珠佳は毎朝、鳥のさえずりで目を覚ます。しかし今日は違った。
「主殿!起きてくれぬか!」
「なんだい、騒がしいねぇ……」
枕もとで紙人形が叫んでいる。それによって意識を半ば強引に覚醒された彼女は渋々身体を起こした。
「主殿、朝であるぞ」
「そうは言っても明るくなったばかりだろう?もう少し寝かせとくれよ」
「それは困る。主殿が再び寝入ってしまったら、拙者の話し相手がおらぬではないか」
その発言に対し、珠佳は何も返さず布団に身を包んだ。そしてそのまま横になる。すると焦った様子の声が降ってきた。
「主殿、さすがに無視は怖いぞ」
「そうかい。それじゃあおやすみ」
「いくらなんでも拙者に冷た過ぎるのではないか!?」
「考えてみておくれよ。こっちは紙人形が勝手に喋って、その上人の姿を得たのを間近に見たんだよ?平然としていられるわけがないじゃないか」
正直なところ、珠佳からすれば夢であって欲しいと願う部分があった。しかし一晩経って目覚めても、相変わらず若い男の姿をした元紙人形が目の前にいるので、彼女は内心戸惑っているのである。
「それは……すまなかった」
珠佳のもっともな言い分に、男は謝罪の言葉を発するしかない。
「全く。仕方ないね」
珠佳は溜め息を零しつつ、再び身体を起こした。
「主殿?」
「今回だけは相手してあげるよ」
「まことか!」
先程まで曇っていた男の顔が一気に晴れる。珠佳はその様子を微笑ましく感じつつ、彼に尋ねた。
「それで、何を話すんだい?」
「それはもう決まっておるぞ、主殿」
「と、言うと?」
珠佳が話の先を促すと、男は真剣な表情でそれを口にした。
「まずは拙者の名前を考えたい」
それを耳にした彼女は、紙人形の名前について全く考えていなかったことを思い出した。
男は紙人形と言えど、人の姿を得た存在である。確かに名前があった方が何かと都合が良い。
「あんたの名前、ねぇ……」
顎に手をあてつつ考え始めた珠佳は、ふと疑問が浮かんだ。
「ここまで何も気にしてなかったけど、あんたは結局どういう存在なんだい?」
尋ねられた相手は気難しい表情で述べる。
「それが拙者にもよくわからぬのだ。主殿が折り紙で作った紙人形に生命が宿った存在。言わば『折り紙の神様』といったところか」
「折り紙の神様、か」
彼女は男の言葉を反芻した後、提案した。
「それなら、そのまま『おりがみさま』で良くないかい」
「さては主殿、適当な性格であるな?」
「ずっと真面目に生きてたって、疲れちまうからね」
世の中は理不尽なことが多い。適当な生き方をしている人間ばかりが得をし、真面目に生きている人間はよく損をする。
「それは確かにそうであるが……」
「とりあえず『おりがみさま』は確定で良いね?」
「い、致し方あるまい」
どこか苦虫を噛み潰したような顔をしている男に、珠佳は眉をひそめる。
「不満そうだね。そっちの言い分は聞くだけ聞くよ?」
「……正直、主殿からは人としての名を頂戴したかった」
「あぁ……そういうことかい」
紙人形の純粋で正直な要望に、彼女は少々申し訳なさを覚えた。そんな珠佳をよそに相手は微笑みながらこう口にする。
「そうは言っても折角頂いた名だ。感謝するぞ主殿」
「あ、あぁ。礼にはおよばないよ」
そう口にした通り、珠佳は自分が彼に礼を言われる筋合いは無いと思っていた。相手の要望を叶えられないまま話に区切りがついてしまいそうだったから。
「どうかしたか?主殿」
「あぁいや、なんでもないよ。おりがみさま」
「それなら良いが……」
「さてと、そろそろ開店の準備をしないとね」
どれ位の時間が経過しているかはわからない。けれども今はこの話を一度切り上げるべきだと珠佳は判断した。
「拙者も手伝うぞ」
「いいよあんたは」
彼女はその申し出をはっきりと断る。店員でない者に手伝わせるわけにはいかない。
一方拒否されてしまった男は明らかに悲しげな表情を浮かべ、肩を落とした。
時は流れ深夜、珠佳は一人静かに筆をとる。
「どうしたもんかねぇ……」
思いつく限りの男性向けの名前を羅列してみたものの、どれもなかなかしっくり来ない。
「あたしには無理なのかな。いや、折角あたしが作ったんだから、名付け親もあたしであるべきだ」
彼女はあれこれ頭を悩ませた後、ようやく一つの名前に辿り着いた。
「気に入ってくれるかはわからないけど、明日本人に聞いてみて、だね……」
眠気が限界を迎えた珠佳は、そのまま意識を閉ざす。そして室内には彼女の寝息がこだましていた。
その翌朝、夜明け前に目覚めた紙人形は珠佳が布団にいないことに気がついた。
「もう起きておるのか……?」
隣の部屋を見てみると、床に倒れている彼女の姿が目に入る。その様に一瞬慌てたが、すぐに眠っているだけだとわかり、安堵した。
「こんなところで寝ては身体を痛めるぞ……」
とりあえず上着か掛け布団を持って来ようとした彼はふと机の上を見る。
「これは?」
紙に書かれていたのはいくつもの男性の名前。そしてその中の一つ、『雅志』という名前だけが丸で囲われていた。それを見た男は一つの推測が浮かぶ。
「まさか、主殿は拙者の名を夜通し考えていたのか?」
寝息を立てている珠佳はその疑問に応えない。けれども彼にはそうとしか考えられなかった。
「起きたら目一杯感謝するぞ、主殿」
こうして男は自らを「雅志」と名乗るようになったのである。