テラーノベル
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「今日も恋人の正位置ですね……」
シャーレのオフィス、休憩エリアで、一人の生徒がそっと呟いた。
ワイルドハント芸術学院2年、白尾エリ。今日のシャーレ当番の彼女は、いつもの輝くような表情とは裏腹に、ここ最近ずっと浮かない顔をしている。
その原因は、手の中のタロットカードにあった。大アルカナ6番「恋人」の正位置。
恋愛、情熱、結婚……。本来なら喜ばしいはずのその意味が、どうにも彼女を困惑させているようだった。
「うーん、どうしてでしょうか?私の身の回りにそのような人は……」
芸術とオカルトに明け暮れる日々の中で、恋愛感情が芽生えることはなかった。
だが、アルカナの導きは出鱈目を言わない。エリは占いの結果を信じ、必死に思い返す。
オカルト研究会の仲間達だろうか?同じ学科の先輩方?それとも……。
脳を必死にフル回転させるが、どれもこれもピンとこない。
ーーいや、1人だけ、心当たりがある。
「……まさか、マスター!?」
マスターとは、シャーレの先生のことだ。ここキヴォトスで唯一の異性であり、頼れる大人。彼に心惹かれる生徒が数多くいることは知っていたが、まさかエリまでが彼の虜になっていたとは夢にも思わなかった。
「……いや、確かに、私と私の芸術に真摯に向き合ってくれましたし、大切なことも教えてくれましたし……ハッ!?」
顔を真っ赤にしながらも、すらすらと理由をいくらでも口にできてしまう事実に、さらに顔が熱くなってしまう。
「うぅ……本当に、私はマスターに……」
「恋」という単語すら、口から這い出すことができなくなってしまったエリ。
長いと思えるほど、深く考え込んだ後、彼女は一つの作戦を企てた。
「……ここは大胆に行動しましょう、マスターに、私の本心を……!」
彼に本心を伝える――それは、言わばプロポーズに等しい行為だった。
成功への不安と、一途な恋心が生み出す動悸が混じり合った複雑な感情を抱えながら、エリはシャーレの執務室へと向かった。
シャーレの執務室。書類の山が積み重なった乱雑な机、そして窓から見える清々しいほどの青い空。その中で、シャーレの先生である私は、変わり映えのない書類処理を淡々とこなしていた。
また徹夜したせいだろうか、目元には大きな隈ができていた。それでも私は平然と書類を取り、細部まで目を通し、ハンコを押し、仕分けていく。ずっと反復的な作業をしていたせいか、あるいは睡眠不足のせいか、私はまともな判断すらできていないだろうと、ひしひしと感じていた。
(ガチャッ)
もはや屍同然の私と部屋の扉が、不意に開かれた。何だろうと扉の方へ振り返ると。
「おはようございます、マスター!」
「ああ。おはよう、エリ」
扉の隙間から大きな帽子をひょいと覗かせたのは、今日の当番、エリだった。
「今日も魔法の研究を……って、書類の量とんでもないですね!?」
「ははっ、参っちゃうよね。昨日の夜から徹夜でやってるけど……なかなか減らなくてさ」
「死にそうな顔をしてますね……魔法研究もしたいですし……あっ、一度、私が回復魔法をかけてあげましょうか?」
「助かるよ。それと、強化魔法もかけてくれないかな?」
「もちろんです!さあさあ、早くこっちに来てください!」
こうして魔法をかけてもらい、私たちは二人で溜まりに溜まった書類を処理していった。
その日のうちに書類を片付けた私たち。しばしの休憩を取ると、エリは早速魔法研究を始めた。オカルト本に目を通し、魔法陣を描き、詠唱する……。そうした楽しい時間に限って、時間の流れは早く感じてしまうものだ。
夕暮れに差し掛かった頃、彼女は最後の儀式に取り掛かった。
「最後に行う儀式は……えっと……まずは」
「……?」
今までの儀式通り、まずは魔法陣を描く……はずが、今回はやけにエリの動きがぎこちない。
「エリ、なんだか動きがぎこちないんだけど……」
「わあっ!?ちょっ、ちょっと待ってくださいね!?解読中でして……!」
「今回は少し難しい系かな?」
「はい……解読できました。やはりまずは魔法陣を描く手順からのようですね」
エリは本を閉じ、早速チョークで床に魔法陣を描き始める。
「よし……魔法陣を描いて、それから……指輪を……」
「……エリ?」
「ひっ!?な、何でもないですよ!?魔法陣を描きながら、詠唱を唱える必要があるんです!」
「……そう、なんだ?珍しいね」
「は、はい!」
やはり気になってしまう。最後の儀式に取り掛かる時から、どうにもぎこちなく、沈黙が続くことがある。それに、顔が赤いし……体調を崩してしまったのだろうか?
今止めるのも気が引けるし、これが終わったら尋ねてみよう。
そう心の中で決心しているうちに、エリが魔法陣を描ききったようだった。
「できました、マスター!」
「おお、ちょっと大きいね?」
エリが描いた魔法陣は、たしかに少し大きすぎた。具体的に言えば、二人分がすっぽり収まるほどのサイズだ。それに、チョークの跡は所々震えていたり、途中で途切れていたり……何というか、普段のエリからは想像もつかないほど大雑把な印象を与えた。
「えっと……大丈夫なの?」
「な、何がですか!?」
「魔法陣の線……ちょっと大雑把っていうか……」
「大丈夫です!次行きましょう!」
指摘しようにも、彼女の勢いに遮られてしまう。その声からは、先ほどよりも強い焦りが感じられた。
「えっと、次は……マスター、こちらへ」
「……?」
エリが、またしてもぎこちない動きで魔法陣の中から手招きする。二人掛かりの儀式なのだろうと勝手に解釈し、私は素直に魔法陣の中へと足を踏み入れた。
「……よし。次は……この指輪を使います」
エリの喉が、ゴクリと鳴る。静まり返った執務室だからか、その音はやけに大きく響いた。
彼女から手渡されたのは、指輪だった。艶やかな銀のリングには、エリが普段身につけているものとは違う、青く輝く宝石があしらわれ、見るからに高価なデザインが施されている。
「マスターはまず、私の……薬指に指輪を通してください」
もじもじと言葉を詰まらせながら、彼女は左手の薬指を差し出した。
この時、寝不足で鈍った私の頭は、その行為が持つ重大な意味を何一つ理解していなかった。そして、言われるがまま、彼女の左手の薬指に、そっと指輪を通してしまった。
「あっ……!にゅ ふふっ……では次に、マスターの左手の薬指に……」
感極まったように声を震わせるエリに促されるまま、私は左手を差し出す。すると彼女は、もう一つの指輪を私の薬指にゆっくりと通した。
「……ん? 薬指? まさか……!」
「にゅふふ……もう手遅れですよ」
儀式の本当の意味を悟った私は、必死に手を振り解こうとする。しかし、キヴォトスの生徒が相手では抵抗など無意味に等しい。私の左手は、エリの華奢な指に一層強く握り締められた。
「やめっ!?!」
「マスター? これはれっきとした儀式なんです。もし中断してしまったら……どうなるか、わかりませんよ?」
「は、はい……」
先程までの焦りはどこへやら。まるでこの瞬間を狙っていたかのように、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「以前、『私と同じ道を歩んでほしい』とお伝えしましたよね。でも、ふと思ってしまったんです。もしマスターが、他の子のところへ行ってしまったら……って。えへへっ、やっぱり先生の魅了魔法は強力ですね……」
うっとりとした表情でエリは独白を始めるが……私はそんな約束を、彼女としただろうか?
「ですから、こう考えたんです。マスターが決して離れていかないように、強力なおまじないをかけようと」
「……そのおまじないが……これ?」
「ええ。指輪というのは、古くから『契約』と『束縛』の象徴。とても強い意味が込められているんですよ」
エリはうっとりと、左手の薬指で輝く揃いの指輪を撫でた。
「そして……契約を完全なものにするための、最後の仕上げです」
「最後の……仕上げ?」
私の問いかけが耳に入るより早く、エリは私のネクタイをぐいと引き寄せた。抵抗しようにも、掴まれた左手がそれを許さない。彼女の顔が、ゆっくりと近づいてくる。勝ち誇った、妖艶な笑みを浮かべたまま。
「ま、待っ……!」
言葉は、続かなかった。
唇に、柔らかく、そして少しひんやりとした感触が触れた。
そして唇が離れると、吐息が触れるほどの距離でエリが囁いた。
「えへへっ……マスター、これからも、よろしくお願いしますね? そしていつか……二人だけの芸術を、創りましょう……」
長いようで短かった口づけの時間は、彼女の甘美な言葉と、熱に浮かされたような微笑みによって終わりを告げた。
「エ、エリ……」
呆然と彼女の名前を呼ぶのが精一杯だった。
「……どうか、その指輪は外さないでくださいね」
釘を刺すようにそう言うと、エリははっと我に返ったようだった。先程までの大胆な表情は一瞬で崩れ、みるみるうちに顔を真っ赤に染めていく。
そして、その表情を隠すように深く帽子を被ると、彼女は振り返りもせずに、逃げるように執務室を飛び出していった。
「……はは、とんでもないことになりそうかな」
甘美な彼女が目に焼き焦がした今晩は、上手く手を進められそうにないだろう。
「ええっ!?戦車の逆位置!?もしかして……昨日の!?」
次の日、先生とエリの左手の薬指に同じ指輪が通されている事実が、キヴォトス中に広がり、戦争勃発寸前の大波乱を起こした話はまた後日……。
私の想像力、やる気じゃあ……ここまでしか書けなかった。
先祖様よ!!一抹のお慈悲を!!二つ目の眷属様!!一抹のお慈悲を!!
コメント
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ネットミームのお通夜から盛り上がるニキに成ってしまった…湿度が高くなってるなぁ。 汝…ハートを射貫け