紙の上でペンの滑る音だけが響く。
ーとりあえず
これで提案書は良いだろうー
書き上げた書類を机上で叩き揃えると
壁に掛けられた時計は
深夜の2時に成る頃を刻んでいた。
「⋯もうこんな時間か」
独り言ちた私の声に
膝で眠っていたセイリュウが首を持ち上げた。
「セイリュウ。
さあ、バスケットにお入り。
少し外に出ようか」
セイリュウを抱き上げ席を立つと
その小さな躯をバスケットに入れ
万が一にでも人目に触れぬよう
ブランケットで覆う。
カフェの女主人や
副会長はセイリュウの存在に
気付いている様子は無かった。
ー夢の存在だから⋯かー
それでも一部
鋭い人間には感知できるのかもしれない。
小さなドラゴンの姿になったとはいえ
好奇心旺盛な所は変わらないらしく
ブランケットから顔だけを出し
興味深そうに鼻を仕切りに
彼方此方に向けて匂いを確認している。
歴史が薫香となって風と共に運ばれてくる
鐘楼の階段を登り頂上に辿り着くと
救いの鐘の前でバスケットを降ろし
私も膝を着くと祈りの手を組んだ。
「救いの鐘よ。
罪深き私をお許しください。
私は貴方を利用し
これから世界中の魔力を消し去ります。
それは貴方の魔力も同じでしょう。
しかし私の行いが正義であると
貴方ならきっと解って下さるはず⋯
どうか私に御力をお貸しください。
世界を正しく導く為にも!」
魔力を忌み嫌いながらも
それを消し去る為に
救いの鐘の魔力を必要とする
その矛盾した罪を懺悔すると
バスケットからセイリュウを抱え
鐘の前に立った。
「私の夢で視るよりも
本物の救いの鐘は荘厳であろう?」
救いの鐘を想わせるその山吹色の双眸で
吸い寄せられるかの様に見詰めている。
「さあ
魔力を補給しなくてはな」
口径内に共に入り
軽く手の甲で打ち鳴らすと
目を伏せて鐘の音に耳を澄ませる。
「⋯ろ⋯ろ」
腕にずしりと重みを感じ目を開けると
セイリュウが幼子の姿に戻っていた。
「⋯⋯?
どうしたのかね?」
良かったと声を掛けようとしたが
驚愕した様に顔から血の気を無くし
目を見開いて宙を見上げる様子に
私も同じ方向を向く。
いつもと同じ
星々が煌めく美しい花の街の夜空だ。
「何なんだ⋯この星の並びは?
何なんだ!この〝世界〟は!?」
宙を視て
落ちそうな程に目を見開き
戦慄し叫ぶセイリュウの躯を
突然の事に驚いた私には
抱き締めている事しかできなかった。
「落ち着きたまえ!
星がどうしたというのだ!?」
尚も激しく震える躯を捩らせ
私の腕を払うと
ふらふらと覚束無い足で
鐘楼の柱に縋る。
「セイリュウ⋯?」
隣へ目線を合わせる様に躯を屈ませ
除き込んだセイリュウの双眸は
戦慄に瞳孔を開き切っていた。
「⋯この世界は
〝捻れ〟歪んでいる⋯!」
呼吸の方法すら忘れたかの様に
声を掠れさせポツリと呟く。
ーツイステッドワンダーランドが
〝捻れ〟ている⋯?ー
「どういう意味かね?」
蒼白させた顔で私に向き直ると
セイリュウは宙を指差す。
私もその先に視線を送る。
「天文道の一つである星詠みでは
彼処の星は本来であれば吉星⋯
それがこの世界では〝凶星〟として
凶星があたかも
〝吉星〟として輝いているのです!
故に本来であれば
救いとなるべき者が災いとなる⋯
この世界では吉凶が〝捻れ〟ている!!」
ー救いが⋯災い?ー
「ろろ!
この世界で龍と出会してはなりませぬ!
此方の龍は災いに成りかねない!!
もしかすると貴方も本来は、きょう⋯っ」
突然に言葉を紡ぐセイリュウの
左腕が裂け鮮血が迸り
その先が途絶された。
「な⋯っ!?」
蹌踉めくセイリュウの小さな躯を
咄嗟に抱き留める。
先程と同じだ⋯
何も攻撃してくる気配など無かったのに!
「先の事と云い
いったい何が起きている!?」
急ぎ腰紐を解きセイリュウの腕に縛って
止血を施す。
「⋯主が
まだ不死鳥と闘っておられるのです」
ーもしやあの男の傷を
肩代わりしているのか?ー
「主の許に戻らねば⋯っ!」
蹌踉めく躯を引き摺り
セイリュウは宙を睨む。
今、夢へ転移しようと云うのか
魔力の流れがあった。
「待ちたまえ!
本当にあの男を助けたくば
無策で向かう等、無謀であろう!
それとも何か?
まだ卿は魔力不足で
思考が幼子になっているのかね?」
ぐっとセイリュウが言葉を飲み込み
歯痒いのであろう、歯を食いしばる。
「⋯よろしい。
主を護る為に戻るのであれば
万全を期して挑むのが良いだろう。
明日の夜を待つんだ。
私に⋯考えがある」
口惜しがる様に宙を見上げる
セイリュウの手を引き
鐘楼を背に階段へと歩を進めた 。
寮の自室に戻る道すがら
警備職員の者とすれ違うが
寮で幼子を連れているこの異質な光景に
やはり指摘される事も無く
セイリュウが夢の存在である事を
確証付ける。
ー今の所、セイリュウを認識できたのは
動物達と鐘撞き係の者のみかー
自室に戻り
寝間着に着替え直してベッドに腰降ろすと
その隣にセイリュウもそれに習い座る。
「さあ、少し休もうか。
お前がそこまで案ずる程
あの男は弱くはないのだろう?
寝物語に私の考えを話すとしよう」
シーツの中へ促すと
セイリュウは大人しくそれに従い
躯を潜り込ませると
山吹色の双眸を真っ直ぐに向け
私の話に耳を傾けた。
「ろろ⋯
それは貴方の躯への負担が⋯」
山吹色が不安の色に染まるのを見て
小さなその頭を撫ぜる。
「んっふふ⋯
心配してくれるのかね?
そこまで私をみくびって貰っては困るな」
あの男の為では無い。
ー私にとって
紅蓮の花の威力を試す
〝善い機会〟なのだー
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!