胃腸炎
水×青
昼食を終えて間もなく、ほとけはトイレへと消えた。
まだ腹は緩く、食べるとすぐに催すらしい。
とはいえ、水分はもちろん食事もある程度摂れるようになった。その変化だけでもでかいな、と食器を洗いながら思う。
🤪「…」
不意に、腹の上の辺りに違和感を覚えた。
まさかな、と否定したい思いはあれど、どんどん膨らむそれに確信せざるを得ない。
ほとけのうつったか。
🤪「く、そ…っ」
泡だらけの食器をそのままに、シンクのふちに手をついた。身の置き所のない不快感に目を瞑り、呼吸が乱れそうになるのを必死に抑え込む。
🤪「ふー…ッ、…ぅ゛…」
ついさっきまで何ともなかったんに。
あっという間に吐き気が切迫してきて、口の中が生唾でいっぱいになる。呑み下すなんてできなくて、排水口に顔を寄せてだらりと吐き出した。
🤪「、は…っ」
だめや、吐く。
そう悟った時、廊下の向こうで水を流す音が聞こえた。こうなった以上、遅かれ早かれほとけにはばれる。なら、吐く先はトイレ一択だ。
ぐっ、と込み上げるものを押さえ込んで、足早に歩き出した。
視線の先、腹を摩りながら出てきたほとけと目が合う。
💎「どうし…」
口を開けば全部ぶち撒けてしまいそうで、一言も発することのないまま素通りした。
まだ便臭の漂う個室に踏み込むや否や、ゴボッと胃袋が跳ねる。熱いものが喉元を突き上げる感覚に涙しながら、飛び掛かるように陶器にかぶさった。
🤪「ぅお゛ぇ゛えッ…!!」
直後、バシャバシャバシャッ…!と派手な水音が眼前で上がった。
間に合った、と息をつく間もなく追い討ちが来る。
🤪「ぉぇ゛っ…え゛ほっ、」
げぼ、ごぼッ…と立て続けに上がってきて、その度に水面が大きく暴れる。突き上げられるような激しい吐き気に、何も考えられなかった。ただただ便座にしがみついて、ひたすら腹の中身を戻し続ける。
💎「うつしちゃった、ごめんね…」
申し訳なさそうな声と共に、背中に手が添えられた。
🤪「ぅ゛…っせえ゛…」
ほとけも好きで罹ったわけではないだろう。そもそも、まだ完全に治ったわけじゃないっていうのに。
大丈夫だからね、と上下する人肌が、憎たらしいほど頼もしく感じられた。
やがて5分も吐き戻し続ければ、もう出てくるのは胃液くらいになった。
🤪「はっ…、はっ…」
💎「もう大丈夫?」
🤪「…、ん…」
しかし、相変わらず死ぬほど気分が悪い。今にもまた突き上げてきそうだ。もう吐きたくない。けれど、いざ持ち上げて空振りするくらいなら、何でもいいから吐き出せた方がまだマシな気がする。
🤪「み、ず…、っ」
💎「え…、飲めるの…?」
喉が跳び上がりそうになるのを抑えて言えば、ほとけの目にも難しく映ったらしい。戸惑いつつも、待ってて、とほとけが出ていって、すっと背中が寒くなった。
一気に倦怠感が押し寄せて、便座に両腕を乗せて突っ伏す。が、休むまもなくまた上がってくる。
🤪「は…、ぅ、…お゛ぇッ…」
やはりほとんど何も出ず、ただ苦しいばかり。無駄に上下する腹が引き攣るように痛んで、そっと手を添えた。
💎「まだ止まんないね」
いつの間にか戻ってきたほとけに、気付けばまた背を摩られていた。顔を便器に突っ込んだまま手を差し出せば、そこに冷たいグラスが触れる。
勢い任せに…しかし、いつ噴き出しても汚さないよう慎重に。透明な液体をグイ、と流し込んだ。ごくり、と呑み込んだ次の瞬間、
🤪「ぅ゛ぉ゛え゛ッ…!」
勢いよく逆流してきて、バシャバシャッ!と水飛沫が上がった。
💎「ねぇ、」
ごぼごぼと質量のあるそれが駆け抜けていく感覚に、やっと吐けた…と、どこか手応えのようなものを感じる。取り憑かれたように、もう一度。
🤪「ん゛ぶッ…ぇ゛え゛ッ!!」
💎「大丈夫、それで…?」
戸惑いが滲むほとけの声は、聞こえないふりをした。呑み下す瞬間はもちろん苦しいのだが、とにかく腹の底の不快感を吐き出したくて。二度、三度とそれを繰り返した。四度目は、ついに上がって来ることはなかった。
🤪「…っ」
💎「落ち着いたかな…。うがいするでしょ」
ほぼ空になったグラスが回収されて、背後でほとけが立ち上がる。隣の洗面台で水を注いでくれているらしい。サーッという爽やかな音に耳を預けた。
ベッドに横になり、5分…そして10分と経過する。
寝れねぇ…
胃袋周辺に纏わりつく不快感は相変わらずで、加えて下腹部もじわじわと違和感を拡大してきていた。少しでも楽な体勢を求めて寝返りを打てば、その度に腹の中がかき混ぜられるようでむしろ悪化していく。
また近いうちに吐くかもしれない。
🤪「…、」
どうせ休まらないのなら、トイレに居るのが最も気楽だ。そう考えて、重たい身体を持ち上げる。
💎「トイレ?」
心配顔で背中を支えてくるほとけに頷きだけ返して、スリッパを足で探る。立ち上がると、内臓がずしりと重力を受けて沈み込むようだった。たまらず顔をしかめ前屈みになる。
💎「辛いでしょ。ここ出しちゃいなよ」
そう言ってほとけがゴミ箱に手を伸ばした。
🤪「いらね…」
💎「あぁ…もう下もきた?」
手で制して足早に歩き出せば、慌ててほとけも追いかけてくる。言われると嫌でも意識してしまう下腹部は、違和感がないわけではないが、気のせいと言えばそうかもしれない、という程度。
けれど、そうではないのだと足を進める。
🤪「ち、が…」
ほとけの問いに口を開きかけて、廊下の真ん中。それは唐突にやってきた。
🤪「…ッぅ゛、」
ぐわりと胃袋が握りつぶされるほどの圧迫感。吐き気が突き上げるように喉元まで膨らんで、咄嗟に口を押さえる。まずい、と思うのに、一歩も動けなかった。
🤪「ほと…」
ごぼッ、と容赦なかった。
あまりの勢いに、手のひらの下で唇が割られる。そこから、生温い液体が一気に噴き出した。
🤪「、ぶッ…!!」
ビシャァッ!と派手に飛び散って、次いでバタバタと手の隙間から大粒の雨が降る。やってしまったと思う間にも、第二波が込み上げた。
🤪「ォ゛え゛ッ…、」
ぱしゃ、と今度はかなり少なかった。更にもう一度、げぽッ…と最後にやや粘性のある液体が少量、指の間を伝い落ちる。それきり、吐き気はなりを潜めた。
🤪「はーっ、はーっ…」
最悪だ。
ずるずるとしゃがみこんで顔を覆う。
こんなはずじゃなかったのに。普通に、ただ移動してトイレでその時を待とうというくらい余裕だったのに。けれど、そんな事情は自分以外が知る由もなくて。
🤪「ほとけ…」
あの時、素直にゴミ箱を受け取っていたら…と。ほとけの立場なら、そう考えるのが普通だろう。責めるような台詞こそ吐かないが、内心どう思っているのか、なんだかとても怖いと思った。
💎「大丈夫…?まだ出る?」
遠慮がちに背中に触れられた。
足が汚れるのも気にしない様子で、ほとけがすぐかたわらに腰を落とす。
🤪「…わ、るぃ…。…」
急に…、なんて言い訳じみた言葉が出かけて、寸前で呑み込んだ。代わりに、目頭がじわりと熱くなり始める。それはすぐに視界を歪ませて、頬に落ちた。結局、どちらにしてもみっともない。
🤪「…っ」
💎「いふくん…大丈夫だよ。びっくりしたね。急にくるよね…いふくんみたいに、うまくカバーできなくてごめんね…」
🤪「んなの、…」
コイツがここまで懸命に他人をフォローするなんて。
そんなの求めていない、と言いかけて口を噤んだ。つい昨日まで、その歯痒さを自分も感じていたのだから。治したり代わってやることはできなくても、何か力になりたいと思ったものだ。
🤪「も…でん…」
💎「そっか。ならちょっと待っててね、拭くもの持ってくる」
ぱたぱたとほとけが去っていく。
そして、ものの数十秒で戻ってきた。
💎「床はやるから、これで手と足拭いて…お風呂いく?」
タオルを差し出しながらほとけが提案してくる。床も自分でやる、と言えば当然のように却下された。
いい歳して自分の身体から出たものを他人に処理させるというのは、思った以上に居た堪れない。つい先日、何の違和感もなくほとけに同じことを強いていた経緯がなければ、死ぬ気で阻止しただろう。
🤪「…ん。」
大人しく委ねれば、ふっとほとけが短く笑った。
何がおかしいのだ、とか、バカにするな、とか条件反射的に噛みつきたくなる。しかし同時に、その顔を見たら何故かホッと安心感のようなものが胸に湧いた。
瞬きの度に落ちるモノに気付かないフリをして、必死に腕を動かしていた。
こんな自分の身体なんて、もう1ミリも信用できない。そう思い知らされた。
二度と同じ過ちを犯すものか。
吐物に濡れた足を洗い、新しい部屋着に着替えながら唇を噛む。そして、しっかり広げたビニール袋を握り締めて横になった。
床の掃除を終えたほとけは買い物に出ている。一昨日からの悪夢がもう一度繰り返されるのだから、一刻も早く準備を整える必要がある。なんなら、ほとけ自身がまだ本調子じゃない分、事態はより深刻だ。
🤪「はぁ…っ、くっそ…」
きもちわるい。
胃が常にびくびくと震えて、しつこく込み上げてくる。トイレに戻りたいけれど、悔しいかな今はもうその体力もない。
腹を抱くようにして身を捩り、手元の袋に口を寄せる。ガサガサと耳音で響くビニール音に紛れてゲプ、と吐き出せば、酸っぱい唾が糸を引いた。
そんなことを繰り返すうち、眠ってしまっていたらしい。
🤪「、…?」
口元に触れる柔らかい布の感触と、ふわりと香るほとけのにおい…覚醒しきる前のそれらの感覚だけは、ものすごく心地良かった。
💎「ごめ…起こした?」
多幸感はあっけなく消え去って、重怠い疲労感、頭痛、ムカつき、吐き気が顔を出す。一気に地獄に突き落とされた気分だ。
🤪「ほとけ、…っ」
遠慮がちにほとけの手が離れていく。それを捕まえたいのに、しつこい腹痛に苛まれて腕を伸ばせなかった。
なんだろう、胃というより、今度はもう少し下…臍の奥の方が抉られるように痛い。それすら吐き気を誘発してきて泣きたくなった。
こんな状態が、一体あとどれくらい続くのだろう。
💎「まだ飲みものも厳しそうだね。お腹、あっためた方が多少楽になったけど…」
そう言いながらほとけの左手が布団に入り込んできた。心遣いは嬉しいが、いま変に腹を触られたら一気に上がってきそうな予感もある。
🤪「、や…」
そんなこちらの心情を知ってか知らずか、その手はそっと背中側へと回った。
背中から腰へ、そして全身を包むようにじんわりと熱が伝わってくる。それはことのほか快適だった。
💎「お腹さわられるのは嫌でしょ。このくらいしかできないけど…どう?ない方がいい?」
静かに問い掛けてくる声も優しく響いて、再び眠気がやってくる。
🤪「わるく、ない…」
ふわりと意識が攫われる直前、ほとけがフッと穏やかに笑うのが聞こえた。
コメント
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ほんとにいつ見ても最高です😭 物語性がすごく好きでッ…💕 …あ、ぇ…? あの、フォロバ…!? 誤フォロとかじゃないですか!?😭 嬉しすぎて発狂しちゃいましたー!!、 ありがとうございます…🙇♂️ 時差コメ失礼しました…っ!!
ぇ、こんな上手な方にふぉろーされていい人間ではないような気しかしないのですが…、ありがとうございますっ、🥲🥲 ふぉろば失礼しますっ。
気になって見に来ちゃいました!! 神作ってこれのこと言うんだなぁって感じ🤔 学ばせて頂きます🙇♀️