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︎︎◌ 太中
︎︎◌短編
『迎えの合図は雨の音』
雨は嫌いじゃない
他人の視線を遮り、鼓膜を支配し、足音や声さえも掻き消してしまう
この不確かで、孤独に似た世界に溶け込むには、これ以上ない舞台装置だ
それは六月の、湿気の濃い雨だった
「やれやれ…合鍵ぐらい渡してくれてもいいのに」
入水と雨で濡れたコートの裾を払いつつ
私はいつも通り中也の部屋の前に立っていた
傘も持たずに向かった中也の部屋の鍵は、相も変わらず固く閉ざされていた
中也の家の鍵を私が正規の方法で開けたことは一度もない
私は迷うことなく安全ピンをひとつ、ポケットから取り出した
もう七年も前からの習慣だった
十五で出会って、喧嘩して、笑って、睨み合って、敵同士になって─────
それでも恋だけは止められなかった
カチリ、と乾いた音がして、錠が甘く開いた
少し力を入れて押せば、部屋の中にはいつもと同じ
酒と革の匂いが鼻をくすぐるはずだった
「…………中也?」
軋む扉を開けて呟いた言葉は、雨音に吸われて消えた
応える声も、睨みつけるような青い瞳も、玄関にはなかった
おかしい、と即座に思った
彼は私の侵入に対し、必ずと言っていいほど怒鳴ってくる
それが『中原中也』という男の、愛情表現の一つでもあったから
だが今夜は、雨の音だけが部屋を満たしていた
私は空っぽの冷蔵庫の中身も、机に置かれたコートも
まだ乾ききっていないマグカップも、瞬時に目に入れた
────数時間前までここにいた
だが今は、いない
不意に、喉の奥に薄氷のような不安を感じた
中也が“いない”という
それだけの事実に、心臓が強く脈打った
「……君は私を殺す方法を、本当に良く知っているね」
そんな独り言を残して、私は雨の中に飛び出した
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
今宵、ヨコハマの街は濡れていた
灰色の雲が空を覆い、雨粒がアスファルトを打つたび、私の靴の音は溺れていく
傘は持っていない
否、持つ気になれなかった
彼が行きそうな場所は、腐るほど知っている
彼の癖も、歩き方も、足を向ける酒場
中也が行きそうな場所、寄りそうな路地、全部
だからこそ、直感的に向かったあの細い裏路地にその姿があった
「……中也…!」
膝をついて、肩を押さえ、ぐしゃりと濡れたアスファルトに身を寄せていた
あたりには、破れた買い物袋と、散らばった林檎や豆腐が転がっている
きっと雨の中を狙った刺客だったのだろう
『太宰……』
顔を上げた中也の唇が震えていた
『……はは……王子様は遅れて登場するってやつか……』
傷の場所は左の腹部、急所は外れている
けれど問題は、血よりも冷え切った体温だった
「……っ、…ジョークを言っている暇は無いんだよ…」
私は、彼を迷いなく抱き上げた
濡れた路地の底から、君を引き上げるように
姫抱きなどと誰が名付けたか知らないが
この世で一番不器用な姫は今、私の腕の中にいる
道行く誰かが見ていたかもしれない
だがそんなことどうだっていい
私が今、世界で最も気にかけるべきものは
彼の鼓動が絶えずに続くことだけだった
私は家に連れて帰ると
濡れた衣を剥ぎ取り、乾いたタオルで乱暴にならぬよう丁寧に拭いた
火照った額に手を当てると、熱が指先を刺した
──雨に晒されすぎていた
濡れた身体は芯から冷え、やがて中也の肌には火が灯ったように熱が走った
苦しそうに寝台の上で喘ぐ中也を
私はタオルで拭いながら、ただ祈るように見守っていた
『…………太宰…』
「…ここにいるよ、ずっと傍に」
私は君の髪を撫で、額に唇を押し当てる
熱は非常に高かった
けれどそれ以上に、君の声がいつもよりもずっと甘く、弱かった
『……熱出ると…、妙に……人肌が恋しくなるんだよ』
「知ってるさそれくらい…、七年も一緒にいるんだから」
『……今日だけ…………甘えて、いいか……?』
私は笑って頷いた
そうして、彼が私の胸に顔を埋めてきたとき
私はもう、世界のどんな美辞麗句よりも
この男の温もりの方が、価値があると知った
中也は幾度となく私を呼んだ
熱に浮かされ、無意識にしがみついてきた
私はそれを、鬱陶しいとも煩わしいとも思わなかった
むしろ、どこか嬉しかった
普段は強がって、誰よりも孤独を背負い込む男が
こんなにも私に縋り付いてくれているということが
『なぁ……』
「……何だい?」
『”次”は、勝手に居なくなんなよ……』
───ああ、この愛しい男は根に持っているのだろう
私がポートマフィアを抜け出した日、彼は89年物の葡萄酒を大泣きしながら開けたことを
─────私は答えなかった
代わりに中也の背を撫でた
まるで、壊れやすい子どもを抱くように
『………………ほんっと、…酷ぇ男だな……』
私は彼の頬に手を添え、目を細めた
それから、ゆっくりとキスをした
熱く、深く、熱を確かめ合うような口づけ
部屋にはただひたすらに
雨に混じった水っぽい音と熱い吐息が響き渡っていた
その奥で、中也はわずかに震えていた
私はその度に静かに抱きしめる
彼の全てを、壊さないように、確かめるように
「……中也 君は、どこにも行かないで」
『……手前が、言うかよ……』
「………今だけは、君を見ていたいから」
そうして私はもう一度、その柔らかい唇に、熱いキス重ねた
『……俺、夢見てるみてぇだ』
「だったら、夢のままで居て 朝なんて来なくて良い」
そう願った
心から、そう願った
この雨が止まないでいてくれたら
この夜が永遠に続いてくれたら
私はずっと、君をこの腕に閉じ込めていられる
夜が明ければ、また敵同士だ
銃を構え、睨み合い、血の匂いを嗅ぐ灰色の世界に戻る
きっと私は永遠に────君の傘にはなれない
けれど
せめて雨の夜には、君を迎えに行こう
コメント
5件
りりちゃん ッッ !! 🫶🏻💗 まぢで読んでて 、口角が上がりっぱなしになってしまった .. 🤭💕 こういう切ない感じ 本当に 好きなんだよねぇ ~ !! 🫧🫧 なんか本当に 、アニメにもありそうな場面過ぎて 、またアニメ 見たくなってしまった ッッ .. 🩸🩸 りりちゃんに感謝 ~ !! 🥺💭⑅
雨…!!! 雨とは素晴らしや😇(急にどうした) 今回もまー最高でしたわ…雨って色々な感情を表すけど、今回は寂しさや虚しさ…雨が包む温かさも感じられたな☺️💓 キスの表現と雨の表現いいっすねぇ…「キスが降り注ぐ」って言葉もあるからさ…キスと雨って紙一重だと思うんですよ(意味不明) とりあえず最高でした
急いで書いたので誤字・脱字多いかもしれません…🙇♀️ 雨の中、倒れていた中也を甘やかすだけのお話です オチは…、ありません!!!!