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「……パパ、トカゲ、起きたよ」
息子・樹人の声は、どこか上ずっていた。
伊藤港は、通夜の会場から急いで自宅に戻った。幸い、義兄が弔問客を対応してくれていたため、途中で抜けることはできた。車を走らせる間、加賀紗理奈の言葉が何度も頭の中を巡っていた。
――「“トカゲの尻尾”、って……知ってる?」
――「それが鍵になる」
玄関を開けると、リビングの灯りはついていた。幼い樹人が、一人でちゃぶ台の前に正座していた。テーブルの上には、空の茶碗と、なぜか庭の土で汚れたスコップが置かれている。
「……樹人、大丈夫か?」
「うん、平気だよ。ねぇ、パパも見て?」
港は樹人の横に膝をついた。
「何を?」
「……あのね、昨日、尻尾を埋めたとき……“ツクリモノ、カエレ、ホントニナーレ”って言ったでしょ? ちゃんとやったら、本当に……出てきたよ」
「出てきたって……」
港は立ち上がり、窓の外を覗いた。
――その瞬間、全身の血が凍るような感覚に襲われた。
庭の片隅、低い植え込みの陰に、何かがいた。
人のようで、人ではない。
四肢は細く、泥まみれで、皮膚は爬虫類のように湿って光を反射している。
その生き物は、確かにこちらを見ていた。
「……なんだ、あれ……」
港が呟くと、樹人が笑った。
「トカゲだよ。ほら、ちゃんと“生えた”でしょ?」
「……これは……人間じゃないか……?」
その生き物は、音もなく立ち上がり、まるで膝が逆に曲がっているかのような奇妙な動きで、庭の奥に消えていった。港は思わず背をそらした。
ドアのチャイムが鳴ったのは、その直後だった。
「……港さん!」
玄関先には、加賀紗理奈が立っていた。ハンドバッグとカメラバッグを肩に提げ、明らかに息を切らせている。
「紗理奈さん……」
「来たの……来ちゃったのね……!」
「今、見たんだ。あれ……あれは……」
紗理奈は港を強く掴み、言った。
「これは“呼ばれた”んだよ。……あんたが言った呪文、そのままの言葉……あれ、実はね、あたしが前に見た現場でも使われたの」
「……は?」
「三年前、私の知り合いの家で、子どもが尻尾を埋めた。冗談半分で親が呪文を教えた。そしたら……同じことが起きた。家族が壊れて、誰も信じてくれなくて……でも最後は、全員……」
言葉を詰まらせる紗理奈の瞳には、何か過去の記憶がよみがえっているようだった。
「じゃあ……俺のせいだって言いたいのか?」
港は苦々しく言った。
「冗談だったんだ。子どもと遊んでただけだ。嘘だってわかってたはずなのに……!」
「問題は、“信じた”ことよ。子どもが。“本物”を作ろうとしたこと。その想いが、あの“もの”を……引き寄せるの」
樹人が、お茶を飲みながら言った。
「ママもね、昨日、いたんだよ。あのトカゲと一緒に」
港と紗理奈が目を見合わせた。
「……何、それ……?」
「ママ、夜にね、庭のとこから入ってきたんだ。ママだったよ。でも顔が……こう、ぐにゃってしてた」
「それは……夢じゃないのか?」
樹人は首を振った。
「ママ、“ツクリモノ”って言ってた。“これは作り物だから、本物にしてあげて”って……ぼくに、また呪文、言わせようとしたんだよ」
港の喉が乾いていた。体が震えていた。
まさか、南が――死んだはずの南が、“トカゲ”と共に帰ってきた?
何かが、歪んでいる。現実と幻覚の境が曖昧になってきていた。
紗理奈が言った。
「――もう一度、南さんに会いたい?」
「……え?」
「たぶん、“あれ”はそういう気持ちに付け込むの。失ったものを“取り戻させる”。でも、取り戻るのは“本物”じゃない。言葉の通り、“ツクリモノ”」
窓の外では、またあの黒い影が、ゆらりと立ち上がろうとしていた。