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彼女たちが来るのを、いまか、いまかと待ち構えている。

浮ついた気持ちでいるのは、皆、同じようで。兄の泰隆(やすたか)が、店の奥から顔を出す。「ちょっとさー。みんなー。落ち着かないのは分かるけど、ちょっと、落ち着こうぜー。

清太郎の彼女と娘さんが来るのは嬉しいけどさあ。あんま、プレッシャーかけないようにねー。彼女たちには彼女たちの人生があるんだからさー」

「……来た」

一点を、石田は、見据える。商店街を歩く群衆のなかで、ブルーグレーのコートが浮かび上がって見えた。

恋は、盲目だ。巷で言われる通りで。

虹子が、気づいた。たおやかな笑みを送られ、石田は、全身が痺れるかと思った。

(あ……ああ……)

仕事中は敢えて見ないようにしていたが、こうして全身を眺めてみると、虹子は、いい女だと改めて思う。すらりとした肢体。余裕を兼ねそろえた大人の表情。流行を程よく取り入れるそのセンス。清楚さと円熟味を兼ねそろえた、不思議な魅力を醸し出している。

隣に立つのが、お嬢さんか。――晴子さんといったか。脳内で情報を展開させる石田であるが、虹子の姿かたちに魅惑され、普段ほど冷静には思考を働かせられない。

「こんにちは」虹子が、とうとう、石田の前に立った。「今日は、お招きくださり、ありがとうございます。こちらが、娘の、晴子です」

「西河晴子です」

「晴子。……で、こちらが、石田さん」

母親の発言に、ぷっと晴子が笑った。「お母さん。きっと、こちらには『石田さん』がたくさんいらっしゃるだろうから、違う呼び方のほうがいいんじゃない?」

「あ、そっか」合点がいったといった様子で、虹子が唇に指を添え、「じゃあ……」

――清太郎、さん。

虹子の魅惑的な笑みを注がれた瞬間、石田は鼻血を吹き、病的なまでの恋の病にひれ伏した。


「……大丈夫ですか?」

客間の布団で寝そべる石田は、ティッシュで鼻を押さえ、上体を起こす。「あ……たぶんもう、止まってるかと……」

「無理しないで。もう少し横になっていて、いいんですよ」

気づかわしげに目を覗き込む虹子の目を見て、石田の脳内にひらめくものがあった。

「……膝枕」

「……え?」

「ぼく、病人だから、虹ちゃん、膝枕してくんないかな……」

「そ、んな。だって。ここ、ご家族のかたもいらっしゃるんでしょう?」

「――じゃあ、虹ちゃんは。仮に、ここが、ぼくの実家じゃなければ、いくらでもぼくの言うことを聞くと、言いたいわけだ……」

「そんなことわたし――んぅっ」

久方ぶりに触れる女の唇は、あまい、あまい、味がした。――血の味など忘れてしまうほどの、蠱惑的な情動に身を委ねる――このいっとき。

あまったるい舌を追い回し、やがて、絡ませると、小さく、虹子が、声をあげた。「ああ……駄目です、清太郎さん、こんなの――下に、みんながいるのに――」

布団のなかに、虹子を引きずりこみ、覆いかぶさる。逃げようとする虹子の舌を篭絡する。

女の舌は、どうしてこんなにも甘いのだろう、と石田は思う。

虹子の頬を挟み込み、愛おしいその瞳を覗き込むと、石田は告げた。

「本当は、もっと、えっちなことをしたいけれど……また血が出るといけないから、ね」

貪るようなキスを与えたのちに、虹子を解放した。

「素敵。素敵素敵素敵ーっ」

一方の晴子は、一階の店側のショーケースの前で、幼児のように、きらきら目を輝かせる。「ああ……道明寺。みたらし。草団子……かりんとまんじゅう! どうして、和菓子って、こんなに、素敵なんだろう……ああ、素敵ぃーっ」

「晴ちゃん、どれでも好きなものを食べていいのよ」

「……ほんとですか」

「勿論よ」

晴子のために、晴子が好きなだけ和菓子を眺めるのに付き添う、石田の母・朝江(あさえ)を見て、晴子は恨めしげにこぼす。

「……どうして、洋菓子には、バイキングがあるのに、和菓子には、バイキングがないんでしょう……」

晴子の呟きに、朝江が頬を緩ませる。「晴ちゃんは、面白いことを言うのね……そうね。和菓子は、ひとつふたつ食べただけでお腹がいっぱいになってしまうから……だからでしょうね」

さあさ、と朝江は晴子を促し、「好きなだけ食べなさい。今日は、特別に、晴ちゃんのために、和菓子バイキングにしましょう」

店員にあれやこれやを取って貰い、和菓子の乗った皿を受け取り、晴子は朝江に促され、店から続くドアから、石田家の茶の間へと入る。

「あらぁ……晴子、そんなに食べられるの?」

ちょうどそのとき、虹子が階段を降りてきた。石田も一緒だ。血は、もう、止まったらしい。

「お母さんたちのぶんも貰ったの。食べるでしょう? お母さん……」

朝江の前に立つと、虹子が頭を下げる。「お邪魔になったうえに、ご馳走になってしまい、なんだかすみません」

「いいのよ」と朝江は首を振る。続いて晴子に目を向け、「せっかくですから、揚げたてのかりんとまんじゅう、食べましょうか」

「――いいんですか!?」

「こら、晴子……」

「いいんだよ虹ちゃん本当に」母と石田が並ぶとなんだか夫婦のようだ、と晴子は思う。「なら、泰隆に揚げさせるわ。すぐ、持ってきますから」

速足で朝江が茶の間を出て行く。全員が、ちゃぶ台を囲う、座布団のうえに、座った。

そして顔を見合わせる。

「なんだか、気を遣わせてしまってごめんね。……うちの家族たち、悪いひとたちではないんだけれど、こう、張り切りすぎて空回りしてやしないかと……。ごめんね」

最後は、晴子に向けて言ったのだろう。石田は、片目を瞑った。最初に鼻血を垂らしたみっともない姿など、とうに消えうせていた。それにしても、……鼻血を出すとは。

元々見目形がいいうえに、顔の整った家族と一緒に暮らす晴子には、分からない。石田がどれほどの美男子なのかは。けれど、母を愛していることは、確かなのだろう。なんせ、虹子を見ただけで顔を真っ赤にするくらいなのだから。思いだすと――笑えてくる。

すると、そんな晴子の胸中を読み取ったのか、石田が、

「初対面で、みっともないところを見せてごめんよ。晴子ちゃん。ぼくは、お母さんの大切にしていることを、大切にしたいと思っている。……だから、晴子ちゃんとも、家族みたいに、気軽になんでも話せる関係になりたいと、思っている」

浮ついたところのない、好青年だ。

三十五歳で独身と聞いている。てっきり、独身貴族を謳歌する、もうすこし自己中心的な――はたまたナルシストが来るのではないかと、内心で晴子は警戒していたのだが、杞憂だった。

直感だが、石田とは、うまくやっていけるのではないか。――そう確信したときだった。

石田家には、玄関が二つあるらしい。店に繋がる、小さな玄関と、それから裏手の玄関が。奥の廊下から顔を出したのは、

「いらっしゃい、せい叔父さん。――お客様?」

ヒップバッグを背中に引っ掛けた、十代だと思われる少年が姿を見せた瞬間、いままでに味わったことのないなにかが、晴子の胸を貫いた。


タダで済むと思うな

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