不思議なことに、俺を二階へと連れて行った中年男性達は俺の鼻の手当てをした。とはいえ、別段大きな怪我をしたわけではないので、擦れてしまった鼻の頭に絆創膏を張り、ほんの少しだけ零れた鼻血を止める為に脱脂綿を詰めただけだ。最初に俺を拉致した若い男二人組より、ガタイも人相もカタギ離れしたその人達は、どうしてか優しい口調で俺へ謝罪を向けた。
「怖がらせて申し訳ない」
「申し訳なく思うなら、荒事はやめてほしいのだけど」
胸の奥の恐怖を押し込めて、せめてもの反抗的な態度を見せる。すると、どうしたことか中年男性達は心からの申し訳なさを滲ませ、言葉を続ける。
「君を見つけた今、もう荒事にはならない。我々で君を救助するから、どうか安心してほしい」
「……? 俺のことを殴っておいて、助けに来たと言われても信用の欠片もないんだけれど」
「先ほどから謝罪以外の言葉を出せないが、それについても申し訳ない。私達はプランツェイリアンが捕まっているものと思っていて……君からは植物の匂いが殆どしないから、プランツェイリアンを拉致した犯罪組織の一人だと思っていたんだ。しかし、階段から現れた君の姿を見て、あの時の坊やだと思いだしたよ。拳を奮う前に、冷静になれれば良かったんだが」
あの時、と言う言葉にハッと中年男性達……おじさん達の記憶が呼び起こされる。貴方達は、と口を開いた瞬間。二階の窓が派手に砕け散った。
「マコ、助けに来たよ!」
硝子の破片が乱反射させる光を身に纏い、カズちゃんが事務所の中へと飛び込んでくる。怒り心頭に達した表情で目をぎらつかせていたカズちゃんは、けれども俺とおじさんたちを見ると目を丸くしたまま膝から崩れ落ちた。はぁあぁあ。大きな脱力、或いは安堵の溜息を零して床へ四つん這いになりそうになるカズちゃんに、俺は慌てて隣に駆け寄り抱き留める。おじさん達は照れ臭いように、それでも微笑んで「あの頃のままだ」と言ってくれた。
「あの頃と変わらず、仲の良い二人でいてくれて、安心した」
「……皆さんも、もしかしてマコを助けに?」
あの日と同じように、とカズちゃんもようやく笑ってくれた。そう、俺とカズちゃんがおじさん達に出会ったのはこれが初めてではない。
俺がおじさん達を「どう見てもカタギの人間じゃない」なんて失礼な考えを持ったことも、あの頃から少しも成長していない思考回路が為だったのだ。
(ねぇ、君。プランツェイリアンって知ってるかい?)
カズちゃんと喧嘩別れ……というか、一方的に怒りを向けて逃げ出した後。一人で講演のブランコに座り込んでいた俺は、知らない男に話しかけられた。
(お花の宇宙人なのだけどね、この近所に住んでいるという話を聞いて。一度お会いしたいと思っていたところだったんだ)
知っていたら教えてもらえないかな、と男は幼い俺の肩を掴んだ。今思えばどう考えても不審人物であるのに、当時の俺にはそれを考える思考回路も残っていなかった。近所に住むプランツェイリアンがカズちゃんであることは理解していたが……今はカズちゃんと会いたくなかったし、それどころか。
(俺、プランツェイリアンなら知ってるよ。だって、それは)
俺のことだもん。なんて答えた俺は全く以て浅はかだった。カズちゃんのところに大事なお話が届かなくて困れば良い、なんて陰湿を胸に秘めたまま、俺は人間でありながらプランツェイリアンを演じて問いに答えたのだ。
「へぇ、それは都合が良い」
「都合が良い?」
鸚鵡返しに尋ねた俺は、その時初めて男の表情が普通の笑顔ではないことに気付いた。人懐っこさを模した笑みの中で、目だけがぎらぎらと欲の色を孕んでいる。ぞわりと粟立つ肌の感覚に、俺はお別れの挨拶もなく走り出す。しかし当時の俺は八歳、小柄な子供の逃げ足など大人の大股には勝てない。ひょいと俺を抱き上げた男は、けらけらと笑って大声を上げる。
「これこそが我らが悲願! 妙薬の樹子よ!」
「離せ! 離せったら!」
暴れる俺が面倒になったのだろう、男は薄汚れた布を俺の口に押し付けた。猿轡を噛ませられた俺は呻き続けることも出来ず、そのうちに酸欠で気が遠くなってしまった。
薄れていく意識の中で、俺は二人に助けを求めていた。死んでしまった母さんと、傷つけてしまったカズちゃんに。
(……助けに来てくれるわけがないか)
母さんはもういない。カズちゃんに俺を助ける理由はない。せめて謝りたかったな。なんて考える俺の目を暗闇が覆って、俺は何も分からなくなった。
それから何時間が経過したのか。幼い頭でも死を覚悟していた俺は、次に目を覚ませた事実に驚いていた。それに加えて俺の言葉を失わせたのは。
「落ち着きなさい! 君の友達は大丈夫だから!」
目の前で、カズちゃんが言葉もなく大人達を薙ぎ倒していた。大人達もカズちゃんと同じプランツェイリアンであるらしく、蔓性植物の異能を受かってカズちゃんを抑え込もうとしているが、入れ替わり立ち替わりする大人達よりもカズちゃんの方がずっと強かった。呆気に取られている俺に気付いた強面のおじさんが、驚いたように安堵したように声を上げた。
「良かった、気が付いた!」
おじさんが俺を抱っこして、カズちゃんの元まで駆けていく。カズちゃんの攻撃をギリギリで躱しながら、おじさんはカズちゃんのことも抱っこした。
「和樹君! 真君が目を覚ましたよ! 一緒に帰ろう!」
「……マコ?」
さっきまで怒りが焦点の合ってなかった、カズちゃんの瞳が俺を見る。俺もカズちゃんの姿を見て――――カズちゃんの体中が傷だらけになっていることを知った。今此処にいる大人達の蔓でついた傷ではなく、ナイフでの切り傷や殴られた痣ばかりだった。
何があったかなんて何も分からないけれど、どうしてカズちゃんが傷ついたかはすぐに分かって。俺は堪え切れず、泣き出した。
「カズちゃん、ごめんね……俺、本当は」
お母さんと同じくらいに、カズちゃんが大好きなのに。
俺がそう言ってわんわんと声をあげて泣き喚くと、カズちゃんの瞳も淡く潤み出す。顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる俺達二人に、いかつい顔のおじさんは微笑ましげに目を細め、温かい缶のココアを手渡してくれた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!