テラーノベル
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始まりは勇斗からの一言だった。
『これあげる』
勇斗の家でデートしてまさに帰ろうとしていた時、玄関で不意に渡されたもの。
靴を履いてドアノブにかけていたその際に、勇斗が目の前に突き出した、金属の小物。
『何これ』
受けとってそう問えば、勇斗はいつもと変わらない真っ直ぐな目で、こんなことを言い放った。
『次俺んち来る時は荷物まとめて来て』
深夜、タクシーに揺られながら家路を急ぐ。
無法地帯な都内の道路を走るタクシーに揺られながら、車窓を眺める。
昼間よりもだいぶ交通量が減り、たまに街灯を大きなトラックが隠した。
…待ち遠しい。
もはや家に向かう道路全てが高速道路ならいいのに。
そんなことを考えているうちに最後の交差点へ差し掛かった。
自宅のマンションに着いて、もう何百回と来た部屋の前に辿り着く。
以前はこの鍵を開けるのも勿体無くて噛み締めるようにゆっくり差し込み、開けていたというのに。
勇斗からは『早くしろよ』と苦笑いでどつかれていたのに。
今となっては、手慣れた手つきで鍵穴に入れて開けるまでに、3秒もあれば余裕でできる作業になった。
扉を開けて真っ暗な部屋に帰る。
電気をつければ靴はなく、まだ帰って来てないことがわかった。
…まあ今日のあいつの予定からして、程なくして帰ってくるだろう。
以前この玄関で勇斗の靴が隣に並んでいることを確認してアホ面かましてた自分のことすら懐かしい。
今はいるかどうかを探る、単なる合図となっているけれど。
玄関のアクセサリートレーへアクセサリーを外し、リビングのドアを開ければいつもの部屋と対面する。
「わあ積雪」
テーブル周りに散らばったレシートや領収書たちに独り言を漏らしながら上着を脱いで鞄と合わせて定位置に置く。
勇斗の上着が若干こちらのテリトリーにはみ出ていることには目を瞑っておいた。
…洗面所のスキンケア用品も、若干自軍 が優勢だし、これくらいはね。
テーブルの近くに来て軽く息をつき、積雪を見下ろした。
…これでも一緒に住んでから減った方だ。
何せ、俺が掃除しているから。
とはいえ、今となっては俺の家でもある。
軽く片しておかないとスペースがない。
…適当にテーブルの上にまとめとくか。
除雪し、テーブルの上に雪山を形成する。
…あとは人間除雪機(勇斗)に任せよう。
そう区切りをつけてソファーにドサ、と腰を下ろした。
「あ゛ー疲れた」
でかい独り言を空間に虚しく響かせた。
シン、と静まり返った空間に5秒だけ虚空を見つめる。
ソファーの背もたれから腕掛けに徐々に脱力していく。
…そういえば勇斗遅いな。
なんか今日たのんだっけ。そんな気はしなくもないけど…。
1人暮らしが一変して今の生活になって2年。
もういろんなことに慣れて来た。
2人で帰る家の施錠と解錠。
揃わない2足の靴。
重なる日常使いの上着。
都内初雪ぐらいになった勇斗の積雪。
アクセサリーの取違い。
洗剤の場所。
近くの安いスーパー。
行き帰りの連絡。
当番制の家事。
当初は子どもが初めて台所に立った日みたいなキラキラした体験に近かった。
今となってはすっかり日常に溶け込んで、当たり前の作業に近い。
慣れた。
慣れたはいいが、その一方で耐性がなくなったこともある。
こんなに部屋に自分の声しか響かないってことが耐え難いなんて。
ちょっと帰りが遅くなっただけで、地球最大の危機みたいな不安が襲ってくるなんて。
…ていうか急にねっむ。
座ったら急に瞼がヴンッてなってるんだけど。
…。
ビニール袋のガサガサという音に意識を取り戻した。
幾分か軽くなった瞼をを半ば無理やりこじ開ける。
地球最大の危機みたいな不安と言いつつ、すっかり眠ってしまったようだ。
睫毛の間から見えて来たのはやたらキラッキラしたニット帽の男。
伏せ目からわかる睫毛の長さは自分しか知り得ないもので…いや、そんなことを言っている場合か。
「おかえり…」
伸びして欠伸をしながらの舐め腐った出迎えに勇斗は何も突っ込まずに「ただいま」と返した。
「頼まれたもの買ってきた」
…いやせめてなんかコメントしろよ。タレントだろ。
ほんとオフになった途端に真面目な奴に戻るんだからこいつは。
「ごめん、遅くなって」
わしわしと乱雑に髪を撫でた。
かと思いきや、 勇斗はニット帽を剥ぎ取るとソファーの横にしゃがんで、大真面目な顔で
「…今日はおかえりのちゅーないの?」
と宣った。
…前言撤回。まだ仕事モードだわ。
「きも。いつもしてねえだろ」
「ちょっと待ってよ。俺傷つくんだけど。そういう関係じゃん」
苦笑しながらそんなことを言われる。
まあそうだけども。
「ごめんわかったわかった。寝起きだしうがいしてくるからちょっと待ってて」
「俺いつも寝起きのときしてるよね?気にしないからいいよ」
「やけに強引じゃん。なんかあったの?」
「いや、たまにはしてくれていいのになーって思って」
「まあそうか。わかった」
前髪を掻き上げて勇斗の額に軽く唇を当てた。
…案外本人は満更じゃなさそうだ。
「…これでいい?」
「最高」
そう言って重そうなビニール袋を持ち上げていそいそとキッチンへ向かった。
「買い物ありがとう。すぐ飯にするわ」
「いいえー、領収書ありがとねー」
キッチンへ呼びかけると返事が帰って来た。
たったそれだけのことにも礼をいう律儀さ。
足を下ろして初めて気がついた。
勇斗の上着が掛けられていたことに。
「起きたら返してくれればいいから」
「ん、いや、もうあらかた起きた。ありがとう、返すわ」
起きたとは言いつつ、まだ頭が回ってない。
気づけば立つことをやめて、買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に手際よく仕舞う勇斗に見惚れる。
「仁人、こっちの日用品系しまってくんない?」
…もちろん。
でも、その前に…。
「やっば俺洗剤忘れてる!!!あー仁人ごめん、すぐ買いに……」
勇斗がそこまで言って言葉を止めたのは、振り向いて正面を向いたその瞬間にこちらからの渾身のハグをお見舞いされたからだろう。
相変わらずギリギリ顎が乗せられない絶妙な高さと広い背中の割に引き締まった身体。
徐々に熱くなる勇斗の身体と胸元から力強くBPM200で高鳴る鼓動に笑いそうになってしまう。
「え、仁人さん?デレ期?」
「いいよ、洗剤なんか明日で。お互い休みだし一緒に買いに行けばいいでしょ」
「まあ、仁人がいいなら…」
そう言いながら腰と後頭部に優しく手を添えたのがわかった。
「俺さ、前より鍵開けるのスムーズになったくない?」
「最初が遅すぎたんだと思うけど」
「前は鍵開けるのもなんか、『うわ、アツい…!』っていちいち感動してたんだけどさ、最近はもうすっかり慣れて、感動もくそもねえなと思ってきて」
「最悪さっき可愛いって思っちゃった俺の気持ち返せよ」
「なんかさ、その、慣れたことが嬉しくなっちゃって」
心なしか、添えられた手に力強さが加わったように感じた。
「靴玄関に2足出てんのも、積雪してんのも、上着が侵食してきてんのもいつも通りで、勇斗が当たり前に生活の一部にいることがすごい慣れちゃった」
勇斗はああ、と理解したように呟いた。
「だからお前、洗剤明日でいいって言ったんだ」
改めて言葉にされるとこちらの顔から火が吹き出そうになる。
「そっか〜、なんだ仁ちゃん可愛いじゃ〜ん、寂しかったの?ねえ」
声からニヤニヤしていることが伝わる。
昂っていた気持ちはここいらでスンッと下がってしまった。
手をぱっと離して後ろを向いた。
「あ、やっぱ無し。今の全部忘れて」
「無理。もう聞いちゃったから」
今度は勇斗が後ろから飛びついてきた。
と思いきや突然、勇斗がスンスンと匂いを嗅ぎ出す。
「なんか俺のシャンプーの匂いがするんだけど」
「あー、間違えて使った。…え、怖。なんでわかった?」
「……。」
「おいコラ今よからぬことを考えてるだろ」
「…やっぱ飯後にしない…?」
「日用品仕舞うの勇斗になるけどいいの?」
その返答を聞く前に身体が浮いた。
同居を誘った時、こぼれ落ちそうなくらい大きな瞳を見開いていた仁人のことはこの先ずっと忘れないと思う。
『仁人も俺も生活も好みも違うし、それはまた話し合えばいいと思う。俺も仁人のこと尊重する』
ずっと暮らしていくことに不安感はあった。
受け入れてもらえるとも思ってなかった。
『俺がただ、毎日会いたいだけ』
…あれから2年よく続いたもんだ。
いや、余裕だったかな?
まだ眠りこけている仁人を腕の中に収めながらスマホを起動した。
最新の写真には、昨日ソファーで呑気に眠っていた時のものが表示されている。
…どちらかが遅くなったって嫌でも顔を合わせる。
起きていれば最高だけど眠っている時でもこうして互いを感じられる。
相手の生活の一コマを一番近くで眺められる。
スマホを閉じて大きく伸びをすると、隣の仁人を揺り起こした。
「仁人ー、起きてー。休日終わっちゃうよ」
…まだ9時だけど。
昨日あそこまで情熱的に喋られたら、こっちだって手を打つ。
…毎日会いたい。
ずっとこの日々が続いてほしい。
だから、毎秒楽しませられる関係でいたい。
「…やった?俺…」
前髪の隙間からやっと薄目を覗かせた仁人の背中を叩く。
「もう9時。今日は洗剤買いに行くからついでにどっか行こ」
『…やばいね』
赤らんだ頬には笑窪が刻まれている。
『こんなに嬉しいもんなんだね、勇斗と暮らせるって』
「おはよ」
「おはよ…」
今日一発目の愛しい恋人の顔は、あの時と同じような笑顔だった。
コメント
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2度めまして リクエスト作品ととらえて大丈夫でしょうか ほんっとうにありがとうございます! 浅はかな感想しかかけなくて申し訳ないのですが、とっても幸せです

連続でコメント残してすみません。 先程、素敵な作品読ませて貰って余韻浸ってたのですが、またこんな垂涎もののお話を拝見できるとは…本当に感謝しかありません これで明日も頑張れます ファンになりました 次の作品も楽しみにしております