テラーノベル
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どうも〜ありSです🥰🥰
今回は、
愛するXの相互さんの為に
菊ヨンをプレゼントするぞ!
と、 菊ヨンを書くことにしました💖
なので今回は香ヨンではなく菊ヨンとなっております。真面目に香ヨン以外書くと解釈不一致なんですよね…頑張って書きます。
それでは長くなりましたが、いきます。
스타트!!
🍙・┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈・🌶
朝の空気はまだ少しひんやりとしていた。
縁側に差し込む柔らかな日差しの中、本田菊は洗濯物を一枚一枚、丁寧に畳んでいた。
角と角を揃え、皺を伸ばし、静かに重ねる。
(今日も平和です。)
──そう思った、まさにその時だった。
ガラッ!!
『菊ーーーッ!!』
静寂を切り裂くような大声と共に障子が勢いよく開いた。
菊はぴたりと手を止め、ゆっくり顔を上げる。 そこには肩で息をしながら立つヨンスがいた。
額のアホ毛までぴょこんと跳ねている。
「……おはようございます、ヨンスさん。」
『おはようなんだぜ!』
「玄関がありますよ。」
『近かったから縁側なんだぜ!』
「近い遠いの問題ではありません。」
『細かいんだぜ。』
ヨンスは悪びれる様子もなく靴を脱ぐと、畳の上へ飛び込むように寝転がった。
『はぁ~!』
両腕を広げ、天井を見つめる。
『やっぱ菊ん家は落ち着くんだぜ~。』
「それはどうも。」
『お茶ある?』
「あります。」
『飲む。』
「まだ「どうぞ」と言っておりません。」
『じゃあ待つ。』
待つと言った割には、ヨンスは勝手に座卓へ移動し、湯飲みを探し始めている。
菊は小さくため息をついた。
(……いつものことですね。)
もう何度目か分からない光景だった。
文句を言っても直らない。
むしろ言えば言うほど、ヨンスは面白がる。
「どうぞ。」
急須から湯飲みにお茶を注ぎ、ヨンスの前へ置く。
『ありがとなんだぜ!』
一口飲むなり、
『あっつ!!』
勢いよく湯飲みを置いた。
「熱いですから。」
『先言ってほしいんだぜ!』
「湯気が出ていました。」
『……。』
ヨンスは涙目でじっと湯飲みを睨む。
『こいつが悪い。』
「お茶に罪はありません。」
『じゃあ急須。』
「急須にもありません。」
『じゃあ菊。』
「私ですか。」
『そうなんだぜ。』
「理不尽ですね。」
『へへ。』
反省する様子は一切ない。
菊は肩を竦めながら、再び洗濯物へ向かった。
その背中を見ながら勇洙は頬杖をつく。
『なぁ。』
「はい。」
『今日暇?』
「暇ではありません。」
『まだ最後まで聞いてないんだぜ!』
「恐らく遊びのお誘いでしょう。」
『なんで分かった!?』
「毎回ですから。」
『じゃあ遊ぼうぜ!』
「却下。」
『即答なんだぜ!』
ヨンスは勢いよく立ち上がると、菊の後ろまで歩いていくと、 畳んだばかりのタオルをひょい、と持ち上げた。
「あ。」
「返してください。」
『やだ。』
「返してください。」
『追いかけてこいなんだぜ!』
言うや否や、ヨンスは廊下へ飛び出した。
「あっ、ヨンスさん!」
珍しく菊も慌てる。
「待ってください!」
『捕まえてみろなんだぜー!』
家中を駆け回るヨンス。
縁側を走り、廊下を曲がり、居間へ飛び込み、また戻ってくる。
菊も後を追うが、ヨンスは妙にすばしっこい。
『ははは!』
「家の中を走ってはいけません!」
『楽しければいいんだぜ!』
「よくありません!」
勢いよく角を曲がったヨンスが、敷居につまずく。
『うわっ!』
ぐらり、と身体が傾いた。
その瞬間だった。
「危ないですね…。」
菊がとっさに腕を掴む。
ぐい、と引き寄せられたヨンスは、そのまま菊の胸へぶつかった。
『……。』
「……。」
二人とも数秒動かなかった。
「……ヨンスさん。」
『な、なんだぜ。』
「怪我はありませんか。」
『……ない。』
「それなら良かったです。」
菊は安心したように息をつき、そっと腕を離した。
一方のヨンスはというと。
(近っ……。)
さっきまで触れられていた腕が、妙に熱い。
顔まで熱くなってきた気がして、思わずそっぽを向く。
『べ、別に助けなくても平気だったんだぜ!』
「そうでしたか。」
『……。』
「ですが、転ばれると困りますので。」
『……。』
その淡々とした返事が、逆に照れくさい。
『……ずるいんだぜ。』
「何がでしょう。」
『そういうとこ。』
「?」
『なんでもない!』
ヨンスは耳を赤くしながらタオルを押し付けるように返した。
『ほら!』
「ありがとうございます。」
『礼なんかいいんだぜ!』
菊は返されたタオルを見て、少しだけ笑う。
「追いかけっこは終わりですか?」
『……今日は終わり。』
「今日は、ですか。」
『またやる。』
「やらないでください。」
『やる!』
「やりません。」
『やる!』
「……。」
菊は静かにため息をつく。
「本当に聞きませんね。」
『聞かないんだぜ!』
「胸を張ることではありません。」
『へへ。』
そんなやり取りをしていると、腹の虫が盛大に鳴いた。
「……。」
『……。』
今度はヨンスが固まる番だった。
「ヨンスさん。」
『聞こえてないんだぜ。』
「よく聞こえました。」
『幻聴なんだぜ。』
「お昼にはまだ少々早いですが……。」
菊は壁の時計を見る。
十一時を少し回ったところだった。
「何か作りましょうか。」
その一言に、勇洙の表情が一気に明るくなる。
『マジ!?』
「ええ。」
『菊の飯ー!』
飛び上がる勇洙を見て、菊は苦笑した。
「ただし。」
『?』
「今度は手伝ってください。」
『もちろんなんだぜ!』
「逃げませんね?」
『……。』
「ヨンスさん?」
『応援なら得意。』
「手伝ってください。」
『……がんばるんだぜ。』
「期待しないでおきます。」
『ひどい!』
騒がしい声が家中に響く。
けれど、その賑やかさは不思議と嫌ではなかった。
――このあと菊は、「がんばる」と言った勇洙が包丁を握った瞬間に台所を修羅場にするとは、まだ知る由もなかった。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
台所に立つ菊は、袖が邪魔にならないよう割烹着の袖口を軽く整えると、流しで手を洗った。蛇口をひねる音だけが静かに響く。
『やってやるんだぜー!!』
ヨンスは胸をどん、と叩き、得意満面で腕まくりをした。
「……その意気込みだけは信用しております。」
『だけってなんだぜ!』
「実績が伴っておりませんので。」
『ぐっ……。』
反論できず、ヨンスは口をへの字に曲げる。
だが、それもほんの数秒。
『今日は違うんだぜ! この前、兄貴ん家で料理見てたから!』
「見ていただけですか。」
『見てた!』
「……。」
『なんだぜ、その間は。』
「少々不安になりました。」
『大丈夫なんだぜ!』
(根拠のない自信ほど恐ろしいものはないです。)
菊は心の中だけでそう呟き、冷蔵庫から野菜を取り出した。
「では、この人参の皮を剥いてください。」
『任せろ!』
ヨンスは包丁を受け取る。
その握り方を見た瞬間、菊の動きが止まった。
「……ヨンスさん。」
『ん?』
「刃がこちらを向いております。」
『あ。』
「危ないので直してください。」
『こうか?』
「逆です。」
『あれ?』
「包丁を一度置きましょう。」
『なんでなんだぜ!?』
「命が惜しいので。」
『ひどい!』
ヨンスはぶつぶつ文句を言いながら包丁を置いた。 その姿を見ていた菊は、小さく息をつく。
(やはり教えながらの方が早そうですね。)
「では、こう持ってください。」
菊はヨンスの隣へ立つ。
包丁を持つ右手へ、自分の手をそっと添えた。
「力は入れすぎず……。」
『……。』
「ヨンスさん?」
『……近いんだぜ。』
「教えておりますので。」
『いや、そうじゃなくて……。』
耳が熱い。
菊は気付いていないらしい。
横顔は真剣そのもので、まな板しか見ていない。 その無防備さが、逆にずるい。
『もういい! 一人でできるんだぜ!』
ヨンスは慌てて一歩離れた。
「本当に大丈夫ですか?」
『任せろ!』
ザクッ。
「……。」
『……。』
人参ではなく、まな板が切れた。
「……大丈夫ではありませんでしたね。」
『まだ本気出してないんだぜ。』
「まな板相手に本気を出されても困ります。」
『次は成功する!』
ザク。
ゴロン。
切れた人参が床へ転がる。
『あっ。』
「三秒ルールはありませんよ。」
『食えるんだぜ!』
「洗ってください。」
『はいなんだぜ……。』
しょんぼりした背中を見て、菊は思わず口元を緩めた。
なんだかんだ言っても、こうして素直に言うことを聞く時もある。
……本当に、ごくたまに。
鍋から湯気が立ち上る。
味噌汁の香りが部屋いっぱいに広がり、炊きたてのご飯の匂いが鼻をくすぐった。
ヨンスは箸を握ったまま、そわそわと身体を揺らす。
『まだなんだぜ?』
「まだです。」
『あと何秒?』
「数えておりません。」
『腹減ったんだぜぇ……。』
ぐぅぅぅ、と腹の虫が鳴く。
本人は聞こえなかったふりをしたが、菊はしっかり聞いていた。
「もう少しですよ。」
『……。』
「つまみ食いは禁止です。」
『まだ何もしてないんだぜ!』
「今からしようとしていましたよね。」
『なんで分かる!?』
「顔に書いてあります。」
『うそなんだぜ!?』
慌てて自分の頬を触るヨンス。
菊は肩を震わせ、小さく笑った。
「冗談です。」
『騙したんだぜ!』
「たまには。」
『菊が意地悪になってるんだぜ……。』
「誰の影響でしょう。」
『俺じゃない!』
「そうでしょうか。」
そんなやり取りをしているうちに、食卓へ料理が並んだ。
焼き鮭。
味噌汁。
ほうれん草のおひたし。
卵焼き。
白いご飯。
『うまそうなんだぜー!』
ヨンスは目を輝かせ、両手を合わせる。
『いただきます!』
「いただきます。」
鮭を頬張った瞬間、ヨンスの顔がぱっと明るくなった。
『うまっ!!』
一口。
もう一口。
夢中になって箸を動かす。
『菊の飯ほんと美味いんだぜ!
俺の料理のが美味いけどな!』
「ありがとうございます。」
『毎日食べたい。』
「毎日は作りません。」
『けち。』
「違います。」
『じゃあ俺が毎日来る。』
「却下です。」
『なんでなんだぜ!』
「静かな時間も必要です。」
『俺がうるさいって言いたいんだぜ?』
「自覚はおありでしたか。」
『……。』
ヨンスはじっと菊を見る。
菊は涼しい顔で味噌汁を口に運んでいた。
『やっぱり意地悪なんだぜ。』
「褒め言葉として受け取っておきます。」
『褒めてない!』
その瞬間。
ヨンスは焼き鮭をひょい、と箸でつまみ上げた。
「ヨンスさん。」
『ん?』
「それ、私のです。」
『早い者勝ちなんだぜ。』
「返してください。」
『やだ。』
ぱくり。
目の前で食べられた。
静寂。
ほんの数秒。
菊は箸を置くと、静かにヨンスを見た。
「……。」
『……。』
「ヨンスさん。」
『なんだぜ。』
「人の鮭を取ってはいけません。」
『美味そうだったんだぜ。』
「だからといって。」
『菊のだから美味いんだぜ。』
「褒めても返ってきませんよ。」
『ちぇー。』
ヨンスは頬を掻きながら笑う。
怒られる。
そう思っていた。
けれど菊は、大きく怒鳴ることもなく、小さく息をついただけだった。
「……仕方ありません。」
そう言って、自分の卵焼きを一つ箸でつまむと、ヨンスの皿へぽん、と乗せる。
『え。』
「鮭は返ってきませんから。」
『……。』
「代わりです。」
ヨンスはしばらく卵焼きを見つめていた。
それから、照れ隠しのように鼻をこする。
『……そういうとこなんだぜ。』
「何でしょう。」
『なんでもない。』
ぽつりと呟く。
卵焼きを口へ運ぶと、ほんのり甘い味が広がった。
その甘さが、少しだけ照れくさかった。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
昼食を終える頃には、食卓の上はすっかり綺麗になっていた。
空になった茶碗や皿を重ね、菊は静かに立ち上がる。
「ごちそうさまでした。」
『ごちなんだぜ!』
ヨンスは満足そうに腹をさすると、そのまま畳へごろんと寝転がった。
『食ったら眠くなってきたんだぜ……。』
「横になるのは構いませんが、その前に。」
『ん?』
「食器を片付けてください。」
『……。』
ヨンスは天井を見上げたまま固まる。
「ヨンスさん。」
『……聞こえないんだぜ。』
「聞こえておりますね。」
『今日は耳の調子が悪いんだぜ。』
「先ほどまで元気でしたよ。」
『急に悪くなったんだぜ。』
「便利なお耳ですね。」
『だろ?』
「褒めておりません。」
菊はそう言うと、空いた茶碗を一つヨンスの胸へそっと乗せた。
『重い!』
「運んでください。」
『菊が運んだ方が早いんだぜ。』
「ですが、食べた方が片付けるのも大切ですよ。」
『うぅ……。』
不満そうに唇を尖らせながらも、ヨンスはむくりと起き上がる。
文句は多い。
しかし、結局やる。
そういうところを菊はちゃんと知っていた。
二人並んで台所へ向かう。
蛇口から流れる水が、静かな音を立てた。
菊は慣れた手つきで皿を洗い、ヨンスは隣で布巾を手に取る。
『これで拭けばいいんだぜ?』
「はい。」
『任せろ。』
そう言って皿を受け取る。
……五秒後。
『あ。』
つるり。
「!」
皿が手から滑る。
床へ落ちる──その寸前、菊が片手で受け止めた。
『おぉっ!?』
「危なかったですね。」
『すげぇ!』
「運が良かっただけです。」
『いや今絶対すごかったんだぜ!』
ヨンスは目を輝かせながら菊の手元を覗き込む。
『忍者みたいなんだぜ!』
「違います。」
『侍?』
「違います。」
『じゃあなんなんだぜ。』
「ただ落としたくなかっただけです。」
『かっこいいんだぜ。』
「そうでしょうか。」
褒められ慣れていないのか、菊は少しだけ目を逸らした。
その耳が、ほんのり赤い。
ヨンスは気付いて、にやりと口角を上げる。
『菊。』
「はい。」
『照れてる。』
「照れておりません。」
『耳赤いんだぜ。』
「気のせいです。」
『絶対赤い。』
「気のせいです。」
『赤い。』
「気のせいです。」
『赤──』
ぺち。
『いてっ!』
菊の軽い手刀が額に落ちる。
「しつこいです。」
『叩いたんだぜ!』
「軽くですよ。」
『暴力反対なんだぜ!』
「先ほど人の鮭を奪った方が仰いますか。」
『あれは事故なんだぜ。』
「どの辺りがでしょう。」
『……勢い?』
「事故ではありませんね。」
ヨンスは「うぐっ」と言葉を詰まらせた。
食器を片付け終えると、菊は縁側へ出た。
庭には夏を思わせる濃い緑が広がり、風に揺れた木々がさらさらと葉音を立てている。
菊は如雨露を手に取り、植木鉢へ静かに水を注いだ。
土が水を吸い込み、乾いた匂いがふわりと立ち上る。
『また花か?』
後ろから声がした。
振り返ると、ヨンスが縁側の柱にもたれながらこちらを見ている。
「ええ。」
『花好きなのか?』
「好きです。」
菊はしゃがみ込み、小さな蕾へそっと触れた。
「毎日見ていると、少しずつ変わっていくんです。」
『俺には全部同じに見えるんだぜ。』
「そうですか?」
『おん。』
「この蕾は昨日より少し開いています。」
『……ほんとか?』
「本当ですよ。」
ヨンスもしゃがみ込み、同じ高さから花を覗き込んだ。
『……分からん。』
「ふふ。」
『笑ったな!』
「少しだけ。」
『俺だってゲームのキャラの違いなら一発で分かるんだぜ。』
「それと同じですよ。」
『なるほどなんだぜ。』
そう言うと、ヨンスはもう一度花を見る。
今度は少しだけ真剣な目だった。
『……ちょっと開いてる気がする。』
「でしょう?」
『……いや、やっぱ分からん。』
「無理をしなくても大丈夫ですよ。」
『悔しいんだぜ!』
ヨンスは頭をがしがしと掻く。
その様子がおかしくて、菊はまた小さく笑った。
『また笑った!』
「失礼しました。」
『最近よく笑うんだぜ。』
不意に言われたその言葉に、菊の手が止まる。
「……そうでしょうか。」
『前はもっとこう、無表情だったんだぜ。』
ヨンスは自分の頬を指でつつきながら考える。
『でも最近は違う。』
「……。」
『俺といると笑うこと増えたんだぜ。』
それは自慢するような口調ではなかった。
どこか照れくさそうで、それでも嬉しそうな声だった。
菊は少しだけ視線を落とす。
手の中の花から、水滴がぽたりと土へ落ちた。
「……そうかもしれません。」
『おっ。認めた。』
「ヨンスさんといると、退屈はしませんから。」
『褒められた!』
「半分です。」
『半分でも褒められたんだぜ!』
ヨンスは満面の笑みで拳を握る。
その姿を見て、菊は思わず肩を揺らした。
やはり、この人は騒がしい。
けれど──。
(その騒がしさが、いつの間にか日常になっていましたね。)
そんなことを考えた自分に、少しだけ驚いていた。
その時だった。
ヨンスが何かを思い出したように立ち上がる。
『そうだ!』
「どうしました?」
『今日は絶対菊に勝つんだぜ!』
「……何のお話でしょう。」
ヨンスは自信満々に胸を張り、庭を指差した。
『オセロ勝負なんだぜ!!』
菊は一瞬だけ黙る。
それから静かに息をついた。
「……また負けても泣かないでくださいね。」
『今日は勝つ!!』
その言葉に、不思議と嫌な予感しかしなかった。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
居間の座卓の上へ、ぱちん、と軽い音を立ててオセロ盤が置かれた。
黒と白の駒が整然と並び、昼下がりの陽射しを受けてつやりと光る。
菊は座布団へ静かに腰を下ろすと、盤面を見つめた。
一方、向かいに座ったヨンスは腕を組み、妙に自信ありげな笑みを浮かべている。
『今日は勝つんだぜ。』
「前回も、その前も仰っていましたね。」
『今日は違う。』
「何がでしょう。」
『秘密兵器があるんだぜ。』
「……。」
菊は嫌な予感しかしなかった。
「ちなみに、その秘密兵器とは。」
『気合い。』
「帰ってよろしいでしょうか。」
『まだ始まってないんだぜ!』
ヨンスは盤を抱き寄せるようにして身を乗り出した。
『ほら、早く!』
「分かりました。」
菊は白、ヨンスは黒。
最初の一手はヨンスだった。
カチッ。
黒い駒が中央へ置かれる。
『ふっふっふ。』
「……。」
菊は無言で一枚返す。
カチ。
『おっ。』
再びヨンス。
カチ。
菊。
カチ。
しばらくは静かな時間が続いた。
聞こえるのは駒を置く乾いた音だけ。
しかし、その静寂は長くは続かない。
『あ。』
「どうしました。」
『やべ。』
「はい。」
『完全に失敗したんだぜ。』
ヨンスは盤を見つめたまま固まった。
菊も盤面へ視線を落とす。
「……確かに。」
『今のなし!』
「なりません。」
『お願いなんだぜ!』
「却下です。」
『一回だけ!』
「駄目です。」
『恋人なんだぜ!?』
「オセロには関係ありません。」
『冷たい!』
「盤面には平等であるべきです。」
『なんだぜそれぇ……。』
ヨンスはがっくり肩を落とした。
それでも渋々次の一手を打つ。
だが。
カチ。
カチ。
カチ。
盤面はみるみる白に染まっていく。
『……。』
「……。」
『……なんかおかしくないか?』
「何がでしょう。」
『俺の黒が減ってるんだぜ。』
「そういうゲームです。」
『菊ずるしてない?』
「しておりません。」
『ほんとか?』
「はい。」
『怪しい。』
「疑う前に考えて打ってください。」
『ぐぬぬ……。』
ヨンスは盤を睨みつける。
まるで睨めば駒がひっくり返るとでも思っているようだった。
十分後。
盤面はほぼ白一色になっていた。
『……負けた。』
「ありがとうございました。」
菊は一礼する。
ヨンスは畳へ倒れ込んだ。
『勝てる気がしないんだぜぇ……。』
「毎回勢いだけで打っておりますから。」
『勢いは大事なんだぜ。』
「考えることも大事です。」
『考えてる!』
「五秒ほどで。」
『五秒も考えたんだぜ!』
「私は三十秒ほど考えております。」
『長いんだぜ!』
「ゲームですので。」
『待ってる間暇なんだぜ!』
「盤面を見てください。」
『天井見てた。』
「でしょうね。」
菊は思わず苦笑した。
負けるたびに悔しがるくせに、考えることは苦手。
そんなところも、ヨンスらしい。
『もう一回!』
「構いません。」
『今度こそ勝つ!』
二戦目。
三戦目。
四戦目。
結果。
『また負けたんだぜぇぇぇ!!』
ヨンスは座布団へ顔を埋め、じたばたと足を動かした。
『なんで勝てないんだぜ!』
「……私にも分かりません。」
『菊強すぎるんだぜ。』
「普通だと思いますが。」
『普通じゃない!』
ヨンスは勢いよく顔を上げる。
『一回くらい負けろ!』
「それは難しいお願いですね。」
『恋人サービス!』
「勝負事ですので。」
『けち!』
「先ほども同じことを仰っていました。」
『今日の菊、厳しいんだぜ!』
「いつも通りです。」
ヨンスは唇を尖らせながら盤上の駒を指先でつつく。
白い駒がくるりと回転した。
その様子を見つめながら、菊は静かに駒をケースへ片付け始める。
黒、白、黒、白。
一枚ずつ重ねていく。
すると。
『……菊。』
「はい。」
『手。』
「手?」
『貸せ。』
「こうですか。」
菊は不思議そうな顔をしながら右手を差し出した。
その瞬間。
ぎゅっ。
ヨンスがその手を握る。
「……。」
『勝てなかった腹いせなんだぜ。』
「そういう理由ですか。」
『半分。』
「残り半分は?」
『……。』
ヨンスは菊の手を見つめたまま、小さく親指を動かした。
指先がそっと触れる。
『なんとなく。』
「そうですか。」
『嫌か?』
「……いいえ。」
菊は握り返すでもなく、振り払うでもなく、そのまま静かにしていた。
ヨンスは少しだけ安心したように笑う。
『やっぱ菊の手、小さいんだぜ。』
「よく言われます。」
『俺の方がでかい。』
「そうですね。」
『勝った。』
「何にでしょう。」
『手の大きさ。』
「そこは勝ち負けではありません。」
『俺の勝ちなんだぜ。』
「はいはい。」
『今適当に返事した!』
「しておりません。」
『絶対した!』
また始まった。
さっきまで少しだけ甘い空気だったのに、ほんの数秒でいつもの調子に戻ってしまう。
けれど、それでいい。
二人とも、それが一番落ち着くことを知っているから。
その時、庭先から聞き慣れた声が響いた。
[おーい、菊ー!いるあるかー!]
菊とヨンスは同時に顔を上げる。
『……兄貴!!』
「耀さんですね。」
縁側の向こうには、大きく手を振る人影が立っていた。
嫌な予感がする。
菊もヨンスも、なぜか同じことを考えていた。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
[菊ー! 勝手に入るあるよー!]
返事を待つことなく、縁側の障子が勢いよく開いた。
聞き慣れた声と共に現れたのは、耀だった。
片手には大きな紙袋を提げ、もう片方の手をひらひらと振っている。
「こんにちは、耀さん。」
菊は座布団から立ち上がり、一礼する。
『兄貴!』
ヨンスも嬉しそうに立ち上がった。
……が。
耀は二人の姿を交互に見比べると、ふっと目を細める。
[……また一緒にいるあるか。]
『なんですか、その間は。』
[いや。]
耀は肩を竦める。
[最近、菊の家に来れば十回中十回お前もいるある。]
『偶然っす!』
[偶然で毎日来るあるか?]
『……。』
[図星あるな。]
ヨンスは露骨に視線を逸らした。
菊は湯飲みを一つ追加しながら苦笑する。
「今日は何か御用でしたか?」
[あいや、菊に饅頭を持ってきたある。]
紙袋を机へ置く。
中には蒸したてらしい湯気の立つ肉まんや桃まんがぎっしり詰まっていた。
『うまそうなんだぜ!』
[お前のじゃねーある。]
『えぇー!?』
「菊への土産ある。」
『兄貴のけち!』
[人の家で何言ってるあるか。]
耀は笑いながらヨンスの額を軽く小突いた。
『いてっ。』
[さっきから元気そうで何よりある。]
「お茶をどうぞ。」
[谢谢。]
三人は座卓を囲むように腰を下ろした。
しばらくは穏やかな時間が流れる。
湯飲みから立ち上る湯気。
庭を揺らす風。
鳥のさえずり。
菊の家らしい、静かな空気だった。
……一人を除いて。
『兄貴。』
[なにあるか]
『この前言ってたゲームクリアしたんすよ!』
[おぉ、本当あるか!]
『めちゃくちゃ強かったんだぜ!』
[そういえば最後のボス難しいあるな…]
そこからゲーム談義が始まった。
菊は二人の話を聞きながら、お茶を口へ運ぶ。
(お二人とも、本当にゲームがお好きですね。私も好きですが。)
ゲームの話になると、普段は人の話をあまり聞かないヨンスも、珍しく耀の話に頷いている。
その様子を見て、菊は少しだけ微笑んだ。
しかし。
『でも俺の方が兄貴より早くクリアしました!!』
「調子乗んじゃねーある!」
『事実ですよ!』
[我は忙しかったある!]
『言い訳っすかー?』
[この野郎。]
ごつん。
『いてっ!』
頭を軽く叩かれ、ヨンスは頬を膨らませた。
『兄貴すぐ叩くんだぜ!』
[生意気だからある。]
『俺もう子供じゃないんだぜ!』
[知ってるある。]
『じゃあ叩かないでくださいよ!』
「生意気だからある。」
『話聞いてない!』
いつものやり取りに、菊は思わず肩を震わせた。
「ふふ……。」
『菊、笑ったんだぜ!』
「失礼しました。」
[菊も笑うようになったあるな。]
耀が感心したように言う。
「そうでしょうか。」
[前ならもっと遠慮して笑ってた気がするある。]
『俺もさっき言ったんだぜ!』
[へぇ?]
中国は意味ありげに二人を見る。
その視線に気付いたヨンスが首を傾げた。
『なんですか?』
[いやぁ。]
耀はにやりと笑う。
[仲良しになったあるな、と思って。]
ぴたり。
空気が止まる。
数秒後。
『違うんだぜ!!』
「違います!」
二人の声が綺麗に重なった。
[息ぴったりある。]
『違う!』
「偶然です。」
[そこまで揃うと説得力ないある。]
『兄貴、変なこと言わないでくださいなんだぜ!』
[変じゃねーある!!!]
耀は湯飲みを口元へ運びながら、どこか楽しそうに笑った。
[喧嘩してる時のお前ら、昔より楽しそうある。]
『楽しくない!』
「そうでしょうか?」
菊が首を傾げる。
『菊まで何言うんだぜ!?』
「ヨンスさん、先ほどもオセロで負けて騒いでおられましたよね。」
『それ言うな!』
「四連敗でした。」
『数えるな!』
「五戦目も危うかったですね。」
『もういいんだぜ!』
ヨンスは顔を真っ赤にしながら座布団へ突っ伏した。
耀は堪えきれず吹き出す。
[はははは!]
『笑わないでください!』
[笑うある!]
その様子を見ていた菊も、とうとう吹き出してしまった。
「……ふっ。」
『菊まで!』
「申し訳ありません。」
謝ってはいるものの、口元にはまだ笑みが残っている。
ヨンスはその笑顔を見て、一瞬だけ言葉を失った。
(……ずるいんだぜ。)
普段あまり表情を大きく変えない菊だからこそ、こうして笑うと妙に目を奪われる。
なんとなく悔しくて、ヨンスはぷいっと顔を背けた。
『もう知らね!』
[拗ねたある。]
「拗ねましたね。」
『拗ねてない!』
その返事だけは妙に早かった。
耀と菊は顔を見合わせ、また小さく笑う。
いつもなら賑やかなのはヨンスだけだった。
けれど今日は、菊まで楽しそうに笑っている。
そんな二人を眺めながら、耀は湯飲みを置いた。
(……まぁ、これでいいある。)
昔はいろいろあった。
今も言い合いは絶えない。
それでも。
顔を合わせて、喧嘩して、笑って。
そんな時間を過ごせるようになっただけでも、十分なのかもしれない。
そう思った、その時だった。
『そうだ、兄貴!』
[ん?]
『今から三人でゲームしましょうよ!』
[お前、さっきまでオセロでボコボコだったあるよな?]
『それは忘れるんだぜ!』
[忘れねーある。]
耀はにやりと笑った。
その笑みを見た菊は、なぜか胸騒ぎを覚える。
「耀さん。」
[なにあるかー?菊。]
「まさかとは思いますが……。」
[もちろん、本気で勝ちに行くある。]
『望むところなんだぜ!』
菊は静かに目を閉じた。
(今日は、静かな午後にはならなさそうですね。)
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
午後の日差しは少しずつ傾き始め、障子越しの光が畳へ長く伸びていた。
座卓の上には湯飲みが三つ。
その横には、耀が持ってきた桃まんが湯気を立てて並んでいる。
[さて。ゲームを始める前に腹ごしらえある。]
『賛成なんだぜ!』
ヨンスは待ってましたと言わんばかりに手を伸ばした。
しかし、その指先が桃まんへ届く寸前――。
ぱしっ。
『あいたっ!』
菊が箸で軽くヨンスの手を叩いた。
「まだですよ。」
『なんでなんだぜ!?』
「耀さんがまだ召し上がっておりません。」
[そうある。人を待つのも礼儀あるよ!]
『うっ……。』
ヨンスはしぶしぶ手を引っ込める。
『分かったっす。』
耀はそんな様子を見て、小さく笑った。
[素直でよろしいある。]
「では。」
三人は自然と手を合わせた。
「いただきます。」
『いただきますなんだぜ!』
[いただきますある。]
桃まんを一口頬張ったヨンスは、目を丸くする。
『うまっ!』
[あたりめーあるよ!皮から我の手作りある!]
『兄貴、これ店出せるっすよ!』
[もう出してるある。]
『あっ、そうだったんですか!?』
「今さらですね。」
『菊、今笑っただろ。』
「少しだけ。」
『最近よく笑うようになったんだぜ。』
「ヨンスさんのおかげ……なのでしょうか。」
ぽつりと漏れたその一言に、ヨンスの動きが止まる。
『……え。』
「え?」
『今なんて言ったんだぜ?』
菊は箸を止め、不思議そうに首を傾げた。
「ヨンスさんのおかげ……と。」
『……。』
ヨンスはじっと菊を見つめる。
その視線に耐えきれなくなった菊は、ほんの少しだけ目を逸らした。
「……何でしょう。」
『もう一回言ってほしいんだぜ。』
「遠慮します。」
『なんでなんだぜ!』
「十分恥ずかしいことを申し上げましたので。」
『俺はもっと聞きたい!』
「却下です。」
[はいはい、そこまである。]
耀は湯飲みを置きながら、二人の間へ割って入った。
[これ以上やると、菊が真っ赤になるある。]
「耀さん。」
図星だった。
菊は咳払いを一つすると、お茶を飲んで誤魔化す。
その耳がうっすら赤く染まっているのを見つけ、ヨンスは思わず口元を緩めた。
『……かわいい。』
「何か仰いましたか?」
『なんでもないんだぜ!』
勢いよく首を振る。
耀はそんな二人を見比べると、わざとらしくため息をついた。
[お前たち、本当に分かりやすいある。]
『違うっすよ!』
「何がでしょう。」
[ほら、そこある。]
耀は指で二人を交互に指した。
[ヨンスは菊が照れると嬉しそうにする。菊はヨンスが褒めると照れる。]
『そ、そんなことないっすよ!』
「……。」
[否定しないあるか?菊。]
「…………。」
菊はしばらく黙り込んだ。
そして静かに湯飲みを置く。
「否定しても、耀さんは信じてくださらないでしょう。」
[もちろんある!]
「でしたら申し上げません。」
『菊、逃げたんだぜ。』
「違います。」
『逃げた。』
「違います。」
『逃げた。』
「……。」
菊はゆっくりとヨンスを見た。
「ヨンスさん。」
『なんだぜ?』
「少々こちらへ。」
『?』
ヨンスが身を乗り出した、その瞬間。
こつん。
『いった!』
額同士が軽くぶつかった。
「これで満足ですか?」
『なんで頭突きなんだぜ!?』
「静かになられるかと思いまして。」
『ならないんだぜ!』
[ははは!]
耀は腹を抱えて笑っている。
[お前ら、恋人というより漫才コンビあるね!]
『兄貴ぃ!』
「否定はできませんね。」
『菊まで!?』
ヨンスは抗議の声を上げるが、耀も菊も笑っているばかりだった。
騒がしい。
本当に騒がしい。
けれど、その空気はどこか心地よかった。
耀は笑い終えると、ふと窓の外へ目を向ける。
庭では風が木々を揺らし、葉がさらさらと音を立てている。
[……昔は、こんなふうに三人で笑う日が来るとは思わなかったある。]
その一言に、部屋の空気が少しだけ落ち着いた。 ヨンスも、さっきまでの勢いを少しだけ引っ込める。
『……そうっすね。』
菊は静かに耀を見る。
「耀さん。」
[ん?]
「今日は来てくださって、ありがとうございました。」
[気にすんじゃねーある。]
耀はいつものように笑う。
[弟たちの顔を見に来ただけある。]
その言葉に、ヨンスは照れくさそうに頭を掻いた。
『兄貴、そういうことさらっと言うんすね。』
[本当のことある。]
ヨンスは小さく笑う。
その横で菊も穏やかに微笑んだ。
穏やかな時間は、そう長くは続かない。
なぜなら――。
『兄貴! 次は三人で人生ゲームやるんだぜ!』
[望むところある!]
「……また騒がしくなりそうですね。」
菊はそう呟きながら、新しい湯飲みにお茶を注いだ。
どうやら今日は、夕方まで静かな時間は訪れそうになかった。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
人生ゲームの箱が、どん、と座卓の上へ置かれた。
色鮮やかな盤面が広がり、小さな車やお札が次々と並べられていく。
ヨンスは説明書を片手に唸っていた。
『これ読まなくてもいけるっすよね?』
[そういうこと言うやつに限って負けるある。]
『大丈夫なんだぜ!』
「その自信はどこから来るのでしょう。」
菊は車のコマを並べながら苦笑する。
ヨンスは青い車を選び、得意げに掲げた。
『俺はこれ!』
[勿論我は紅ある!!]
「では、私は桜色にしましょう。」
三人はサイコロを手に取る。
最初はヨンスだった。
『それっ!』
ころころ、とサイコロが盤上を転がる。
六。
『おっ、幸先いいんだぜ!』
[最初だけあるな。]
『兄貴、失礼っすよ!』
ヨンスは勢いよく車を進めた。
数マス先には「アルバイトを始める」の文字。
『おぉ!働くんだぜ!』
「頑張ってください。」
『任せろなんだぜ!』
ヨンスは胸を張る。
その様子を見ていた耀が、にやりと笑った。
ゲームは進み、それぞれの財布の中身にも差が出始めた。
耀は堅実にお金を増やし、菊は大きく増えもしなければ減りもしない。
一方。
『なんで俺だけこんなに金ないんだぜ!?』
ヨンスは机に突っ伏した。
手元のお札は、もう数枚しか残っていない。
「投資を失敗されていましたから。」
『あれは運が悪かったんだぜ!』
[説明読まなかったある。]
『兄貴までぇ……。』
ヨンスは半泣きになりながらカードを見つめる。
その横で菊は静かにサイコロを振った。
ころり。
三。
「……。」
菊のコマが「宝くじ一等当選」のマスへ止まる。
『え。』
[おぉ!]
菊自身も少し驚いたように目を瞬かせた。
「運が良かったですね。」
『いやいやいや!』
ヨンスが勢いよく立ち上がる。
『菊だけズルなんだぜ!』
「運ですよ。」
『絶対ズル!』
「どうやって細工を。」
『分からんけどズル!』
[負け犬の遠吠えある。]
『兄貴ぃ!』
耀は湯飲みを片手に肩を震わせている。
ヨンスは納得がいかず、盤面を睨みつけた。
『……もう一回。』
「人生ゲームはやり直しませんよ。」
『俺だけ人生やり直したいんだぜ。』
[現実でも頑張るある。]
『ゲームの話っす!』
三人の笑い声が部屋へ響く。
ゲームも終盤。
菊は相変わらず淡々と進めていた。
ヨンスはというと、お金が足りず銀行から借金を繰り返している。
『終わったんだぜ……。』
[まだ終わってないある。]
『精神的に終わったんだぜ。』
「あと少しですよ。」
『菊、お金貸して。』
「ゲームですので。」
『恋人なんだぜ?』
「返済の見込みがありません。」
『信用ない!』
「あります。」
『あるの!?』
「だから貸しません。」
『結局ないんだぜ!』
ヨンスは両腕をぶんぶん振り回した。
その拍子に、テーブルの端へ置いてあったサイコロが転がり落ちる。
ころころ、と畳の上を転がり、縁側の方へ。
『あっ。』
ヨンスは反射的に立ち上がり、追いかけた。
だが。
つるっ。
『うわっ!』
勢い余って足を滑らせる。
「ヨンスさん!」
菊も立ち上がった。
ヨンスの体がぐらりと傾き、そのまま縁側へ倒れ込む――。
……はずだった。
ぎゅっ。
『……。』
「……。」
菊が咄嗟にヨンスの手首を掴んでいた。
その反動で、今度は菊自身の体勢が崩れる。
どさっ。
『いてて……。』
「失礼しました。」
気付けば二人とも縁側へ座り込んでいた。
ヨンスの肩には菊の腕が触れたまま。
思っていたよりも近い距離。
夏の風が、二人の髪を優しく揺らした。
『……菊。』
「はい。」
『ありがと。』
いつもの勢いはなく、少し照れたような声だった。
菊は静かに笑う。
「怪我がなくて何よりです。」
『また助けられたんだぜ。』
「恋人ですから。」
『……。』
その一言に、ヨンスの顔が一気に赤くなる。
『そういうこと、急に言うんだぜ……。』
菊はきょとんとした表情を浮かべる。
「何かおかしなことを申しましたか?」
『そこなんだぜ……。』
ヨンスは顔を覆ってしゃがみ込む。
耀はそんな二人を部屋の中から眺め、呆れたように肩を竦めた。
[…このバカップル見てらんねーあるなぁ…]
『兄貴、見ないでほしいっす!』
[見えるところでやるからある。]
「何のお話でしょう。」
[菊、お前は天然あるな。]
「よく言われます。」
その返事に、耀は苦笑しながらお茶を飲んだ。
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縁側に吹く風は、昼間より少しだけ涼しくなっていた。
菊とヨンスが部屋へ戻ると、耀は人生ゲームの盤面を片付けながら肩を竦める。
[ようやく戻ってきたある。ゲームが止まってたあるよ。]
『わ、悪かったっす。』
「お待たせしました。」
[まあ、怪我がなかったならいいある。]
耀はそう言って箱へカードをしまう。
その横でヨンスは何事もなかったように座布団へ座った。
『よし! 次はトランプやるんだぜ!』
「まだ遊ばれるのですか。」
『もちろん!』
[若いあるなぁ。]
『兄貴だってさっきノリノリだったじゃないっすか!』
[……否定はしねーある。]
耀は咳払いを一つすると、トランプの箱を開けた。
[何やるあるか?]
『ババ抜き!』
「分かりました。」
三人へ十三枚ずつカードが配られる。
菊は静かに扇状へ広げ、ヨンスは最初からカードを丸見えにしていた。
[ヨンス。]
『なんすか?』
[全部見えてるある。]
『え?』
ヨンスは慌ててカードを閉じる。
『危なかったんだぜ…。』
「危なかったですね。」
『菊まで……。』
『兄貴、一枚もらいますよ!』
するり。
『よし!』
[残念、ジョーカーある。]
『うわぁぁぁ!?』
ヨンスはジョーカーを引いた瞬間、大げさに仰け反った。
その様子に耀が吹き出す。
[そんな分かりやすい反応すんじゃねーあるよ!]
『だって嫌なんだぜ!』
「顔に全部出ています。」
『出てないっ!』
「今『ジョーカーです』と書いてあるようなお顔をしています。」
『そんな顔だよ!?』
菊は口元へ手を添え、小さく笑う。
『菊め、笑いやがって…。』
「ヨンスさんが面白いので。」
『うっせ!!!』
[バカップル黙るよろしー。]
『兄貴ぃ!』
数分後。
[あがりある!]
耀が最後の二枚を揃え、悠々とカードを置く。
『早っ!』
「おめでとうございます。」
[あたりめーあるよ!]
残ったのは菊とヨンス。
ヨンスはジョーカーを握りしめたまま、菊をじっと見つめていた。
『菊。』
「はい。」
『絶対ジョーカー引くなよ。』
「それは難しいお願いですね。」
『空気読ってほしいんだぜ。』
「運ですので。」
『恋人パワー!』
「使えません。」
『なんでなんだぜぇ!』
ヨンスは泣きそうな顔でカードを差し出す。
菊は少しだけ迷ってから、一枚抜いた。
するり。
数字が揃う。
「……失礼します。」
ぱちん、とカードを置く。
『え。』
ヨンスの手元には、ジョーカーが一枚だけ残っていた。
[負けあるな。]
「私の勝ちですね。」
『また俺ぇぇぇぇ!?』
ヨンスは畳へ突っ伏し、じたばたと暴れ始める。
『なんで俺ばっかりなんだぜ!』
[運がないある。]
「今日はそういう日なのでしょう。」
『慰めになってないんだぜ!』
耀は大笑いし、菊も肩を震わせる。
今日だけで、何度ヨンスが負けたのだろう。
本人は不満そうだったが、二人に笑われるたび、結局自分もつられて笑ってしまう。
そんな賑やかな時間が、まだもう少しだけ続きそうだった。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
笑い声が落ち着いた頃には、窓の外はすっかり夕焼け色に染まっていた。
障子越しに差し込む橙色の光が、部屋の中を柔らかく照らしている。
[もう夕方あるな。]
耀は窓の外を眺めながら、ゆっくりと湯飲みを置いた。
『遊んでたら一瞬だったっすね。』
「そうですね。」
菊も庭へ目を向ける。
夏の夕暮れは、昼間の賑やかさが嘘のように穏やかだった。
……ただ一人を除いて。
『そうだ!』
ヨンスが勢いよく立ち上がる。
『最後に腕相撲するんだぜ!』
「なぜそうなるのでしょう。」
[お前、まだ勝負するあるか!!]
『今日はまだ一回も勝ってないんすよ!』
[自覚あったあるか。]
『兄貴ぃ……。』
ヨンスは肩を落とすが、すぐに気持ちを切り替えた。
『菊!』
「はい。」
『腕相撲なら勝てる気がするんだぜ!』
菊は自分の細い腕を見下ろす。
「私は構いませんが……。」
[いや、菊も鍛えてるあるよ。]
『えっ。』
ヨンスの笑顔がぴたりと止まった。
「それでも、ヨンスさんの方がお強いと思いますよ。」
『ほんとか?』
「ええ。」
『じゃあ勝負なんだぜ!』
座卓を端へ寄せ、二人は向かい合う。
右肘を畳につき、手を組む。
ぱちり。
指が絡んだ瞬間、ヨンスは少しだけどきりとした。
(……菊の手、やっぱ小さいんだぜ。)
「どうされました?」
『なんでもないっす!』
[始めるあるよ。]
耀は二人を見比べる。
[よーい……。]
一拍置いて。
[始め!]
ぐっ。
二人の腕に力が入る。
『おぉぉ……!』
ヨンスの腕がじわりと押し込む。
菊も踏ん張るが、力では敵わない。
「……っ。」
数秒後。
とん。
菊の手の甲が畳についた。
『勝ったぁぁぁ!!』
ヨンスは勢いよく立ち上がり、両手を突き上げる。
『やっと勝ったんだぜー!!』
[おめでとうある。]
「お強いですね。」
『ふっふっふ。』
ヨンスは得意げに胸を張った。
『見たかー!』
「ええ、見ておりました。」
『今日はもう満足なんだぜ!』
[ずいぶん安い満足あるな。]
『一勝は一勝っすよ!』
三人は顔を見合わせ、思わず笑う。
しばらくして。
耀は立ち上がり、軽く背伸びをした。
[さて、我はそろそろ帰るある。]
『もうですか?』
[何よりも大事な夕飯の支度もしなきゃならねーあるからな!]
「本日はありがとうございました、耀さん。」
菊が頭を下げると、耀は軽く手を振った。
[こちらこそある。久しぶりにゆっくり遊べたある。]
玄関へ向かいながら、耀はふと足を止める。
そして振り返り、二人を交互に見た。
[菊。ヨンス。]
「はい。」
『なんすか?』
[……おめーら。]
耀は少しだけ口元を緩める。
[喧嘩するのは勝手ある。でも、ちゃんと相手の話は聞くあるよ。]
ヨンスは思わず目を逸らした。
『……耳が痛いっす。』
「肝に銘じます。」
[特にヨンス。]
『はい……。』
[人の話、最後まで聞くある。]
『がんばりまーす。』
[頑張るじゃなくて実行ある。]
『うぅ……。』
しょんぼりするヨンスに、
菊は小さく笑った。
「私も、もう少し素直になるよう努めます。」
[そうあるな。お前は考えすぎある。]
耀は満足そうに頷く。
[じゃあ、また来るある!]
『兄貴!またゲームしましょうね!』
[その時は負けねーあるよ!]
「またお待ちしております。」
耀が手を振り、夕焼けの中へ歩いていく。
二人はその背中が見えなくなるまで見送っていた。
玄関の戸を閉めると、家の中は急に静かになる。
『……。』
「……。」
少しだけ気まずい沈黙。
その沈黙を破ったのは、ヨンスだった。
『……菊。』
「はい。」
『今日、ありがとな。』
ぶっきらぼうな一言。
けれど、その声はどこか照れくさそうだった。 菊は少し目を丸くし、それから穏やかに微笑む。
「こちらこそ。」
『また遊びに来てもいい?』
「もちろんです。」
『喧嘩しても?』
「その時は、その時です。」
『……へへ。』
ヨンスは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、菊も自然と笑みを浮かべる。
きっと明日も、また言い合いになる 。
些細なことで口論して、お互い譲らなくて。
それでも最後には、こうして笑っているのだろう。
そんな気がしてならなかった。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
翌日。
朝から蝉が賑やかに鳴いていた。
縁側へ吹き込む風はまだ涼しく、庭先の木々がさらさらと揺れている。
菊はいつものように庭へ水をやり、花の様子を確かめていた。
「今日は昨日より咲きましたね。」
蕾だった桔梗が、淡い紫色の花をゆっくりと開いている。
その様子に目を細めた、その時だった。
――ぴんぽーん。
静かな朝には似合わない、勢いのあるチャイムが鳴る。
菊は少しだけ苦笑した。
「……予想通りですね。」
玄関へ向かい、戸を開ける。
そこには、にかっと笑うヨンスが立っていた。
『菊ー!』
「おはようございます、ヨンスさん。」
『おはようなんだぜ!』
ヨンスは両手にコンビニの袋を提げている。
『朝飯買ってきたんだぜ!一緒に食お!』
「わざわざありがとうございます。」
『それと。』
ヨンスは少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
『昨日のお礼なんだぜ。』
「お礼、ですか?」
『楽しかったから。』
その一言だけで十分だった。
菊はふっと微笑み、玄関を大きく開ける。
「どうぞ。」
『お邪魔しまーす!』
ヨンスは元気よく靴を脱ぐ。
その直後。
『あっ。』
脱ぎ散らかした。
菊は無言でその靴を見つめる。
『……。』
「……。」
『今そろえるんだぜ。』
「お願いします。」
ヨンスは慌てて靴をきちんと並べ直した。
『これでいいか?』
「ええ。」
『危なかったんだぜ。』
「危なくはありませんが、気になってしまいますので。」
『菊らしいんだぜ。』
二人で居間へ向かう。
袋の中には、おにぎりやサンドイッチ、それにペットボトルのお茶まで入っていた。
『好きなの選んでいいんだぜ!』
「では、鮭のおにぎりをいただきます。」
『やっぱ鮭なんだぜ。』
「好きですので。」
『知ってる。』
向かい合って座り、静かに手を合わせる。
「いただきます。」
『いただきますなんだぜ!』
しばらくは食べる音だけが響く。
昨日あれだけ騒いでいたとは思えないほど、穏やかな時間だった。
『……なぁ、菊。』
「はい。」
『昨日さ。』
ヨンスはおにぎりを持ったまま、少し照れたように笑う。
『兄貴が言ってたじゃん。』
「耀さんが?」
『喧嘩しても、ちゃんと仲直りしろって。』
「ええ。」
『俺さ。』
少しだけ視線を落とす。
『喧嘩はなくならないと思うんだぜ。』
「私もそう思います。」
『だよな。』
二人とも、性格は違う。
考え方も違う。
譲れないものだってある。
だからきっと、これからも言い合いはする。
『でも。』
ヨンスは顔を上げた。
『そのたびに仲直りできれば、それでいいんだぜ。』
菊は少し驚いたように目を瞬かせる。
そして、穏やかに笑った。
「はい。」
『約束なんだぜ。』
ヨンスが小指を差し出す。
菊は少しだけ迷ってから、その小指へ自分の指を絡めた。
「約束です。」
指切りを終えると、ヨンスは照れ隠しのように笑う。
『へへ。』
その笑顔につられて、菊も笑った。
穏やかで、優しい笑みだった。
『……やっぱその笑顔好きなんだぜ。』
ぽろり、と本音が零れる。
「……。」
菊は一瞬だけ固まる。
『あ。』
ヨンスも、自分で言ってから気付いたらしい。
『い、今のなしなんだぜ!』
「なしにはできません。」
『忘れてほしいんだぜ!』
「難しいですね。」
『うぅ……。』
顔を真っ赤にして頭を抱えるヨンス。
そんな姿を見ながら、菊は静かに立ち上がった。
「ヨンスさん。」
『な、なんだぜ?』
菊はヨンスの前まで歩み寄る。
そして。
そっと、その頭へ手を乗せた。
『……。』
「私も。」
優しく髪を撫でる。
「ヨンスさんと過ごす時間は、好きですよ。」
『……っ!』
ヨンスは目を丸くしたまま固まる。
数秒後。
『ず、ずるいんだぜ……。』
「何がでしょう。」
『そういうこと、さらっと言うから。』
「本当のことですので。」
『天然なんだぜ……。』
ヨンスは観念したように笑った。
菊もまた、小さく笑い返す。
外では蝉が鳴いている。
今日も暑くなりそうだ。
きっとこの先も、二人は喧嘩をする。
オセロで負けて騒いだり、食べ物を取り合ったり、どうでもいいことで言い合ったり。
周りから呆れられることも、
一度や二度では済まないだろう。
それでも。
言い合いのあとには笑って。
笑ったあとには、また隣にいる。
そんな何気ない日々を、二人はこれからも繰り返していく。
夏風が縁側を通り抜け、庭の花を優しく揺らした。
その花を眺めながら、菊は穏やかに微笑む。
その隣では、ヨンスが楽しそうに何かを話している。
今日も騒がしい。
けれど、その騒がしさが心地いい。
喧嘩するほど、なんとやら。
そんな二人の日常は、きっとこれからも続いていく。
――終わり。
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うわ〜っ、読み終わりました!もう最初から最後までほんわかした気持ちでいっぱいです!菊さんの「はい」とか、「そうですか」みたいな淡々とした口調と、その裏にあるヨンスさんへの優しさがすごく伝わってきました。オセロで連敗して畳に突っ伏すヨンスさん、可愛すぎます (笑)。最後に二人で指切りして「喧嘩しても仲直りすればいい」って約束するところ、じーんと来ました。この喧嘩するほど仲がいい感じ、めちゃくちゃ好きです!日常のほのぼのとした空気が最高でした〜!