コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ぐ、と引き止められた腕が少し痛む。
「おい、」
放課後の誰も歩いて居ない廊下、想定外に加えられた力とぶっきらぼうに投げられたその言葉に思わず振り返った。目の前には肩よりは長い黒髪。背格好とその声からして男の子だろう。しかし、こんな人私の知り合いには居ないはずだ。ぐるぐると記憶を辿れば、ひとつだけ思い当たるものがあった。場地圭介、前に友達に聞いたこの学校に居るらしい不良の名前。車を燃やしただとかなんとか物騒な話題をよく耳にする人物で、当然私のような一般市民とは何の縁もゆかりもないはず。そんな人が私に何の用があるのだろうか、バクバクと大きくなり始めた鼓動を誤魔化したくて、弱々しいながらも声を絞り出した。
「…えっと、何かありました、かね、」
いや、用があったから声を掛けたんだろうけど、今の私にはこれくらいしか言葉を出せそうになかったから仕方ない。目の前の彼は、私の言葉を耳にして掴んだままだった手をパッと離した。その代わりに彼の反対の手が差し出される。その手には猫のシルエットがあしらわれたハンカチ。間違いない、あれは私のものだ。あ、と吐息のような独り言のような声を漏らせば、それに重ねるようにして彼が口を開く。
「これ落としたのあんただろ?」
「えっ、あ、私の…ありがとうございます」
軽く首を傾げながら尋ねてきた彼に、辿々しくお礼を告げれば、その手からハンカチを受け取ってスカートのポケットへと仕舞う。私のその一連の動作を見守った彼は、じゃ、とひらりと片手を振って、笑顔を見せて去って行く。
話に聞くより意外といい人なのかも、なんてつい思ってしまって、笑顔を見せた時にちらりと覗かせた犬歯がかっこいいかも、なんて友達にはきっと言えない。