俺とカズちゃんが二人して手を繋ぎ、プルトップを開けて貰ったココアをちびちびと飲んでいると、おじさんは丁寧に話を始めてくれる。
俺を誘拐したのはプランツェイリアンの子供を狙うカルト教団だったこと。警察の話を聞いて、誰よりも先にその教団を見つけたカズちゃんの異能のこと。カズちゃんの力はあまりに強い為、暴走をさせない為に普段から気持ちをコントロール出来る力が必要があること。子供が一人で大人に立ち向かうのは危ないが――――それでも、個人的に。カズちゃんの勇気を叱ることは出来ないこと。
少しばかり照れた表情で笑うおじさんは、もう全然怖い人ではなくなっていた。火傷しそうなほどに熱いココアを口に運びつつ、俺はカズちゃんを盗み見る。半ズボンから見える脚だけでもボロボロで、手当てをしてもらって絆創膏やガーゼを貼ってもらった肌が痛々しかった。
俺の表情があまりにも酷いものだったんだろう。カズちゃんはすぐに俺の視線に気づき、何を思ったのか足に貼って貰った一番大きいガーゼを剥がした。まだ塞がっていない傷が赤く濡れているのに、カズちゃんはそこへ掌を押し付ける。
その瞬間、傷口が金色の膜に包まれる。その色はカズちゃんの目の色に似ていて、それを「綺麗」と呟いた俺の声に、おじさんはハッと我に返ったように「この技は」とカズちゃんに問う。
「和樹君は、いつからこれが出来るようになったんだい?」
「今、思いついたよ。木みたいに、樹液で傷を包んだら、すぐに良くなると思って」
だから、マコ心配しないで。そういってカズちゃんは笑う。僕はすぐに元気になるから、と。
そんな彼に俺はどうしてか、死んでしまった母さんを思い出して、またメソメソと泣き出してしまった。驚いて目を丸くするカズちゃんに、俺は「死なないで」と縋る。
「俺のこと、嫌いになって良いから。もう、絶対助けに来ないで」
「……嫌!」
「……え?」
カズちゃんが俺の頼みを断ったのは初めてで、ほんの一瞬思考が止まった。カズちゃんは心から憤慨している様子で、俺のココアを奪って飲んだ。
「あっ! 俺のココア!」
「マコが悪いこと言ったんだもん。お仕置きだよ」
こくこくと二口だけ飲んでお仕置きに満足したのか、カズちゃんはすぐに俺のココアを返してくれた。殆ど減っていないココアを前に、カズちゃんは精一杯怖い顔を作って俺へ宣言する。
「僕、マコより絶対大きくなるし、マコより絶対長生きする。それで、マコが死んじゃう時まで、ずっと一緒にいる。お墓だって守ってあげる」
だから、嫌いになって良いなんて言わないで。カズちゃんはまっすぐに僕を見て、再び潤みを持った瞳で微笑む。
「僕だってマコのこと、お母さんやお父さんと同じくらい大好きだもん」
カズちゃんの告白に、俺は嬉しいやら驚いたやら照れるやらで、きっと耳まで真っ赤になっていたことだろう。目の前でカズちゃんの告白を見せられていたおじさんは、男同士だろうとか子供同士なのにとかそういうことで俺達を揶揄うこともなく、ただ感心したように「最近の子はしっかりしている」と頷いた。その後、頼もしい笑顔を浮かべて、おじさんは言った。
「和樹君。君はしっかりしてる。これなら、おじさんの護身術を教えられる」
「護身術?」
俺とカズちゃんが同時に首を傾げると、おじさんはポケットから手帳を取り出した。黒くて金色のお花みたいなマークがついているその手帳には、難しい感じが並んでいて当時の俺達には読めなかった。おじさんもそれに気づいたのか、照れたように笑って自己紹介をしてくれた。
「私は、警視庁捜査一課、巡査部長、遠目鏡森梧信(とおめがもり ひろのぶ)だ。和樹君と同じプランツェイリアンで、同郷に関わる事件に担当を置かれることが多い。被害者の心のケアや、護身のアドバイスも含めてね」
自由に生きる為にも、自分や家族を守る力が必要なんだ。遠目鏡森さんが教えてくれた信条は、今の俺達の在り方にも繋がっている。
「真君は、今もプランツェイリアンのふりをしているね。それも今は子供っぽい悪戯ではなく、確固たる覚悟を持って。……そして、和樹君はそれを単独で助けに行っている。此方も子供らしい衝動性ではなく、確固たる意志を持って」
改めて指摘をされると、お互い褒められたものではないなと頭を掻く。しかし、遠目鏡森さんは二十年前と変わらない笑顔で俺達の頭を撫でてくれた。
「私個人としては、君たちの絆を応援してしまう。和樹君に至っては、護身術もすっかりと板についているから、心配もないし」
和樹君さえ良ければ転職してもらいたいくらいだよ、と、遠目鏡森さんはカズちゃんに言う。今からでも試験を受けて捜査一課に来ないか、とも。遠目鏡森さんの部下だろう若い人達も期待に満ちた視線を送る中、しかしカズちゃんははっきりと断りを入れる。カズちゃんは意外とエゴイストだ、市民平和よりも個人の幸福を優先させるくらいには。
「申し訳ありませんが、俺は今の仕事が好きなんです。友達もいますし、マコとも一緒に働けますから」
照れ臭そうに話すカズちゃんに、遠目鏡森さんは「勿体無い」だとか「君が必要だ」だとか、引き留めることはなかった。人にはそれぞれの居場所がある。強面の遠目鏡森さんがそう言っている姿に、一番の新入りらしい人が驚いたように目を丸くした。それが照れ臭かったのか、遠目鏡森さんはわざとらしく大きな咳をして、俺達も含めて全員に「帰るぞ」と言った。
すると、若い部下さんは少し考えた後、俺達を指差して「お二人は帰りたくないのでは」と言ってのけた。驚く遠目鏡森さんに彼は続ける。
「お二人とも、デートの途中でしょう?」
遠目鏡森さんの視線がこちらに向けられるので、俺達は照れ臭さを感じつつも肯いた。彼はしばらく半開きに口を開いた後、額をパアンッと叩いて「大失態だ」と頭を下げた。失態とは多分、俺の顔面に拳を入れてしまい、鼻血を出させたことだろう。
「折角のデート日和だったのに、済まない」
遠目鏡森さんの言葉に、けれどもカズちゃんも場慣れしているものだ。
「大丈夫ですよ、マコは強い子なので。このくらいのヤンチャは、物の数にも入りませんよ」
寧ろ、いつもよりワイルドで格好良い。なかなかに意地悪なジョークを言う。それでも、それが遠目鏡森さんを傷つけない為の緩衝材みたいなものだと理解しているので、俺も努めてキリリと表情を引き締める。
「今日はこのまま事情聴取を抜け出して、二人でゲーセンに寄って回転寿司を食べて大人なデートします」
俺が大胆な型破りを口にすると、遠目鏡森さんは「事情聴取は受けて欲しい」と笑った。
そんなこんなで事情聴取を終えた俺達は宣言通りにデートに向かった。顔の真ん中あたりから腫らした俺は大分目立ってしまっていたが、カズちゃんはそんな目など気にしていない。
「マコ、あのクレーンゲームのぬいぐるみ、マコに似てるよ」
そんなことを言って捕まえた猫のぬいぐるみをご満悦層に抱き締めて、カズちゃんは俺の隣を歩く。ねぇ、カズちゃん。俺がそんな風に呼びかければ、カズちゃんが首を傾げる。
「何だい?」
「カズちゃんはいつでも、俺を助けに来てくれるね」
この言葉の意味を理解出来なくても良いと思った。二十年前の子供同士の約束を、俺だけが思い出せればそれで良いと。
けれども、カズちゃんはそんな予想を易々とぶち壊してくれるのだ。
「当たり前だよ、だって約束したじゃないか」
僕は真より大きくなって長生きして、マコが死ぬまで一緒にいるんだから。あのころに比べて随分と低く穏やかになった声で彼は紡ぐ。
「僕はマコが大好きだからね」
俺はその声を聞くと、なんだか泣きたいような気持になってしまって、それを誤魔化そうと遠目鏡森さんに話題を切り替える。
「遠目鏡森さん、あの頃と全然変わってなかったね」
「遠目鏡森さん、年輪痣を見るに五百歳くらいだからね。あのくらいの年代になると、プランツェイリアンの外見は年齢的変化が起きにくくなるんだ」
「へぇ……五百歳!?」
そうだよ、とカズちゃんが笑う。遠目鏡森さんに比べれば、僕なんてまだまだあんよを覚えたての赤ちゃんみたいなものなんだから、とも。
「プランツェイリアンは、人は考えているよりもとても長生きするよ。……だから、マコも長生きしてね」
僅かに悲しみを孕む優しい声が俺に向けられる。これだけ言われてしまえば、さほど頭の良くない俺にも分かる――――俺とカズちゃんはずっと一緒には生きられない――――俺の方がずっと早く、カズちゃんを置いてこの世界から消えるのだ。
君のお墓まで守ってあげる。それは冗談などではなく……カズちゃんはほんの八歳で、離別の覚悟すら決めてくれた。そんなカズちゃんに、俺は愛されているのだ。
「……出来るだけ……長生き、する……!」
「っ!? マコ、な、泣きすぎだって!」
驚いたカズちゃんがハンカチを取り出す。このまま口を押さえてしまっても良いくらいに声を上げて泣いているのに、カズちゃんがハンカチを押し当てるのは俺の瞼にだけ。清潔なハンカチで鼻水さえもぬぐってくれる最愛の彼に、俺は出来得る限り懸命に生きることを、誓う。
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