歩くのは、すっかり打ち解けてきた沙耶、七海、小森ちゃん、そしてカレンの4人。
彼女たちの少し後ろを、私がぎこちなくついて行く構図になっていた。
「何で今日、お姉ちゃんはロボットみたいに動きが遅いの?」
くるっと振り返った沙耶が、ジト目で私の歩き方を観察してくる。
言い訳は山ほどあるけれど、どれも言っててカッコいいものではない。
「えっと……なんて言ったらいいんだろ。昨日、カレンから新しい技術を教わったんだけど、力のコントロールができてない感じ」
できるだけ短く、事実だけ伝える。
あの激痛の件は、わざわざ掘り返したくない。
「また一人で強くなろうとしてるんすか? ずるいっす、ウチにも教えるっす」
「わたしにも……」
沙耶がぴたりと足を止めて振り向いたと思ったら、七海と小森ちゃんまでわらわらと集まってきた。
前から後ろから視線で挟まれ、逃げ場がない。
もっとも、彼女たちに魔脈を開くのは本当に悩ましい。
魔力増加法の痛みなんて、比べ物にならないレベルだったのだから。
「増加法より痛いけど、大丈夫……? 私でも二度とやりたくないってレベルだけど」
正直にそう言うと、3人がぴしっと固まった。
そりゃそうだ。
魔力増加法ですら、全員そろって痛みのあまりぶっ倒れて、暫くトラウマになっていたくらいだ。
事前に「あの数倍痛いよ」とか言われたら、私だって躊躇する。
恨めしそうにカレンの方を見ると、彼女は相変わらず無表情のまま、顔の横でダブルピースをしていた。
何その「やり遂げました」みたいなポーズ。
「うぅん……私はベンチに座って休んでるから4人で買い物してきて……」
自分で言ってて情けないが、今の状態でショッピングモールの中を歩き回る自信はない。
うっかり棚ごとへし折ったりしたら、それこそ洒落にならない。
「買い物始まってすらないけど……まあ、店回るペースが下がっちゃうからその方がいいかも」
沙耶が肩をすくめて、他の3人と顔を見合わせる。
特に反対意見も出ず、「じゃあ行ってきますか」と軽いノリで話がまとまった。
私だけショッピングモール中央の吹き抜け部分にあるベンチへ向かい、4人はそのままエスカレーターの方へと歩いていく。
今日の私は、頭のてっぺんからつま先まで「変装モード」だ。
髪は帽子の中にまとめて隠し、目元はサングラスで隠蔽。
服装も地味めでまとめているので、ぱっと見は「ちょっと怪しい人」であっても、『銀の聖女』のリーダーとはまず気づかれない……はず。
少し肌寒くなり始めた季節で良かった。
真夏にこの格好をしていたら、暑さと蒸れで確実に憤死していたと思う。
なんとか人混みを抜けて、ベンチに辿り着く。
腰を下ろすと、足先からじんわりと疲れが上がってきて、思わず背もたれに体重を預けた。
沙耶たちの買い物は、いつだって長い。
家具、服、日用品となれば、最低でも数時間コースだ。
そこから逃れられたと思えば、ここで一人のんびり魔力制御の練習ができるのは、むしろ僥倖と言える。
「はぁ……制御苦手なんだよなぁ」
小さく独り言を漏らして、意識を体内へと沈めていく。
今までの魔力は、ゆっくりと流れる川のようだった。
血流に乗って全身を巡る水路。少し力を入れれば、流れを太くしたり細くしたりできる、扱いやすい流れ。
けれど、魔脈が開いた今は違う。
全身を走る魔力は、まるで巨大な滝の裏に入り込んでしまったかのように、轟々と流れ続けている。
その圧力は、以前とは比べ物にならない。
用水路なら、板を挿せば水を止められる。
けれど、滝に向かって板を立てても、粉々にされて飲み込まれるだけだ。
――今の私の体は、まさにその「滝側」の状態なのだ。
だからこそ、一つ一つの動きに「流れの調整」が必要になる。
それができないと、さっきみたいにアスファルトをえぐることになる。
ベンチに座ったまま、魔力の出し入れだけを延々と繰り返す。
流れを細くしたり、太くしたり、腕だけに集めたり、逆に足だけを緩めたり。
地味だが、これが一番効く。
どれくらいそうしていただろうか。
感覚的には一時間ほど経った頃、遠くから――鼓膜を震わせるような甲高い悲鳴が届いた。
女の悲鳴。しかも、ただ驚いただけの声じゃない。
あれは、明確な「恐怖」と「切迫感」が混ざった叫びだ。
何事だろうか、と顔を上げると、悲鳴の響いた方向から人の流れが一気に逆流してきた。
「そこのあんたも逃げた方がいいぞ!! ブレイクだ!」
人の波から離れた位置にいた私のところまで、息を切らせた中年の男性が駆け寄ってきて叫ぶ。
「本当?」
問い返すと、男は顔を真っ青にして何度も頷いた。
ブレイク――ハンター協会が定めた用語の一つ。
ダンジョンからモンスターが溢れ出し、外界に被害が出ている状態を示す言葉だ。
ベンチから立ち上がり、私は足にぎゅっと力を込めて、悲鳴の聞こえた方向へ跳躍した。
地上を走っていけば、逃げる人たちとぶつかってしまう。
だから、頭上を抜けるように、ビルの壁を蹴って大きく飛ぶ。
一跳び。
魔脈を通した今の【神速】なら、その一歩で目的地のすぐ近くまで届いてしまう。
視界の先――ショッピングモールの前の広場、そしてその向こうにあるダンジョンゲート周辺で、異様な光景が広がっているのが見えた。
三つ又の槍。
トカゲのような顔。
全身を覆う硬そうな鱗――。
「リザードマン、か……」
回帰前の記憶が、反射的に引き出される。
序盤も序盤、後期あたりから見かけるようになった亜人系モンスター。ホブゴブリンと同程度、いや、それ以上の厄介さだったはずだ。
ダンジョンの入口付近では、4人のハンターが、1体のリザードマンと必死に打ち合っていた。
槍のリーチと筋力で押されており、どう見ても劣勢だ。
……ただ、光景の中に、一つだけおかしな点がある。
本来、ブレイクが起きると、ダンジョンの入口からは濃い魔力が吹き出す。
だが今、ゲートからは、ほとんど魔力の「漏れ」が感じられない。
戦っているリザードマンはどこか余裕を漂わせており、その後ろには、同じ姿のリザードマンが3体、腕を組みながら「観客」のような顔で戦況を眺めていた。
「遊んでやがる……」
舌打ちしたくなる光景だ。
リザードマン1体の強さはホブゴブリン級。今の一般的なハンターの平均レベルでは、パーティー単位で挑んでも普通に苦戦する相手だ。
そのせいか、周囲には「見ているだけ」の人間が一定距離を保って円を作っていた。
怖いから近づかないけれど、視線は好奇心と不安でこちらを窺っている。
――なんとも、日本人らしい光景だ。
ため息をひとつついて、私はサングラスを外した。
帽子も深く被っていたのを取り、まとめていた髪を解く。
その瞬間、周囲の視線が「誰だろう?」から「見覚えがある」に変わっていくのが分かった。
手を軽く振ると同時に、右手に意識を集中させる。
魔力が集まり、馴染みの剣が掌に形を取った。
「助太刀するよ」
リザードマンと渡り合っていた前衛ハンターに声をかける。
「あぁ! 助かっ――えっ?」
こちらを見ずに反射的に返事をした彼が、次の瞬間こちらへと視線を向け――そのまま固まった。
その間に、私はリザードマンとの距離を詰め、その首を一閃で跳ね飛ばす。
鮮血が弧を描き、槍が手から滑り落ちて地面を叩いた。
状況が呑み込めていないうちに、一気に片付ける。
観客気取りでこちらを見ていた3体のリザードマンへと歩みを進めると、ようやく彼らも私を正面から敵として認識したようだ。
三つ又の槍を構え直し、三方向から私を囲むようにじりじりと距離を詰めてくる。
――ほう、陣形はそれなりに考えているみたいだね。
「【神速】」
正直、使うまでもない相手だけれど、魔脈を解放した状態での【神速】を試してみたいという好奇心には勝てなかった。
次の瞬間、世界が一段階「遅く」なる。
リザードマンたちの動きがスローモーションに見える中、私は1体目の懐に滑り込み、その喉元を斜めに断ち切る。
続けざまに2体目の槍の内側へ潜り込み、腕ごと胴を横一文字に斬り払う。
3体目のリザードマンがようやく「私の姿が消えた」と認識した頃には、すでにその胴にもいくつもの斬撃が刻まれていた。
一連の動作を終え、最初に立っていた位置へ戻る。
剣を軽く一振りして血を払うと同時に、背後でドサドサと肉片が地面に落ちる音がした。
「これが……『銀の聖女』のリーダー……」
先ほどまでリザードマンと必死に戦っていたハンターの一人が、震える声で呟くのが聞こえた。
私のことを知っているなら話は早い。
「状況がいまいち読めてないけど、ダンジョン内に人が迷い込んでないか見てくる。あなた達は一般人の避難と協会への報告をお願い」
「はっ、はい!! 承知しました!!!!」
一番近くにいたハンターに役割分担を告げると、彼はほとんど反射的に直立不動になって返事をした。
【竜の威圧】は使っていないし、怖がらせるつもりもなかったのだけれど……目の前で瞬殺されると、そうもなるか。
周囲をぐるりと見渡し、リザードマンの魔力反応が他にないことを確認してから、私はダンジョンゲートへと足を踏み入れた。
空気が一変する。
ダンジョン特有の、じっとりとした湿気と、鼻にまとわりつくような泥の匂いが私を出迎えた。
踏み出した足元から、靴の中に冷たい泥がじわりと入り込んでくる。
「うげ、湿地かぁ」
思わず顔をしかめる。
足跡も魔力の反応もなく、床の様子から見ても、まだ誰かが中に入った形跡はない。
とりあえず、人が迷い込んでいないのは安心だ。
とはいえ、このまま革靴で進めば、確実に足を滑らせる。
舌打ちしつつ、靴を脱いで手早くアイテム袋に突っ込むと、素足で湿った地面を踏みしめた。
ぬるりとした泥の感触と、じんわりと染みる冷たさ。
決して気持ち良いとは言えないが、足裏の情報量は格段に増える。足場の状態もよく分かる。
先へと進むうちに、リザードマンの魔力反応がひとつ、またひとつと視界に引っかかってきた。
近づいてくる個体に向かって駆けつけ、そのたびに斬り倒す。
魔脈を通すことで、今まで以上に魔力の制御がシビアになっていたが――実戦の中で徐々に、力加減の「正解」が分かってきた。
「やっぱり実戦あるのみだね」
独り言を呟きながらリザードマンを斬り伏せていると、その奥から――
場違いなほど艶のある女の声が聞こえた。
「あらぁ、どうしてこんなに早く人族が?」
声のする方へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、浅黒い肌に黄色い瞳を持つ女。
瞳の虹彩は爬虫類のように縦に細く、白目との対比で不気味な印象を与える。
露出の多い服のあちこちから、鱗のようなものが覗いている。
人間にしては、あまりにも異質。
ただ一つだけ、はっきりと分かっていることがある。
「やっぱり魔族の仕業か」
私がそう言うと、女は口元に笑みを浮かべ、わざとらしく肩をすくめて見せた。
「あら、私たちを知っているのね。お嬢ちゃん」
女の魔族は、ぬるりとした動きで姿を完全に現すと、こちらに向かって指先でハートを作り――軽く投げキスを飛ばしてきた。
……斬りかかって良いかな?